【戦国・前世】415総合48
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
〜あらすじ〜
夢で見ていた話を投下してくれていたレス番415・・・
まったり415を待つスレとして発生したこのスレですが、
突如として現れた前世お市を名乗る女とそれに憑いている自称織田信長の霊!
415を取り込むべき所属団体と共にスレに殴り込み!
ついでに恐ろしげな予言を残し消えたかに見えたお市だった。
その間もスレはお市による自演嵐に見舞われたが、415スレも元に戻り、平和が戻ったように見えた。
しかし自己サイトを引ひっさげお市が宣伝に再度現れお市自演で荒れたスレだったが、
飯サイトにはだれも興味を持たずスルーされた。
焦ったお市は燃料投下とばかり煽り、ついには裁判ネタまで出して頑張ったがスルーされまたまた逃亡w
再度サイトを宣伝に来ていたがスレ住民に完全スルーされていたのに、何を考えているのか呟きにあらわれた!
しかし満足なレス一つできずに散り、やはり意味不明な人だったがスレ住人は気にもとめなかった。
その後は謎の従妹やコテのお市情報があったがすぐに話題はかわり、
現在のスレは前世話や雑談をしつつ415を待つスレになっている。 スレ潰そうとしたり
前世話題で逆ギレしちゃう人、人が避けたがる話題を好む人は来ないでください。
前スレ
【戦国・前世】415総合47
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1534690875/ >>827
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時系列的にちょっと不思議ですよね >>828
いえ、
比古汝茅命と
難波根子建振熊命はおそらく、親子どころか、祖父母と孫ぐらい年の離れた兄弟であったと考えれば、
不思議はありません。
こんなのは歴史時代には腐るほどありました。
たとえば、
徳川家康の最初の子と、最後の子は53才も年が離れております。
現代ですら、俳優の上原謙氏のような例もあります。 難波根子建振熊命は、
息長帯姫命の後見人にして大将軍であり、さらには外交においては姫命(=久米族代表)の全権を委任されるほどのお方ですから、
年齢は、息長帯姫命の父親世代であった、
と私は考えています。
とすると、息長宿禰命や日本武尊の世代、
ということになります。 ミノムシさんが
日本武尊はもっとも興味のある人
とかつて仰っていたことがとても気になるのです。
くわえて、古代常陸国にとてもゆかりが深いらしいこと。
そして
エミシとヤマトとの境界線を定めた
と仰っていたこと…
これらが一本の線に繋がってくるような気がしております。 >>820にちょっと補足
といっても、ヤマト(久米、播磨を含む)としては神代以来の「外来種の駆逐」、という悲願がありますから
↓
といっても、ヤマト(久米、播磨を含む)としては、神代以来の「北方系外来種の駆逐」、という悲願がありますから >>829
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し─J
風土記かなんかで
成務朝のときに比古汝茅命が
吉備比売と結婚して生まれたのが
印南別嬢(播磨稲日大郎姫)と
書いていたような記憶があって
時系列的に不思議だなと思ったんです >>833
成務朝ってキーワードですよね。
そしてなんだか不思議な匂いが漂います。
東国の国造の設置は軒並み成務朝期です。 巫さんから、
金沢が気になります。どこか思い当たるところはありませんか?
と尋ねられたのですが、わたしは金沢方面はさっぱり不案内でまるでピンと来るところがありません。
石川・岐阜両県にまたがる白山神社
ぐらいしか思いつきません。 >>834
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日本武尊を火攻めにしたという
相武国造も成務朝に設置されてますよね
まぁ、日本書紀では
日本武尊を火攻めにしたのは
駿河の賊としているようですが・・・ あとは、せおりつさんを祀る神社があったはずだ、と思いググって調べたら、
住所が「別所」でした。
>>790のこととシンクロなのかなあ(・_・)? >>836
その初代相武国造の
弟武彦の兄である
初代武蔵国造は
兄多毛比命ですが、
このかた、一般には
「エタモヒ」と読ませていますが、
わたしには
「エ・タケヒ」
としか思えないんです。
そして日本武尊の側近であった大伴武日
と同一人物なのかどうか、ということが気になって仕方がありません。 >>835
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し─J
わし的には金沢といえば兼六園です
調べたら
兼六町に金澤神社という神社があります
天神様みたいですけど
まぁ、関係ないと思いますが・・・ 「毛」は上古以前には「モ」と読む
といいますが、
それでは、武蔵国のすぐお隣の国、
毛野国はどうなのか?
これは
「モヌのくに」
と読むのか?
神武天皇の別名(ということはウル様の別名か?)である
「若御毛沼」命
はどうなのか?
「ワカミモヌのみこと」
と読むことになってしまうのか?
と。 >>839
おお!ありがとうございます!!
こういうことはシンクロしてくることが多いのできっとそこかもしれません!
巫さんにお伝えさせていただきます。
重ねて御礼申し上げます<(_ _)> >>841
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いえいえ、適当にググっただけですから(;´▽`A``
前田さんの神社みたいです
菅原道真公は先祖にあたるのか・・・ >>842
いやいや!とっても重要なことですo(^-^)o
天神様なら、先ほどらい述べて来ております
兄多毛比命 ー 弟武彦命
も、天穂日命の子孫ですので同族ということで繋がりますしね^^
天穂日命が
なんらかの「お知らせ」
をくださっているのかもしれません(*^-^*) >>842
>前田さん
で、『ムルデカ』のことを思い浮かべました。
きょうは昼頃から、
ご英霊のことを考えていて、深く感謝の意を捧げていたんですが、
そしたらついさっき巫さんから連絡があって
まもなく東京に来る、
そして今回は靖国神社にご挨拶することになると思う
と。 >>844
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今日は靖国神社の桜の
開花宣言もありましたね 白山 別所
とくればあとは
東光寺だったかな。
蝦夷(俘囚)
と繋がる。
菊池山哉氏の説は正しいと思います。
ただし、「その前」がある。 >>845
>今日は靖国神社の桜の
開花宣言もありましたね
そのこと、さっき巫さんからもまったくおなじセリフを言われました(笑)
桜にほとんど興味が無い私だけが気づかないでいる(笑) _
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し─J
ツイッターで久米仙人を見た後に
GW10連休もあるから
一泊で兼六園とかその辺行こうかと
言われて、これは一生に一度のチャンスとばかりに
わしが強引に茨城の鹿島神宮に行こうって
言って旅先が決まりました
石川方面は特に行きたい神社ないですからね
行けそうなところで行ってみたい神社
といったら鹿島神宮でしたから
戸隠神社は去年行ったし >>847
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わしも今日、「靖国神社とか行きたい人?」
って聞かれて
「行きたいといえば行きたい」と答えました >>849
いまは凄まじい混みようだと思います。
(危うく、「地獄のような混みようだと思います」と書いてしまうところでした。なんと不遜な…)
かつて、東京東部に住んでいた頃は
数日おきに靖国さん行っていました。
自転車で。 そして、そのあとはすぐ近くの神田神保町に寄って、本を山のように買って、自転車の前カゴに乗っけて帰るんだ(^-^;)
いちど、そこからさらに新橋・汐留方面に行ったらお巡りさんに怪しまれて尋問されてしまったもんなあ(;^-^)… >>850
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おお、では
何度も参られているんですね
わしは東京へは行けそうもないな〜 >>852
はじめて参拝したのはみたま祭りの時だったと思います。
かつて使役霊スレにも書いたんですけど、
大鳥居の遥か手前からエラい具合悪くなって、大鳥居をくぐったあともずっと気持ち悪くて動けないぐらいだったんですが、それでも根性で進んでいる内に、
随神門の前あたりまで来ると、気分がだいぶ良くなってくるのを感じていました。
そして随神門をくぐって
ご拝殿の領域あたりまで来た時には、さっきまでの具合悪さが嘘のように治っていて自分でもびっくりしました。 同じコースで行くと何回行ってもムカムカと気持ちが悪くなって吐き気に苦しんだので、
だんだん道を覚えてからは、靖国通りを大鳥居のところまで行かないで、外濠側に右折し、暁星学園のある側から随神門前まで入って、そこに自転車を止めて、ご拝殿まで参拝するようになりました。
申し訳ないことですが… >>853
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し─J
大鳥居のあたりに何かあるんですかねぇ? >>855
大鳥居の前から
と言われています。
ただし、あくまでも一部「視える方々」のあいだでそう言われている、ということなんですけど。
その内容についても上述した使役霊スレでかつて書きました。
でも確かにそれを聞く前から、わたしは上述したように非常に気持ちが悪くなって酷い目にあいましたので
「なるほどなあ」
とも思うわけです。
そして、これまた上述しましたように、
大鳥居、というか、拝殿・本殿から遠いところ
を通らないようにするようにしてからは、気持ち悪くなることもぐっと少なくなりました(全くなくなったわけでもないですけど)。 ■■■
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昨晩はイチローの引退会見を見て
寝ずにバイトに行きました きょうは母が、本当に悪質でタチの悪い振り込め詐欺の電話がかかって来て、その対処に追われて大変でした。
警察を呼んだり。
もうクタクタです。
しかし、先週のことといい、この頃警察との関わりが多いなあ >>858
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振り込め詐欺っすか〜
多いですよね >>859
スクーターで
高齢者住宅なんかを中心に狙って回り、世帯ぬしを調べて名簿を作り、その名簿を売る人間が出回っているから気をつけて下さい。
不審な人物を見かけたら即通報を!
と去年わざわざ警察官が来て注意を促された、ということがありました。
奇しくも今回、それが母の家に回って来たということのようです。
母は2年前に心臓で倒れて以来、体力も落ち、それに従って気力も落ちて来ています。
なので
わたし今回激怒中です。
とっ捕まえてブタ箱にぶち込んでやらないと気が済みません。 _
/;;;人
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/////yミミ
し─J
今日、朝、電車で
姫路を旅する番組を観てたんですが、
夜になってスマホケースがぶっ壊れて
ネットでいいスマホケースないか
調べてたら姫路レザーで作られた
良いものが見つかりました
しかし、瀬戸内はええところやなぁ >>861
おお!素晴らしいシンクロニシティがあったんですね(*^-^*)
黒桟革の鎧甲冑は戦国武将の最高級品とされていますよね。 きょうの『まんぷく』も、あれが安藤百福さんに本当にあった実話なら、
シンクロニシティ、というか、どう見ても「お告げ」だよなあo(^^o)(o^^)o >>862
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皮のことはよくわかりませんが、
ベロアとかヌメ革と書いています >>863
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まんぷくは見てないなぁ
カップヌードルって
海老の選定に苦労したらしいですよね
腹が減った
カップヌードル食いたくなってきた
買っておいた大坂ナオミV2仕様の
カップヌードル食おうかな _
/;;;人
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/////yミミ
し─J
でも、わし、
カップヌードルより
徳島製粉の金ちゃんヌードルの
ほうが好きかも知れん
マルちゃんのクッタも好きだったのに
原材料の精製ラードが
韓国産ということがわかり
食べなくなりました >>865
わたしも今月に入ってからなんですよ。見るようになったのは。
デジタルデータ画面で天気予報を見ていると、画面の片隅にいま放映中の番組が映ってしまうのですが、その映像が気になったもので。
それまでは、日清食品創業者の話だということすら知りませんでした。 >>867
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ツイッターで
まんぷくを観た人が
よくドラマに影響されて
チキンラーメンを食べて
画像をアップしていたので
気にはなっていました >>864
わたしも革製品とか詳しくないです。
むかし、免税店で
プラダのグリーンのベロアだったか、スウェードだったかのバッグが目に入ったとき異様に欲しくなったことはありましたが。
…
市川とは「伊都川」なのかなあ… >>868
うちの近所のコンビニでは、いま、入り口のドアをくぐるとすぐに
カップヌードルの特設コーナーが置かれています(笑)
買わないで帰ったんですが、帰ったあと録画していた『まんぷく』を見たら、
『まんぷくヌードル』のほぼ完成品が出来上がったシーンの回で、それを見たら
仰るように無性にカップヌードルが食べたくなってしまい、急いでさっきのコンビニにもう一回行ってカップヌードルを買って来ました(笑)
同様の話は、ドラマで『チキンラーメン』の完成時にも多く見られたそうですが、わたしはその頃はまだ『まんぷく』を見ていないので、
『チキンラーメン』は買っていません(笑) >>870
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たしか、政治家の
杉田さんとかもまんぷくの影響で
チキンラーメン食べてたなぁ(笑) >>869
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し─J
市川って播磨五川の一つなんですね
播磨国風土記は面白かったなぁ
出雲国風土記とは雲泥の差 上述したように、デジタルデータ画面を見るたびに片隅にまんぷくが映ってることが多くて、
「武士の娘というものは!」とかいう字幕が目に入って、
ん?明治の士族の話を描いたドラマか?」
とか。かと思ったら次には、ヘルメットにMPと書かれたアメリカ人に牢屋に入れられてるシーンが目に入ったりして、
目まぐるしく展開が変わってるので、一本の同じドラマ、ということにすら気がつきませんでした。 >>872
おお!各国『風土記』、読み込まれてるのですね(`∇´ゞスゴイ
わたしは数年前に買って、散発的に見ているものの、通しではまだ読んでいません。
わりかし読んでるのは、
久松さんの『マンガで読む古事記』
か
『まんが聖書』
とかですね(;^-^)…
でも、水木さんの「ほんとうの出雲の話(本当の題名失念)」
と
やはり水木さんの
『南方熊楠』
は読みたいとだいぶ前から思ってます^^ >>874
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呼んでもほとんど忘れるんですけどね
出雲国風土記は
土地のデータのようなものが
記載されている部分が多いので
退屈で仕方がありません
読むのが苦痛です >>874
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「水木しげるの古代出雲」ですか? >>875
『出雲国風土記』はそうなんですね。なんとなく分かります。
制圧した地ですから、詳しく書くと
「寝た子を呼び起こ」させてしまいますし。
水木さんに「書け!書け!」と現れたのはそういう霊系の方々なんでしょうかね?
ただ、
>出雲国風土記は土地のデータのようなもの
がやたら記載、
というのもとても示唆的です。
出雲の地名は、播磨の地名と被りますからね。
天児屋鉄山を別部犬(=吉備の新羅人集団)に襲撃されて、出雲方面に落ち延びた時、同じ地名を出雲にも付けたのでしょう。
>>876
たぶんそれだと思います。 >>877※補注
天児屋鉄山の後身、
ないしは「分家」
が物部連。
「本家」である天児屋鉄山の首長がのちの
大王家、天皇家。 >>877補足
(出雲は大和朝廷の前身が)
>制圧した地ですから、詳しく書くと
「寝た子を呼び起こ」させてしまいますし。
たとえば、
『謎の出雲帝国』の
富當雄(とみまさお)氏 (元サンケイ新聞編集局次長)
のご実家の神社に代々伝えられて来た伝承、
というのも、
そうやって上記してきた制圧された勢力のほとんどが、その後の長い歴史の中で「寝かされた(=忘却した)」中で、
数少ない、「寝たフリ」をして、代々に渡って細々と伝えられて来た「伝承」なのでしょう。
だから、富家の中でも、
代々、一子だけに伝える、
その他の兄弟には一切伝えない、
というやり方を貫いてきたのだと思います。
日本海沿岸にはこの手のものは多そうです。
あの輪島の猿鬼
と同じ形
ということが言えると思います。 >>877
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し─J
水木さんのところに現れた
霊とは制圧された側ということですか?
その可能性が高い?
だとすると、まともなことが
書かれているのでしょうか? でも勤めたのが
サンケイ新聞
というのが不思議だな。
こういう人が行くのは
朝日新聞
と相場が決まっているだろうに( ・・)ウーム >>880
制圧された側にも制圧された側の「真実」や「思い」
というものがあって、
それを書いて世に出すことによって
鎮魂 供養
になる
とそういうことなのかもしれません。
中東でも同様のことがありましたね?
キリスト教に制圧された側、おそらく
バアル信仰をしていた側
だと思いますが、
自業自得とはいえ、
そうやっておびただしい地を流した側でも、
そういう出来事があった
ということを書くだけでも鎮魂 慰霊
になる
とありましたよね。 >>882
そうやっておびただしい地を流した側でも ×
↓
そうやっておびただしい血を流した側でも ○ >>877
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出雲の大国主命とは
制圧された側の神様なんですか? >>884
大国主様は、出雲国の王(文字通り大きな国の主=大王)であり、
「播磨を経由していない久米族(=九州から直接山陰地方に進出して来て版図を伸ばした久米族)」の首長のお方であった
とわたしは考えています。
なので、播磨系とは伊都族を通して同族になりますので、
その関係で外交・折衝をして、播磨系(=天児屋鉄山)に服属をさせたのだと思います。
しかし、首長である大国主様が服属しても、出雲やそれまで出雲に服属していた勢力の中には言うことを聞かなかった連中もたくさん出た
と、そういうことであるのだと思います。 >>885
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なるほど、そういうことなんですね
出雲の大国主命もたしか
素戔嗚尊の御子でしたよね >>885補足
それを、播磨系伊都族である天穂日様のご系統が神主になることで、大国主様を祀り(鎮魂し、場合によっては封印し)、
大国主様が、長脛彦のような怨霊にならないよう、祭祀をして来た
ということであるのだと思います。
ゆえにそれが、
出雲地方の一部地域では、
出雲大社の祭祀家である出雲国造家(千家・北嶋家)はよそ者である
とみなす理由にもなっているのだと思います。
上述した、『謎の出雲帝国』の
富家なども、そうした一族であるのでしょう。 _
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し─J
ツイッターを見たら
ちょうど国譲りのことがツイートされてた
タケミナカタ命が最後まで抵抗したと・・・
そして、相撲の起源であると >>886
『記紀』の記事ではそういうことになっていますよね。
もし、その記事が本当なら
素戔嗚尊の子孫というより、
ウル様の九州時代の后との間の御子様、
と考えた方がわたしにはより確度が高くみえるんですけどね。
ウル様のご事績は封印されていますので、
『記紀』の
素戔嗚尊と天照大神
との誓約も、
実際には素戔嗚尊の
お父君・ウル様と
播磨との
剣と赤石との交換
の比喩と思われますしね。 >>889
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>ウル様の九州時代の后
とはアヒラツヒメになりますか? >>888
>>887を書いた時、
諏訪のことも書こうかと思ったんですが、長くなったのでやめにしました(笑)
出雲の一部において、
天穂日命後裔の出雲国造家(千家・北嶋家)が「よそ者」と見なされていることとまったくおなじ理由で、
諏訪地方の一部においても、
建御名方命とその後裔の諏訪神氏を「よそ者」とみなす勢力が存在しているようです。 >>890
たぶんですがそうなのだろうと思います。 ∠. ̄~\×
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新潟って日本一神社が多いのですが、
その新潟で最も多いのが諏訪社なんですよね
たしか、
新潟の諏訪信仰はそんなに古いものでは
ないそうですが・・・ いやちょっと迷います。
伊都族の逆輸入による、九州に「里帰り」した方の九州妻かもしれない。
ミマキイリビコイニエ様の九州時代の后様とか
このへんは考えていると、頭頂部のあたりがモワモワ〜として来て、思考がぼやかされる感があるので、おそらく霊的な
禁則がかかっているのではないかと思います。 >>893
日本海から高志(越後)に上陸して
川沿い(たぶん糸魚川か)に諏訪地方まで進軍して来ていると思いますので、当然、越後地方には
建御名方命をお祀りする神社が多くなることと思います。
殊に、
諏訪の先住勢力が精強であった場合、
建御名方様を首長とする一団はしばらく越後にとどまって、まず日本海沿海部やそこから近いエリアをしっかりと固めてから、諏訪に進出した可能性が高くあります。 >>895補足
だからこそヌナカワ姫の代に同姫と誓約(婚姻)して、その御子様が進出する、
という過程が必要であったのではないでしょうか。 >>895
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し─J
タケミナカタ命の母親を
奴奈川姫とする伝承もありますしね
ですが、上述したように
新潟の諏訪信仰は
それほど古いものではないと
どこかで読んだような気がします
そんなに古い信仰では >>897
諏訪は難しいんです。
考えていると、
出雲よりずっと頭がガラガラポンしていまいます。
建御名方様と
伊勢都比古様が
どうしてもこんがらがってしまいますし、
藤のツル
で戦った
などという伝承は、明らかに
中臣氏の関与を伺わせますし。 >>898
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建御名方命と
伊勢都比古命を
同神とする説もありますね
わしの中ではイメージ的に
出雲建子命という御神名は
建御名方命とかぶるのですが、
伊勢都比古命という御神名は
ぜんぜん違うイメージです
まぁ、ただのイメージですが・・・ >>899
出雲建子
は、
「出雲建(イヅモタケル)の子」
という意味でしょうから、
伊勢都比古命のお父君・建比良鳥命が
「出雲建(イヅモタケル)」の称号を得られた方だとずっと思っていたんですが、
そうしますと、
建比良鳥命=建御名方命
の可能性が出て来たわけですね。
建御名方命は
建南方命
と書くと、それによってまた見えてくるものもありますし。
ちなみに、
「諏訪大社」
の文献上の初見は、
「南方刀美神社」
です。 >>900
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>建比良鳥命=建御名方命
ということは
建御名方命と伊勢都比古命は
親子ということになりますね
この通りなら、凄いことです
ミナカタって南方熊楠もですね
宗像から来てるんでしたっけ? >>900自己レス
>建御名方命は
>建南方命
>と書くと、それによってまた見えてくるものもありますし
に補足です。
御名方(南方)=宗像
であり、
そうすると、建南方命は、
伊勢族(=赤石族)の
宗像氏のお方である、
ということになります。
父方を
伊勢族(赤石族)に、
母方を
高志の沼河姫
に持つお血筋の
建南方命が越後から糸魚川伝いに進軍して諏訪を制圧した
これで筋はいちおう通ります。 >>901
>ミナカタって南方熊楠もですね
宗像から来てるんでしたっけ?
そこなんです!それ!
巫さんとわたしとは
名草戸畔
で繋がったんですが、
わたしは、
名草戸畔は
宗像(南方)氏のお方であると考えています。
余談になりますが、
あの、小野田寛郎さんのお家も、南方一族であり、
名草戸畔の子孫である
という伝承を有する紀州の神官家なんです。 >>902
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/////yミミ
し─J
進軍だったのに神話では逃亡と
されてるんですかね?
たしか、信州に前からいた存在と
建御名方命が戦ったという
伝承もあるんでしたっけ? 和歌山の名草山の裏側、紀三井寺の地。
ここが南方姓発祥の地と言われております。 >>905
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. し─J
セオリツヒメ命にも
繋がっていくんですね >>904
>進軍だったのに神話では逃亡と
>されてるんですかね?
こう言ってはなんなんですが、『古事記』のあの記事はあとづけの附会であると思うんです。
タケミカヅチ様(和邇・息長氏)と、
建御名方(建南方)様の伊勢族は
いわば主従関係にありますからね。
篤い信頼関係で結ばれた昵懇の関係です。
むしろ、和邇・息長政権(久米政権)の東国進出政策において派遣されたのが
伊勢族(赤石族)宗像氏の建南方命一団である
と考えるとしっくり来ます。
長野に「安曇野」などという地名があるのもこれに関連することでしょう。 >>904
>たしか、信州に前からいた存在と
>建御名方命が戦ったという
>伝承もあるんでしたっけ?
それが、>>898で書きました
「藤のツル」で戦った
という伝承です。
「藤のツル」
というのは、
金屋子神様
=天児屋根命
を祭祀する製鉄集団・天児屋鉄山
のいわば盟主であった中臣氏
を思わせます。
要するに>>878で述べました
天児屋鉄山=原大和朝廷&物部連が、より先進的な鉄製武器を以て、
越後〜諏訪地方
を制圧した
ということです。 ∠. ̄~\×
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/ し─J
久しぶりに諏訪神社に参拝したくなりました
明日にでも行ってこようかな
小和田恆の出生地の総鎮守様なんですけどね(-_-;) >>908
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/////yミミ
し─J
なるほど、そうなんですね
建御名方命が敵対したというのは
違うんですね
そうなると、相撲の起源は
野見宿禰ということにした方が
よさそうですね
野見宿禰も土師氏ですね >>910
>敵対した
というのは「あとづけの附会」
と書きましたが、
ではなぜ「敵対」ということにさせられているのか、その原因になっているのが、
後世に起こった大事件、
菟道稚郎子命(宇治天皇)と、
大雀命(おほさざきのみこと/仁徳天皇)
とのあいだで勃発した、我が国を二分する大戦争、
久米と大和とのあいだで行われた覇権戦争であった
とお考えになられているのが
覡(おかんなぎ)さんです。
そしてわたしもその通りであると考えています。
上記の大戦争で、
菟道稚郎子命(宇治天皇)側に付いた
伊勢族(=赤石族)は
戦争の大敗により、戦後は故地である赤石(伊勢)の地を逐われることとなりました。
この事績が、神代の代の記事にあとづけとして放り込まれることとなりました。 >>911
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く. ヽ¶/ρ━
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この大戦争が
歴史からなかったことに
されてるんですよね >>911
にさらに続きを書けば、
天津甕星(あまつみかぼし)神が、
天津神でありながらおなじ高天原の神々に従わない悪神
とされている理由も、
上記の大戦争の結果、
伊勢族(赤石族)が、
覇者側である大和から悪役的に書かれるようになったからだとわたしは考えています。
天津甕星は、ズバリ
「巫女星」の訛りである、
と私は考えています。
ウル様が本州にお伝えされた
神代の時代に九州地方で篤く崇敬されていた
オリオンの三連星
=
巫女星。
これを、伝えられた播磨の地において、最も篤く崇敬したのが
伊勢族(=赤石族)
であった
とわたしは考えているのです。 >>913ちょっと訂正というか補足
>天津甕星は、ズバリ
>「巫女星」の訛りである、
と私は考えています
↓
天津甕星の
「甕星(みかぼし)」は、ズバリ
「巫女星(みこぼし)」
の訛りである、
と私は考えています。 >>912
仲良くお互いを思いやり合って、ながいながーい時間お互いに「いやいやわたしなんて!あなた様がどうぞ!」
と
大王の座に就くのを譲り合った
そういうことになっていますね。 >>915
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ヽ  ̄ ̄/
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美談になってますよね
このまま、世間一般に
知られないままでよいのでしょうか
たしか、そのことを
知るだけでも
霊の慰めになるんでしたよね >>916
わたしもすっごい迷いながら書いてます。
特に>>915などは書いたあと、不遜な書き方だったという思いがこみ上げてきて、先ほど大神様に深くお詫びを申し上げました。
でも巫さんからは
「日本のことを愛する人たち、大切に思う人たちに、あなたの知っていることを伝えて行きなさい」
と、降りて来た言葉を言われました。 その巫さん。
ひょんな経緯からきょうは
佐久奈戸神社にご挨拶して来ました
と午前に連絡が来ました。 菟道稚郎子命(宇治天皇)はいまでも稲荷神による禁則的な封印がかけられているままなのだろうか?
香坂王はいまでもまだお上がりになられておられないのだろうか? 巫さんが言っていましたが
>>190-191
で書いたスピの人、
ジ・エンド
のとなったと。 >>918
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/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
佐久奈戸神社って中臣大祓詞の
創始の地らしいですね
あるブログに大祓詞の元になった
中臣大祓詞と書いていたのですが、
現在の大祓詞より古い
大祓詞ということでしょうか?
佐久奈戸神社には密かに
大山咋命が合祀されていますね >>921
中臣祓詞の片方(水無月の方)だけが、残っていて、師走の方は散逸した(それも現代奏上されているのは、そこからさらに天津罪、国津罪の具体的内容が省かれたもの)、
とか、
もともと片方だけだったとか様々な説が唱えられているようですが、わたしにも中臣金連による創建、ということぐらいしか分かりません。
>佐久奈戸神社には密かに
>大山咋命が合祀されていますね
おお!そうなんですね!!
貴重な情報をありがとうございます。
わたしはどういう理由でか分かりませんが、大山昨命の神社には異様に惹かれてしまうのです。
伊勢都比古命のご二男の大歳命の御子様、
という系譜を知れば納得してしまうのですが。
さらに、
大山昨様が佐久奈戸様にお祀りされているのは、
大山昨様のご先祖である
天穂日命が佐久奈戸神社の奥津宮であると言っていい
綿向山に祀られていることと関係しているのかもしれません。 >>922
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く. ヽ¶/ρ━
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でも、本当に佐久奈度神社に
大山咋神が祀られているのか
怪しいところです
なぜなら、佐久奈度神社のHPにも
ウィキペディアにも
大山咋神のことは書かれていないからです
しかし、一部のサイトには
大山咋神が合祀されていると書かれています 六甲山の瀬織津様のお墓、と言われる巨大な磐座のお隣の、やはり巨大な磐座が
天穂日命のお墓
と言われるのもその理由はどうしてなんでしょうね。
綿向山(奥津宮) ー 佐久奈戸神社(里ノ宮)
と同じような関係ですが。 >>910
大相撲って本当に
神事としての相撲(すまひ)
の系譜にあると思います?
わたしは、去年の貴乃花親方の追い出し騒動と
そして、やっと日本人から久しぶりで誕生した横綱稀勢の里が、韃靼人・日馬富士に力士生命にかかわるケガを負わされ(激怒)、そして案の定、せっかく横綱まで登りつめた時までのあの勢いがそれ以降すっかり影をひそめて引退となった時点で、
大相撲には見切りをつけました。
いつまで経っても、八百長の匂いも無くならないし。
野見宿禰命は本当、大相撲をどう見ていたんだろう?
と >>925
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大相撲の浄化は難しいでしょうな
白鵬とか昔はまともな人間なんだろうと
思っていましたが、なんだか、
朝青龍よりよっぽどたちが悪いですね
やっぱ、あっち方面の人達は
あかんのやなぁって感じです
移民を大量に受け入れたら
日本全体が大相撲みたいになるでしょう
ダーティーな相撲を取るし・・・ ■■■
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中臣金が佐久奈度神社創始時に
祀ったのは祓戸大神のうち三神だったようです
後に速佐須良姫尊も加わったそうです レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。