【悟り】探求する人々の集い【覚醒】
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だからどうって事でもないが、嬉し嬉しの世界が可能なら、無よりいいやんとね、どうせ永遠の無なんて誰しも無理やろ、原初の神さんが無理やったんやから、だから今こんな世界なんやんか。
嬉し嬉しの世界ってな、俺のイメージで言うと
本間は仲の良い人達が敵方と味方に別れて、分かってて紅白戦とかプロレスやってる感じ、分けやんと喜怒哀楽が発生せえへんからな(笑) まあ、古代ローマ時代にコロッセオで
殺し合いやってたのが、現代ではスポーツに置き換わったようなもんよ
それみたく世界システムまるごと置き換える感じ、まあ、考え甘いんかなぁ〜(笑) まあ、よう喋ったんで
そろそろ、お口チャックしておきます(笑)
叱られたら困る〜♪(笑) あかん、もうチョット喋りたなった(笑)
てか元々の創りがそうやったのが
皆がゲームにのめり込み過ぎて
本間もんの敵方と味方に別れて行ったんちゃうのん、そんな感じやも知れん、より複雑にな。 >>780
原初の神さんが無理ではなかったので
永遠の無なんて無理ではない。
というわけで全ては永遠の無になった >>783
自分は今でもゲーム感覚だけどな
より暇つぶしに適した世界の創造
それが私の目的 個々によっては冷静にゲーム感覚で居れる
視点(立ち位置)を獲得してる人は居るやろね
ただし、因果関係付きのゲームだから
無茶はせんように気を付けているはず
他者のほとんどがゲームにのめり込んでいる人達であっても、単なるゲーム感覚で居れるんだろう、だからシステム変更する必要もなく、現状システムで完璧といえば、その通りかも知れんが……、何とも言えん じゃあ、やっぱ原初の神さんは、暇潰しで
この世界を創った派なんでしょうね貴方は^^ >>787
うんよくわかってるじゃん。
だから全ての存在の目的は暇つぶしで
あると認識している。 >>788
まあ正確には作られていないけど
後しまつはちゃんとしてるし 今後俺が理解せなあかんのは
>永遠の無なんて無理ではない
と
>後しまつはちゃんとしてるし
やな
なぞなぞ増えとんがなぁ〜(笑) 今さあ、俺こんなこと考えてるけどさ
何かの因果関係でまたこの世界に生まれ落ちる
とするやん
ほたらさ、また何も知らん赤子からスタートやろ、その時どう転ぶか分からんやん、今の俺が考えているような立ち位置までなるか?、全く逆行ってしもうてる可能性まであるやん?
嫌やわぁ〜、どうなんやろ、それでも楽しめるやろかね?、いつまですんのやろ?、それでも永遠の暇よりマシなんやろかね? そう、もう1つ思う事を書いておく
ある意味な、誰か様が書いてくれた
「今に在る」ことが無でもあるのよ
余計な事を考えず、ひたすら今にある事
そこまでの説明の入口が
仏教では「苦」からで
日月の神さんは「喜」からなんよ
なんでやろ、その時代背景で説明するには
入口はそこから入った方が分かり易かったから
かな?、そんな事思うね、で現代ではね、あまりにも多くが「苦」から入り過ぎて、ネガティブっぽく偏ってる様に思う
だから現代なら入口は「喜」から入ってみるのもアリかなと、多分行きつく答えは同じなんよ
とまあ、そんな事書きながら余計な事を考えてよく喋る自我な、そんな事してる暇あったら、ひたすら「今に在れよ」と、俺を叱る人は言いたいのですよね、あいスンマセーン(笑) 明石家さんまさんの名言のひとつ
「いっぺん夢中で生きてみい。毎日が夢中や」
これ「今に在れ」と同義でしょ
ところが俺は、よく喋る自我と共に妄想をウロウロしてるのさ、しゃあないやっちゃで(笑) たぶんな、意識したものは増幅されんのよ
だからね、苦ばっかり意識してると
苦が増幅されてくのよ、突き抜けたらええねんけど、それまでが気持ち重いやろ
それやったら、途中まで喜ばっかり意識してる方がええやん、まあ途中段階で変な明るい奴も出てくるかも知らんが、突き抜けたらいっしょ
俺はそう思う。 その喜びとはなんだろうか。
皆、足らない足らないという、足るを知るとはどういう事だろうか。また 俺はまだ覚醒してないから決定的な答えは示されへん、いうたらまだ身魂磨き中なんや、身と魂がまだ合体出来てないんやろ、身いうたら肉体寄りの事、魂いうたら魂寄りの事、その間にも感情体やら精神体やら色々な中間層?もあるんや思う
>>797
だから多分としか言えんけど、どっちかゆうたら、肉体寄りやなくて、魂寄りが喜ぶ事や、ハートが喜ぶ事とか、そんなんやと思う、本間は身魂が喜ぶ事でええ話なんやろうけど、俺また合体してないから(笑)
宮川左近ショーさん風に
「いやー、なんで俺の自我って
こんな喋るんかしら♪」(笑) 足るを知るは肉体寄りの話やろ
たぶんやで^^
誰か他の、もっと身魂に近いの人に
聞いてくれろー
俺が言えそうな事、もう殆ど喋ったと思う
だから、ちょと自分の事やるわ(笑) それから、もっかい言うけど
俺は覚醒してないからな
間違った事書いてるとこもあると思うで
各自修正、訂正、してってや
たのんます m(__)m 「足るを知る」というのは今の与えられた状況が
「必然」であると納得すること。
人生万事塞翁が馬という話があるが、あれは人生を総体で評価しろ、と言っている。
人生を輪廻と言う概念にまで拡げると「魂」レベルの話になるかも。
物に限らず自己所有だと感じるモノは集散を繰り返す。
今の「散」という「果」は未来の「集」の「因」になる。
それらの集散=運をコントロールする方法に次のような比喩がある。
運と言うのは風呂の中で波を集めるようなもので、自分の方に寄せると逃げる
逆に外に押しやると縁に当たって多くの波が寄って来る。
これは「集」に拘らずに「集散」の法則が判っているから出来る。
つまり目の前にある現状は大きな法則の一断面に過ぎず
それに拘らずに流れに従うことで流れを制御することもできる。
これが判ると今与えられた状況(必然)に納得して感謝も出来
尚且つポジティブな姿勢で取り組むことが出来る。
決してミニマムがイイッということではないとオモ
足るを知ることの出来る人間は大きなこともそれが運命であれば逃げないむ ちなみに因果というのは連鎖している。
因は何かの果であり、果はまた何かの因になる。
区切るから因果が出現する、どこで区切るかで因果は変わる。
区切らないと変化はあるが因果という主従の関係は無くなる。
この総体の理解を「空」という。 君が教えてくれたものは
駆け引きだらけの恋捨てて2人で共に歩いてく生き方
この長い道を 皆の考え方面白いデス
どなたかが触れていたが無はこの世の理の終着点
覚醒ではない、覚醒はそこに至る為のそれよりもかなり前の段階ですね
覚醒とは自分の記憶・記録を知ること
そしてその先は、人の理を理解していく事が上に至る近道デス。 短い夏が終わりを告げる
その瞬間を君と迎えよう
なんて事ない毎日こそが何よりも素敵だって知ってるから 皆、瞑想とかやっているのかい。
無念無想はすぐ体験出来るから、そこに入って情報処理すると覚醒する。
想というのはイメージの展開。
念と言うのは言葉の羅列で行う思考。
この二つを消しても無意識で情報処理する働きは残っているので
無念無想だが無我に非ず、状態になる、先ずはそこから。
精神的な深さに親和性を感じる人ならすぐ体験出来るから簡単なやり方を。
先ず楽な姿勢で座り数息観を行う、やり方はネットで拾うといい。
呼吸をゆっくりしながら数を数えることに集中すると他の言葉による思考が消える。
ある程度思考が消えたら今度は身体のどこかの集中に切り替える。
一番集中し易いのがヘソ下五センチ下の丹田と言われるところ。
ここに軽く意識を置きながら他はすべて緩める。
判り難かったら肛門と性器を軽く締めて同時に手足の力を抜く。
すると緊張と弛緩のコントラストが掴める。
イメージの想起は丹田への集中で、言葉による念の展開は
弛緩感覚へ意識を向けることで消して無念無想に入って行ける。
「無念無想だが無我に非ず」そこは意識と無意識の境界線だから
そこで情報処理を行うのが瞑想の基本、命題を持ち込めば直観の形で回答される。
おせっかいで済まないが素質のある人たちがより深い自己洞察をして
ここで個性的な論を展開してくれるのを楽しみにしている。 どうせならもう少し先まで書いておこうか
このスレでイメージされている覚醒というのは
取り敢えず今までとは違った視点に立つことパラダイムシフトのようだが
思考で超えるのには限界がある、生理的に想念の枠組みを外すと良い。
無念無想に入ると、意識と無意識の境界に意識が降りると今までのように
表層的な想念でなく、無意識から想起していく想念に会う。
特徴は懐かしい感じや安心感などのポジティブな情動を伴なうこと
同時に原体験的イメージが展開する。
この「原体験」について説明すると人間は生まれる前、胎児の時は
言葉やイメージでは情報処理をしていない、無念無想の自我を持っている。
それは生命感覚と呼んでも良いのだが、それが生まれてからもしばらく続く。
そしてその生命感覚を呼び起こされる場面に遭遇した時
その場面のイメージを生命感覚を思い出すための道しるべにする。
多くは自然と触れ合う体験が多い。
その情動の方に集中すると、意識や生理的感覚がどんどん胎内回帰していく。
最後は光に包まれた至福体験もアリ。
様々な悟りや覚醒の体験に共通しているのは赤ん坊のように囚われない心だが
それを「生理的」に体験できる。
今までの意識と別方向を目指す「覚醒」ならここまでで十分だと思う。
この先はエネルギーレベルの胎児が出来たりするのだが
それはヨガや仙道、アセンションとかの領域だからね。 別れは別れの練習
いつか自分さようなら
急がなくて大丈夫
そんな理由を見つける大変さ 畜生
https://youtu.be/ORWq1bpivfY
↑
これさぁ、この反応が正しいのかわからんけど
俺めっちゃ笑ってもた(笑) 最近キンドル読み放題で、かたっぱしから手当たりしだいスピリチュアル系の本を読んでるんだけど、
驚くことにどの本も悟りや目覚めや覚醒や真我について書かれてあるんだ。
アセンションによって次元上昇した現在では出家や厳しい修行をせずに悟ることができるらしい。
悟りの方法はどれも同じ原理で、基本的にはラマナマハルシからの派生であるノンデュアリティの影響があるように思われる。
自我である思考や感情を感じてるのは誰なのか?と問うことで、観察者である真我に直接意識を向けようとする方法。
で、この観察者である真我こそ、神とか仏とか大いなるものと言われるものという。
その観察者の意識に目覚めることが悟りといわれる。 自己観察を観念として示したのがメタ認知、これは心理学の概念としてある。
スピ系などでは観察者を別に設定して、自分の想念の流れを観る。
深瞑想だと意識と無意識の境界まで降りて意識で無意識を、無意識で意識を
同時に相互観察する、この時に意識と無意識を超えた観照者が出現する。
それを擬人化すれば超越者、原理化すれば空になる。 ただ意識の操作で自我を超えるのは「方便」に過ぎない。
真の変化は内分泌系の進化、「悟り体験」は内分泌の働きを制限している
「自我」を解放する。
悟りの体験に伴う至福感や光に包まれる体験は内分泌系が自我から解放されて
自律的に働き始めたため。
後は自動的に内分泌系の解放→チャクラ→高次元のボディに繋がっていく。
昔は「自我」を生理的な修行で削って行って自我を超えた。
現代人は「自我」の輪郭が明確なので観察という方法で超越し易い。
それに多分地球環境の変化が加わって「目覚め易く」なっている。
ただ主観的な心の変化だけではなく、内分泌系の刺激まで行けば本物。 そんなに褒めないで、ではその方向で
内分泌系、脳内物質の変化によるパラダイムシフトというのは
男性の場合の射精時の前後なんか顕著。
射精前はドーパミン的行動原理が優位、ドーパミンと言うのは
快感のピークを追い求める、何事も快感のピークを一度体験して
また挑戦していくのはドーパミンによる条件付け。
ドーパミンと同時にセロトニンも出ているのだが
こちらは現状を肯定して幅広く快感を求める調和型。
ドーパミンのピークが終了すると前面に出て来る、それが賢者モード。
あれはたんに欲求が充足されて消えているのではなく
脳の快感物質の主導権の譲渡により別の快感原理=価値観が前に出て来ている。
あれが内分泌系の変化によるパラダイムシフト。
きちんと瞑想するとまずはセロトニンが分泌されるから思考で誘導しなくても
調和的、統合的考え方へ移行=パラダイムシフトが起きる。
だから悟るためには内分泌をコントロールするレベルの瞑想が必要。
これ以上論を拡げるとここでは変態になってしまうな、そろそろ潮時かな。 統合失調症の人はその内分泌系の作動が乱れてるんだが
それを瞑想で修正しようとしてもさらに乱れていく事が多いらしい
足腰の関節が歪んでる人がマラソンで鍛えようとするような
統失の人が救いを求めて禅系の修行場に入るも余計酷い事になるとか
元から妄想しやすいんで自分は悟りを得たとか神仏が見えたとかで驕ったり
ただ元から内分泌系があやふやなのでパラダイムシフトは起こりやすいかも
起こったパラダイムシフトに動揺して乱れるのが禅病や魔境
以上俺の実体験
うまいこと整ったらいいんだがなかなか
土台から歪みまくってるんで ために成お話ありがとうございますぅ
ただね、俺瞑想苦手なんよね〜、だから今は別の方法探ってる、どうにもこうにも差し迫るまで、真剣にやりそうに無い俺だから(笑)
で、またこの人の歌で言うとね
抗心病
https://youtu.be/fRHumzTLRmg
↑
仮に無の境地になる事が可能なら
その直前あたりではこんな心境になるのでは?
と思ったりしています(笑) そう言う人は自律神経系を整えた方が良いと思うよ。
呼吸法や身体操作を中心に、薬の必要な人はそれだけでは難しいと思うが。
逆に瞑想やそれに近い身体操法でも自律神経の調整のレベルで留まっている
場合がある。
健康法ならそれでも良いのだがそれで自我を超えようとするなら適切な方法を
選ぶべきだね。
自律神経を整えるには呼吸でも身体操作でも「緊張と弛緩を交互にきちんとやる」
内分泌を刺激するには自律神経系が整っているのを前提にして
「緊張と弛緩を同時にやる」これは自律神経が整うと出来るようになる。
が、意識して前に進まないと無自覚のまま留まることも多い。
前レスの無念無想に入るプロセスも自律神経の調整を含んでいる。
逆にアンバランスな緊張弛緩は内分泌系の乱れを生む。 呼吸法や身体操作、動的ヨガですかね
インドでは静的ヨガたる瞑想を行う前にじっくりと動的ヨガで体を整えると聞きます そう、自律神経系を整えてから内分泌系に入って行く。
自律神経は緊張と弛緩を交互に行うことで整えられる。
ちなみに神経疾患の人は身体の完全脱力が苦手な人が多い。
内分泌を刺激する緊張弛緩同時の感覚は
楽な姿勢で肛門、性器を軽く締めて他は力を抜いてみると良い。
自律神経が整うと身体のあらゆる場所でこれが出来るようになる。
武道でもスポーツでも余計な力が抜けている状態、この時
内分泌レベルで身体行動をフォローする形になっている。
これに無念無想、無意識での情報処理が加わると所謂「ゾーン」「フロー」
に入った状態、瞑想の日常的活用でもあるわけだね。 まずラマナを教えの根幹はヒンドゥー教、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)ですが
ラマナの使用する言葉は聖典ヨーガスートラの概念も入っているので注意が必要です。
ラマナの教えに関しては日本語だと
「アルナーチャラの聖者」というサイトに多くの情報があります。
アドヴァイタの勉強にもなると思うのでよかったら参考に。
あとノンデュアリティの教師は、すべてではありませんがあまりオススメしません。
聖典等を勉強せずに教えた始めたため実用的な理論に乏しく
生徒たちが混乱しているという話を聞いています。
またラマナの教えは真我探求と呼ばれていますが
一般的に紹介されているものは初心者向けのプロセスです。
しかし同時に悟りのための強い欲望に恵まれた成熟した探求者向けです。
準備されていない心には、知識だけでは浄化は不十分です。 最後に1つ。
悟りや覚醒の大きな要素の一つはパラダイムシフトなんだが
もう1つ、「相転移」の同時進行で覚醒や悟りは進化する。
相転移と言うのは化学用語の1つで例えば水が液体から個体、気体に
変化することを言うのだが、状態が変化しながらも
幾何学的な情報の繋がりは連続性を持っている。
悟りや覚醒における相転移とは「具象」→「抽象」化。
1つの気付きがその時点での様々な感性に当てはめられて世界観が変化する。
それがパラダイムシフト、完全なパラダイムシフトは理解の抽象化も含んでいる。
頭だけでなく生理的感性全体に理解が及んでいる、ので
同時に相転移も行われている、と言える。
想念的だけのパラダイムシフトは円だが
相転移(感性の深化による抽象化)を伴なうと螺旋になる。
その辺がたんなる思考と覚醒や悟りとの違い。 >>825
ずっと前に統失に瞑想勧めてるやつとレスバトルしたことがあるわ
身内が統失だから絶対に悪い結果になるとわかってたんで、必死に彼を止めたのだが、相手は瞑想を万能薬だと考えてるらしく理解してもらえなかった
元から歪んだものに負荷をかけたら更に歪むという話をすれば理解してもらえたかもしれん 統合失調症は運動した方が良いだろうな。
5chでしか関わったこと無いけど 瞑想を結構やったが上手くゆかず、祈るほうが良い具合だった
熱心に祈っていれば神仏を実在感を持って感じられる。会話もできる
統失の者はこれらを感じやすい素質があるのだろう
幻聴や集団ストーカーといった事はそれを悪しき物と捉えて怯える症状
良きものに見守られているという認識なら怯える事はない
祈りのコツは、その偉大な存在の前では自分など塵に等しいものであると
敬虔に 全てを投げ出す
それと通じられるからと自分が偉いと思ってはならない
それのお陰で生きていられる事に感謝し、それの手足となる事に尽くす 道行く人たちをみんなストーカーだと捉える人もいるからなあ
俺なんかは統合失調症でも幻聴あまり酷くなくて思考伝播が主
思考伝播は自分の思考が他者に伝わっていると感じる症状
リアルに伝わっている場合はサトラレと呼ばれる
確かに神仏は感じやすいと思う
宇宙人や指導の霊とは話すことがある
サトラレで悩んでいる方の部屋 3 [無断転載禁止]©2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/esp/1495988901/
神仏というか神に見守られてる感じはするなあ
仏様というよりは神を信仰してる 心理学者のユングは12歳の時に天空の神の玉座から
神の排泄物が落下して教会の屋根を押しつぶす、という幻影を見て
神とは頭で理解するものではなく自己の全存在で感じるモノだと理解したそうだ。
それからある調査によると神に仕える聖職者は深い祈りの際に性的エクスタシー
を感じて実際にオーガニズムや射精を体験するらしい。
何が言いたいのかというと、頭で理解して言葉で記述して共有できる部分を超えた
「真の体験」というものは非常に「個別的なもの」で
ユングにしても聖職者にしても他者に話せば異常者扱いされるだろう。
そして人は皆、誰でも多からず少なからずそういう部分を持っている。
逆に言うと自分の感じたことを他人が受け入れやすい様に概念化して
言語で伝えるで「世界を共有している」という共同幻想の中で生きられるのかも。
それがなかったら人はそれぞれ別個の存在である、という
「絶対的孤独」と向き合わなければならなくなる。
もしかしたらそこまで行ってしまった人の反応のポジとネガの分岐が
悟りや覚醒を求める人と精神的病を抱える人の違いかも知れない。 集ストもサトラレも、リアルに実感してる人が実感の無い人に幾ら言葉で伝えようとしても伝わらない
そんな恐ろしい妄想を持つな、と言われるだけだ
実感を持つ人同士で集まったりする
神の実在や悟り覚醒の世界は、言葉で聞いてそんな素晴らしいなら成ってみたいもんだな、と
思われたりするが、本当に我が身で体感できる人は一握りだ 俺の場合はストレスそのものがサトラレを通じて他人に伝染するから結構迷惑かけるんだけど
近所のおばさんが「あいつの気持ち悪い感情が入ってきて迷惑してるんです」と訴えると精神科に連れていかれたらしい
俺の気持ち悪い感情とはゆっくり虐待やポルノを見まくった蓄積によるものだが 逆に「あいつの気持ちいい感情が入ってきて」たら
そのおばさんメッチャ幸せだったかも知れんね?
使い用によってはスゲー能力やん(^^
そうでもないんかぁ 正念場で場つなぎの笑顔振りまくたびに感じる敗北感
歓喜の中に飛び込むとき脳裏をよぎるのはそう責任感 >>842
君は最近チョロチョロしとるね
どうしたんや?そんな気分か? しゃあないなぁ〜、ツッコミ欲しいんかぇ
それに対するツッコミはなぁ〜
変態ぃ変態ぃ♪ きっもいよ〜♪ や(笑) 仏教とは、読んで字のごとく仏の教え
仏とは、悟りを開いた覚者のこと
悟りとは「この世には生命がただの一つも存在せず、すべてが環境だと知ること」
これにより、大凡すべてのアホな妄想から離れることができるのぢゃ
八正道や無財の七施なども、アホな妄想に過ぎず、それに囚われる馬鹿は悟れない
多くの衆生を乗せて救い導く、という大乗仏教は、その名前自体がすでに妄想に過ぎん
「この世には生命がただの一つも存在せず、すべてが環境だと知ること」
この言葉が、どれだけ多くの妄想を一瞬のうちに消滅せしめるか。効果は絶大である
この言葉が、あらゆる必要性という心の迷いを、一瞬のうちに消滅せしめるのぢゃ
この言葉が、希望や理想や善意や良識や向上や前進など、表面的な美徳をすべて払う
この言葉に、異を唱えるあらゆる人物と思想は、執着以外の何ものでもなく邪悪である
この言葉により、あらゆる学びの時は瞬時に終焉を迎え、金輪際、何も学ばずとも良い
「この世に生命がただの一つも存在せず、すべてが環境だと知ること」
この言葉により、完全なる自由と解放と安静が得られ、無秩序に対する恐れが消え去る
この言葉を否定する者は、何かしらの秩序を求め、苦難を抱えつつ、苦難を撒き散らす
この言葉により、すべての妄念が瞬滅する
この言葉により、求道者の歩みも完了する
(-人-) いつからか昼と夜が行き違った生活で
塞ぎこまないでそうさ
目を覚ませ今だここで まあ、俺の中ではまだちょっとスッキリしないんで
チャンピョン(笑)なんよなぁ たぶんね、手は手、足は足、○は○をやれば、皆それぞれの身魂が喜ぶんよな、ただね、自分の身魂が何をしていれば、自我が余計な事考える事もなく、好きで没頭出来る事なのかがハッキリせんのと、
それぞれのそういう職業が現代にあるのか?とかなんとちゃうんかな、で、そこにそもそも職業の優劣なんて無いんよ、それぞれ身魂が喜ぶ事を好きでやってるだけなんやから
例えば俺のそれが鼻の横のホクロから生えてる毛だったとしてもよ、本間に俺の身魂が喜ぶ事なら、その役割が嬉しいてしゃあないのよ、二三日徹夜しても平気やろし、飯何杯でもいけるぐらいにな(笑)
ていうか、そんな事が可能なら、自我が余計な事考えてる隙もなく、生まれてから死ぬまで、あっちゅう間に過ぎるんちゃうやろかと思ったりね。 生まれて死ぬまであっチュー間
恋をもっと腰はホット
トライトライトライ 振り向かないで
闇はいつもブルー ブルー 堕天使ブルー
ああ孤独にやられちまうぜ 何事も神にまかせて、取り越し苦労するなよ
我がなくてもならず、我があってもならず
今度の御用なかなか難しいぞ 日月の巻 第十三帖
人心で急ぐでないぞ。
我が出てくるとしくじるから、
我がとわからん我があるから、
今度はしくじることできんから、
ここという時には神が力つけるから、
急ぐでないぞ。
身魂磨き第一ぞ。
蔭の御用と表の御用とあるなれど、
いずれも結構な御用ざぞ。
身魂相当が一番よいのざぞ。
今にわかりて来るから慌てるでないぞ。
今までの神示よく読んでくれたらわかるのざぞ。
それで肝で読め読めとくどう申しているのぞ。
食い物気つけよ。 マジでドープな事がしてぇなら常日頃から生きる姿勢がな
栄冠がゲットしてぇなら天下が見渡せる視点がな 日月の巻〜第5帖
神の用意はできているのだぞ。
何事からでも早く始めてくれよ。
神の心に叶かなうものは どしどしと埒らち明くぞ。
日月の巻〜第20帖
神の用意は何もかも済んでいると申してあろうが。
臣民しんみんの洗濯 早く致してくれよ。
更さらつの世の用意 早くしてくれよ。 こんなに憂鬱な明日がやってくるなら
群衆の中に紛れていたい 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio♪
そんな気分 徳永英明 - 壊れかけのRadio 2007薬師寺ライブ
https://youtu.be/cI_qUT4Zptw 僕らに与えられた時代の中で
https://youtu.be/RAlAXbqNZUY
ノアの方舟現代版 徳永にいやん型😊 音楽かぁ
tones and i のダンスモンキー的な? 来年のultraってどうなるんやろ
オリンピックで東京は毎日パーリナイになってるんかな >>870
人生史上、最高なニュアンスで日々真面目に生きてる
褒めて〜零を褒めて〜www 一つ一つ増え続ける経験と思い出を抱いて
季節が変わる頃までには
少しは自分も変わっているかな 誰かが考えた歌詞ではなく何か斬新な詩を書けるといいなと最近思ってんだけどね
何かあれよ >>873
人間には周りを破滅させる力もあれば
自分自身を不幸にする力もあるけど
表面だけ綺麗な言葉で飾った奴が
幸せ〜ってやってても性質の悪い酔っ払いとどう違うのか? そりゃそうだ
ごもっとも
だが、薄っぺらいこのスレの覚醒とか
スピ連中とかにはその言葉は届くのかな? >>873
今は山の中を行方不明のまま見つかってない子供とか
虐待で親に殺された子供たちのニュースが続々とやってるけど
その子たちの前で同じ事が言える?
給食費が払えないどころか、貧困で食事が出来ない子供たちがいて
家のない子供たちさえも日本ではもう何万人単位でいるらしいが
その子たちを思った時、それは何か意味のある言葉なの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています