よく、「無我になる」、ということが言われるが、この中の「我」というのは、
「エゴ」のこと。
「エゴ」とは、「欲」だったり、人間の「想い」のことだったりする
我慾、我想念というのがエゴのことで、人間の思考そのものが
エゴとも言っていい。
このエゴを克服することこそが、「悟り」ということになる。

上で述べたように、自分が一瞬も継続しないとなれば、じゃあ、自分が全く何も無くなっちゃうじゃないか、
と思うかもしれないが、
人間というのは、二種類の流れがあると考えなくてはいけない。

一つは、カルマの流れ。 
エゴ自体がカルマの形成物ととらえてもいいかもしれない。

たとえば、人間の行動、思考というものは、自分で考え、行動しているように思えるが、
実は、すべてはカルマで記録されたものが出て来てるだけ。
過去世で作られた因縁が、だんだん熟成して、今ここに出て来ている。
過去世のものも、そのまた過去に因縁が作られたもの。
それがグルグル回ってる。

このグルグル回ってるものから抜け出さない限り、人間としての苦から
脱することは出来ない。
また、幻想の世界ではなくて、真実の世界も垣間見ることは出来ない。