【東京五輪金二冠】橋本大輝☆5【史上最年少王者】
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偶然、この日が誕生日の静馬さんにとって最高のプレゼント。 「とにかくすごい」と涙をこらえ、言葉が続かなかった。 最後の冨田洋之(23)が鉄棒の着地に成功し、優勝が決まった瞬間、全員が立ち上がり拳を突き上げた。 実家の隣は、体操経験者の父一夫さんが「いつか世界へ」という夢を胸に、21年前に建てた「体操館」。 寿思選手の集中力を高く評価している静馬さんは「あいつなら、いつかやると思った」と語った。 アテネ五輪体操の男子団体総合で日本が劇的な逆転で金メダルを獲得したことについて、17日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは「鉄棒を離れる様子はまるでチョウのようだった。 でも米国にとっても団体でのメダルは20年ぶりという歴史的なもので、満足できるものだ」と、最終種目の鉄棒での日本選手の演技を称賛しながら米国選手の健闘もたたえた。 スポーツ面のトップを飾った記事は「まず米田功が、そして鹿島丈博が、最後に冨田洋之が最高の演技を見せた」と伝えた。 最初の種目の床運動を終えて日本は7位と出遅れ、鉄棒で冨田選手が着地するまでトップを奪うことはなかった、と逆転劇を詳述した。 着地の失敗などの大きなミスだけでなく、細かな技に、失敗が多い。 これだけのプレッシャーを受ければ、仕方がないのだろうか。 けれど、本当に強い選手は、「重圧を受けたら、本来の100%ができなくなることもある。 現代の体操は、もはやそのような習熟を許さないレベルに達しているのだろうか。 とても、「3人ともノーミス」でこの難局を切り抜けることは、できないように見えた。 ルーマニアを逆転するには28・574で十分だった。 ルーマニア勢はさすがに失望の色を見せたが、3人ともノーミスという完ぺきさに、米国勢は「かなわないよ」とでもいいたげに、笑い、そして拍手した。 「心理的に影響されるから、ルーマニアの演技は見ていなかった。 重圧はもちろんあったが、自分の演技をミスなしでやり通すことだけ考えた」。 テレビ朝日の番組(スーパーモーニング)内で、現地の選手と話す機会があったので「その瞬間」を聞くと、冨田はそう答えた。 ルールの変化の波に翻弄されたと言えばそれまでだが、モスクワ五輪(不参加)以降の日本はそれまでの「基本の基本に忠実に。 その土台の上に立って独創的な技を開発し、習熟する」日本のパターンを崩してしまった。 へんな言い方だが「大技」へ逃げ、他の強豪と同じように、パフォーマンスで勝とうとした。 かつての名選手で今はジュニア指導の遠藤幸雄氏は「大技も必要だが、それを練習の積み重ねで確実にしたとき、初めて美しさが生まれる。 そこまで習熟する練習の積み重ねが、なくなった時代だった」と話していた。 今大会の体操団体金メダルは、そのなつかしい「日本の味」がする。 ミスをして不思議はない状況でも、絶対にミスしない。 個人の種目別ならこれをやるのだが、しかしチーム戦ではノーミスを優先する。 そうした精神面の強さは、むろん基本重視と、練習にあった。 基本とは、例えば手の握り方、輪の持ち方、倒立の姿勢、足先の向きといった基本の基本だ。 今回のチームは、ジュニア時代から「パフォーマンスより、まず基本」をいやというほど仕込まれてきた。 どんな時でも、どんな「軽い練習」でも、きちっとした基本を求められた。 その土台に立脚した練習の積み重ね、技の開発努力だった。 いまでは躾という言葉は大切にされなくなったが、自由奔放だけでは、真のチャンピオンは生まれない。 土壇場の重圧で頼れるのは、結局その「基本という土台」の確かさなのだ。 支え役として見事な仕事をした最年長27歳の塚原は、「最初の演技では、頭の中が真っ白だった」と、その緊張ぶりを悪びれずに告白した。 真っ白になってもあれだけのことが、なぜやれたのか。 体操の男子種目別平行棒で冨田洋之(23=セントラルスポーツ)が9・775点で銀メダルに輝いた。 22日のつり輪では、地元ギリシャ選手への不可解な高採点もあって4位に終わり、あと1歩でメダルを逃したが、その悔しさを最後の種目にぶつけた。 鉄棒では米田功(27=徳洲会)が9・787点で銅メダル。 日本勢は男子団体総合の金、種目別男子あん馬の鹿島丈博の銅と合わせて4つのメダルを獲得し、アテネで体操ニッポン復活を強く印象づけた。 冨田は自らの競技のキーワードでもある「美しい体操」を貫いた。 最高難度スーパーEの大技はないが、1つ1つの技がまったく乱れない安定した演技。 前日の種目別つり輪では、ぶつけようのない悔しさを味わった。 ほぼ完ぺきな演技で9・800の高得点をマークしたが4位。 金メダルのタンパコス(ギリシャ)への不可解な高い採点の犠牲になった。 体操関係者が「あれは9・7程度の演技」と口をそろえるレベルだったが、会場の異常な盛り上がりに審判団が重圧を受けたと取られても仕方ない。 「いや別に、自分はかかわっていないし、今日は今日で自分の演技を丁寧にやろうと」。 普段から寡黙でまじめな男だけに、不満は一切口にしなかった。 その代わりに、いつも以上につま先、指先にまで神経を行き届かせた。 ただ派手な技をするだけなら、サーカスと変わらない」というポリシーを信じた。 その結果が、金メダルと0・012差の価値ある銀につながった。 もともと平行棒は、世界に羽ばたくきっかけをつかんだ種目。 01年東アジア大会金メダルで世界と戦う自信を得た。 この日はシドニー大会、昨年の世界選手権金メダル、今大会銅の李小鵬(中国)を初めて上回った。 「団体金メダルの後は、なかなか日本をアピールできなかった。 次は全日本社会人選手権(9月、仙台)に向けて頑張ります」。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。