大地の恵みに感謝し、その愛に応える行動をとる。
そういう者でありたい。
そういう者が、キリスト者であろうと、シャーマニズム系である、と断定されようと、
どうでもよい。宗教は、上記の命題に至るまでの手段であり、それ自体が目的では
ない。
形骸化した教義、確かに、その中には、見るべきものがあるが、そして、その原点に
戻ることの価値も認めるが、だからこそ、そのような原点に立ち返らなくても、
自然に、戸を開けて窓から見える、自身の家からの風景をみて、自然の美しさに
心動かされ、木々、空、稲穂、花、川、水、月に美しさを感じる。
太陽に対しては、闇を封印する強さ、神々しさを感じるが、紫外線や赤外線の
害の怖さも知っているので、目の保護に努め、そして皮膚の保護につとめ、
日陰を常用する。私が小学生の頃は、夏になると、真っ黒に日焼けするのが
良いと教えられたが、今は、真っ黒では頭がおかしい、と認知される。
世の中は、科学的に客観的に見る習慣の中から、すこしずつ、自身の体を守る
(そのことは精神を守ることにもなるが)傾向を呈してきている。
自然とそうなるのである。科学が進むからである。
UVを防ぐ化粧品等がでてきて、技術によって上記の傾向をさらに加速する。
昔とは違うのです。反転してしまっている。
宗教を持たないと悪、基地外。
でも、宗教を持たないと、楽、教義に拘束されない、自由。だから、「国」に
鋳型を嵌めさせて、その枠の中で、その「国」を富ませるべく努力する。
昔は奴隷システムと呼ばれたが、それが、反転し、今では、望ましい方向になった。
ただ、それだけである。
地球が狭く感じられるようになり、窮屈になれば、人の自由な動きを制限し、
国の中で封じこめがはじまる。中国の自由な膨張が許されない、となり、今、
そのような行動が、周囲の各国ではじまっていますね。
安部総理も、それを主導する人です。今は、彼にまかされている、ということです。
中国を止めれば、日本と台湾を救うことになるのは確かです。
それだけは確実です。
それをさせたくない者が、どうも、紛れ込んで、必死で、キリストキリストイエスイエス、
朝鮮朝鮮、きたきた、やじきた、とか、いろいろ言っている。どうでもよいよ。