(P502)朝鮮のシャーマニズム
朝鮮の都市には寺院や聖職者の姿がない。家々には「神棚」がなく、村祭りには神輿もなければ、偶像を運ぶ行列もなく、
婚礼や葬儀では聖職者が祝福をしたり冥福を祈ったりすることがない。

(P538)
いずれにしても、ロシア公使館に遷幸して以来、国王が享受した自由は朝鮮にとっては益とならず、
最近の政策は、総じて進歩と正義をめざしていた日本の支配下で取れれた政策とは、対照的に好ましくない。
昔ながらの悪弊が毎日のように露見し、大臣その他の寵臣が臆面もなく職位を売る。
以下略
また日本の支配力からも解放され、さし迫った身の危険もなくなると、国王はその王朝の伝統のうち最悪な部分を復活させ、
チェック機関があるにもかかわらずふたたび勅令は法となり、国王の意思は絶対となった。

(P560)
宗主国中国の影響のもとに、朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上欲しいままにしてきた。
この点について日本は新しい理論を導入し、庶民にも権利はあり、
各階級はそれを尊ばなければならないということを一般大衆に理解させ、無料新聞も同じ路線をとった。

朝鮮の農民には日本と西洋の指導手段を通して、食いものにされるばかりが自分たちの運命ではない、
自分達も市民としての権利を持ち、法的見地から見た平等に値し、収入を守られるべき存在なのだということが徐々にわかりはじめてきたのである。
この3年間にあった朝鮮に有益な変化のうち重要性の高いものをまとめると、つぎのようになる。

清との関係が終結し、日清戦争における日本の勝利とともに、中国の軍事力は無敵であるという朝鮮の思いこみが打破され、
本質的に腐敗していたふたつの政治体制の同盟関係が断ち切られた。