貴族と平民との区別が少なくとも書類上は廃止され、奴隷制度や庶子を高官の地位に就けなくしていた差別もなくなった。
残忍な処罰や拷問は廃止され、使いやすい貨幣が穴あき銭にとって代わり、改善を加えた教育制度が開始された。
訓練を受けた軍隊と警察が創設され、済物浦から首都にうたる鉄道敷設が急ピッチで進められており、国家財政は健全な状態に立て直され、
地租をこれまでの物収から土地の評価額に従って金納する方式に変えたことにより、官僚による「搾取」が大幅に減った。
広範かつ入念な費用削減が都市および地方行政府の大半で実施された。

(P563)
それでも朝鮮で1年近くをすごし、そこに住む人々をおもな研究対象とした結果、
わたしは1897年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、
朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。

T 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
U 国王の権威は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。

以上、わたしはもっぱら朝鮮の国内問題、現状、一般大衆の社会的あるいは商業的な向上の見通しについて書いてきた。

第37章 最後により(P571)
ざっとではあるが、以上が1897年末時点での朝鮮における政治情勢である。
朝鮮は長くつづいた中国との緊密な政治的関係を絶ち、日本から独立というプレゼントをもらったものの、
その使い方を知らずにいる。イギリスは見当がつかなくもない理由から、朝鮮情勢には積極的に関わらなくなっている。
他のヨーロッパ列強はこの地域の保護になんら関心を示していない。
そして朝鮮の領土の保全と独立は、極東における利害関係が敵対しているといって語弊があれば、対立している帝国主義列強のなかでも、
最も忍耐強い国と最も野心的な国のなすがままとなっている。
朝鮮の運命をめぐってロシアと日本が対峙したままの状態で本稿を閉じるのはじつに残念な思いである。