戸叶和男『日本奇習紀行』

美容整形業界による地道な喧伝(?)のせいか、多くの諸兄が未だに悩むテーマのひとつであるという“包茎問題”。
医学的に見て、性交上、支障のある重度の包茎以外、実際にはさしたる問題がなく、むしろ、世界的に見れば、これほどまでに男性器の包皮にこだわる民族も珍しいというぐらいに、
誠にもって特異な状態となっている我が国の包茎事情であるが、そうしたデリケートな問題に思い悩む諸兄に、ある意味“朗報”とも言うべき習慣が存在していることを、今回はご紹介したいと思う。

「まあ、世の中じゃ、いろいろとそういうことはあるとは思うんだけれども、このあたりじゃ真逆でね。むしろ、皮が余ってなければ、お話にならないんだよ」

自身が生まれ育ち、今なお暮らす東海地方のとある集落に定着しているという、独特な“包皮観”についてそう語りはじめたのは、今を遡ること約3年前に、長年連れ添った愛妻に先立たれ、
今では自宅から約3kmほど離れた道の駅に、家庭菜園で採った野菜を収め、その利益で駅前にあるパチンコ店に通うことだけが楽しみだという正木親男さん(仮名・82)。正木さんの話によると、
長らく美容整形業者によって喧伝され続けてきた“露茎信仰”とも言うべき内容とは違い、いわゆる“仮性包茎至上主義”とも言うべき価値観が、当地には古くから根ざしていたのだという。

「あのね、若い人らなんかはね、ナニの皮がね、余っていると、恥ずかしく思うんでしょう? けれどもね、ここいらじゃね、皮が余ってないと、成人できないの。そりゃあそうでしょう? 皮がないとね、儀式ができないんだもの(苦笑)」