崇高とか意識高いとかは違うのかな。真逆。
サボるし、盗み食いもするし、欲望に忠実。
国を作るってのも「楽しそうだから」ぐらいの感覚で
崇高な意識を持ってるのはローズマリーの方。

でも窮状に追い込まれた時に、人の本質が剥き出しになる。
ローズマリーは子供に襲い掛かり、デーリッチはパンをあげた。
腹を空かせ、やっとありつけたパンを奪おうとした盗賊に。
まだ欲望剥き出しの小さな子供なのにそれをした。

孔子の言に「七十歳になってようやく、己の欲望のまま行動しても、
人の道を踏みはずすことがなくなった」というのがある。

どうしてあんたが王をやらない?という問いに対する
ローズマリーの「私じゃ、みなを笑わせられないから」には
それが含まれているし、デーリッチの本質に畏敬の念がある。

でもデーリッチ一人だと結末は異世界編になる、すぐ死ぬ。
二人でようやく一人の王として成立してる。