アセンションはすでに始まっているphase221
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
◆約束事
・お互いを尊重しあいましょう。
・分からないことがあれば、真摯に質問してみましょう。
・頭ごなしの否定は禁止です。
(なるべく理論や自論を展開して論理的且つ建設的に推論してください、ソース等を出せる場合は出した方が良いでしょう。)
・議論に発展した場合はコミュニケーションによる“解決”を放棄しない様に皆さんで模索してください。
・相手に対する誹謗中傷、思いやりに欠けた書き込みは禁止です。
◆注意事項
・あらゆる情報を鵜呑みにしないこと。
・極端な連投は慎みましょう。
・レス番号>>950を踏んだ人は丁寧に次スレをたてる取り組みをして下さい。
(出来ない場合は誰かに依頼してください。)
※前スレ
アセンションはすでに始まっているphase220
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1552982267/l50 あとは集合意識的に子供を残すことが絶対って感じではなくなり、生まれるべくして生まれる子供のみになる
その場合は心の透明度が天とリンクしたような子が生まれて、親が育てるはずが子が親を引っ張っていくような事が起きる >>894
今の日本人の常識による羞恥心は
無心論者のニーチェの信者によって植え付けられたもので
敗戦後の植民地への奴隷教育の賜物だ
「神を信じる者は恥ずかしいんですよ、唯物教育こそが高徳なのですよ。」と
本当の恥は、死後に突きつけられるんじゃないの? 発狂して混乱のなかで妄言を吐きながら死んでいった
ニーチェの思想に裏打ちされたプライドこそが
裸で街を歩くよりも恥ずかしい気がするけど。 今更唯物論者が徒党を組んで詭弁を弄しても
なにも恐いものではない
やがて本当の羞恥が訪れる。 一体何人の美智子がいたのだろう
http://plaza.rakuten.co.jp/akaifusen/diary/201707100002/
日本が 在日支配になっているのは
ニセ天皇家が 在日朝鮮人だから。
しかも 人間ではない。 皇族ウォッチャー達は
凄い観察力がありますが・・・
最近は 皇族の事は どうでも良い。
しかし
お金のインチキを 説明するには どうしても
引用する必要があるんです。
田舎のジジババ👴👵は 全く知らない >>909
魔物は頭悪すぎ
今時労働の対価である金がなくて、
どうやって生きてるの
労働力がなければかすめ取ることも分け合うものも
なにもない
ただで働いてただで施し合うことが出来る? 信仰心の厚い西洋や中東や世界の人たちは
無神論や唯物を常識としながら、現世利益の為だけに
唯物宗教に興じたり初詣をしたりアセンションを望んだりしながら
強国に金を脅し取られたり自然災害がとても多いこの国を見て
どう思ってるだろうね
しかも霊界からの啓示である宗教を、声高々に蔑むことを
さも社会正義かのように楽しんでいる
万が一本物だったら、死後にどうなるか?とは考えないのだろうか
いずれにせよ結果は直に来る、とても危険な賭けだ。 霊的人生観の否定=唯物論ではない
大川隆法は以前から唯物論批判を繰り返し、「唯物論は間違っている。だから、霊的人生観を持ちなさい」という風に言いますが、ここには巧妙なレトリックが潜んでいます。
というのは、唯物論の反対が(「幸福の科学」が説く)「霊的人生観」というわけではありません。
逆に、霊的人生観の否定がイコール唯物論になるわけでもありません。
唯物論が間違っているからと言って、「幸福の科学」の言う「霊的人生観」が正しい保証はどこにもありません。
ここには巧妙なレトリックによる誘導、マインドコントロールが隠れています。
「私を信じて下さい」と言うのは詐欺師の言葉です(例:大川隆法)。
「私を信じなくてもいい」というのも、信じ込ませるための詐欺師のレトリックです(例:高橋信次)。
物事の真偽を見極めるのは自分自身の心以外にないのですが、その自分自身の良心や判断ですら間違うこともあるということを謙虚に自覚しながら、
社会の中に生きる一人の人間として、他の人と会話を通じて自分の考えを修正しつつ生きていくことが大事なのではないかと思います。
そのためには、「自分は特別!」というようなプライドを捨てることがどうしても必要なことかと思います。 http://sanpole.blog.fc2.com/blog-category-25.html
ネットに出没する幸福の科学の工作員は良く、「アンチは宗教の価値を認めない人間の集まりだ」という主張をします。
でもそれは私に言わせれば、自分の主張に誘導するためのずるいやり方ですね。
私たちアンチは幸福の科学が宗教だから批判しているのではないのです。
「悪い宗教」だから批判しているのです。
たとえばアメリカ政府と中国政府があります。どちらも胡散臭い部分はありますが、客観的に見てアメリカは「まあマトモな政府」であり、
中国は「ヤバげな政府」である訳です。これが北朝鮮になると、「マジで危ない政府」になる訳です。
こんなのを同列にして論評できるでしょうか? 幸福の科学工作員のずるい点は、「アンチは政府に楯突く事を生きがいにしている!」と政府を
「十束一からげ」にして論じている点です。私たちアンチは「政府」に楯突いているのではないのです。
中国・北朝鮮みたいな「悪い政府」に楯突いているのです。同様に「幸福の科学」が「悪い宗教」だから楯突いているのであって、
決して「宗教」そのものに楯突いているのではないのです。 http://oklucky.blog.shinobi.jp/Entry/304/
幸福の科学の信者さんが書かれているブログを見ると痛々しくてたまらない。
信者さんたちはどのように考えておられるのか理解しようと試みるのだが
自分の素直な感情、理性、疑念を押し殺してでも無理矢理に信じ込もうとする姿が見えて痛いのだ。
なんだか「疑ってはいけない」「信じなければ」「不信するものか」
「主エル・カンターレを何が何でもお守りするのだ」という声が聞こえてきそうだ。
、読んでいて頭がクラクラしてくる。
というか、かわいそうになってくる。
最近は、「偉大なる常識人を目指せ!」ではなくて
「創造の法」以来「キ◯ガイになれ!」という指導みたいだからその通りなんだろうが・・・。 多くの人は、自分や他人やなにからに否定的でネガティブなまま
それを考えないようにして明るく生きることがポジティブ思考としてるようだけど
本当にそれでネガティブな意識が隠せるんだろうか?
それを実現するにはそうとう積極的で建設的な創造力が必要だろうけど
それも多くの人には無さそうだ
人はいつの時代も、自分たちのまったく出来ないことを子供や若い世代に望むが
やっぱり突然変異は無いだろう?あるのはそれ以前の人たちが望んで希求した原型が
見えない形であったはずだ、そしてそれも単に現象や祭り騒ぎで過ぎていく
やっぱり本当のポジティブとは、分かることや理解出来ることを増やしていかないと
前向きにも明るくも建設的にもなれずに、何かを頼りにして何かの奴隷からも逃れられないだろう?
天狗や魔物たちに牛耳られるばかりの現状はいつ変わる? AIが新たな頼りの神かい?
Status ♠9 ♦7 ♦8 ♠8 ♣7 (2nd.)HP: 1000 pts. たぶん(0)
0.54, 0.42, 0.42(16.000000) Proc. [0.093994 sec.]
>>915
独り言を言ってる?
ネガティブな意識は隠すのではなくて
出てこなくなるんですよ。
昔でてきたネガティブなものを
今も同じく出てきてる?
この先も永遠に出てくる?
そんな事はありえないよね。
成長しないということだし。 「恐怖心」と「安心感」が洗脳の両輪
恐怖心を持つ人は、正しい者を迫害し、信じる者を「恐怖心」で人や組織に「縛りつけ」ます。
この根底には、自己保身欲があります。
悪い波動は恐怖心を増幅するように、自己保身欲に訴えて囁(ささや)くのです。
これとは対照的に、恐怖心を根底とした心理の中に、例えば、「会員は天国が保障される」という「保障」を
植え込む事によって、「安心感」が生まれます。この「安心感」で自己保身欲は満たされます。
「恐怖心」と「安心感」の両輪で、組織や人への「縛り」と「服従」が完成し、「悪い波動に支配された洗脳集団」が完成します。
つまり、幸福の科学の根底に在るものを一言でいえば、結局は、釈尊が滅却されようとした「自我我欲」であり、「愛」や「慈悲」ではないのです。
愛と慈悲が無い世界、それは異次元空間に隔離された世界、地獄界です。恐怖と裁きの世界です。
破壊と闘争、情欲が渦巻く世界です。それが、K会の本質です。
これは、教祖が必死で考えた、自己実現の為の策であり、洗脳プロ集団の技だと思います。
そうして一旦洗脳されれば、次々と洗脳が進んでしまいます。
ついには人間である教祖を宇宙創造の根本仏、造物主として信仰するようになります。 https://tanemura1956.blogspot.com/2015/10/blog-post_23.html
「恐怖心」によるマインドコントロール
すでに多くの方が指摘しているように、「仏説・降魔経」はOR総裁と対立する者は「阿鼻叫喚地獄」に落ちる、と恐れを抱かせる洗脳道具で、
KK教団には他にも、霊言を利用して恐怖心を与える心理的誘導もありました。
重要なことは、信者は通常は恐怖心を自覚していませんが、潜在意識下では常に恐怖に支配されている、ということです。
自動車が往来する車道のすぐ脇を歩いているとき、私達は自動車に対して何の恐怖心も抱きませんが、絶対に車道側には行きません。
同様に、信者は阿鼻叫喚地獄への恐怖心を自覚していなくても、OR教団には逆らえないように条件付けられてしまっているのです。
「恐怖心による恭順」、「功徳への執着」であるにも関わらず、教団側がそれを「篤き信仰心」という美辞麗句で粉飾して、更に洗脳を強化させているのです。
私も信者を辞めるまで、「何故自分はこんなにも信仰心が足りないのだろう」と、いつも自分を責める気持ちをもっていましたが、そういう思いを
「無自覚の恐怖心」や「功徳への執着」が補強していたことには、気付きませんでした。
・総括
KK教団の洗脳はこのように多岐に渡り、重層構造にもなっていて、中々自分一人で解除することは難しいのです。
現役信者の方達には是非、多くの退会者の経験談を、白紙の心でお読みになって欲しいと思います。
また、退会した方々も、自分の心にこの洗脳の縛りが残っていないか振り返ってみてほしいと思います。 >>916
出てくる。
理解出来ないことや理解したくないことや、
単にいけないと思うことがあるうちは永遠に近く出てくるでしょ。
理解出来ること認められることを増やすことをしないうちは
ポジティブでもない。 >>917
わかったからずっと一人SMして
自分だけを脅迫してろよ、他所に漏らすな。 >>920
1日、2日の短時間では
変わらなくても
同じネガティブな感情を
何千、何万回と経験すれば
さすがに出てこなくなるんじゃない?
例え話だけど。 >>922
ネガティブは感情の弱さではなく
自分で確かめて考えて理解しようとしない
閉鎖的な意思のことだと思う。
すべての物事の本質は多面的で、良くも悪くもある
片面や一面を見て人や物事の価値を定めることは誤謬でしかない
神はなんでも自分で確かめてみろという意味で
個人の自由意志や永遠の時を与えてくれてるようだ。 【当たり前の"オツム"で生きる】その宗教は正か、邪か?教祖の素行が全てである!
https://ameblo.jp/01000440ktndy/entry-12398218235.html
宗教の正邪は、簡単に見分けが付きます。
その教団の教祖の素行が全てです。
例えば、某新興宗教の教祖の例にとりましょう。
東大生時代から「割引風俗」に通い、教祖になってからは、不倫を続け、
家政婦、秘書を片っ端から犯し、挙句、離婚・・・
離婚の際、衛星中継で世界中に分かれた元妻の悪口を「神の名の下に」ブチ撒けた「人間のクズ」です。
さて、この「"人間のクズ"教祖」ですが、果たして本人が自称するところの「宇宙神」でしょうか?
「根本仏の化身」でしょうか? 「再誕の仏陀」でしょうか?
当記事冒頭のタイトルにも記した通り、「当たり前の"オツム"」で考えれば答えは、容易に出る筈です。
人間には"自由"があります。
"阿鼻叫喚地獄に堕ちる自由"を態々、選ぶ人もいるでしょう。
(幸福の科学職員、信者は、コレをこそ態々、選ぶことでしょう)
しかし、「最深部の地獄の業火に焼き尽くされ、ドロドロになる自由」を態々、選択する愚かさに他人を巻き込んではなりません。
その「無関係の者たちを巻き込む罪の重さ」に、逸早く気付いて欲しいものです。
キチガイ"は、救い様がありませんが、元々、まともな人をキチガイ"に巻き込まないで下さい。 たとえ感情が弱いものでも、本質的に見れれば恐いものは無くなる
それはべつになんにでも勝てるという意味でなく、無限に選択肢が増えていくこと?
恐さに留まる必要も向かっていく必要も無い。 12時信仰論(元信者)
http://oklucky.blog.shinobi.jp/Entry/343/
幸福の科学のよくないところは、いったん信者にしてしまうと、信仰の綱を手放すと地獄に堕ちるなどといって、教団内に閉じ込めてしまうところ。
こういうところはまるで蜘蛛の巣や、蟻地獄の巣みたいだ。
形式的には入退会は自由とされているけれども、心理的にはそういうわけでもないのが困る。
批判については、他の人の信仰に配慮すべきというのはその通りだけども、幸福の科学の信者がそれを言うのは虫がよすぎるのではないだろうか。
幸福の科学は日頃、他者を厳しく批判しているわけだから、因果の理法からいって、それと同じくらいに批判を浴びせられることはになるのは止むを得ないと思う。 神ではないものが神を名乗ることは、間違いです。
大川隆法は自分のことを「法そのもの」と言いましたが、人間が「法そのもの」になることはあり得ません。
人間は人間です。
本当ではないことを言って他人を騙して利益を得る人のことを「詐欺師」と言います。
大川隆法は宗教をタネとした詐欺師であるので「宗教詐欺師」です。詐欺の中でも、最も不遜な詐欺です。
「不合理なればこそ我信ず」という言葉は、詐欺師の言葉です。神は人間に理性を与えられました。
神の創られた世界に一切の不合理はありません。合理性を放棄した所でやってくるものは「中世暗黒時代」の再来です。「魔女狩り」や「宗教戦争」の再来です。
とにかく、自分自身で思考して判断することを放棄したり、先人たちの築き上げてきた人類の叡智を学ぶことを放棄したりすることは、愚かなことです。
信者のみなさんには、「信仰にも段階がある」ということを、よく考えてみて欲しいと思います。
幸福の科学信者が大川隆法を無理に擁護しようとして苦しむのは、その「信仰」が幼稚な段階だからである。 >>924
あんたはその偶像崇拝から
簡単には逃れられそうもないね。 >>927
特定の宗教への批判や宣伝や感想は
宗教板か便所の紙にでも書いてろよ。 悪い側面だけを探す性質の者の悪態は、永遠に継続可能。 信者さんには良い人がたくさんいらっしゃるのはよくわかっているのですが、
幸福の科学に批判的な人に対して、魔にやられているといったことを言ってきたり、普段は穏やかなのに突然攻撃的になる信者さんなど、器の小ささが見られる信者さんがいるのも事実です。
心の教えを説いている宗教の信者さんであるのならば、もう少し心に余裕を持っていただきたいなぁと思いました。
大川隆法著「心の探求」 昭和62年9月20日発行 p155からp156より引用
真理を述べる時に反発する人、批判する人が出てきても、これに対する正しい態度は、批判者が出れば、それを有りがたいと思って、ますます自分の正しさに磨きをかけていかなばならんということです。
大川隆法著「心の探求」 昭和62年9月20日発行 p156より引用
同じく批判しかえしておると、同じ土俵に乗ったということになってしまいます。
大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p56より引用
みずからの心の中に、静かなる湖面のごとき、平らかで光り輝く水鏡を持っていなくてはなりません。
大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p60より引用
小さなことで腹をたてるようであっては、到底、その心のなかの澄みきった面を維持することはできません。
大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p63より引用
池の中に石が投げ込まれてきたと思ったならば、波立たせないように努力することです。
小さく小さく受け止めていくことです。そして冷静になることです。
大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p66より引用
世の中を善と悪とに分け、善人と悪人を分ける傾向があるならば、どうか気をつけていただきたいのです。
教えを実践するのが信者さんなのではないでしょうか(教祖である大川さん自身も妻を悪妻と認定し、悪人にするのはよくないのではないのでしょうか)
実践しなければいけないということはありませんが、教えを説く人も、教えが素晴らしいからと布教する人も、教えを実践できていないのであれば説得力ありませんし、人はついてこないと個人的には思います。 初転法輪 1986/11/23幸福の科学発足記念座談会「大川隆法第一声」より引用
言葉だけで愛とか慈悲とかね、こんなのはいっぱいあるんです。
愛とか慈悲とか言葉だけに騙されてもいけないんです。愛を説く人には愛の実践があるかどうかね。それを考えねばいけません。
言うは易く行うは難し
読みは「いうはやすく、おこなうは かたし」
意味は「口に出して言うのは簡単だが、それを実行することは難しい。」 >>931
スレチなコピペで構ってもらおうとすんなよ
おまえの年老いたお母ちゃんかお父ちゃんにでも聞いてもらえ! ・「悪魔視」、「敵視」、「裁き心」
会員になると、教祖の説く法が理解できない人々、即ち会員にならない方々は、「あの世に返ったら相当な後悔が待っている人々」と
哀れむ心から、一般の人を裁くようになっていきます。
「裁き心」が出てくるのです。
ましてや、教祖や教祖の説く法、教団を誹謗中傷する人々は、「悪魔に魅入られた方々」とみなします。
これが「悪魔視」です。
そして、「これは仏敵である」と「敵視」するのです。
K会の教えでは、仏敵は「大阿鼻叫喚地獄で、お尻から胴体を通って口へと串刺しにされて生皮を剥がされる。
ドロドロしたマグマのような物を口から流されお尻から出て行き、業火にやかれ、最低そこで1千年苦しむ人々」であると教えます。
これは教祖の裁き心が最大化した表現であり、同時に信者の恐怖心も最大化し、金縛りにかかります。
だから、「人々を必死で救わないといけない」と言いながら、かたや信者は「良かった、助かった。私たちは天国保障保険付きだ」と「安心感」に漬かります。
洗脳から離れた今に思えば、何ともこっけいな光景に見えます。 https://tanemura1956.blogspot.jp/2015/07/
(紹介)Wさんは、幸福の科学との最終的な心の決別のために、KK時代の自分(「昔の私」)と「今の私」の間で対話をされました。
KKに惹かれ信じていたころの自分の気持ちを完全に払しょくするために、こうした作業をされたといいます。
この作業を通じて、KKと決別してまで自分が守りたかった心の価値とは何かが、はっきりしてくる様子がうかがえます。
【昔の私】
私はKKという素晴らしい宗教に出会うことが出来ました。
私は光の天使としての使命を帯びて今世に生まれたのです。魂の兄弟の本体が生を受けるのは、この世界に危機が訪れている時です。
私は魂の兄弟の本体として、本来の力を発揮するべきなのです。
ECという偉大な存在のもとに集まって、本体の自分を取り戻してこの危機の時代を乗り越えるのです。
【今の私】
貴方は、大きな間違いをしています。その間違いは、いずれ貴方に返ってきます。
何が本当で、何が間違いなのか、やがて知る機会が来ます。
私は今、その機会を噛み締めているのです。
貴方は、自分を全く知っていません。
自分がどのような存在なのか。自分にどんな力があるのか。貴方は知らないでしょう。
貴方はKKという存在にしがみついているのです。
KKという存在に寄り掛かることで、自分から逃げて自分の問題点から目をつむっているのです。
KKやECという存在が自分の問題点を消してくれると思っています。
貴方は間違いに気が付かないといけません。
KKが本物でないという事実に、
そして、そこから脱出しないといけないという事実に、
それに気が付かないといけません。 幸福の科学・・・それは、社会のゴミでしかありませんでした・・・。
https://ameblo.jp/01000440ktndy/entry-12420018532.html
宏洋氏の言う通り、信者の主流は50代〜60代の初老の人々。
若い世代は殆ど、二世ばかり。
世間からは全く、相手にされていません。
それに内容も古い。
大川隆法自身が読書でパクッたものなので、功徳も糞もないのは一目瞭然。
仏説・正心法語は仏典からのパクリ以外の何物でもありません。
今時の若者は、あんな五七調の御経を好んで読みません。
ハッキリ言ってダサいです。
また、祈願文もキリスト教系のパクリ丸出し。
あまりにオリジナル性が無さ過ぎて、飽きられてしまいます。
支部には誰も来ません。
スタッフが一人淋しく、パソコンと睨めっこしてるだけ。
幸福の科学・・・それは、社会のゴミでしかありませんでした・・・。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>910
だからさー
お金の解釈が逆さまなんだよ。
そんなダマシも 理解できないの❓🤔
商売人の人達は
お金って 無から作る数字に気付いています。
銀行は 御金を作って 私たち 奴隷は数字の奴隷にされている。
しかし 増え続けて減らないのには 気付けなかった‼‼と云います。
どうやって減らしているのか❓
戦争の戦火で 金融の奴隷データを消しているだけ。
だから 通貨の利権を持つ自国の支配者は 人殺し!!なんだよ。
宗教をやると この矛盾を克服できないらしい。 お金のインチキも 輪廻転生から
洗脳を解くと 早く呑みこめる。
地球人より
宇宙からの転生者の方が 呑み込めるらしい。
何故なら
地球人は あの世が故郷は 凄く難しいらしい。
帰還するときは 身体ひとつで還って行く。
つまり 三次元地球の物は 全て 修行用に 神々から借りた物。
人間には 所有権が無い。 お金のインチキが呑み込めると
無・空を説く 般若心経の意味を理解できる。 普通の人は 口頭でも 五分程度で 理論は理解する。
しかし 宗教をやっている人は
何年経っても 理解できない w(* ̄∇ ̄;)w ハッハッハ 集団洗脳の話をしている。
自分を
騙した犯人を捜すと 早く洗脳が解けるはず。 >>941
俺を罵っても 君を騙した犯人は見つからないよ。 宗教をやると 幼稚になるんですよ。
人格破壊が 起きるからです。 『九十四は食べ物五分位しかとれんから、その積りで用意して置いて呉れよ』
九十四は宇宙暦(春分暦)の四月(6/21〜7/20)の事だった様です。
『三月三日から更に厳しく、五月五日から更に更に厳しく』
三月三日は宇3/3の5/24辛酉の日を示唆しているようで、十柱の神々が働き始める日と一致
五月五日は宇5/5が7/26のマヤ13月暦の元旦と一致。or 旧5/5の6/7の岩戸開き直前
やはり本番は5/24の辛酉の日から始まりそうです
ひふみ神示 〜 世は七度の大変り 〜
https://i.imgur.com/YbvZ6x1.jpg >>880 次元の違いとは、何かが解るか解らないかの認識の違いだけのようだから
SEXのこともわからないのに?( ´,_ゝ`)プッ
人生の体験もろくにないまま宗教や正義感に嵌ってるからオカルトになっちゃうですよおw いつもどこかに神様を求めてるなら神様はいつもそこにいらっしゃるじゃろ。
ほら、お前の人生そのものじゃろ。それがわかればまず第一歩じゃ。
お前の現実、理解にあった程度の神にしかならんがの。
神様の話はどんどんしなされ。偶像崇拝を超えたところから先人の発見が理解
できるようになって会話も弾み理解が深まるぞ >>954,955
なるほどw
チラウラババアさんでしょ
ご指摘ありがとう。 魔物はみんな高いところにいる気分で、神さえ自分の下にいるかのように
もう何回も転げ落ちて痛い思いしてるんだけど、それで成長してると信じてる
今でも転げ落ちようとしてるのにww >>954
まんこでちんこをしゃぶり尽くすのは
天にも昇るようなコロゲ堕ちるような
えもいわれぬ離脱感かい
もう解脱してる気分?w 魔物は経験や実体験や知識の形体のみに拘るけど
因果を法則とした理解して、なにからに意味も理由も論理も
常に先行してあることを知る深い意識の想像は
きっと実体験や知識を遥かに超えていると思うよ
たとえ年齢が一桁であっても大抵のことは知れる。 ○法則として
ちらうらばばあはただの普通のアフォ。 この世が因果の連鎖と知れば、わざわざ身体をボロボロにしてまで
幽体離脱して未確定で不確かな未来など見に行かなくとも
今の現実をよく視れていれば、過去や未来や意味や理由
その時々の人の思いや感情や感覚さえ視得ているかも知れない。 まぁ今の世界が滅びてない状況なのは選択が誤ってないのかもしれない 意味や理由や論理を知れば、なんでも実現は可能だと思う。
霊界人は、思った時点で実現してるとまで言い切る。
現象的な因果が時間を経過させるが、その間迷いなく行動出来る者は
なんでも実現させている。
ただ、実現してどうなるのかなぜ必要なのかなにを得られるのか得るのか
ただ実現しただけでは空しいガラクタ?
どこまでも大事なことは、意味や理由や感慨や認識?
それが分からずに死ぬまで生きても狂うだけ? 唯物を信じる常識人たちだけが、この世で急いで結果を出し
もとを取ろうとして取れなくて、狂ったり混乱したり呆然としたり ジョーカーに援護されて媚びて笑う世界を黒く塗り替えてみたい 精一杯全うし死んだらなれるよ
でもドナー登録を忘れずに 【カルト系新興宗教と病的な霊的観念】
彼等・彼女達は「表」では善・正義・愛などを説きます。ペルソナとシャドーの原理で見た場合、
「表」は善・正義・愛の顔、
「裏」は復讐心・怒り・不満、あるいは「祟り」と表現した方がわかりやすいですかね。
そしてその両者が「共に自身のひとつの無意識の分離的現れ」でしかないことを理解せずに、「表」が自身で「裏」は他者にされ、
外部(世界)に排斥・投影されます。
こうやって自身は「神や仏」「愛や正義」の傍にいると思い込むわけで
【 絶対的存在・自称神・自称ブッダ 】などの指導者が率いるカルト系の新興宗教・思想系組織・団体などに
ハマる人というのは、「※ 世間・人を徹底して攻撃的に裁く傾向性が強い人」の割合が高く、これは彼等・彼女たちが
その観念に同化した時から徐々に自己の全体性から分離し『否定された一方を「他」にして投影する』という自我構造に変化していくからです。
ですが、本質的には、こういう人たちの状態こそ、「神や仏」「愛や正義」から最も遠い状態なんですね。
「最も遠い」から、そういう極端な観念・極端な人物に近づき一体化し
「こちら側」と「そちら側」を作り、そして「自分はこちら側にいる」で安心し同化一体化する依存心理状態なんです。
「自分は宗教観念と同化一体化した表の顔(ペルソナ)」だと思い込んでいる状態ですが、実は「より本質的なもの」は
「抑圧化された裏の顔(シャドー)の方が彼等・彼女たちのの本当の顔・心・精神の姿」です。
それが「あぶり出される」のが「不幸」「災難」「苦難」という「時」と「空間」が生み出す強力な心的力動です。
ヒトが恐怖や不安に囚われ、社会が混乱しているタイミングで「天罰」とか「神の意志」とか
そういうことを語る者達こそ、国民の「友」でなく、社会にとって有害で「腐敗した心・精神」なのです。 http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2012/12/25/054330
■教団を批判すると、「それはあなたの問題だ」と逆に反省を求められる
これも必ずあるパターンです。教団の否を責めると、「それはあなたの心の問題だ」という風に反省させられるのがこの教団のやり方です。
そりゃあ、確かに、人間というのは、誰しも何かしらの欠点はあるものです。
その点を責められると真摯な修行者であればある程、黙って自己反省を行ない「悪いのは教団ではなく自分だったのかな」と思います。
でも、これは問題をすり替えられているだけです。
こうして教祖や教団の悪は幾ら指摘しても、決して訂正されることなく放置されます。
だから、発展が止まり衰退が続いています。
立派な教えを説いていても、つくづく実践ができない団体なのだなあと思います。 仏教の沙門見りゃとにかく修行法しか書かれてないが?
あと禅説いた本山あたりの基本概念は身体を鍛えろ!こんだけ 身体を鍛えてる途中で逃げだしたら強制収容所送りニダ(°▽°) 独房送りとなり本人が反省するまで食事すら与えられない厳しい罰則すらある 因果応報、自己責任と言って、今まで何人 人生の隣人を見捨ててきたことだろう。
口で言葉だけの「愛」を唱えても、その心の冷たさのどこに《愛》の想いがあるのだろう。
己を神と名乗る不遜な人間を本当の神仏であるかのように錯覚し、詐欺師の片棒を担いで、
多くの人々のこころを誤った霊的差別思想へと誘った罪は教祖だけでなく、信者ひとりひとりにも降りかかる!!!
知らなかったと言っても、あんな俗物を本来の神さまだと思っていたのか。
なぜそれを見抜けなかったのか。
その無明を恥じよ。
本当の神はいかなるものだと思うのか、それが確かならば見抜けるはずである。
自ら尊しと名乗り 自らの説いた法すら実行できぬ者と道連れになってはならぬ。
今世、詐欺師と道連れになって三世の悔いを遺すなかれ。
君は今世、偽物の自称神を見抜けるかどうかのテストをされているのだ。 http://oklucky.blog.shinobi.jp/Entry/242/
幸福の科学では、大川隆法の教えや方針に疑問を持つと
「疑の心」を持ったということで裁かれます(もしくは自分を裁きます)。
これが、真実を知ろうとするときに邪魔をするのです・・・。
幸福の科学の洗脳の言葉
「先生の深いお考え」
「疑の心」
「偽物の自分」
「主のために・・・」
「エルカンターレ文明建設」
「便所の落書き」
などなど・・・。
いたるところに、仕掛け(洗脳のキーワード)がいっぱいです。
これらの仕掛けを乗り越えるにはきちんと自分の力で考えることが必要です。
外の情報をたくさん知ることです。
そして幸福の科学的な「偽の心」で一度だけでいいので
「大川隆法がもし仏陀じゃなかったら・・・」って仮定してみてください。
「大川隆法がもし詐欺師だったら・・・・」って考えてみてください。
もしかしたら思考停止から回復できるかもしれません。 配達員が女だとアセンション
労働者がAIになるともっとアセンション
貧富の差なくコンシェルジュだともっとアセンション 資本主義はズルできるのが問題
ズルできるので貧富の差も不満に繋がる
貧富は選択できるなら問題ない 罪人であっても、赦しなさいというのがイエスの教えですが、現代人の問題点としてあるのは、罪人意識が希薄だという点です
ピノキオからアナ雪の変遷によって、キリスト教世界においてすら罪人という概念が消えたことが立証されています
罪は赦される、しかし、罪を自覚していない人の罪は、本当に赦され得るのか、というのが私の視点です
そして罪の自覚というのは、第一義的には神に対してのものなのです
聖書神学に肉の罪という言葉がありますが、「サルクス(肉)とは、創造主である神から背き去り、いのちの源である真の神を見失って、生まれつき罪に傾く性質を帯びた人間、また、その性質を意味する」とあります
この文脈で言えば、煩悩に従って金などを追い求め、ハラハラドキドキの冒険をし続けると、神からはどんどん離れていくので、それは明確に罪なのです
しかし、罪の自覚さえあれば、赦されうる
しかし、現代人は煩悩を罪であると認識していない
ここに現代社会の闇が存在しており、煩悩を肯定することによって煩悩に支配された窮屈な世界を構築しているわけです
その世界は第一義的にはコストによって支配され、愛に基づく支配はありえないわけです
ここで、悔い改めには、全面的改心と、罪の自覚の二つの段階があることを明言しておきます
罪の自覚さえあれば、その罪は赦されえますが、全面的改心を"瞬間的に"でも行えれば、肉の罪からは徐々に開放されていきます(マーラからの解放と同じ意味になります)
瞬間的に、と書いた理由は、全面的改心を継続して生きていける人間など一人も存在しないからです
人間は生きている以上は肉の罪の性質を帯びていますから、そこから完全に開放されるということは不可能なのです
完全な存在が神であるとして、神に瞬間的に近づくことは可能であっても、完全な存在としての神として生きることは私達にはできません
つまり、全面的改心に到達したと感じたとしても、罪を自覚しながら生きていくことになる
それが赦しを得る条件になるからです ちなみに、面白いことを求めるという性質も、恐らく肉の罪の一つであり、煩悩の一部であると考えています
しかし、ハラハラドキドキの冒険をして行くと神から離れていく一方で、面白いものの中には神を感じられることもありえますから、この煩悩の性質はツールとして活用するべきなのです
伝統的な文脈においては、世界中の宗教で、面白いことを求めること自体が罪であるとして禁欲的な修行を行ってきましたが、それはかえって神から離れてしまうことに繋がりかねません
近代インドに光に溶けて消えたというラーマリンガという聖者がいますが、彼は神を想うことが何より重要であり、禁欲的な修行を行うのは間違っていると言っているそうです
イエスという人物も神を想うことの重要性を説いていますが(そして空中に消えたとされる)、私たちはこれらの聖者の方法論を参考にしつつも、現代的な文脈における面白いものの持つ神秘という方法論を採用するべきでしょう
何故ならば、彼らは明確に宗教的な天才であり、私たちは普通の人間なのですから
そして、私たちは神の愛のもとで自由に生きてよいのですから、人に著しい迷惑をかけない限りでは、好きなことをして生きても神はお赦しになると考えます
しかしそこには常にサルクスとしての人間が存在しているのだということを自覚する必要があるわけです レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。