柿ノ嵐 [無断転載禁止]©2ch.net
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ウソと偽りの境界は ときとして曖昧なものといいます 信じられないような絶句ばかりの現実も 目覚めてみたらただの夢のような事実とか とかく私たちは こうあるべきという浮動感や こうあって欲しいという虚無の中で 頑なに揺蕩っています 私はこれから ある一連の 脳や心の健常性を示す狂気の思い出を 無根の事実を少しだけ混じえて 細々と話します 私は、かつて柿ノ嵐と呼ばれました そうです 得体の知れない彼ら彼女らは ほかに呼びようもない私を 柿ノ嵐と静かに指差して騒いだのです さあ よろしいでしょうか 主将であるダリウス王は 赤ペルシア軍の左翼に命じて アレキサンダー騎兵部隊を追うように命じます 王であり主将のアレキサンダーを殺せば それで戦いの決着はつくはずですし 赤ペルシアの左翼が 青マケドニアの騎兵の斜行につられて 左に全力で走っていきます (この対応は延翼と一般に呼ばれます) すると 走って左に追いかけた赤左翼と 残っていた中央との間で隙間ができてしまう その隙間を鋭く見つけたアレキサンダーは 方向転換してその隙間に突入します 上の図にも Gap in Persian Lineと書いてありますね 赤ペルシアの左翼と中央に空いた隙間から アレキサンダー騎兵部隊は 赤の横陣を突き抜けて背後から 赤ペルシアの中央本陣に突撃します 騎兵だから速いです これで勝負がつきました ペルシア20万人は全体が崩壊します アレキサンダーは最初から 敵がつられて延翼し 隙間が生じるはずなので そこから騎兵を方向転換させて突入と 本当に最初から狙っていたのです 左翼の重装歩兵が守って耐えて 右翼の騎兵の迅速な機動で勝負する これを鉄床戦術といいます (騎兵の斜めへの斜行が最大のポイント) ストロングポイントで勝負する 敵のウィークポイントをわざわざ作る (⌒\. /⌒ヽ \ ヽヽ( ‘j’ ) (mJ ⌒\ ノ ________/ / ( | (金曜)ノ | < おやすみー /\丿 l|\⌒⌒⌒ \ (___へ_ノ. \|⌒⌒⌒⌒| ■▀▀〓◣▬ ▪ ■ … . ▂ ▪ ▂▄▅▆▇■▀▀〓◣▬ ▪ ■ … . /⌒ヽ .▂▅■▀ ▪ ■ ▂¨ ∵▃ ▪ ・ ( ‘j’ )< 土曜日どー ◢▇█▀ ¨▂▄▅▆▇██■ /⌒\ ⌒\ ■ ▂▅██▅▆▇██■〓▀▀ ◥◣ ∴ ▪ . ノ \ \,_/ / ▅▇███████▀ ▪ ∴ ….▅ ■ ◥◣ ( | ̄\▓░█▅▆▇████████▆▃▂ /\丿 l|\⌒⌒▒▓\ ■ ¨ ▀▀▀■▀▀▀ ▪ ■ (___へ_ノ.\|⌒⌒⌒⌒| ■▀▀▀ ▪ ■ ■▀▀▀ ▪ ■ 戦術の話はこのまま騎兵運用の話を続けます 歴史を振り返ってみると 歩兵は古来から現代まで連綿と現在 騎兵は機械化し戦車・装甲車に置き換わり 弓兵は銃兵そして砲兵となりますが これら三兵種の組み合わせは当然として そして何より騎兵運用こそが(&後の戦車) 戦術の肝の部分であるのです 騎兵の運用方法について ある名言があります 騎兵は純粋に奇襲兵種であって それ以外に用いると長所は出ない 至言です 歩兵は何と言っても主力です 正面にズラッと並べるパターンが多い 主力なんですが 被害担当でもあるし、囮になったりもします 弓兵(&後の砲兵)は飛び道具です 場合によっては歩兵や騎兵より目立ちます 騎兵による奇襲とは 側面に回ってのサイドアタックや 側面から敵背後に回って包囲するとか 敵の横並びの中で弱点を突いて突破とか いろいろです 騎兵というと 中世ヨーロッパの重騎兵をイメージする人 かなり多いと思います 世界の戦術史において中世とは 戦術暗黒時代と目されたりします 重い甲冑で強力に防御した重騎兵は 軽装の軽騎兵より鈍重で移動が遅いので 奇襲には使えない すなわち騎兵の長所を減殺しているのです 回り込んでの側面攻撃や 背後に回って包囲とか 敵陣の穴を突破とか あとそれに 戦場から少し離れて敵陣の遠い後方の 補給地や補給線を叩く こういうのは迂回といいますが 全部重騎兵では無理です スピード重視の軽騎兵だからこそできる 重騎兵が有用なのは例えば 軽装の武装蜂起した農民たちを 正面から叩き潰すみたいなのには向いてます 騎兵を純粋に奇襲兵種として運用し 数々の成果を上げた戦術家は なんと 人類の歴史上すごく少数なのです 驚くほど少ない 騎兵運用に優れた歴史上トップ3の戦術家 を問われた場合 まずアレキサンダーとチンギスハンは鉄板で 残りの一人は意見が割れるでしょう ならトップ5なら? おそらく 寡兵での両翼包囲殲滅のハンニバル 少数騎兵で多数騎兵に勝利したカエサル 騎兵運用の完成者といえるベリサリウス 中央突破からの片翼包囲のナポレオン あたりは入ると思われます これらの天才たちは いわば「寡兵で大軍を破る専門家」 といえるでしょう 戦術ばかり話してると1ヶ月かかりますので 戦略の話に進みましょう スキピオ・アフリカヌスを紹介します 彼は共和制時代のローマの将軍です ローマ存亡の危機を救った人です 彼は稀代の天才戦術家ハンニバルを破りました 天才戦術家を倒すのにスキピオは戦略を用いました ハンニバル 紀元前247〜紀元前182 カルタゴの将軍 スキピオ 紀元前236〜紀元前183頃 共和制ローマの将軍 第2次ポエニ戦争 紀元前219〜紀元前201 地中海世界の覇権を懸けて カルタゴと共和制ローマとが争った戦争 別名ハンニバル戦争 カルタゴ 北アフリカの現在のチュニジアに存在した フェニキア人国家、海洋国で商業貿易国 新興勢力である共和制ローマにとって 地中海覇権を奪うにはこのカルタゴと戦う必要があった 最終的にローマに破れて滅ぼされた バール信仰(←これは割りとどうでもいい) 地中海覇権をめぐりカルタゴとローマは 第1次、第2次、第3次と戦争をします 第1次はローマが勝利 その後カルタゴの巻き返しを狙った 一人の天才が登場します ハンニバルです ハンニバルはイスパニア(現在のスペイン)出身です 当時のイスパニアはカルタゴの領地でした ハンニバルはローマ攻略を目指してました 第2次ポエニ戦争の勃発です 彼はたった10万人の軍勢を率いて 陸路から現フランスを突破した後なんと アルプス山脈を越えてイタリア半島に侵攻 世にいうハンニバルのアルプス越えです ローマ側は完全に虚をつかれます ハンニバル軍は アルプス越えによって多数の被害があり 6万弱に兵力は減少(崖から落下とかですね) 以後ローマが繰り出した大軍を全て破り続け イタリア半島に実に17年間居座ります ローマは50万くらい兵力がありながら 17年間ハンニバルを倒せませんでした むしろ野戦で絶対的に強いハンニバルを恐れ 首都ローマに籠城し決戦を避けるようになります ほんの数万人のハンニバル軍は イタリア半島で17年間無敗だったのです 驚愕の恐ろしさです 17年経ってローマには 新鋭の若きスキピオが登場します このスキピオが天才戦術家ハンニバルを ようやく倒すのです 戦略を用いることによって もうお察しのことでしょう 個々の兵が強力な戦闘力を誇る 超強力な軍勢に勝つために戦術が生まれました そして 天才的な戦術家の率いる軍に勝つために 戦略が生まれたといえます 次回はハンニバルの具体的な戦術 そしてスキピオの戦略 そもそも戦略とは何なのか? 孫子、クラウゼウィッツ、ジョミニ等に触れます 私が大好きな戦略家は 楚漢戦争の張良なんですが 張良の話はざっくり割愛して 今回はスキピオに話を絞ります >>452 ひとつ補足&訂正 戦略が生まれた→戦略が用いられた あたかもスキピオが史上初の戦略の始祖 のように誤解を受けそうですが スキピオ以前にも戦略家は存在しました 一例を挙げるなら殷周戦争の太公望呂尚も かなり戦略眼の高さを伺わせます ハンニバルの戦術は明らかに アレキサンダーの影響を受けています 彼は史上最高の将軍トップ3を挙げた際に アレキサンダーを筆頭にしています (トップ3の三番目は自分っていうw) 彼は騎兵運用に優れてましたが やはりアレキサンダーの影響でしょうかね ハンニバルの戦いで一番有名なのは カンネーの戦い(紀元前216年)です 史上初の、寡兵による両翼包囲殲滅 として現在でも各国陸軍で教材になってます ローマ軍、兵力7万人 カルタゴ軍、兵力5万人 結果は ローマ軍、死傷6万人、捕虜1万人 カルタゴ軍、死傷6000人弱 ありえませんね、これは普通ありえません 兵力が多いはずのローマ軍全員が死傷か捕虜 歴史を見渡すと 森林戦、湿地戦、山岳戦、寒冷地戦を除けば 広い平地での正規軍通しの野戦で これほどの完全勝利の殲滅戦は例をみません しかも少ない兵力で ハンニバルは一体何をしたのでしょう? 上の図の、左側が戦闘開始前の布陣 右側が戦闘が経過してる最中 赤がローマ軍 青がハンニバル率いるカルタゴ軍 色を塗り潰している細長い四角が歩兵 白抜きの細長い四角が騎兵 両軍とも中央に歩兵、左右両翼に騎兵 です 青カルタゴは戦闘前の最初は 中央部を突出させてます そこに赤ローマが押し寄せて 青カルタゴの中央部は押し込まれて じりじりと退却していきます それでローマは中央の歩兵全体がさらに前進 青カルタゴの中央部の 押されているように見せかけた後退は もちろん予定通りです、罠なのです この中央の歩兵の戦いと同時に 左右両翼の騎兵同士も戦ってます 総兵力では青カルタゴは劣勢ですが 騎兵に限っていえば ローマ騎兵6000、カルタゴ騎兵10000 と実はカルタゴ騎兵が優勢なのです 左右の騎兵同士の戦いでは カルタゴ騎兵がローマ騎兵を蹴散らします そしてその後 青カルタゴの両翼の騎兵は 赤ローマ中央の歩兵の大軍の背後に回ります これで包囲が完成しました 逃げ場のない赤ローマはまさに全滅します https://youtu.be/IY-Hcr4bB3U この動画の5:40からぜひ見て下さい カンネーの戦いの結果の凄惨さ ハンニバルは間違いなく戦術の天才です いまでもイタリアでは 暗くなっても外で遊んで家に帰らない子供に ほら!ハンニバルが来るよ! と親が脅して帰らせるそうです ハンニバルのアルプス越え 訂正です wikiによると ハンニバル軍の人数 越える前、40000人 越えた後、26000人 とのことです hoっていれたら勝手にhopeになった きみはぼくのhope 手早く話しましょう ハンニバルは結局ローマを破れませんでした ローマは首都ローマに立て篭もります 首都ローマは城塞都市です 遠征軍のカルタゴは攻城戦が困難でした ハンニバルはイタリア半島内部で 共和制ローマに属していた他の都市の離反や ギリシア半島からねマケドニア参戦を 期待しつつ首都攻略は避ける方針に ハンニバルの側近は首都攻城戦やるべき やらないと勝てないと進言しますが ハンニバルは首都攻城戦をしませんでした (できませんでした) 共和制ローマから離反した都市は 半島南部の一部にとどまり 同盟を組んだマケドニアはイタリアに進軍せず 17年間居座り状態に その間ローマ側は 従来の重装歩兵メインから騎兵も準備をします (ハンニバルに騎兵の重要性を教わった) そしてイタリア半島での対決は避けて ハンニバルの故郷イスパニアに進軍します 結局ローマの遠征軍を率いた新鋭スキピオが イスパニアを占領し さらにスキピオは北アフリカに遠征し カルタゴ本国攻略を目指します 慌てたカルタゴ本国はハンニバルに指令を イタリア半島からカルタゴ防衛に来いと スキピオはハンニバルに騎兵を供給していた ヌミディアを抑えて騎兵供給を断ち むしろローマ騎兵を充実させます そして北アフリカのザマで ついにハンニバル対スキピオの初の直接対決が ザマの戦い(紀元前202年) スキピオ率いるローマ軍 総兵力43000 うち騎兵9000弱 ハンニバル率いるカルタゴ軍 総兵力53000 うち騎兵3000 スキピオはハンニバル戦術を学び 優秀な将軍になってました スキピオの師匠はハンニバルでした 両軍とも 中央に歩兵、両翼に騎兵 結果は ローマ騎兵がカルタゴ騎兵を蹴散らした後に カルタゴ歩兵の背後に回って 包囲を完成させます ハンニバルの包囲殲滅戦術のコピーです まったく同じです 完コピでした 騎兵の数が多かったローマ軍が完勝します 天才戦術家ハンニバルを倒すのに 首都ローマに籠城 イタリア半島での決戦を避けて ハンニバルの故郷や本国を攻めて振り回す これは戦略の勝利です 地中海覇権だったカルタゴは滅亡します ローマはその後マケドニアも滅ぼして 地中海覇権を一手に握り確立していきます 騎兵の数が多い方が勝つ この時代に生まれた戦訓です 少ない騎兵で勝つにはどうしてらいいのか? この答えを示したのは後の時代のカエサルです シーザーですね 騎兵運用の応用期に時代は移ります 今日はカエサル(シーザー)です ローマの終身執政官にして軍人 紀元前100年〜紀元前44年 「ブルータス、お前もか」 「ルビコン川を渡れ」 「賽は投げられた」 「来た、見た、勝った」 などのセリフで有名なあのカエサルです 帝王切開(シザリアン・セクション) シーザー・サラダ などの語源 借金王、ハゲの女たらし などのどきついアダ名のあった人 クレオパトラとセックスした人 ぐだぐた状態の共和制から帝政への移行を 初めて着想した政治的天才 (初代ローマ皇帝は甥のアウグストゥス) 元老院という数百人からなる議会と 短期間でころころ変わる執政官(しかも複数) このような政治体制のローマは 領地の拡大につれて機能不全を起こします 周辺(ガリア人)からの侵攻などに対し 軍の派遣を議会で承認するのに時間がかかったり そんなローマに1人の天才が現れます 彼は元老院&執政官の体制のままでは 広大になったローマを維持できないと考え 1人の強力なリーダーが長期間牽引すべき 軍の派遣も1人のリーダーが即断すべき と考えます そしてカエサルは強く反発する元老院派と戦い 内戦に勝利します 彼は終身執政官となりローマを率いろうとして 腹心に暗殺されます 彼は志半ばで暗殺されましたが 甥が彼の遺志を継ぎます その甥が初代皇帝となりローマは帝政に移行 帝政は帝政で問題がありましたが (賢帝だといいけど愚帝だと滅茶苦茶) 結果的に パックス・ロマーナと呼ばれる安定期が訪れます (愚帝が就任したら軍人が暗殺という安全弁) ローマ内戦でカエサルは 元老院派であるライバルのポンペイウスと 決定的な野戦をして勝利します ファルサルスの戦いです それまでの歴史で 強力な個々の戦闘力がある強力な軍に対して あるいは大軍に少ない兵力で戦うとき 戦術という概念が生まれました エパミノンダスの斜線陣から フィヒッポス2世&アレキサンダーの鉄床戦術に これは騎兵運用が重視されましたが ハンニバル対スキピオの時代には 両軍が同様に優れた戦術で戦うとなったら 騎兵の兵力が多い方が強い という流れになりました では両軍とも戦術的に優れていた場合 少ない騎兵で多い騎兵に勝つのは不可能なのか? この問いに可能!と解答を示したのが ファルサルスの戦いにおけるカエサルです ファルサルスの戦い 紀元前48年 ローマ内戦の重要な決戦 カエサル派 兵力35000強 うち騎兵1400 ポンペイウス派(元老院派) 兵力60000 うち騎兵4000から7000 かなり騎兵戦力に差がありますね でもカエサルが完勝したんです 損害 カエサル軍、戦死1200人 ポンペイウス軍、戦死6000から10000人 カエサル圧勝ですね 両将ともほぼ同等の名将と目されてました カエサルは一体何をしたんでしょうか? 上の図の青がカエサル軍 赤がポンペイウス軍 色で塗り潰された細長い四角が歩兵 白抜きの細長い四角が騎兵 青カエサル軍からみて左側は川です なので両軍とも騎兵部隊を 川の反対側に配置します 青カエサル軍は最右翼に騎兵 赤ポンペイウス軍は最左翼に騎兵 騎兵の戦力差でいうと約3倍〜4倍の差 青カエサル軍は総兵力でも劣勢ですが 勝負を決するはずの騎兵数でも超劣勢です 赤ポンペイウスはどうみても ヨーイどんっで騎兵を突進させて 青カエサル騎兵を蹴散らして 主力歩兵軍の背後に回って包囲殲滅を狙うでしょう どうみてもそうなるはずですよね ヨーイどん!で戦闘が開始され 赤ポンペイウス騎兵は突進しますが 青カエサル騎兵はすぐに退却します (上の図の右方向の矢印に向かって退却) 勢いで赤ポンペイウス騎兵はさらに突進します しかしそこで 青カエサル軍は伏兵の歩兵が待機してました ごく少数の長い槍をもった待ち伏せ歩兵部隊 赤ポンペイウス騎兵が 青カエサル主力歩兵の背後に回り込もうとして その少数の伏兵の長槍歩兵に出会います 馬は障害物を見ると速度を落とす習性があり なので赤ポンペイウス騎兵は速度が落ちます そこを青の長槍の伏兵が 長い槍で赤騎兵の顔を狙います 赤ポンペイウス騎兵はひるみます まさにその場面で 最初にあっさり右斜め方向に退却していた 青カエサル騎兵が一気に戻ってきます 赤ポンペイウス騎兵は 青の長槍の伏兵と戻った青カエサル騎兵に はさみ打ちにされます 挟撃された赤ポンペイウス騎兵は なんと壊滅してしまうのです 青カエサル騎兵に対して 兵力比で3倍〜4倍と優勢だった青騎兵は カエサルの秘策によって無力化されます 今度は青カエサル騎兵が突進する番です 邪魔をする敵の騎兵はいません そのまま 赤ポンペイウス主力歩兵軍の背後に回り込んで 包囲戦を展開します 青カエサル軍の完勝です >>511 の訂正 誤・優勢だった青騎兵は 正・優勢だった赤騎兵は 明日はベリサリウスの話をします 東ローマ帝国を支えた名将です 騎兵運用をほぼ完成させたような人です 常に寡兵で大軍に勝ち続けた天才 東ローマ帝国最高の名将で 初陣に負けた以外は生涯通じて常勝将軍 それがベリサリウスです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる