先生は、成し得た者だけが正しいと思っているんじゃないですか?
そこに至るまでの経過の者は、軽んじていいニャ?
確かに成し得る事はとても、めでたい事だと
ぼくも思いますし、そういう人々によって、世は
進んでいくのですから、大変重要な事ではありますが、
ぼくは、そこに至るまでの経過の者者の存在も
同等に正しい、尊ばれる存在だと思いますよ?

雄しべが沢山あって、雌しべが一つ。
実際に受粉するのは 雄しべの内の一本の花粉だけですよね。
人間の精子と卵子も一緒か。
勿論、競走を勝ち抜いて受粉、受精できた強者の努力によって、
世は生を繋ぎ発展していく訳ですけれど、
じゃあ、受粉受精に至らなかった多勢の雄しべ精子は何?
不必要なもの?
不必要な負け組と考える人もいるでしょうが、
そうでしょうか?
そんなに不必要だったら、神さまは最初から、
一本の雌しべと一本の雄しべによる
生命の仕組みを この地球に降ろしたと
思いませんか?
なんで、地球は一本の雌しべに沢山の雄しべの形式なの?
ぼくは受精しなかった精子の走行も
決して無意味な価値の無いものだとは、思いませんけど。
一つの勝利と対等の価値が、多くの至らない走行者にあると
ぼくは思います。