>>21
まあ前スレ読んでみて欲しいところなんだけど論点をはっきりさせるため応答します。
否定派の立論も様々だから、手始めに>>1の主張とそれに付随したところを想定します。

まず勘違いして欲しくないのは剣道が「実戦」からかけ離れているということは前スレでも肯定派も自ら認めているところ。
勿論、剣道の出自は実戦を元にした剣術の一稽古法から来てるといわれているんだが、それでもなお剣道だけの技法では実際に剣を持って戦えない、
そのことは肯定派の多く、少なくとも俺と>>21とかの間でも見解は相違しないと思う。
(更に言うと、よく引き合いに出される剣術でもそれが真剣での殺し合いで本当にベストの動きなのかさえ疑問視されていることも付け加えておきます。)

問題はその先。「では、それは『不合理』なのか」。ここね。
つまり、言い方を変えるなら「実戦的でない=竹刀競技」と定義するなら、
「剣道が竹刀競技であっては何故“不自然・不合理”なのか」
という論点になる。
普通に考えてみて欲しいけど、「○○が●●という属性を持っていることが不自然」という主張ってそれだけでは客観的には何の意味も持たないよな?
それには、「剣道は本質的にこうあるべきだから、現代の在り方は不自然だ」という最低一つの前提を噛ませることが「理路整然」たるには不可欠になる。

端的に言って、否定派が答えられないのはここ。

例えば、「剣道は本来実戦的でなくてはならない」という主張をする人も居た。
そもそもこの主張は普通に見ただけで「?」と思わせるに足りると思うが、
「別にルールなしの喧嘩するために剣道やってるんじゃねーですから」という主張で一蹴される。

他に、「剣道が武道を名乗るからには実戦的でなくてはならない」というようなことを言う人も居た。
しかし、
「武道とは、現代では実戦=喧嘩で勝つためのものではなくその実践を通して心身の向上を図る道として捉えられており、
剣道を武道と呼ぶのはそのような意味で決して人殺しの道という意味ではない。」
そして「逆に貴方はどうして武道は実戦的でなくてはならないのか?」という質問に答えられない。