(つづき)

業病と自由

それは前世の報いか、それが自分というどうしようもない存在の証しなのか。
いずれにせよ、なぜ抱え込んでしまったのか人に上手く説明できず、自分でもいまだ納得できないような厄介なものを、「業病」と言い表すことがありますが、マリアにとっては<聖母>もまた業病のようなものだったのかも知れません。

実際、それは逃れようとしても逃れられない病気のようなもので、治す治療法も薬もなく、それをそれとして受け入れ、なんとか付き合っていくしかありません。
ただそれはそれとして、しばし業病を脇において別のことに没頭したり、背を向けていく自由が与えられているのも人間であるはず。

マリアが性的であるということもまた、そうした自由な人間を生きることに他なりません。
業病を抱えつつも、それをどうにか切り抜けて、生きようとしている。

きっと作者は、そうした誰にも描かれていないマリアをこそ、自分の脳内に思い浮かべ、そうして秘かに癒されていたのでないでしょうか。

今週のキーワード
自業自得アクションを起こしてね。赤リップやちょっと強めのファッションで気分も上げていきましょう!