ゾーンについて話をしよう。

よく、スポーツなどで、究極的なファインプレーなどをするときに、
「ゾーンに入った。」 という言い方をするときがある。
これは言うなれば、「本源につながった。」 ということと同じだ。

ゾーンに入る時は完全に、思考・分別はソース(本源)に交代している。
だから、ファインプレーが記憶に残らないことが多い。
つまり、思考分別で行動するのではなくて、完全に、ソース(本源)に任せて、
ソースが身体を使っているわけだ。
だから、その動きは完璧なわけだ。
それは超越的なファインプレーにつながる。

これは親鸞の「自然法爾」、老子の「無為自然」と同じことだ。
我(思考分別)を越えれば、大宇宙と完全に一体となった状態で、
宇宙の本源に身体を動かされることになる。

版画家の棟方志功も、「自分が手を動かしてるんじゃなく、仏に動かされているんだ。」 
というようなことを言っている。

これをスピリチュアルでは、「神の入れ物になる」というような言い方をする。
自分の中に「我」が詰まっている状態ではなく、自分の中を空っぽにして、
本源ソースから光が流れ込んでくるようにする・・・
そうすると、その人は本源の光そのものに動かされ、神そのものの行動になっていく。

これはごく初期の段階では、たとえばパッと良い方向に動けたり、危険を避けたり、
自然自然にそういう方向に行くので、運がよくなったり、人に好かれて寄ってきたり、
いつも幸福感を感じたりと、そういうことが起こってくる。
嫌なことはサッと過ぎていき、心がそれに捉われない。