悪臭ぷんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、
疥癬〈かいせん〉持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしている。

(P64)
南山の斜面には簡素で地味な白い木造の日本公使館があり、その下には茶屋、
劇場をはじめ日本人の福利に不可欠なさまざまな施設を備えた、人口ほぼ5000人の日本人居留地がある。
ここでは朝鮮的なものとはきわめて対照的に、あくまで清潔できちょうめんで慎ましい商店街や家々が見られる。
女は顔を隠していないし、着物に下駄ばきの人々は日本と同じように自由に動きまわっている。

ここではまた下っぱの兵士や憲兵、それにスマートな帯剣の将校も見られる。
将校は一定間隔で警備を交代するが、朝鮮では反日感情が根づよいためこのような警戒が必要で、
日本公使館員が戦いをまじえつつ海まで逃げざるをえなかったことが二度あった。

(P83)
ある意味でソウルは朝鮮そのものである。
土壁のあばら家や軒の深い茶色の屋根、汚物をたたえて緑色にぬめり悪臭を放つどぶのある、
ソウルのみすぼらしいひとつをとっても、地方のどんな町や村にもある通りの典型だといえる。

(P85)
朝鮮人にとって、ソウルは生活に値する唯一の場所なのである。
とはいえ、ソウルには芸術品がまったくなく、古代の遺物はわずかしかないし、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。
他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ
無関心だったため寺院もないし、いまだに迷信が影響力をふるっているため墓地もない!
ソウルには公認の寺院がひとつもなく、清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。

(P111)
小集落はべつとして、漢江沿いの村々には学校がある。ただし学校といっても私塾である。
家々でお金を出し合って教師を雇っているが、生徒は文人階級の子弟にかぎられ、学習するのは漢文のみで、
これはあらゆる朝鮮人の野心の的である官職への足がかりなのである。ハングルは軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない。