【平成の】古賀稔彦【三四郎】
俺は高卒で良く分かんないけど、医学博士って医学部じゃなくても大学院行けばなれるの? >>85 大学教授だと博士号を取得してないと学術的に相手されない。 普通は、大学生→修士→博士ってのだと拘束時間とか大変だし そこの大学のメンツもかかるので審査が厳しかったりする。 それで大学教授とかになってる[もしくは予定の]ような人は 結構優遇されて取得したりするみたいだよ。 ---- 医学分野で、学術的に新規性のある研究成果を博士論文にまとめ、 大学の定める公聴会、もしくは審査会で合格したものがPh.Dである。 一般的な医者とは、別物みたい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ 博士_(医学) http://e-doc.xii.jp/archives/58 >>86 なるほど… じゃあどうかすると「看護師で医学博士」ってのがいたりするんかな? 何か笑えるなw あんまりスレと関係ないけど。 >>87 『学者は博士号をもってないと相手されない世界』なので 学者同士がコネとかで短期間で取得させたりしてカオス状態。 (おそらく斡旋業&論文添削=論文ゴーストライターもあると思う。) 古賀さんの場合は、柔道専門で大学所属してそっちに専念するから 比較的取得しやすいの取得したとかでしょう。 日本の国立大学で取得してるから まだまともなほうとは思う。 実情を知ってたら一般で取得しても意味ない資格だしね。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412468734 全中 73kg級 古賀颯人 優勝 50kg級 古賀玄暉 2位 【BS1スポーツドキュメンタリー】 BS1 01月06日(日) 18:00 〜18:43 ロンドン五輪で日本柔道は金メダル1つに終わり、世界基準の柔道と大きなズレがあることが指摘された。 この現状でバルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦は世界で勝つための柔道を学生に指導している。 現在、岡山の大学で女子柔道部の監督を務める古賀はセオリーにとらわれない「考える柔道」を提唱する。 やみくもに一本を狙うのではなく、状況に応じて技をかけて相手を崩して一本を取りにいくスタイルだ。 国際大会では簡単に組ませてもらえないことから、海外の選手のように組み手が不十分でもかけられる技 の指導がその典型だ。古賀の指導に密着し、日本柔道復活の道を考える。 BS1スポーツドキュメンタリー「自分だけの一本〜古賀稔彦とIPU女子柔道部〜」 2013年1月8日(火) 21時00分〜21時45分 炎の体育会TVでオテンキ・のりなんかと柔道対決やってたな オテンキのり投げた小内巻き込みは技ありかなと思った 医学博士と医師試験を合格したら医者とは違うわけか? 医学博士=医者と思ってたわ 神奈川に道場があり、自分は遠く離れた環太平洋大学で監督もやり息子達は愛知の 大成中学、高校に預けるというややこしい事をやってるけど全部、成功してるな 古賀稔彦=世界王者。スポーツ万能で勝負勘が凄く《神の領域》 古賀颯人=運動神経は鈍く頭も悪い。また『柔の道』に必須な根性がまったく無い。 73キロ級は阿部一二三(兵庫・神港学園)が決勝で、同五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦さん を父に持つ、古賀颯人(愛知・大成)を下して優勝。 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30& ;k=2014032000845 男子73キロ級2位の古賀は、71キロ級金メダルの父、稔彦氏の指導を受けながらの闘い。「どこが甘いとか、アドバイスをしてもらった」という 決勝まで進んだが最後は一本を奪われて「自分の力が及ばなかった」と目を赤くした。 小川&古賀 メダリストの息子が活躍 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/03/20/kiji/K20140320007813820.html 男子73キロ級は阿部一二三(兵庫・神港学園)が、バルセロナ五輪71キロ級覇者古賀稔彦氏の息子の 古賀颯人(愛知・大成)との決勝を制した。 小外刈りで一本負けを喫した古賀は、うつぶせになって悔しさをあらわにした。「優勝を狙っていましたが、 自分の良さが出せませんでした」。父譲りのイケメンで男子柔道界のスター候補だが、観戦に訪れた父・稔彦さんの 前で優勝は飾れなかった。稔彦さんから「技をもっと出せ」とハッパを掛けられたが、次々と技を繰り出す積極性を出し切れなかった。 古賀稔彦氏Jr.颯人は無念準優勝 http://daily.co.jp/general/2014/03/21/0006795015.shtml 男子73キロ級で92年バルセロナ五輪金メダリスト古賀稔彦氏の長男颯人(はやと、愛知・大成1年)は準優勝に終わった。 決勝に進んだが、阿部一二三(兵庫・神港学園1年)に1分41秒、小外刈りで一本負けした。 序盤に有効を奪っていただけに、負けた瞬間はしばらく畳に伏せって立てない。試合後もしばらく涙が止まらなかった。 初戦から父の身ぶり手ぶりによるアドバイスを聞いた。「(父のアドバイスは)わかりやすかった。最後は自分の力のなさが出た」 とうつむいた。父稔彦氏は「大舞台でいろいろ経験ができた。彼にとっては良かった」と話した。 古賀稔彦氏「いろいろ経験」長男颯人準V http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20140320-1273104.html 柔道・全国高校選手権第1日(20日、東京・日本武道館)男女の個人戦計10階級を行い、 男子73キロ級で1992年バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦・環太平洋大教授(46)の 長男、颯人(はやと=愛知・大成高1年)が準優勝。73キロ級決勝で古賀颯人は阿部一二三 (兵庫・神港学園高1年)から先に有効を奪いながら一本負け。「相手は(本来は)66キロ級の 選手なので勝ちたかったけど…」。ガックリと肩を落とした。「相手の方が、いろんな大会で 活躍していて勝ち方の幅が広かった」という父の古賀稔彦氏は、「ウチの子には教訓になる」と 前向きだ。東京五輪での優勝が目標という颯人は、「まずは国内の大会を一つ一つ勝ち 上がりたい」と足下を見つめた。 古賀稔彦の長男・颯人、準優勝も「勝ちたかった」/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20140321/jud14032105060000-n1.html 男子73キロ級では92年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦(46=環太平洋大柔道部総監督)の 長男颯人(16=愛知・大成1年)が準優勝した。 あと1歩で頂点を逃した。73キロ級決勝で、古賀は阿部に逆転の小外刈りを食らった。序盤に小外刈りで有効を奪うなど、 試合を優位に進めていただけに悔しさは募る。数秒間は畳から立ち上がれず、試合後もしばらく涙が止まらなかった。 初戦から父稔彦が試合場のそばで見守る。組み手など身ぶり手ぶりのアドバイスを受け、順調に勝ち上がったが、 決勝で一瞬のすきをつかれた。「父のアドバイスは分かりやすかったが、最後は自分の力のなさが出た」と自らを責めた。 闘志を前面に出した父に比べ、息子にはクールな雰囲気が漂う。父稔彦は「ぼくのときは、もっとけんか腰だった。“ウリャー” とか声を出して、何が何でも勝つとね」と、勝利への貪欲さを求めた。 夢は小川同様に20年東京五輪金メダル。「そのためにもまずは国内で勝ち上がっていかないと」。今日21日は気持ちを 切り替えて団体戦Vを目指す。 古賀Jr颯人は銀 金の父「けんか腰に」 http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20140321-1273278.html 動画見たけど逆転のは大外だろ 俺が見る限り一本には見えないなどう見ても技ありレベルだけどどう思う? 【全日本カデ柔道体重別選手権・73kg級決勝】 古賀颯人(大成高2年)○内股(4:00)△渡邊神威(大成高1年) 古賀氏が実技指導=女子ジュニア世代に「目立て」−柔道 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo& ;k=2014042600301 「世界のトップ目指すなら、目立つ選手になれ」 小柄な体から豪快な一本背負いを繰り出し、「平成の三四郎」の異名を取った男が全日本強化の舞台に戻ってきた。 1992年バルセロナ五輪71キロ級で金メダルを獲得し、世界選手権を3度制した。指導者としても、2004年のアテネ五輪で まな弟子の谷本歩実を金メダリストへと導き、斉藤仁強化委員長が「柔道界のカリスマ」と言い切るほどの存在だ。 2020年東京五輪を6年後に控え、この春、全日本柔道連盟の女子担当の強化委員に就任した。4月26日に味の素 ナショナルトレーニングセンター(東京都北区)で行われた全日本女子ジュニアの強化合宿に姿を見せ、6年後のホープたちを 前に熱弁を振るった。 披露したエピソードは、バルセロナの栄光ではなかった。その4年前、3回戦で敗退したソウル五輪での敗因についてだった。 「当時は自分の欠点を認めたくなかった」。その結果、目をそらしてきた苦手の左組み手の選手に五輪の舞台で敗れた。 帰国後、試合直後に観客席で頭を下げていた両親の姿がテレビに映し出されているのをみて、打ちひしがれたという。 人生の転換期に「五輪でチャンピオンになるには、心・技・体で弱点を克服していかなければならない」と誓った。 持論は「主役は選手」。質問を促しても手を挙げない選手に「みんな平等という時代に育ったかもしれないが、世界のトップに 立ちたいのなら、目立つ選手になれ」と説いた。 自分よりも30歳も若い「東京五輪世代」に熱い気持ちでぶつかっていく。 古賀稔彦さん(46) 全柔連女子担当強化委員に就任 http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140508/mrt14050808520001-n1.htm 金鷲旗での古賀の息子の試合が つべにあがってたので見たが 反則負けしてるのな 相手の修徳が強いのと 連戦の疲労があるのはわかるが 世界狙うのにこれはまずいだろ 負けるにしてもダメな負け方 攻めて一本負けした方がまだマシ インターハイまでに直ってるといいんだが 8月25日からロシア・チェリャビンスクで柔道の世界選手権が開催される。男女合わせて金メダル1個のみに終わった ロンドン五輪から2年、昨年の同選手権で金3つを獲得し、復調気配をみせた日本柔道がその流れを、さらに加速させられるかが 焦点となる。この春、全日本柔道連盟では体制強化へ2人の金メダリストを強化委員に任命した。バルセロナ五輪で男子71キロ級 を制した古賀稔彦氏と、同78キロ級で優勝した吉田秀彦氏だ。古賀氏は女子、吉田氏は男子を担当する。道場「古賀塾」で 10年以上にわたってジュニアを中心に指導し、現在はIPU環太平洋大学女子柔道部の総監督も務める古賀氏に、二宮清純が お家芸復活に必要な要素を訊いた。 二宮: ロンドン五輪での不振や、その後の指導中の暴力問題もあり、「日本柔道の危機」との声を数多く耳にします。古賀さん 自身はどう感じていますか。 古賀: 柔道自体のレベルでいえば、僕は昔より確実に日本も上がってきていると思いますよ。だけど、それと試合に勝てるか どうかは違う。特に大きな舞台で戦うときに、日本の選手は自らを表現する力が足りないと思うんです。海外の選手たちからは、 「オレの柔道はこうなんだ。オレを見てくれ、評価してくれ」というものが見ていて伝わってくる。でも日本の20代の選手たちは、 まじめで一生懸命なんだけど、自己主張が不足してますね。 二宮: いい意味で、「自分がナンバーワンでオンリーワンだ」という気持ちがないと大事な試合では勝てないと? 古賀: そうですね。練習も静かで淡々とやっているだけ。集合をかけても皆、返事もせず、黙って集まるんです。そういうところ からも気迫を感じない。だから、試合で負けているのに、何とか挽回しようとする姿勢が見えないんです。こんな状態だと、 いくら練習で技を磨いても、それを一発勝負の本番で出し切るのは難しいのではないでしょうか。 二宮: 五輪で3連覇を果たした野村忠宏さんは、試合前、鏡を見て戦う目をしているかを確かめて畳に上がっていたといいます。 ロンドン五輪で唯一の金メダルを獲得した松本薫選手も“野獣のような目”が話題になりました。ただ、近年の選手は全般的に おとなしい印象を受けます。 古賀: まぁ、これは時代背景もあるでしょうね。「感情を表に出してぶつかりあうのはカッコ悪い。みんなで仲良く楽しくやりたい」と いう若者の意識が選手にも影響を与えている。学生柔道を見ていても、これから戦う相手なのに、普通に会話しているから ビックリします。試合後も負けたのに、その選手と話をする。互いに傷つかないようにしているみたいに映りますね。 二宮: 勝つか負けるかの世界なのに、馴れ合いが生じていると? 古賀: いくら科学的トレーニングが発達したり、ビデオで相手を研究する技術が上がっても、「何が何でも勝つ」という気力なしに 世界では勝てません。ライバル選手がケガしたら、心の中では喜んじゃうくらいの勝ち気がなければトップには立てない。僕なんか、 自分が勝つためだったら、他の階級では日本人が負けたっていいと思っていましたからね(笑)。 二宮: そこまで思っていたんですか! 古賀: あまり日本人が勝ち過ぎると、審判も無意識のうちに、「簡単に金メダルを獲らせるな」と日本人に対して判定が辛くなる。 勝手な思い込みかもしれませんけど、それなら他の日本人は負けてくれたほうがいい。自分に不利な要素はひとつでも少ない 方がいいですからね。 二宮: 柔道は最終的には1対1の勝負です。最近の代表は全員で他の選手を応援したり、仲がいい。一体感があるといえば 聞こえはいいですが、もっと自分が勝つことだけに集中するような選手がいてもいい、というわけですね。 古賀: 1匹狼が少なくなりましたね。皆と群れで動いていると安心ですけど、畳の上では誰も助けてくれない。最終的に勝負で 勝つのは1匹狼なんです。でも、今の社会ではそういう1匹狼的な存在は認めらない。“室内犬”ばかりが集められている 感じがします。 二宮: チームジャパンでサポート体制も充実していることが、そのまま個々の能力を高めているとは言えない面もあると? 古賀: はい。最近の代表はすごいですよ。相手の特徴を研究して映像でまとめるだけでなく、選手の心を奮い立たせるイメージ ビデオまでつくるんです。その選手が試合前に見たら気持ちが高ぶるような内容で、合宿中から練習で頑張っている姿をずっと 撮影している。それに結構な予算を使っているんですよ(苦笑)。少々、過保護なのは否めませんね。 二宮: なるほど。だから室内犬というわけですね。 古賀: 餌から何から与えすぎてしまって、自分たちで獲物を捕ってこようという野性味が薄れてしまっています。これでは勝つ ためには何をすべきか、自分で考えて行動する習慣がつかない。だから、皆、まじめで一生懸命なんだけど、個性が出て こないんです。 二宮: その個性をいかに引き出せるかが指導者には求められていると? 古賀: そうですね。ただ、最近は指導者も無難にやろうとしすぎる傾向があります。昔のように厳しくとも、ひとつの技を徹底して 叩き込むという師弟関係はなかなか生まれてこない。強烈な先生がいて、その下で技を極めて強くなるというより、学校や企業が いい選手を集めているから強いだけという感じになってしまっています。 二宮: 古賀さんには強化委員として、ぜひ代表選手の個性を引っ張り出してほしいものです。 古賀: でも代表のコーチ陣も、それぞれの所属先の指導者もいる。むやみに口出しすると、かえって選手は迷惑に感じるでしょう。 これは柔道界全体の問題ですが、代表のコーチ陣も皆、所属先がある。だから、他所属の代表選手を指導するのは、どうしても 遠慮してしまうんです。 柔道・古賀稔彦、お家芸復活に“過保護”は禁物 http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin02/article.php?storyid=8344 二宮: 本来は代表監督やコーチ陣は全柔連の専属で、代表の指導に専念すべきでしょうね。 古賀: そうなんです。もし代表に本腰を入れて指導するなら、無所属になって全員を平等に見る立場にならないといけないでしょう。 その上で、選手と信頼関係を築き、一歩も二歩も踏み込んで個性を引きずり出すつもりで取り組むことが求められるでしょうね。 今月10日に行われた関東中学校柔道大会で女子個人の部52キロ級に出場し、3位入賞。しかし県大会優勝の活躍ですでに 全国への切符は手にしていた。「悔しくないわけじゃないけど、すぐに気持ちを切り替えることが出来た。全国大会に向けて 自分の弱みや補強しなければならないことが分かって良かった」とあくまでも先を見据える。 〇…父はバルセロナオリンピック 金メダリストの古賀稔彦さん。幼い頃から二人の兄と高津区の父の道場に通い手ほどきを受けた。「最初は遊びの延長で 始めたけど、いつの間にか本気になっていた」と話す。怪我をした時も稽古をしたくて仕方がなくなる程に柔道に打ち込んだ。 小学5年生の時に初めての全国大会に出場。相手の出方を瞬時に判断し、一つ一つの試合で柔軟に型を変えていく プレイスタイルが持ち味だ。普段は家族間で柔道の話はしないというが「父も兄も時間が合えば大会を見に来てくれる。 次の全国には二番目の兄が応援に来てくれるかも」と嬉しそうに笑う。 スポーツ全般が得意で、好きな教科は体育。「運動会は張り切る方。小学生の時は応援団長もやった」と話す。一方で暇な時は ミサンガやマスコット作りなどハンドメイドに熱中する一面も。「何か作ろうと思ったら一気にはまるタイプ。家庭科の時間にエプロン に刺繍を入れていると、友達から『え、意外と裁縫上手いじゃん』と驚かれたりして嬉しい」とはにかんだ。また、休みの日は家族で 出かけるのも楽しみの一つ。「父と母とデパートに行ったりしてます。父は優しくておもしろい人」 昨年は全国大会出場を逃し、中学では自身初の全国大会出場となる。今年は昨年のリベンジとなるが、気負いはない。 「自分はまだ2年生だし、無心でとにかくぶつかっていきたい。関東大会での経験を活かして、組み手の一つ一つをしっかり 意識して頑張りたい」と意気込む。 古賀 ひよりさん 高津区在住 13歳 http://www.townnews.co.jp/0204/2014/08/22/248642.html >>70 久しぶりに古賀さんのこの動画を見ようと思ったら、著作権侵害とやらで削除されていた! 9月まではあったらしくて、再生回数は460万回! 削除申請したのは映像会社らしいが、無粋なこをするやつもいるもんだ。 http://blog.livedoor.jp/nhbnews/archives/52396909.html 2014年09月17日 【伝統競技 / 武道】 柔道金メダリスト古賀稔彦さんの動画が国際的に人気あつめ再生 460 万回ーブラジル人が作成か < オカマエタイ バルセロナ五輪の柔道金メダリストである古賀稔彦氏を称える動画が、YouTube 上で人気を博している。再生回数は460万回を突破し、古賀氏との試合経験がある選手もコメントを寄せている。 7分間におよぶ動画の作成者はブラジル人で、コメントを寄せたのはロシア人とみられており、「柔道が国際化したことのあらわれ。古い選手でもこうやって動画が作られることは評価したい(柔道ファン)」と評判も上々だ。 【ソース】Toshihiko Koga - Judo - YouTube > The Perfection of Japanese Judo, Your name: Toshihiko Koga > Montage From Brazil 【和訳】日本柔道の達人、その名は古賀稔彦…ブラジルから動画まとめです。 > Alexei Lesukov 1 週間前 > I fought Koga in the ealy 80s, he was a BEAST!! > Once he grip and turned, game over!! > Very humble guy, much RESPECT to him from Russia with love. 【和訳】アレクセイ・レスコフ「ぼくは1980年代初頭に古賀と試合したよ。彼は化け物だった!彼に掴まれたと思った瞬間ぼくは投げられていた、試合終了さ!!とても謙虚な男だった。ロシアから敬愛を込めて」 「平成の三四郎」の異名をとり、五輪などで活躍した柔道家の古賀稔彦さんは12日、福島市の渡利中で「一本にこだわった男」 と題して講演し、生徒たちに挑戦や感謝することの大切さを熱く語り掛けた。 古賀さんは1992(平成4)年のバルセロナ五輪柔道男子71キロ級の金メダリスト。現役引退後は後進の育成に取り組んでいる。 豊富な経験から、たくましく生きるヒントを得ようと、同校関係者が古賀さんを講師に招いた。 生徒や保護者、教諭ら約500人が聴講した。柔道着で登場した古賀さんは、小学生の時に初めての柔道練習試合で 「あっという間に」負けたエピソードを披露した。 悔しさから、近所の神社の階段で走り込みをした経験などを紹介し「夢と同じ重さの努力をしてほしい。たとえ夢が破れたとしても、 挑戦した体験は次の夢に向かう力になる」と訴えた。 プレッシャーとの向き合い方も説明。生徒同士がおんぶする体験を行い、「人のために何かをすると、いつも以上の力が出る。 感謝する心が大切。人の期待を背負うことから逃げてはいけない」と、一本背負いが得意の古賀さんらしいエールを送った。 「夢と同じ重さの努力を」 渡利中で柔道家・古賀さんが講演 http://www.minyu-net.com/news/topic/141113/topic5.html 柔道の全国高校選手権初日、1992年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダリスト、古賀稔彦環太平洋大教授の次男、 玄暉(げんき、愛知・大成1年)が60キロ級を制した。 注目のジュニアが結果を出した。「緊張した」という1回戦を指導1つの差で勝ち上がると、2回戦は得意の大内刈りで一本勝ち。 3回戦は片羽絞めで相手を落として快勝した。ただ、その3回戦から「両手の指と両腕がつった」という。 しっかりつかむ、本来の自分の柔道をできなくなったが、マッサージをしてくれた父の「つっても出し切るしかない」という激励に応え、 準決勝は小外刈りで一本勝ち。決勝も攻めの姿勢で相手に指導1つを与えて勝ちきり、「自分の柔道がうまくできない中でも、得意の 小内刈りを使えてよかった」と満足そうに話した。 父の道場で本格的に柔道を始めたのは幼稚園のころ。中学で親元を離れたのは、父や、1歳上の兄、颯人と同じだ。 小学校時代は目立った成績を残せず、「中学に入ったころは、得意技もなく、気持ちだけで柔道をやっていた」と玄暉。だが、 愛知・大成中3年で全国中学大会(全中)55キロ級を制した。「性格的に上に向かう気持ちが強い。強くなりたい、勝ちたいという 気持ち、挑戦への意欲から、彼が自分で今のスタイルを作り上げてきた」というのは稔彦氏。この日の試合も「その(勝ちたいという) 気持ちが出た、1年生だからできた試合でしょう。このまま、上だけを見てやってほしい」と期待をかける。 兄は「ライバルみたいな感じ」。同じ大会に出て、自分が成績で上回ったのは今回が初めてだという。その兄と2人で五輪に出て、 優勝するのが将来の夢。「そこまでの大会を、一歩一歩、優勝していきたい」。偉大な父と同じ、金色のメダルを目指して「暉」きを 増していく。 高校選手権Vの古賀玄暉、父・稔彦氏のマッサージ&激励に発奮 http://www.sanspo.com/sports/news/20150320/jud15032019190002-n1.html 全国高校選手権第1日(20日、東京・日本武道館)古賀兄弟は明暗が分かれた。弟の玄暉は3回戦で両手の指を動かす筋肉がつり、 満足に組むことができなかったが、稔彦氏が試合の合間にマッサージを施してくれたという。耐え抜いて頂点に立ち「1回戦から緊張した けどうれしい」と笑顔を浮かべた。 一方、兄の颯人は延長の末、9分50秒に及んだ決勝で敗れ「きついところで追い込んでやってきたが、まだ足りない」と涙が 止まらなかった。息子たちの奮闘に父は「玄暉は上にいく気持ちを持っているし、颯人は取り組みがまじめ」とねぎらった。 明暗分かれた古賀兄弟、稔彦氏は息子たちの奮闘ねぎらう/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20150320/jud15032019550004-n1.html 口を真一文字に結んだ兄の表情が強烈な印象を残した。 男女計10階級の決勝で、最も白熱した戦いとなったのは男子73キロ級。その戦いで敗れたのは、92年バルセロナ五輪 男子71キロ級金メダルの古賀稔彦(47=環太平洋大柔道部監督)の長男颯人(はやと、17=愛知・大成2年)だった。 対峙(たいじ)したのは、小学校時代からのライバル立川新(17=愛媛・新田2年)。けんか四つの組み手から、互いに技の タイミングを見計らう展開は、延長戦へと突入した。削られる体力に技のキレ味も落ちて決め手は欠くが、気力を振り絞る両者。 審判が「待て」をかけ、道着の乱れを直すように注意する度に、指導を予感した観客がざわめく。そして、そのまま「始め」の声が かかると、再び大歓声が起こる。 最後は9分50秒。立川の足技を嫌がって畳外に下がった古賀に無情の指導。「最後まで気持ちをつなげなかった。信じたくなかった」 と目頭を熱くする古賀。「試合中も弟が勝っていて、ここで負けていられないと思ったんですけど…。最後は指導で…」。心を占めていた のは、弟の玄暉(16=愛知・大成1年)の事だった。兄の試合の前に行われた男子60キロ級の決勝で、菅原大斗(新潟・豊英2年) に指導の差で優勢勝ち。兄弟でのアベックVを直前にしながら、あとわずかで届かなかった自分を情けなく感じていた。 そして、ここからが「試練」でもあった。各階級の入賞者が集った表彰式後、注目は古賀兄弟に集まった。金メダリストの息子2人の 活躍。当然注目は集まる。だが、負けて準優勝、しかも2年連続の2位に、颯人に喜びはみじんもなかった。それでも、答えなければ ならない。全国大会とはいえ、高校生の大会。きっと、金メダリストの息子でなければありえない状況だろう。しかも、隣には優勝した 弟がいた。 父稔彦さんは2人について、「弟が上に向かう気持ちが強い。お兄ちゃんはもう一踏ん張り、貪欲になれるところがあるかな。 自分で何をすればいいか考えるところが必要です」と愛情を込めて話す。兄弟にありがちだが、兄は面倒見が良く真面目。 弟は我が強く、良い意味でやんちゃ。古賀家でも同じだった。 だから、兄は負けた直後にかかわらず、しっかりと「真面目」に取材に応じ、弟の優勝を祝いながらも、その横で口を真一文字に 結んでいたのだろう。「一緒に優勝したかったので悔しい」と話す弟以上に、悔しかったに違いない。 20年東京五輪で一緒に金メダルをつかむ。目標は同じ。それだけに、今後も2人で取材を受ける機会は増えるはずだ。 普段は「お前の方が弱い」「オレの方が強い」と言い合いながら切磋琢磨(せっさたくま)する仲が良い兄弟。この日、多くの 報道陣に囲まれるなかで、それぞれ何を感じただろうか。 父稔彦さんが兄に求める「貪欲さ」。それを生むための1つのきっかけにできるかどうか。5年後、同じ日本武道館で行われる 20年東京五輪の柔道で、もし古賀颯人が悔しさとは違う表情をみせていたなら、ぜひ聞いてみたい。「15年の全国高校柔道の時に、 弟の横で取材に答えた経験は、いまにつながっていますか?」と。 古賀兄弟アベックVならず 全国高校柔道 http://www.nikkansports.com/sports/news/1449620.html 柔道の第37回全国高校選手権第1日は20日、東京・日本武道館で個人戦の男女各5階級が行われ、 男子60キロ級は1992年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦さんの次男の古賀玄暉(愛知・大成)が優勝した。 同73キロ級は長男の古賀颯人(同)が決勝で立川新(愛媛・新田)に敗れ、兄弟そろっての優勝はならなかった。 無差別級の男子は太田彪雅(栃木・白鴎大足利)、女子は荒谷莉佳子(東京・帝京)が制覇。女子63キロ級は昨秋の 講道館杯を制した嶺井美穂(神奈川・桐蔭学園)が優勝した。 古賀玄暉が男子60キロ級制覇=全国高校柔道 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo& ;k=2015032000860 柔道・全国高校選手権第1日(20日・日本武道館)――男子60キロ級で、バルセロナ五輪71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんの 次男、玄暉(げんき)(愛知・大成)が優勝。 同無差別は太田彪雅(ひょうが)(栃木・白鴎大足利)が制した。女子63キロ級は、昨年の講道館杯全日本体重別選手権を制した 嶺井美穂(神奈川・桐蔭学園)が貫禄勝ちした。 古賀稔彦さんの次男が高校柔道60キロ級で優勝 http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20150320-OYT1T50126.html 自分で金、指導者でも金、その次の夢は? 柔道の全国高校選手権は20日、東京・日本武道館で個人戦男女計10階級が行われ、92年バルセロナ五輪男子71キロ級 金メダリストの古賀稔彦さん(47)の息子2人が出場した。 まずは男子60キロ級の決勝に次男・玄暉が登場。いてもたってもいられない父親の心境だったのだろう。それまでおとなしく 座っていた古賀さんは来賓席の後方に立ち、じっと試合を見つめた。 「3回戦から指と肩がつって自分の柔道ができない状態だった」という玄暉には、決勝前にマッサージを施し「最後は手がつっても 力を出し切るしかないぞ」と声をかけて送り出した。その言葉に応えるように、玄暉は開始から攻め手を緩めず、指導1の差で優勝 をもぎ取った。直後の73キロ級決勝は長男・颯人(はやと、同2年)の出番だった。しかし9分50秒に及んだ延長戦でこちらは惜敗。 颯人は「弟と一緒に優勝するつもりだったけど最後で甘さが出た」と2年連続の準優勝に悔し涙を浮かべた。 2人は古賀さんの主宰する古賀塾で柔道を始めたが、小学校卒業とともに親元を離れた。「小学生時代から自分で考え、 自分で戦っていく環境を整えてあげたかった。理にかなった組み手、技さえ教えておけば、その柔道は自然と伸びていくはず」。 古賀さんは自らの経験と哲学に基づき、息子たちを手元に残すことはしなかった。玄暉は「父には組み手のことを小学生の頃から 習っていて、それが中学、高校で自分のパターンになっている」と語っており、金メダリストが仕込んだ基礎は狙い通りに息子たちの 柔道の血肉となっているようだ。 「五輪で優勝するのが夢」という玄暉。バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリストでプロレスラーの小川直也の長男・雄勢も 高校王者として今春から明大に進学予定。20年東京五輪世代には楽しみな2世選手がそろっている。「自分で金メダルを取って、 コーチとしても教え子(04年アテネ、08年北京五輪の谷本歩実)が金メダルを取った。個人的な欲を言えば、五輪に関しては 子供たちしか残ってない」と笑いながら語る古賀さん。“息子でも金”の夢はいつの日か叶うだろうか。 “平成の三四郎”古賀稔彦氏の次の夢…“息子でも金” http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/03/20/kiji/K20150320010021000.html 柔道の全国高校選手権第1日は20日、東京・日本武道館で男女個人の5階級が行われ、男子60キロ級は古賀玄暉(げんき、 愛知・大成1年)が決勝で菅原大斗(新潟・豊栄2年)に優勢勝ちし、初優勝した。玄暉は1992年バルセロナ五輪71キロ級で 優勝した古賀稔彦さん(47)の次男。長男の颯人(はやと、大成2年)は73キロ級決勝で立川新(愛媛・新田2年)に延長戦の末に 反則負けし、兄弟で明暗が分かれた。 「平成の三四郎」と呼ばれた古賀稔彦さんの次男、玄暉が初の高校日本一をつかんだ。父のような豪快な一本背負いはないものの、 決勝では得意技の小内刈りを粘り強く繰り出して指導1つの優勢勝ち。全国の舞台は高校に入学してこれが初めてだったが、 強気に攻める柔道で重圧をはね返した。 「途中から手がつって自分の柔道ができなくなったが、自分の技を出し続けようと心掛けた。反省点はあったけれど、 優勝できたので一本勝ちでなくてもうれしいです」 3回戦で相手を片羽絞めで下した際、突然両手のひらと指がつる違和感に襲われた。このままでは柔道着をつかめず、 組み合えなくなる大ピンチ。窮地を救ったのは観戦に訪れた父だった。すぐさま玄暉に駆け寄り、マッサージで両手を もみほぐしてくれた。その時に「手がつってても力を出し切るしかないんだぞ」とかけられた言葉が、前に出る柔道の原動力となった。 川崎市生まれだが、中学から愛知の名門・大成へ進んだ。稔彦さんの東京・世田谷学園高時代の1年後輩が大成高の監督を 務めていることから、柔道留学。玄暉は「本当はお兄ちゃんと一緒の最初の大会で優勝できたら一番だったんですが、 次にインターハイ(高校総体)もありますから。2回目は絶対に一緒に優勝したい」と兄弟アベックVを誓う。1歳違いの兄弟が 将来目指すのは、もちろん2020年東京五輪でのアベック金メダルだ。 稔彦さんも「金メダルは僕自身が取っているし、コーチとして教え子も取っている。となると、あとは息子だけですからね」と 大きな期待をかける。そのためには稽古あるのみ。「兄弟そろって同じ高校にいることで、お互い負けられないと競う相乗効果が 出始めている。このまま切磋琢磨(せっさたくま)して、さらに成長してくれれば」という父の願いを胸に、玄暉はさらなる高みを目指す。 古賀ジュニアが快進撃 http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2015032102000194.html 「古賀兄弟」が会場を沸かせた。92年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦氏(47=環太平洋大柔道部総監督)の 次男玄暉(げんき、16=愛知・大成1年)が、男子60キロ級で初優勝。73キロ級では長男颯人(はやと、17=愛知・大成2年)が 惜しくも準優勝に終わったが、決勝では延長戦を含め約13分の熱戦を繰り広げた。20年東京五輪で2つの金メダルを掲げるため、 切磋琢磨(せっさたくま)で頂上を目指す。 古賀の遺伝子が躍動した。まずは弟の玄暉。3回戦から緊張で両手がつる窮地にも動じない。「先に拳を握ると開かなくなってしまう」 と、決勝でもパーの形に広げてから道着をつかむ巧みさで、積極的に前に出る。中盤に相手に指導。逃げ切り勝ちすると、視線を 次の試合に向けた。 登場したのは兄の颯人。互いに技の好機を探り合う展開は延長戦へ。審判から「待て」がかかるたびに会場にはどよめきが起きる。 最後は延長9分50秒。足技を嫌って畳外に下がった颯人に指導。昨年大会、高校総体に続く決勝3連敗に「弟が勝っていた。 負けられないと思った…」と号泣したが、奮闘した。 弟のつった手をマッサージし、兄には組み手を助言した父稔彦氏は、「弟は上に向かう立場で、自分の力を出しやすい。 兄貴はもう一踏ん張りかな」と見守った。2人には1度も柔道を強制したことはない。代名詞の一本背負いも相伝せず、個性を重視。 兄は内股、弟は小内刈りが武器。2人とも小学校卒業とともに神奈川県内の実家を出て、愛知県へ。最近ではメールで兄からは プロテインをおねだりされ「今年から主将だし、意識が変わってきたかな」。弟は「おしゃれグッズが多い」と苦笑しながら、 将来を楽しみにする。 「一緒に優勝できなくて悔しい」。弟が険しい顔で話す横で、兄は口を真一文字に結び、それ以上の悔しさをあらわにしていた。 目標は20年東京五輪で、一緒に優勝すること。家族で3つの金メダルへ、共闘は続く。 古賀最強兄弟 弟玄暉初V 兄颯人準V http://www.nikkansports.com/sports/news/1449766.html 最終日の団体戦を行い、男子(勝ち抜き試合)は国士舘(東京)が大成(愛知)を2人残しで下し、5年ぶり8度目の優勝を果たした。 国士舘は中堅・飯田健太郎(1年、初段、97キロ)が活躍。186センチの長身を生かして大成中堅・並木泰雅(2年)に優勢勝ちすると、 同副将・古賀颯人(はやと、2年=古賀稔彦氏長男)に大腰で一本勝ち。同大将・神鳥剛(2年)に引き分けた。飯田は男子最優秀選手 にも選ばれた。 古賀に一本勝ちの飯田は「決勝まで1試合しか出番がなかった。奥(襟)を取る練習をしてきたが、良いところが取れた」と笑顔を 見せた。国士舘は大将・山田伊織(2年)が団体戦最後まで出番なし。圧倒的強さでの全国制覇となった。 女子(点取り試合)は埼玉栄(埼玉)が1−0で大成(愛知)に勝ち、2年連続5度目の優勝を飾った。 古賀Jr.投げた!国士舘・飯田が男子MVP http://www.nikkansports.com/sports/news/1450065.html 畳の上に立つと、切れ長の目が鋭く光る。古賀颯人(17、愛知・大成高)は「柔道ニッポン」の復権を担う期待の若手の一人だ。 父は「平成の三四郎」といわれ、1992年バルセロナ五輪で金メダルを獲得した古賀稔彦氏。偉大な父の背中を追って、2020年 東京五輪での金メダルを夢見ている。 強豪校で鍛錬、内股が最大の武器 父と同じ五輪金メダルを目指す 柔道の強豪校で知られる大成高を訪ねると、柔道場で古賀が技の打ち込み練習をしていた。「シュッ、シュッ」。技を掛ける足と畳の 擦れ合う音がする。切れ味の鋭い内股が17歳の最大の武器だ。 古賀が柔道を始めたのは幼稚園のころ。「強くなろうという意識はなく、親が柔道をしていたので遊び感覚でやっていたら、いつの 間にか試合にも出られるようになっていた」と振り返る。 「柔道って頑張ったら、頑張った分だけ結果に出る。そこが楽しい。そして体が大きければ、勝てるというわけでもない。小さな選手が 大きな選手を投げ飛ばすと、見ている方も気持ちいい」 そんな柔道の魅力にとりつかれた古賀は、父の指導を受けてめきめきと上達。09年には全国小学生学年別大会の6年生の部 50キロ級で優勝した。父の現役時代の代名詞といえば一本背負い。だが、「それを無理やりに教えられることはなく、自分の体に 合った技を丁寧に教えてくれた。だから教えてもらうことが楽しかったし、どんどん吸収できた」という。 ケガに打ち勝ち頂点の父を尊敬 そんな父との思い出は、小学校高学年のときにほぼ毎朝一緒に走っていたこと。「家から2〜3キロ離れたところまで走って、そこに あった200〜300段の階段を10往復、それからまた2〜3キロ走って家に帰っていた」。稔彦氏も幼少の頃、近くの神社の階段を 何往復もしていたのは有名な話。強じんな足腰は、親子2代にわたって同様の方法で鍛えられた。 父が金メダルをとったときのことは、生まれる前のことなので知るよしもない。だが、柔道を知るにつれ、父の偉大さが分かってきた。 「ビデオとかを見ると、一本背負いだけではなく、ほかの技のキレもすごい。映像を見ながら、どういうふうにやったらいいのか研究して いる」。そして、何よりも感銘を受けたのは左膝のケガに苦しみながらも五輪の舞台で頂点に立ったこと。「普通なら負けても仕方ない と思ってしまうが、心が折れずに体の大きな選手にも真っ向から立ち向かっていった。痛かったとは思うが、そんなそぶりをまったく 見せなかった。ものすごいメンタルを持っているんだなと感じた」と語る。 誇りでもあり、大いなる目標でもある父の存在。好きな言葉を聞くと、「決心」という答えが返ってきた。「父もそうだったが、やっぱり戦うときに、 ちゃんとした心を持っていかないと絶対に勝てないと思うので」。柔(やわら)の道は心の道――。だから、きつい練習に耐え、そこからさらにもう 一段の練習を自らに課すことで体とともにくじけぬ気持ちを鍛えてきた。 バランス感覚、父親譲りの天性 大成高で指導する石田輝也監督も古賀の長所をこう指摘する。「一番は柔道に真摯に向き合っていること。努力を惜しまずに頑張れる。 何も言わなくても、自分から率先してやる。みんなの手本になれる存在。リーダーシップもあるし、だから(高3になる)今年は主将を やってもらっている」 もちろん父親譲りの天賦の才能もある。「バランス感覚が卓越している。だから投げられそうになっても、投げられずに踏ん張れる。 これは教えようとして、教えられるものではない。高校生にしては体幹もしっかりしているし、組み力(相手と組んだときの力)もある」 体幹の強さは、背中から生まれているのかもしれない。中学生の全国大会に出場したときのこと。大会終了後にあった体力測定で 「数値は忘れたが、背筋力が全出場選手の中で1番だった」と本人はいう。 バランス感覚や体幹の強さもある 筋肉についても、「『柔らかいが、力を入れると硬くなって強いね』って、よくいわれる」と語る。大相撲の白鵬も、こうした筋肉の持ち主 として知られている。柔らかくて弾力のある筋肉は受け(防御)に強く、力を入れたとき硬くなる筋肉は攻めにも威力を発揮する。十分 に世界を狙える可能性を秘めた逸材。それは多くの関係者も認めるところだ。 高校で「あと一歩」の連続… だが、高校に入ってからは、あと一歩のところで頂点を逃し続けている。昨年3月の高校選手権、8月の高校総体とも個人73キロ級で 決勝まで駒を進めながら準優勝。今年3月20日に行われた高校選手権の個人戦でもやはり決勝に進出したが、立川新(愛媛・新田高) に敗れた。 今年の選手権では、直前の試合で1歳下の弟、玄暉(げんき)が60キロ級で優勝していた。「弟に続こうと思った」という決勝は大激戦。 定められた3分間の試合時間では両者決め手がなく、ゴールデンスコア方式の延長戦へ。延長でも一進一退の攻防が続き、試合時間は 9分50秒にも及んだ。だが、熱戦の幕切れはあっけなかった。相手の圧力に屈した古賀が、自ら場外に出てしまったのだ。すでに3度の 指導を受けていたため、痛恨の反則負け。 「攻められて、そのまま後ろに下がってしまった。去年も決勝戦で負けて(対戦相手は14年南京ユース五輪金メダルを獲得した 兵庫・神港学園神港高の阿部一二三)、それを取り返したいという思いで1年間やってきたが……。最後に気持ちの緩みが 出てしまった。本当に悔しい」と目を真っ赤にした。 稔彦氏「世界を駆け巡る男になれ」 その試合を観戦した稔彦氏は「昔から何度も対戦しているので、相手は当然、颯人の技を封じようとしてくる。自分の柔道を やりきれなかったのが敗因」と話した後でこう続けた。「柔道については基本的に取り組みが真面目で、手を抜くことなくできる。 ただ、正直で裏表がないので、駆け引きの部分で相手のうまさに後れを取ってしまうことがあるかな」 涙をこらえきれない古賀に、石田監督は優しく声をかけた。「柔道はやっぱり気持ちだぞ。苦しいときは、相手も苦しい。それを 乗り越えないと。もう一度、やり直しだ」 颯人という名は「日本で吹いた風は世界でも吹く。世界を駆け巡るような人になってほしい、と思ってつけた」と稔彦氏はいう。 心を鍛えて、世界の舞台へ。現在の苦い思いは将来の糧に。涙の数だけ、強くなる。 「平成の三四郎」2世、偉大な父の背追い頂点へ 柔道・古賀颯人 http://www.nikkei.com/article/DGXMZO85244650T00C15A4000000/ 月額会員制オンラインコミュニティプラットフォーム「athleteclub(アスリート・クラブ)」の月額料金表 五輪金メダリスト・古賀稔彦氏は月額1万円。 http://news.livedoor.com/article/detail/10102291/ 柔道のポーランド・カデ国際は6日、ポーランドのビエルスコビャワで行われ、 1992年バルセロナ五輪金メダルの古賀稔彦氏の次男、古賀玄暉(愛知・大成高)が 男子60キロ級で優勝した。 古賀稔彦氏次男の玄暉が優勝 柔道カデ国際 http://www.nikkansports.com/sports/news/1488857.html 全日本柔道連盟(全柔連)は20、21日に行われる東アジア選手権(三幸・スポーツマックス愛知県武道館)の日本代表を発表し、 男子は1992年バルセロナ五輪金メダルの古賀稔彦氏の長男で73キロ級の古賀颯人、次男で60キロ級の古賀玄暉(ともに愛知・ 大成高)、2012年ロンドン五輪81キロ級代表の中井貴裕(パーク24)ら、女子は昨年の世界ジュニア選手権63キロ級準優勝の 鍋倉那美(愛知・大成高)らが選ばれた。 20日に男女各7階級の個人戦、21日に男女団体戦が行われる。韓国、モンゴルなど9カ国・地域が参加予定。大会は第8回で、 日本開催は初めてとなる。 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/06/08/kiji/K20150608010505820.html 柔道・東アジア選手権第1日(20日・愛知県武道館)――初の日本開催で、韓国など8か国・地域が参加。 男子100キロ超級の岩尾敬太(京葉ガス)ら日本勢が全14階級を制した。 バルセロナ五輪71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんの長男で73キロ級の颯人、60キロ級の次男玄暉(いずれも愛知・ 大成高)は、ともに準優勝。 日本勢が全14階級制す…柔道・東アジア選手権 http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20150620-OYT1T50134.html 柔道の東アジア選手権第1日は20日、三幸・スポーツマックス愛知県武道館で男女各7階級が行われ、 1992年バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦氏の長男で73キロ級の古賀颯人、次男で60キロ級の 古賀玄暉(ともに愛知・大成高)は準優勝だった。 決勝で、17歳の古賀颯は土井健史(ダイコロ)に、16歳の古賀玄は永山竜樹(東海大)にそれぞれ優勢で敗れた。 全階級を日本勢が制し、男子は81キロ級でロンドン五輪代表の中井貴裕(パーク24)、100キロ超級は岩尾敬太(京葉ガス)、 女子は63キロ級のホープ、鍋倉那美(愛知・大成高)らが優勝した。 日本で初開催の第8回大会で韓国、モンゴルなど8カ国・地域が参加。 古賀兄弟は準優勝 東アジア選手権 http://www.sankei.com/sports/news/150620/spo1506200047-n1.html 柔道の東アジア選手権は20日、愛知県武道館で男女各7階級の個人戦が行われ、日本勢が全階級を制した。 1992年バルセロナ五輪金メダルの古賀稔彦さんの長男颯人(愛知・大成高)は男子73キロ級、次男玄暉(同)は 同60キロ級に出場したが、ともに決勝で敗れた。 21日は団体戦が行われる。 日本勢が全階級制す=古賀兄弟は2位−東アジア柔道個人戦 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30& ;k=2015062000323 五輪金メダリストを父に持つ古賀兄弟が、地元愛知で貴重な経験を積んだ。男子60キロ級に出場した次男玄暉は、 決勝で高校の先輩永山(東海大)の胸を借りたが、裏投げで有効を奪われたのが響いた。同73キロ級の長男颯人も 決勝で社会人の土井(ダイコロ)に敗れた。 ただ、弟は「先輩にはいつも一本負けしていたが、きょうはがむしゃらに戦えた」と手応えも。兄も「こういう大会で2人とも 決勝まで進めたのは自信になる」と前向きだった。 戦いを見守った稔彦さんは「今回は兄弟そろって日の丸を着けられた。意欲の増す大会になったと思う」とさらなる成長を 期待していた。 古賀兄弟、貴重な経験=東アジア柔道個人戦 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30& ;k=2015062000324 古賀ジュニアの“日の丸デビュー戦”はそろって準優勝だった。柔道の東アジア選手権が20日、名古屋市内で行われ、 男子73キロ級の長男・颯人(はやと、愛知・大成高3年)は、決勝で社会人の土井健史に巴投げで有効を奪われ、優勢負けした。 次男・玄暉(げんき、愛知・大成高2年)は決勝で東海大1年の永山竜樹に裏投げで有効を取られ、優勝を逃した。 兄は「決勝に行けたのは自信になる」と語り、弟も「思ったより自分の柔道ができた」と前向きだった。観戦したバルセロナ五輪 男子71キロ級金メダリストの父・稔彦氏(47=環太平洋大総監督)は「日の丸を付け、もっとやらないといけないと感じたはず」と 飛躍を期待した。 古賀Jr“日の丸デビュー戦”そろって準優勝も前向き http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/06/21/kiji/K20150621010579280.html 柔道・東アジア選手権第1日(20日、三幸・スポーツマックス愛知県武道館)韓国、モンゴルなど8カ国・地域が参加して男女 各7階級が行われ、1992年バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦氏の長男で73キロ級の古賀颯人(はやと、17)、次男で 60キロ級の古賀玄暉(げんき、16)=ともに愛知・大成高=は準優勝だった。全階級を日本勢が制した。 豪快な投げ技で「平成の三四郎」と呼ばれた父の遺伝子を受け継ぐ2人が、初のシニア大会で躍動。優勝こそ逃したが、 課題とともに収穫を得た。「挑戦者の気持ちで海外選手と初めて闘い、得意技で勝てた」と73キロ級の古賀颯。厳しい表情で 見守っていた父は試合後、「初めて兄弟そろって日の丸をつけた。いい経験だし、意欲も増すだろう」と柔和な笑みを浮かべた。 古賀稔彦Jr.ともに準Vも父満足「いい経験」/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20150621/jud15062105010001-n1.html 古賀兄弟のアベックVはならなかった。 92年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦氏の長男で男子73キロ級の颯人(はやと)と同じくシニア大会初出場と なった男子60キロ級の次男玄暉(げんき)は、決勝で敗れた。今年初黒星、兄と同じ準優勝に悔しさもあるが、「これまで4戦4敗で 一本負けしていた相手。次につながる」と手応えもつかんだ様子だった。 古賀玄暉 準優勝も「次につながる」 http://www.nikkansports.com/sports/news/1495509.html 20年東京五輪に期待がかかる柔道界のサラブレッドが、父と同じ道を歩む。92年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦氏 の長男で男子73キロ級の颯人(はやと、17=愛知・大成高)が、来春の入学を目指して日体大を受験する。20日に愛知県内で 開かれた東アジア選手権の会場で「父と同じところで強くなるのも良いかな」と述べた。稔彦氏は同大に在学中の88年にソウル五輪 に出場した。 「平成の三四郎」と呼ばれた父から受け継がれたDNAは、確実に成長を刻んでいる。昨年の高校総体、3月の全国高校柔道では2位。 頂点にはわずかに届かないが、得意の内股を武器に成績を残してきた。 この日は決勝で4月の全日本選抜体重別2位の土井に優勢勝ちを許したが、初のシニア大会、そして初めて父と同じ日の丸を背負った。 「父の写真などでは見ていましたが、いざ着ると違う思いがある」。稔彦氏も「本人の意欲になったのでは。プレッシャーを力に変えてほしい」 と1つの転機となることを望んだ。 124年の歴史を誇る日本最古の体育専門学校である日体大。20年東京五輪では70人の代表選手輩出を目指す。卒業生の中でも屈指の 柔道家の息子への期待も大きい。「1つ1つ優勝していけば、東京も見えてくる」。日の丸を背負う回数を重ね、いずれは父と同じ世界の頂点へ。 古賀颯人(こが・はやと)1997年(平9)9月13日、川崎市生まれ。自宅が柔道場だったため、幼少期から競技に触れる。4歳から本格的に始め、 大成中では12年全国中学生大会優勝、大成高では14年高校総体2位など。命名理由は「風という漢字が好きだった。日本で吹く風は 世界でも吹く。世界を巡る人になってほしい」(稔彦氏)。174センチ、73キロ。 古賀颯人が父稔彦氏と同じ日体大受験へ http://www.nikkansports.com/sports/news/1495508.html 5階級による体重別の団体戦が行われ、日本が男女とも優勝した。男子は4カ国・地域によるリーグ戦で、日本はモンゴル、韓国、 台湾に全て5−0の3連勝。92年バルセロナ五輪覇者の古賀稔彦氏の長男で73キロ級の17歳、古賀颯人(はやと=愛知・大成高)は 2戦2勝で貢献した。次男の16歳、古賀玄暉(げんき=愛知・大成高)は60キロ級が実施階級ではないため出場しなかった。 女子は5カ国・地域が参加し、63キロ級優勝の鍋倉那美(愛知・大成高)らを擁する日本は決勝で韓国を5−0と圧倒した。 20日の個人戦で準優勝だった73キロ級の古賀颯は2戦2勝。モンゴル選手を鮮やかな内股で仕留め、韓国選手には指導2を 引き出して優勢勝ちした。金メダルを手に「海外の選手は日本人と組み方や技が違った。すごくいい経験をさせていただいた。 これから役に立つと思う」。若手にとっては5年後の東京五輪以降が目標となる。井上監督は「颯人にはモンゴル人のスタイルを 早く体験させたかった。同時に課題も見つかって良かった」と大会の意義を見いだしていた。 古賀颯人が2戦2勝「すごくいい経験」 http://www.nikkansports.com/sports/news/1495966.html 柔道男子60キロ級で五輪3連覇の実績を持つ野村忠宏(ミキハウス)は22日、7段に昇段したことを自身の ホームページで明らかにした。講道館から4月30日付で認められた。40歳での7段昇段は異例の若さで 「柔道家として今後とも精進します」とコメントした。 講道館によると7段は33歳以上に限られ、今年上がった271人は平均62歳で野村が最年少という。 膝や肩を痛めて実戦から2年近く離れているものの、現役選手としても極めてまれ。 五輪金メダリストでは今回、環太平洋大の古賀稔彦総監督が47歳で8段、旭化成の中村兼三監督が41歳で7段となった。 形の試験や選手、指導者としての実績などで評定された。 【柔道】野村「今後とも精進」異例の若さで7段昇段 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20150622-OHT1T50132.html 柔道の1992年バルセロナ五輪71キロ級金メダリスト、古賀稔彦氏(47)の愛息たちが存在感を増している。 長男の颯人(はやと、17)=愛知・大成高3年=と次男の玄暉(げんき、16)=同2年=の2人だ。初めて出場した シニアの国際大会でともに準優勝し、「目の前の試合を一つ一つ勝っていき、2020年の東京五輪で金メダルを取りたい」と 父に続く夢を語る。 2人は初めて日本代表に選出され、20、21日に名古屋市であった東アジア選手権に出場した。弟の玄暉は60キロ級の準決勝で韓国 選手に鮮やかな小外刈りで一本勝ち。決勝で高校の先輩、永山竜樹(東海大)に優勢で屈したが、「思い切りよくできた。次につながる」と 手応えを口にした。 兄の颯人も73キロ級の準決勝で香港の選手に内股で一本勝ちした。決勝で社会人の土井健史(ダイコロ)に組み手を封じられて完敗したが、 「技術も駆け引きも相手が上だった。でも、2人でシニアの大会の決勝まで行けたことをプラスにしたい」と兄弟で奮闘したことが刺激に なったようだ。 柔道を始めたのはともに幼稚園のころ。父の指導で腕を磨き、小中学校で全国大会を制した。今年3月の全国高校選手権では玄暉が 60キロ級で優勝し、颯人は73キロ級で2位だった。颯人は切れ味鋭い内股が持ち味。玄暉は「どんな相手にも対応できる」という柔軟さが 自慢だ。豪快な一本背負いで「平成の三四郎」とうたわれた父とはタイプが異なるが、「心が強い人。助言通りにやって、間違っていたことは ない」(玄暉)と父の偉大さは理解している。 会場で2人の試合を見守った稔彦氏は「兄弟そろって日の丸をつけた経験は大きい。私も初めて日本代表になった後に周囲の期待が 大きくなり、力に変えることができた。もっと頑張らなければ五輪に行けないという感触もつかんだはず」。柔和な父親の顔で言った。 柔道:あの親にして…古賀兄弟活躍中…東アジア選手権準V http://mainichi.jp/sports/news/20150625k0000e050169000c.html 金鷲旗父子制覇、春の全国選手権の決勝で敗れた国士舘への雪辱を惜しくも逃した。「勝ちたかった。でも全員の強い 気持ちを感じられた」。主将として大成を初の決勝に導いた古賀颯人(はやと)(3年)はチームメートをたたえた。 1992年バルセロナ五輪71キロ級金メダリストで、世田谷学園(東京)時代に84、85年の金鷲旗連覇を経験した古賀稔彦氏 (環太平洋大女子総監督)の長男。この日の修徳(東京)との6回戦から先鋒で登場した。春の全国選手権73キロ級2位の 古賀は体格で上回る4人を抜き、昨年準決勝で敗れた相手を撃破した。足立学園との準決勝では得意の内股で一本と有効を 取って2人を抜いた。 「自分より体重が重い選手との練習を積み、スタミナには自信があった。後ろには回さず、何人も抜くつもりだった」。国士舘との 決勝でも体重108キロの磯村に内股を何度も掛けた。釣り手の右腕には疲れがたまっていた。「勝利への流れをつくりたかった」。 ポイントを奪えず、引き分け。チームも敗れた。 それでもひたむきに闘う姿は、体重無差別で争う90年の全日本選手権で大柄な相手を次々と倒し、準優勝した父をほうふつさせた。 石田輝也監督も「精いっぱいやった」と主将をねぎらった。会場で息子を見守った稔彦氏は「正統派の柔道をやる分、相手の圧力を もろに受けて体力を消耗した感じ。でもよく闘った」と目を細めた。 準Vの大成 古賀 初の決勝に導く 体格上回る相手 次々撃破 父・稔彦氏ねぎらう http://www.nishinippon.co.jp/nsp/kin2015_news/article/184302 柔道の世界カデ選手権は6日、サラエボで行われ、 1992年バルセロナ五輪金メダルの古賀稔彦氏の次男、 古賀玄暉(愛知・大成高)が男子60キロ級で優勝した。 古賀氏次男、玄暉が優勝! 世界カデ選手権/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20150807/jud15080702000001-n1.html 柔道の男子73キロ級で初優勝を目指した古賀(愛知・大成)は、準決勝で敗退。「自分の柔道ができなかった」。昨年は2年生で 準優勝していただけに、なおさら悔しさが募った。 父親は1992年バルセロナ五輪男子71キロ級で金メダルを獲得した稔彦さん。会場で試合の合間に助言を送った稔彦さんは 「初戦からぱっとせず、燃え上がるようなものがなかった」と厳しい採点。自身の母校である日体大に進学予定の息子に対し、 「もっと貪欲さを身に付けてほしい」と願っていた。 古賀ジュニアは決勝に届かず=高校総体・柔道 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30& ;k=2015080900157 バルセロナ五輪金メダルの古賀稔彦氏の長男、颯人(はやと)(愛知・大成)は男子73キロ級の準決勝で指導による優勢負け。 「指導を受けてから組み手が変わり、自分の柔道ができなかった」と悔しがった。 父が試合を見守る中、準々決勝までの4試合もなかなか技を出せず、いずれも相手への指導による優勢勝ちで勝ち上がった。 「大技に入るというより、一つひとつ勝ちにいったが、準決勝では通用しなかった」。高校最後のインターハイで頂点に立てず、 肩を落した。 古賀ジュニアは悔しい準決勝敗退 http://www.sankei.com/west/news/150809/wst1508090067-n1.html 全国高校総合体育大会第13日(9日、岸和田競輪場ほか)バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦氏の長男で、柔道男子 73キロ級に出場した颯人(愛知・大成)は準決勝で敗れ、3位に終わった。前回2位の雪辱を果たせず「勝ちたい気持ちが強すぎた。 なかなか自分の柔道ができなかった」と悔しさをにじませた。 3位にとどまった直前の団体戦の結果を引きずり、切り替えられなかった様子。観戦した父は「団体が終わってから、 ろうそくの火が消えてしまったような感じだった」と残念がった。 古賀氏長男・颯は悔しい3位「自分の柔道ができなかった」/高校総体 http://www.sanspo.com/sports/news/20150809/jud15080920400003-n1.html 医療・福祉機器製造会社「オージー技研」(岡山市中区)は21日、岡山国際ホテル(同区)で、今秋に実業団女子柔道部を発足すると 発表した。部のアドバイザーには、バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦氏(47)を迎える。古賀氏は「東京オリンピックを大きな 目標に選手を育てたい」と抱負を述べた。 同社は、柔道の発展や地域貢献を目的に同部を発足し、国内外の大会に参加する予定。アドバイザーに就任する古賀氏は、 環太平洋大学(同市東区)の柔道部総監督で、全日本女子柔道強化委員も務める。 監督の人選や選手の招へいは現在検討中だが、古賀氏は「監督はオファー中で10月ぐらいに迎え入れたい。世界に目を向けた 選手をしっかり獲得したい」と語った。 同社の奥田宏社長は「まもなく創業70年を迎えるにあたり、岡山への恩返し、地域貢献ができないかと考えていた」と語り、 「地域の皆様、若い人たちに希望を与えたい」と話した。 古賀氏は「岡山から世界の舞台に立てる選手を一緒につくっていきたい。やるからには夢を実現させるのが私たちの役目。 世界の頂点に立てるということを実現させたい」と意気込みをみせていた。 古賀稔彦氏がアドバイザー 岡山・オージー技研、実業団女子柔道部発足へ http://www.sankei.com/region/news/150822/rgn1508220027-n1.html 柔道の全日本ジュニア体重別選手権が12日、埼玉・上尾市の埼玉県立武道館で開幕。男子60キロ級で、1992年バルセロナ五輪 71キロ級金メダルの古賀稔彦氏(47)の次男・玄暉(16)=愛知・大成高=は3位だった。 「悔しい部分はあるけど、3位に入ることができてうれしい。大学生は組み手がうまく、力強かった」 3回戦で対戦した田中崇晃(20)=筑波大=には小内刈りで有効を奪われ、残り3秒で大内刈りで一本負け。敗者復活戦へ回り、 3位決定戦で勝利した。 会場に駆けつけた偉大な父からは、「大学生は最初から勝負を仕掛けてくる。最後までバテずに前に出ろ」とアドバイスを送られた。 8月にセルビアで行われた世界カデ選手権を制するなど、順調にステップアップを踏んでいる。同じ高校に通う73キロ級の兄・ 颯人(17)とともに、ターゲットは2020年東京五輪だ。「五輪に出るだけでもきついと思うけど、最後は金メダルを取ることが目標」と 意気込んだ。 古賀ジュニアは3位「大学生は組み手がうまく、力強かった」/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20150912/jud15091216280001-n1.html 第46回全国中学校柔道大会が8月19日、函館アリーナ(北海道)で開催され、東橘中3年の古賀ひよりさんが女子52kg級で準優勝を果たした。 同大会は昨年に続き2度目の出場。古賀さんは「何が何でも勝ちたかったので悔しさの方が大きい」と大会を振り返った。対戦相手により 組手や技を変える柔軟なスタイルが古賀さんの持ち味。決勝戦では「パワーの差を感じた。自分の柔道ができなかった」と悔しさを滲ませる。 オリンピック金メダリストの古賀稔彦さんを父親に持ち、幼い頃から指導を受けた。「技術だけでは足りないと感じた。パワーをつけて高校で 1位を狙いたい」と高校での雪辱を期す。 全国中学柔道大会 古賀さんが準優勝 スポーツ 「高校で1位を」雪辱誓う http://www.townnews.co.jp/0202/2015/09/25/301124.html 柔道のアジア・ジュニア選手権は11日、バンコクで行われ、 1992年バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦氏の次男、 古賀玄暉(愛知・大成高)が男子60キロ級で優勝した。 古賀氏次男の玄暉が優勝 柔道アジア・ジュニア選手権 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/10/11/kiji/K20151011011302650.html 世界柔道女子78キロ級で金メダルに輝いた、大分県九重町出身の梅木真美選手(20)=環太平洋大3年=への町民栄誉賞の授賞式が 17日、同町である。当日は梅木選手を指導するバルセロナ五輪(1992年)男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦氏の講演会などの 記念イベントも予定されている。 授賞式は17日午前10時、同町後野上、町保健福祉センター前駐車場である「第21回九重ふるさと祭り」の開会式典で行われる。 午後0時半から同会場で梅木選手と古賀氏が優勝報告会を開催。午後1時半から、ここのえ柔道クラブ道場(同町野上)で2人による 小中学生を対象にした柔道教室を開く。 古賀氏は午後4時から九重文化センターで「夢への挑戦」と題して講演。自らの柔道人生や梅木選手について語る。無料。 問い合わせは同町社会教育課=0973(76)3823。 九重町町民栄誉賞 梅木選手あす授賞式 古賀稔彦氏講演会 http://www.nishinippon.co.jp/nsp/judo/article/201634 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0f0177873250e914bb2c091d384ac516) バルセロナ五輪覇者の古賀稔彦氏の次男、16歳の古賀玄暉(愛知・大成高)にとって、 本格的なシニア大会の初陣はほろ苦いものとなった。 2試合を勝ち抜いた準々決勝。ホープの大島優磨(国士舘大)の背負い投げで2度目の技ありを 食らった際、畳に頭部を強打した。全日本柔道連盟によると、試合後は救急車で病院へ運ばれて検査。 大事には至らなかったという。 古賀氏の次男・玄暉はほろ苦いデビュー…頭部強打で病院送り/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20151107/jud15110720280003-n1.html 「平成の三四郎」の異名を取った1992年バルセロナ五輪・柔道71キロ級金メダリストの古賀稔彦氏(48)が13日、 TBSテレビ「サンデーモーニング」(日曜、前8・00)にゲストコメンテーターとして初出演し、2016年リオデジャネイロ五輪での 柔道競技における日本の金メダル獲得数について、男女各3個の計6個を最低目標に掲げた。 古賀氏は柔道の国際ルールについて、「以前は柔道やってるのかレスリングやってるのか分からなかった」と表現しながら、 近年は一本技を狙う日本に有利なルールに改正されたことを説明。これにはレギュラーコメンテーターの張本勲氏(75)も「だいたい、 どの競技も日本が強くなるとルールを変えるから」と持論を添えた。 古賀氏はリオ五輪での金メダルに向けて「女子は全階級でベスト4に入る力はある。男女とも半分の3個つずつは最低でも取ってほしい」と 熱望。また、これまでの柔道人生で最も記憶に残ったことを問われ、金メダルのバルセロナ五輪ではなく、最初に出て敗退した88年ソウル 五輪を挙げ、「プレッシャーに負けました。当時は『負けたら日本に帰れないぞ』という時代。チームにトレーナーもいなければ、アイシングが やっと入ってきた。(練習中に)水を飲むなという時代でしたから」と振り返った。 三四郎・古賀氏リオでの柔道「金」目標 online http://www.daily.co.jp/newsflash/general/2015/12/13/0008643350.shtml 柔道の全国高校選手権第1日は19日、東京・日本武道館で男女各5階級が行われ、バルセロナ五輪金メダリストの稔彦氏を父に持つ 男子60キロ級の古賀は決勝の終盤に肩車で有効を奪われ、敗れた。2連覇を逃し「どこかで重圧を感じていて、体が硬かった」と肩を落とした。 観戦した稔彦氏は「勝っても負けても、今は全てが経験」と前向きに捉えた。 ホープを撃破した市川は感無量の表情。中学の全国大会でも3位が最高だったと言い「自分の柔道ができた。やっと日本一になれた」と 晴れやかな笑顔を浮かべた。 古賀氏の次男・玄暉、2連覇ならず「体が硬かった」/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20160319/jud16031918440003-n1.html 連覇を狙った男子60キロ級の古賀は、決勝で1年の市川に不覚を取った。動きが硬く攻めあぐね、残り30秒ほどで小外刈りで 有効を奪われた。「ずっとこの日のためにやってきたが」と肩を落とした。 1992年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんの次男。「監督や父から自分の柔道をしろと言われたが、 プレッシャーを感じてできなかった」と悔やんだ。常に大きな注目を集める逸材は、「研究されるのは分かっている。挑戦者の気持ちが 大事」と敗戦を糧にしようと誓った。 古賀次男、敗戦糧に=全国高校柔道 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30& ;k=2016031900312 日体大の入学式が3日、東京・世田谷キャンパスで行われ、柔道東アジア選手権2位の古賀颯人(愛知・大成高)レスリング世界カデット優勝の 田口あい(岐阜・飛騨高山高)ら新入生が出席した。 馳浩文部科学大臣列席のもとで行われた式では、同大OBで92年バルセロナ五輪柔道金メダリストの古賀稔彦氏を父に持つ古賀が新入生を 代表して宣誓。式後には「日体大を選んだのは父は関係なく、環境などで決めた。卒業した年にある東京五輪を目指して、柔道だけでなく 人間としても成長したい」と話した。 なお、同じ新入生で柔道の阿部一二三(兵庫・神港学園高)は欠席。この日、福岡で行われた全日本選抜体重別で優勝した。 古賀稔彦氏の長男颯人が日体大入学式で代表宣誓 - 柔道 http://www.nikkansports.com/sports/news/1626302.html 柔道女子78キロ級のリオデジャネイロ五輪日本代表に決まった環太平洋大4年、梅木真美選手(21)が12日、 県庁に伊原木隆太知事を表敬訪問し、五輪でのメダル獲得を誓った。 梅木選手は大分県九重町出身。昨年8月の世界選手権大会(カザフスタン)で優勝するなどの実績が評価され、代表に選ばれた。 県庁には大橋節子学長、バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦・女子柔道部総監督らと訪問。梅木選手は「岡山県をはじめ、 たくさんの人の応援で代表になることができた。もんげー期待に応えます。メダル獲得目指し頑張ります」と岡山の方言も交えてあいさつした。 伊原木知事は「若い人たちに夢を実現することの素晴らしさを示してほしい。ぜひ金メダルを持ち帰ってください」とエールを送った。 柔道:もんげー期待に応えます リオ五輪代表・梅木選手が知事表敬 /岡山 http://mainichi.jp/articles/20160413/ddl/k33/050/501000c リオでの活躍誓う リオデジャネイロ五輪の柔道女子78キロ級の日本代表に決定した環太平洋大4年の梅木真美選手(21)が12日、県庁を訪れ、伊原木知事に 意気込みを語った。 梅木選手は大分県九重町出身。2015年に世界選手権で優勝するなど、これまでの実績を評価され、日本代表に選ばれた。 同大学女子柔道部の古賀稔彦総監督が同行し、代表決定までの経緯を報告。「リオでは必ず金メダルを取る覚悟で臨みたい」と決意を表明した。 梅木選手は「代表になれたのは県民の皆さんの応援があったから。『もんげー』期待に応えます」と県のキャッチコピーを交え、活躍を誓った。 伊原木知事も「ぜひ金メダルを持ち帰ってほしい。『もんげー』応援させてもらいますので、存分に力を発揮して」と花束を贈った。 柔道・梅木選手「期待応えます」 http://www.yomiuri.co.jp/local/okayama/news/20160412-OYTNT50152.html 岡山柔道界に注目の女子選手が加わった。環太平洋大で総監督を務める五輪金メダリスト・古賀稔彦氏の長女ひより。父の指導と ハイレベルな環境を求めて今春、地元神奈川を離れて創志学園高へ。同年代トップクラスの力量を誇る15歳は「自分の技術を世界で試したい」 と30日に開幕するドイツ・カデ国際に日本代表として出場する。 古賀氏が見つめる環太平洋大の道場で、ひよりが学生相手に果敢に一本背負いを仕掛ける。「自分には勝つための一発がない。得意技にしたい」。 “平成の三四郎”と呼ばれた父の必殺技をものにすべく、必死に稽古に励む。 物心がついた時には父が営む道場「古賀塾」(川崎市)に2人の兄と一緒に通っていた。小学生で全国大会に出場し、神奈川・東橘中3年だった 昨夏の全国中学校大会52キロ級で準優勝。「強い選手が多く、自分を高められる」と、大学女子で5度団体日本一に輝いている環太平洋大と共 に練習できる系列の創志学園高への入学を決めた。 巧みな組み手に足技を絡め、相手に応じて戦い方を自在に変えられる抜群の柔道センスは父親譲りだ。ただ、一本を取れる技に欠けるため、 153センチの小柄な体格を生かせる「担ぎ技」を習得中。一本背負いはその一つで、父の現役時代の映像なども参考に腕を磨く。 10日に行われた15〜17歳世代の全日本カデ選手権では4強入り。初の国際大会に向け、古賀氏は「日の丸を背負う責任を感じながら、 メンタルのコントロールの仕方を学んでほしい」と話す。 「五輪金メダリストの娘」の肩書が付いて回るのは承知している。「いつか父の実績を抜いて、自分の名前を知ってもらえるよう頑張りたい」とひより。 岡山の地で、偉大な父の背中を追う挑戦が始まった。 柔道古賀ひより 一本取れる技を 創志学園高、父は金メダリスト http://www.sanyonews.jp/article/340406/1/ ドイツカデで7位って酷いな この年代の大会ならもっと活躍できないとやばいだろう もう少し様子見る必要があるとはいえ 今更ながらバルセロナの決勝を見たが、 本人の言う通り、負けていたね。 ブーイングも納得できる。 第76期名人戦七番勝負第3局 ▲羽生善治竜王 対 △佐藤天彦名人 評価値(ぽんぽこ) https://www.youtube.com/watch?v=XD4d4jOwvRQ 柔道五輪金メダリストの古賀稔彦氏に、自身の柔道人生に平成の時代を重ねて語ってもらった。 「平成の三四郎」という異名で期待された。 当時は本当に怖いもの知らずだった。何が何でも得意技の一本背負いで投げるんだという、若気の自信に満ちていた。でも、だんだんとニックネームに ふさわしい勝ち方をしなければいけないという重圧を感じた。(1989年に)世界選手権で優勝してから、常に不安や迷いがあった。翌年のアジア大会で負けて(銅メダル)、 重圧から解放された。 当時は吉田秀彦選手や小川直也選手、谷(旧姓田村)亮子選手ら、個性的な選手が多かった。 今思えば、自分が活躍することが好きなタイプがいたので、おのずと日本柔道が盛り上がっていく状況がつくれていた。活躍して結果を出すということは、 表彰台の一番高いところ、誰よりも目立つ場所に立つということ。「誰よりも目立つところに俺は立ちたいんだ」「俺を見てくれ」と、自分の柔道に酔えて、 それをみんなに見せるのも好きだという人が、結果を出す選手だと思う。 92年のバルセロナ五輪を振り返って。 (4年前の)ソウル五輪では大会までに頑張り過ぎて、心身とも全てのエネルギーを使い果たしていた(結果は3回戦敗退)。スポーツの最高の舞台での経験は、 勝っても負けても、自分の人生の教訓になった。ソウル五輪は特に私にとっては、自分の柔道に対する思い、考え方を大きく変えくれた大会だった。それからは 「自分にうそのない努力をし、自主性を取り戻そう」と考えた。休む時は休むと指導者に伝え、お互いが理解し合って練習し、休む状況をつくれた。 バルセロナ入り後、後輩の吉田選手との乱取り中に左膝を負傷した。 その時は「なぜここで」と思ったが、痛みが治まると「俺は絶対に優勝できる」と思った。なぜなら、自分にうそのない努力をしてきたから。柔道は心技体トータルの戦い。 今まで培ってきた自分を信じる力があり、カバーできた。監督、コーチは「いつ古賀は出場できませんと言いにくるか。言ってきたら、受け入れよう」と思っていたらしい。 でも私の中では、けがをしてからは本当に何の焦りもなかった。減量だけは計画的にしなければならず、そこが一番きつかった。だけど何の焦りも不安もなく、吉田にも 「俺は優勝するから大丈夫だよ」と言っていた。 僕の試合の前日は吉田の試合を選手村で(田村)亮子と一緒に見ていて「(吉田は)優勝した。俺は膝が痛いが我慢して、あしたは優勝する。試合場を出た後に、 多分倒れるから」と、既に優勝した後のことまでイメージしながら話をしているぐらいだった。本当に自分の取り組みに対しての自信が自分をすごく支えてくれていた。 帰国後、「古賀さんだからできたんですよね」「精神力が強いからできたんですよね」と言われたが、そうではない。私はもともと小心者。でもやってきた積み重ねによって、 その瞬間につくられていた(強い)自分がいた。 96年のアトランタ五輪に向けて、71キロ級から78キロ級に階級を上げた。 バルセロナ五輪が終わって日がたつ中で、周りは「もう引退するだろう」と思っていた。25、26歳ごろは、今は頑張れる年齢だが、当時は結構、おじさんと言われていた。 「いいうちに終わる選択もあるんだぞ」という話も聞いた。よく試合が終わると「次の目標は」と聞かれる時があるが、勝っても負けても、全力でやった人に、次の目標を 考えるエネルギーは残っていない。私も、自分の中で全力でやってきた。焼き肉が食べたいと思ってめちゃくちゃ食べると、もうしばらく食べたくない。でも、時間がたてば、 また食べたくなる。私はまたおなかが空いてきた時に、「ちょっとまだ勝負したいな」と思った。そういう気持ちが残っているならやろう。どうせなら同じ階級ではなく、 違うステージで戦ってみようと思った。 アトランタ五輪は決勝で敗れた。 大会前に右の尻をけがして、稽古も多少不十分だったが、経験値でうまく切り抜けようと思った。バルセロナ五輪に臨む努力が100なら、アトランタ五輪は60ぐらい。 決勝もうまく試合が運び、相手を指導の数で追い詰めた時「勝った」と思ってしまった。その瞬間、一気に緊張感がなくなり、結局判定で負けた。 2000年のシドニー五輪代表を逃して引退。 自分への甘さ、弱さ、ずるさを感じたまま終われないと思い、もう一度、五輪を目標に掲げた。結果は残念だったが、悔いはないと言える状況で終われた。おなかいっぱいの 現役生活だった。 現在、子どもや大学生を指導する上で心掛けることは。 柔道は嘉納治五郎先生の「精力善用」「自他共栄」という教えがある。競技の創始者と、教育理念が明確なスポーツはあまりない。嘉納先生の代弁者として、人のために 役に立てる人間づくりをしていきたいと思っている。 平成とはどういう時代と受け止めているか。 周りと比較した中で人が生きてきた時代だったが、後半からは、自分がどう生きていくか、心を養うことを見直す時代に変わってきたと思う。スポーツ界も、勝つことを 目的に教えてきたから、強制や体罰問題があった。やるからには一番でなければ駄目なこともある。だが、それが過度になると、優しさや思いやりを見失ってしまう。 今後はスポーツ界も、人のつながりを重視する時代になるのではないか。 あなたにとって平成とは。 選手としても指導者としても、挑戦し続けてきた時代だった。今50歳で新しい時代を51歳で迎える。「平成の三四郎」も終わるので、新しいステージで生きる自分を これから描いていきたい。 挑戦続けた「平成の三四郎」 五輪金の柔道古賀稔彦氏 https://www.jiji.com/jc/v4?id=201805kt-int0001 柔道の全日本ジュニア体重別選手権第1日は8日、埼玉県立武道館で男女各4階級が行われ、男子60キロ級は、1992年バルセロナ五輪 男子71キロ級金メダルの古賀稔彦氏の次男、古賀玄暉(日体大)が優勝した。 女子は57キロ級で富沢佳奈(東海大)、48キロ級で芳田真(滋賀・比叡山高)が、それぞれ制した。 古賀氏次男が優勝=全日本ジュニア柔道 https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090800577 柔道の全日本ジュニア体重別選手権第1日は8日、埼玉県立武道館で男女各4階級が行われ、男子の60キロ級は1992年バルセロナ五輪 金メダリストの古賀稔彦氏の次男、古賀玄暉(日体大)が初の頂点に立った。66キロ級の相田勇司(国学院大)と73キロ級の塚本綾(日体大)も 初優勝した。 女子は57キロ級で富沢佳奈(東海大)、52キロ級で武田亮子(龍谷大)、48キロ級で芳田真(滋賀・比叡山高)がいずれも初制覇を果たした。 古賀氏の次男、玄暉が初V 全日本ジュニア体重別選手権/柔道 https://www.sanspo.com/sports/news/20180908/jud18090818430001-n1.html 柔道の全日本ジュニア体重別選手権第1日は8日、埼玉県立武道館で男女各4階級が行われ、男子の60キロ級は1992年バルセロナ五輪 金メダリストの古賀稔彦氏の次男、古賀玄暉(日体大)が初の頂点に立った。 古賀は思い切り技を仕掛ける姿勢が光り、念願のタイトルを手にした。小西(国士舘大)との決勝は先に技ありを奪われたが、相手の大内刈りを 小外掛けで鮮やかに返して一本勝ち。「競り合いでも勝てると自信を持っていた」と胸を張った。 組み手争いでペースをつかむ技巧派だったが、最近は技の威力の向上を実感しているという。日体大からは66キロ級の阿部一二三と 81キロ級の藤原崇太郎が20日開幕の世界選手権(バクー)に出場する。「早く自分も追いつかなければいけない」と喜びに浸ることなく、 さらなる高みを見据えた。 古賀、思い切りの姿勢光る「競り合いでも勝てると自信持っていた」/柔道 https://www.sanspo.com/sports/news/20180908/jud18090818560002-n1.html 柔道の全日本学生体重別選手権第1日は29日、東京・日本武道館で男女各4階級が行われ、女子は78キロ級で泉真生(山梨学院大)が2連覇を果たした。 70キロ級はかつて63キロ級で活躍した嶺井美穂(桐蔭横浜大)が初優勝。63キロ級は佐藤史織(山梨学院大)、78キロ超級は秋場麻優(環太平洋大)が初めて制した。 男子は1992年バルセロナ五輪金メダリスト、古賀稔彦氏の長男で73キロ級の颯人(日体大)が初制覇した。60キロ級は樋口裕大(天理大)、 66キロ級は山田聖斗(桐蔭横浜大)、81キロ級は友清光(国士舘大)が初めて頂点に立った。 30日は男女とも残りの3階級が行われる。 泉V2、古賀氏長男が初優勝 全日本学生体重別選手権/柔道 https://www.sanspo.com/sports/news/20180929/jud18092919300006-n1.html 柔道の全日本学生体重別選手権第1日は29日、東京・日本武道館で男女各4階級が行われ、男子は1992年バルセロナ五輪金メダリスト、古賀稔彦氏の長男で 73キロ級の颯人(日体大)が初制覇した。 初優勝の古賀は父稔彦氏の助言を得て、攻め切った。 決勝戦前に「最後は気持ちだ」などの言葉を受けたという。指導2ずつでもつれた延長戦。支え釣り込み足で技ありを奪い「どんな相手でも勝ちにつなげることを意識してきて、 結果につながって良かった」とほっとした様子だった。 世界選手権では同じ日体大の阿部や藤原が活躍し「悔しい。あそこに自分も立ちたい」と発奮したことが奏功。試合を見守った稔彦氏は「今年は活躍して、 もう一踏ん張りできるかの年。その状況をつくった」と今後に期待を寄せた。 古賀、父の助言で初優勝「相手でも勝ちにつなげることを意識」/柔道 https://www.sanspo.com/sports/news/20180929/jud18092920080007-n1.html 男子73キロ級は、1992年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦さんの長男、颯人が制した。互いに攻めあぐね、指導を二つずつ受けて迎えた 決勝の延長戦。支え釣り込み足で技ありを奪って優勢勝ち。「何としても優勝したかったので、うれしい」と喜んだ。 稔彦さんは30年前、この大会の71キロ級を制していたが、「言われて初めて知った」。目標は日本代表入りで、11月の講道館杯に向けて「強気で戦っていきたい」 と気を引き締めた。 古賀、親子で制覇=全日本学生体重別柔道 https://www.jiji.com/jc/article?k=2018092900542 柔道の世界ジュニア選手権は17日、バハマのナッソーで開幕して男女各2階級が行われ、男子60キロ級は、1992年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦氏の次男、古賀玄暉(日体大)が決勝で延長の末、 小西誠志郎(国士舘大)を下して優勝した。同55キロ級の半田颯(桐蔭横浜大)は3位。 女子は44キロ級で外処茅優(山梨・富士学苑高)が優勝。48キロ級決勝では芳田真(滋賀・比叡山高)が9月の世界選手権を制した ダリア・ビロディド(ウクライナ)に敗れ、2位だった。 男子は古賀、女子は外処が優勝=柔道世界ジュニア https://www.jiji.com/jc/article?k=2018101800497 柔道の世界ジュニア選手権は17日、バハマのナッソーで開幕し、男子60キロ級は1992年バルセロナ五輪覇者の古賀稔彦氏の次男、古賀玄暉(日体大)が 小西誠志郎(国士舘大)との決勝を制し、頂点に立った。55キロ級の半田颯(桐蔭横浜大)は3位だった。 女子は48キロ級で9月の世界選手権57キロ級初制覇の芳田司(コマツ)の妹、芳田真(滋賀・比叡山高)が決勝で、同選手権を史上最年少の17歳で制した ダリア・ビロディド(ウクライナ)に敗れて2位。44キロ級は外処茅優(山梨・富士学苑高)が優勝した。 古賀稔彦氏の次男ら世界ジュニア優勝/柔道 https://www.sanspo.com/sports/news/20181018/jud18101811080001-n1.html 17日、バハマで行われている柔道の世界ジュニア選手権で男子60kg級の古賀玄暉(日本体育大・2年)が金メダルを獲得。この大会自身初の頂点に立った。 同学年の小西誠志郎(国士館大2年)との日本人対決となった決勝戦。終始攻めの手を緩めない古賀は相手に指導2を与えたところから延長戦に突入。すると 延長戦に入ってわずか12秒、技ありを奪い前回銅メダルの雪辱を果たして世界の頂点に立った。 男子60kg級は先月世界選手権を連覇した高藤直寿(パーク24)や永山竜樹(東海大)など実力者がひしめくが、彼らもまた世界ジュニアの金メダリスト。さらに バルセロナ五輪金メダリストで“平成の三四郎“こと父・稔彦さんも32年前この大会を制している。 「ジュニアで勝ったことでシニアにつなげられる良い自信になった。」 “メダリストの登竜門“ともいえるタイトルを得たことで、大きな手応えを掴んだ。2週間後に迫る講道館杯にも出場を予定。そこで結果を残せば11月23日に開幕する グランドスラム大阪への道も開けてくる。「講道館杯でなんとしても結果を残してグランドスラム大阪につなげたい。」力強く語る20歳の目はジュニアからシニアの世界一へ。 早くも次のステージを見据えている。 平成の三四郎『古賀稔彦』の次男・玄暉 世界ジュニアで金メダル「次はシニアを獲りたい。」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181019-00010002-tvtokyosv-spo 柔道の世界ジュニア選手権を終えた日本代表がバハマから成田空港に帰国した。 男子60キロ級覇者の古賀玄暉(日体大)は、92年バルセロナ五輪金メダルの父・古賀稔彦氏から「講道館杯でしっかり勝つ ことが勝負です」との激励メールが届いたことを明かした。11月3日開幕の講道館杯は来年の世界選手権の第1次代表選考会 を兼ねる。20年東京五輪で父と肩を並べるため「何が何でも勝ちたい」と闘志を高めていた。 古賀、柔道世界Jrから帰国、父稔彦氏メール「講道館杯勝て」 https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/10/25/kiji/20181024s00006000334000c.html (゚д゚)ウマー (゚д゚)( ゚д゚)ウマー (゚д゚)ウマー (゚д゚)(゚д゚)(゚д゚)ウマー (゚д゚)(゚д゚)ウマー (゚д゚)(゚д゚)ウマー (゚д゚)(゚д゚)(゚д゚)ウマー |// (゚д゚)(゚д゚)ウマー | |// | ワーイ / | ∧ ∧ / | (,,・∇・) / | ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~| | |風船おじさん| | |.. _| 柔道金メダリスト古賀稔彦氏が“偽ジャパン”を正す! 乃木坂46高山一実がゲスト出演 『ぶっこみジャパニーズ』 http://music-book.jp/video/news/news/213236 世界選手権(8月開幕、日本武道館)の女子78キロ超級代表選考会を兼ねて行われ、前年覇者の素根輝(18)=環太平洋大=が決勝で界女王の朝比奈沙羅(22)=パーク24= を下し、塚田真希(02〜10年で9連覇)以来の連覇を達成。これで対朝比奈は5連勝。大会後に行われた強化委員会で、悲願の世界選手権代表に選出された。 78キロ超級には2枠が使われ、国際大会で結果を残す朝比奈も代表入りした。 素根対朝比奈の決勝戦、場外では環太平洋大で素根を指導するバルセロナ五輪男子71キロ級金メダリスト古賀稔彦総監督(51)、朝比奈の所属先である パーク24の同五輪78キロ級金メダリスト吉田秀彦総監督(49)という“レジェンド柔道家”による応援合戦も繰り広げられた。 バルセロナ五輪では、直前の練習で吉田が古賀に左ひざの大けがを負わせてしまうアクシデント。それでも吉田はショックを乗り越えて金メダルを獲得し、 古賀も全治1年の怪我を抱えながらも奇跡の金メダルを獲得したという伝説的なエピソードを残す2人だが、東京五輪の1枠を争うそれぞれの選手の指導者として、 対峙することになった。 少し離れた距離で、声を張り上げ、それぞれの選手を応援。軍配が上がった古賀総監督は「そりゃ負けられないと思った。(吉田総監督が)“いけ!いけ!”って なっていたから、余計に冷静になって、ピンポイントなアドバイスが送れた」としてやったり。「終わった後はお互いに一礼しました」と、笑った。 柔道女子頂上決戦の場外で…古賀稔彦VS吉田秀彦が応援合戦 決着後は「お互いに一礼」 https://www.daily.co.jp/general/2019/04/21/0012263325.shtml 体重無差別で争う柔道の全日本女子選手権は21日、世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)女子78キロ超級代表最終選考会を兼ねて 横浜文化体育館で行われ、18歳の素根輝(環太平洋大)が決勝で昨年世界選手権同級覇者で22歳の朝比奈沙羅(パーク24)に9分を超える延長戦の末に下し、 史上初の初出場優勝だった昨年に続いて2連覇を達成した。 素根と朝比奈の決勝では、ともに1992年バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦氏と吉田秀彦氏が場外で火花を散らした。 古賀氏は素根の環太平洋大、吉田氏は朝比奈のパーク24でそれぞれ総監督を務める。古賀氏が引き手の使い方などを細かく指示する一方、吉田氏は教え子の 名前を連呼。激しく鼓舞した。 試合後は互いに一礼した両雄。柔道私塾の「講道学舎」の先輩でもある古賀氏は「秀彦にも負けられないと思って、冷静にアドバイスした」とおどけて笑わせた。 古賀稔彦氏&吉田秀彦氏が場外で火花/柔道 https://www.sanspo.com/sports/news/20190421/jud19042121230007-n1.html 体重無差別で柔道日本一を決める、伝統の全日本選手権が行われ、平成最後の大会で、17年世界選手権男子100キロ級覇者のウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)が 決勝で12年全日本王者の加藤博剛(千葉県警)を延長の末、優勢勝ちし、初優勝を果たした。 日刊スポーツ評論家の古賀稔彦氏、“平成の三四郎”による、平成最後の全日本の評論をお届けする。 無差別で戦うからこそ、階級の相性が出てくる。ウルフ選手はその利点を最大限生かして戦った。超級の選手は超級同士の戦いのリズムがある。体力の減りも同様で、 それが同階級なら問題にはならない。だが、無差別で下の階級、体力的には遜色がない100キロ級と組むと、組み手争いや技出しが速く、呼吸のリズムも崩されて 体力消耗が速くなる。スタミナ自慢で1回の組み手で仕留める技があるウルフ選手にとっては、逆に自分のリズムも作りやすく、後半勝負という戦略を立てやすかった。 現在のルールをうまく利用していることも大きい。引き手で相手の袖口を持つが、以前は反則だった規則が今は技を出せば許容されることになっている。ここを 確保することで自分の組み手を作り、相手に重圧をかけることができている。 最後に、令和の全日本選手権には地方からの猛者の出現を期待したい。超級ではなく90、81、73キロ級などの出場者が出れば、初戦からワクワクするようなカードが そろう。私が90年大会に中量級で出場し、決勝に進んだ時は非常に盛り上がっていただいた。無差別だからこその魅力が見られる令和の時代になってほしい。 平成の三四郎が平成最後の全日本評論、令和に何望む - 柔道 https://www.nikkansports.com/sports/news/201904290000791.html read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる