葡萄とは武道。ゆえに良き葡萄とは
健全なる肉体を宿す健全なる精神である。
では良き葡萄を実らせるための健全とはなんであろうか?

それは健全という言葉を遡れば用意にわかる
すなわちそれは徳川家御流儀である柳生新陰流に単を発する
柳生宗矩の「剣禅一致」の思想にこそある。

健全とはこれ剣禅。剣を禅の修身になすことである。
なればこそ今の日本の武道は腐り果てて病人しかいない
ということがわかられよう。

剣に生きず禅(善)に生きず一如の精神と肉体を持たず。
武士でも僧侶でもない。ただ三途の川を流される死人の病人。

これらを天に捧げる武道(葡萄)とほざくか
ノアよ