そう、もう1つ思う事を書いておく
ある意味な、誰か様が書いてくれた
「今に在る」ことが無でもあるのよ
余計な事を考えず、ひたすら今にある事

そこまでの説明の入口が
仏教では「苦」からで
日月の神さんは「喜」からなんよ

なんでやろ、その時代背景で説明するには
入口はそこから入った方が分かり易かったから
かな?、そんな事思うね、で現代ではね、あまりにも多くが「苦」から入り過ぎて、ネガティブっぽく偏ってる様に思う

だから現代なら入口は「喜」から入ってみるのもアリかなと、多分行きつく答えは同じなんよ

とまあ、そんな事書きながら余計な事を考えてよく喋る自我な、そんな事してる暇あったら、ひたすら「今に在れよ」と、俺を叱る人は言いたいのですよね、あいスンマセーン(笑)