A君の書いてくれた「死ねしね様」は、顔面から直接手足が伸びた、幼稚園児が描いた絵のようだった。
幼稚園児の絵と違うのは、目の部分が異様なまでに鉛筆の黒で塗りたくられていたことくらいだ。
顔から延びる二本の手と足は、枯れ枝のように細かった。
小学生の画力だから恐ろしいとは感じられなかったけど、
「死ねしね様」の姿を必死で伝えようとするA君の筆圧が、「死ねしね様」の姿の恐ろしさを充分に表現してくれた。
この大きな顔が左肩に乗って、小さな手で左耳を掴み、「〇ね、〇ね」と囁き続けるのだと言う。

24時間、ほとんどずっとだ。
たまに離れてどこかに行っても、眠っている耳を掴んで囁いては起こしにくる。
当時の俺は、眠れないことの辛さを理解できていなかったから、恐怖よりも困惑のほうが大きかった。

俺としては、「死ねしね様」のことを何とかしてやりたかった。
けれども、よくよく考えてみたら、俺は何も知らなかったんだ。
正体とか、対処法とか、そういうことの一切を俺は知らなかったんだよ。
いったい何をしに来たんだよ、おまえは。

どうしよう、頼りないおにーちゃんでごめんな。
ということで、頼れるうちのお爺ちゃんを頼りにしたのだけど、うちの爺ちゃんも頼りなかった。
オラが村の神主なんだか住職なんだかも分からない、神仏習合な爺ちゃんも頼りなかった。
専門はお葬式で、妖怪退治は扱ってないと。素の表情で言われた。

「死ねしね」あるいは、「ねちねち」の話を先に聞いておくことが唯一の対処法だったんだよ。
そうすれば、「〇ね」の発音を正しく理解することはできなくなるし、実害も無くなる。
いままで実害が無かったから、ほかの対処法を探す必要もなかった。
だから、A君の不眠症に、現代的な方法では対応することができなかったんだ。

現代的と言ったのは、A君自身が解決法を見つけたからだ。
「死ねしね様」に取りつかれてしまったなら、その小さな手が掴まるための左耳を切り落とせば良い。
眠れないことに耐えきれなくて、台所の包丁を使って小学生のA君が自分の左耳を切り落としたらしい。

救急車のサイレンの音が鳴り響いた。A君が決行に及んだことを知ったのは、1週間以上のあとに噂で聞いた。
高校生、子供が知らなくていいことのひとつだった。