96年のアトランタ五輪に向けて、71キロ級から78キロ級に階級を上げた。
バルセロナ五輪が終わって日がたつ中で、周りは「もう引退するだろう」と思っていた。25、26歳ごろは、今は頑張れる年齢だが、当時は結構、おじさんと言われていた。
「いいうちに終わる選択もあるんだぞ」という話も聞いた。よく試合が終わると「次の目標は」と聞かれる時があるが、勝っても負けても、全力でやった人に、次の目標を
考えるエネルギーは残っていない。私も、自分の中で全力でやってきた。焼き肉が食べたいと思ってめちゃくちゃ食べると、もうしばらく食べたくない。でも、時間がたてば、
また食べたくなる。私はまたおなかが空いてきた時に、「ちょっとまだ勝負したいな」と思った。そういう気持ちが残っているならやろう。どうせなら同じ階級ではなく、
違うステージで戦ってみようと思った。
アトランタ五輪は決勝で敗れた。
大会前に右の尻をけがして、稽古も多少不十分だったが、経験値でうまく切り抜けようと思った。バルセロナ五輪に臨む努力が100なら、アトランタ五輪は60ぐらい。
決勝もうまく試合が運び、相手を指導の数で追い詰めた時「勝った」と思ってしまった。その瞬間、一気に緊張感がなくなり、結局判定で負けた。
2000年のシドニー五輪代表を逃して引退。
自分への甘さ、弱さ、ずるさを感じたまま終われないと思い、もう一度、五輪を目標に掲げた。結果は残念だったが、悔いはないと言える状況で終われた。おなかいっぱいの
現役生活だった。
現在、子どもや大学生を指導する上で心掛けることは。
柔道は嘉納治五郎先生の「精力善用」「自他共栄」という教えがある。競技の創始者と、教育理念が明確なスポーツはあまりない。嘉納先生の代弁者として、人のために
役に立てる人間づくりをしていきたいと思っている。
平成とはどういう時代と受け止めているか。
周りと比較した中で人が生きてきた時代だったが、後半からは、自分がどう生きていくか、心を養うことを見直す時代に変わってきたと思う。スポーツ界も、勝つことを
目的に教えてきたから、強制や体罰問題があった。やるからには一番でなければ駄目なこともある。だが、それが過度になると、優しさや思いやりを見失ってしまう。
今後はスポーツ界も、人のつながりを重視する時代になるのではないか。
あなたにとって平成とは。
選手としても指導者としても、挑戦し続けてきた時代だった。今50歳で新しい時代を51歳で迎える。「平成の三四郎」も終わるので、新しいステージで生きる自分を
これから描いていきたい。

挑戦続けた「平成の三四郎」 五輪金の柔道古賀稔彦氏
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