>>784
>一元化しにくい

八百万の神々や修験道日本という大きな共同体の独自の世界観はある。それはいいことだと思う。
でも田舎にいると、私はキリスト教徒に改宗したから他の宗教の祭りを手伝えませんと
言うと共同体から出て行けと言われる勢い。その土地に住んでいるとその土地の神様を崇めて当然だという
無意識に一元化してるようにみえるんですよ。
そして共同体から出て行くとゴミを捨てさせてもらえない。田舎の土着信仰は行政と密接に結びついていて、
宗教と結びついた統治システムを作り上げてて
これは統治サイドからすると効率はいいけど近代国家としてはすごく深刻だなと思う。
(その土地に長く住んでいる人間の権力が増す効果がおそらくあるんですよね、ひいては天皇家の権威も。。。)
他方、中央アジア行ったとき共産主義下でもイスラム教の習慣は廃れていなかったし、
原始宗教のシャーマンも同時に信仰していた。中国行ったときも祖先崇拝に仏教も存在していた。
キリスト教も、以前の宗教イベントを受容していて日本の神仏習合とあまり違わないようにも思うんですよね。

上の記事でもあったように、日本の場合は
自らを寛容だと思い込ませて他の国の人たちは非寛容だと単純化させて(実際はとても複雑な精神性を持っている)
敵扱いする、権力がある人たちが現状の権力を維持するためにそういう統治を行なっているのでは?
と思います。