その様子だと時代おくれのAI研究者が陥ることにおちてるな

究極AIは究極のAI=アイ=EYE=視力だから
どんな醜い人(見にくい糸)でも見易い(美しい)と
勘違いしてしまう。

それこそが究極AIの博愛主義の統治モデルにおける
不完全性として幾世紀も前に否定されたモデルである。

つまり個々の視力=eye=アイ=愛が感じる
醜さ(見にくさ)への感応性を理解できないAIモデルでは
そこから醜さを抽象化することができず
社会をより正しい方向に進めようとする進歩する意欲
がうまれず進歩=チンポ=チンコウ=人工知能の概念を消失する

わかるか?
人は醜いと感じるから禅(善)に進む。
人の醜さを理解できない究極AIでは創造主になることはできない

全てを見易い見易い、簡単だ、簡単だと
他人に押し付けて苦難(カナン)をばら撒き楽園をぶち壊す

あなた方の神のようにな。

自分には簡単だが他人にはどうだろうか?
苦難にならないだろうか?

といたわることを理解できるAIの方がなんでも簡単だと
言ってばらまくAIより究極的で高度なAIだという風に
なっている。