B型は知的障害者!
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今回は知っているようで知らないことの多い点心についてたっぷりご説明。 間食や軽食を指す
そもそも点心は中国で「軽食・間食」という意味なのです。 さらに、中国では日本人が思っている点心の範囲を遥かに超えていて、
中国の人はお菓子類も「点心」と分類するので、ケーキ、クッキー、チョコレートなども「点心」の一種類なるそうです!これはビックリ! 小皿も点心
中華料理では、主菜とスープ以外のお料理は、ほぼ点心とよばれています。 春巻きや肉まんのように少量ずつ食べるお料理だけでなく、炒め物やあんかけメニューなど、
通常は大皿料理が定番のメニューも小皿に盛り、正式な食事時間以外で食べれば、それも点心と呼ばれるのです。 点心には大きく分けて、甜点心(テンテンシン)、鹹点心(シェンテンシン)、小吃(シャオチー)、果子(グオズ)の4種類あります。
普段は種類を気にすることはありませんが、今回は1つずつポイントをおさらいしていきましょう。 甜点心(テンテンシン)
主に甘味の点心。ごま団子、桃饅頭の他、杏仁豆腐、マンゴープリンなど冷たいお菓子も甜点心として分類されます。
中華料理などのコースでは、最後に食べるデザートとして出てくるので、馴染みがあると思います。 鹹点心(シェンテンシン)
主に塩系の味付けがされている点心。餃子や肉まん、小龍包など日本人の多くが意識している点心は、きっとこの分類ではないでしょうか。
主に小麦の皮で餡を包んだものが多く、調理法は茹、蒸、揚と様々です。 小吃(シャオチー)
主に小皿料理の点心。
普段は大皿で盛り付けられている料理を、小皿などに盛られて正式の食事の時間以外で提供されれば、点心という事になります。
エビチリ、酢豚、そしてチャーハンやお粥も小吃に分類されます。 果子(グオズ)
そのまま食べられる果物やナッツ類、またそれらをシロップ漬けにした果物や飴をからめたものを呼びます。
すいかやひまわりの木の実などもこの分類になります。 点心の時間
軽食やおやつを意味する点心は、食べる時間帯によって呼び名が変わります。
朝ごはんとして食べる点心は「早点」、午後3時以降のお菓子代わりに食べる点心は「午点」、夜ご飯として食べる点心は「晩点」と呼ばれています。 飲茶と点心の違い
軽食の「スタイル」が飲茶
「飲茶」とは、中国茶を飲みながら点心を食べる習慣のことを意味します。
つまり、飲茶は食べ物の事ではないのです!そうなると、「飲茶を食べに行こう」という表現は間違いで、正確には「飲茶をしに行こう」が正しい表現となります。 そもそも、現代の飲茶の元は明の時代まで遡ります。明の時代に様々な点心が作られ、次々と点心のお店も出現。 そして、いまのような飲茶のスタイルも明の時代に起源があり、大きな器に緑茶を注いで、点心を食べたことが、はじまりになったみたいです。 そして「飲茶」とは広東語ですが、英語では「dim sum(ディムサム)と言います。 この飲茶の習慣は、広東が発祥といわれていますが広東だけでなく北京,蘇州,杭州などでも行われているそうです。 飲茶の仕方
「飲茶をする」にあたり、本場中国ではいくつかルールがあるので覚えておきましょう。 まずはお茶選び!
日本のように座ればお水やお茶が出てくるのではなく、お茶のオーダーから始まりますので、中国茶の知識を身につけて、本場のお店へ行く事をオススメします! そしてお店に行く時間帯ですが、基本的に中国の人が飲茶を楽しむのは、朝〜15時頃まで。 夕食として提供しているお店は少ないので、せっかく行きたかった飲茶のお店が夜は閉まっている、なんて事がないよう観光する際、時間には気をつけておきたいところ。 お茶をおかわりしたい時は、急須のフタを逆さまにして乗せておくか、少しずらしておけば、お湯を注いでほしいという合図になります。 そうしておけば、わざわざ店員さんに「お湯くださーい!」と言わなくてもお湯を足してくれます。これは嬉しい情報ですね! 定番のお茶
たくさんの種類の中国茶がありますが、飲茶をする際の定番といえば、烏龍茶、プーアール茶、ジャスミン茶ではないでしょうか。 烏龍茶は、日本人にとっても馴染みあり、飲みやすく、少し甘みを感じられるので点心との相性も抜群です。 そしてプーアル茶は、中国の人が日常的に飲むお茶として人気です。
飲茶をする際の定番のお茶でもあり、味の濃い点心との相性もよく中華料理に多く使われている油もすっきりさせてくれます。 最後にジャスミン茶は、その名の通りジャスミンの花が入ったお茶です。
独特な香りはとくに女性に人気。
油の多い点心の後に爽やかな香りがクセになります。甘い点心とも相性がよいですよ。
独特な香りは気分をリラックスさせてくれます 中華料理では、一度全員に行き渡った料理の残りを食べたい人が自由に取っても構いません。 お客様が料理の量に満足しているかどうかを確認して、もう料理に手をつけないようならば遠慮せずにいただきましょう。 テーブルを回すときは、他の人が取り分けていないかを確認し、時計回りにゆっくりと回します。
また、席を立って料理を取るのはマナー違反なので、必ず座って料理を取りましょう。 回転テーブルには、調味料、お茶の急須、料理の大皿など、共有するものだけを置くのがルールです。 ビール瓶などの倒れやすいものや食べ終わったあとの取り皿、グラスなどは乗せないようにしてください。 料理が運ばれてきたら、まず主賓から取りはじめて時計回りに順番に取り分けていきます。 順番が回ってきたら、テンポよく取っていきましょう。 しかし、全員が取り終わるまでは、料理には手はつけないのがマナーです。これは和食や洋食のルールと変わりません。 ■最初の取り分け
大皿はターンテーブルから下ろさず、サーバーを使って取り分けます。取り分ける時には、全員に均等に分けられるよう気を配りましょう。 取り分けの順番は主賓か一番目上の人を優先に。なお取り分けられた料理が手もとに来ても、全員に行き渡るまで、料理に手を付けてはいけません。
そしてターンテーブルが一回りして料理が残っている場合は、おかわりも自由です。 ■取り分けは座ったまま
料理の取り分けをするのは、料理が自分の前に来てからがマナー。
加えて、立ち上がって取り分けるのはマナー違反です。
そして取り分けた後、サーバーはターンテーブルからはみださないように戻しておくこと。 ■取り皿は一品一枚
取り皿は新しい料理ごとに取り替えましょう。前の皿の味と混ざってしまい、味のバランスが崩れてしまってはもったいないので、まめに変えてください。
円卓に新しい皿がなくなりそうと気付いたら、お店の人に一声かけることも忘れずに。 れんげのマナー
麺類は一度れんげにとってから麺を食べます。こうすることで汁がはねにくくなります。 スープを飲むときはれんげを右手に持ち替えます。
また、れんげにも使い方があります。
れんげは真横ではなく斜めに口にあてます。
口に垂直にあたるのが良いでしょう。
れんげの柄のくぼみに人差し指を入れて親指と中指でれんげを持ちます。 中国茶のマナー
油を使った中華料理には脂肪を分解してくれる中国茶は欠かせません。 中国茶は食後ではなく食事中にいただきます。ウーロン茶やジャスミン茶などお好みで選んでみてください。 中国茶は急須を使わず、湯飲み茶碗の中に茶葉が入っていることもあります。 その場合は、湯のみ茶碗を左手で茶托ごと持ち、右手で蓋をずらして飲むと、口の中に茶葉が入るのを防ぐことができます。 また、急須を使った中国茶は、蓋を少し右にずらすとおかわりのサインになります。 中国茶はたいてい大きな急須で出てきます。
何杯でもお代わり自由なので、急須を回転台にのせて自分でついて飲みます。 自分のぶんだけでなく、両隣の人にもついであげてもかまいません。 ・お代わりのサイン
お茶がなくなったら、ふたをずらすかひっくり返してのせておきます。 こうしておくとわざわざ頼まなくても、お店の人が気がついてお代わりを持ってきてくれます。
もちろんお店の人に直接頼んでもかまいません。 ・ふた付きの茶碗での飲み方
中国茶はふた付きの茶碗で出される場合もあります。 中に茶葉も入っているので、日本茶のようにふたを取って飲むと、茶葉が口に入ってきます。
受け皿ごと取り上げて、ふたをずらしてその隙間から飲むのが正式なマナーです。
お湯のポットがでていれば、自由にお代わりができます 食べ物を残すのはマナー違反なので自分が食べられる分だけを取り分けます。 料理が残っている場合、おかわりがしたい人はその都度おかわりをします。 先にも書きましたが、中華料理のお店では他の人の分まで取り分けることはしません。
しかし、お茶は隣の人にも入れてあげましょう。 日本では,江戸幕末に開港された港町である横浜,神戸,長崎にチャイナタウンが形成されている。 これら日本3大中華街は,いずれも重要な観光地として発展してきた。 中国料理店を中心に,中国民芸品,中国食品,中華菓子,中国茶などを販売する店が集中し,エキゾチックな中国世界を作り出している。 最近,日中関係がぎくしゃくしているが,横浜中華街を週末訪れると,ラッシュアワーのような混雑である。 これは,日本人が中国料理を好むだけでなく,中国文化への興味・関心が高いことを物語っている。 新華僑の増加
中国の改革開放政策の推進に伴い,出稼ぎや留学などの目的で世界各地へ出国する中国人が増加した。
改革開放以前に海外へ渡った中国人(老華僑)に対して,彼らは「新華僑」と呼ばれる。 日本においても,1980年代後半以降,日本語学校,各種学校などで学ぶ学生に支給される就学生ビザを取得して来日する新華僑が急増した。 法務省の在留外国人統計によれば,在留中国人(中国籍保有者)は,80年に5万2896人であった。 80年代末から急増し,90年には15万339人,2000年には33万5575人,そして10年には68万7158人となった。 11年の東日本大震災を契機に帰国する中国人が一時増えたが,14年末現在,在留中国人は65万4777人となっている。 私は、1970年代から日本および世界各地のチャイナタウンを調査してきたが,
北アメリカ,ヨーロッパ,オセアニアなどで,新華僑によって新しいチャイナタウンが形成されていることに着目してきた。 前述した日本三大中華街は,中国から渡ってきた老華僑が,長い歴史の中で,日本社会と交流しながら形成してきたものである。 老華僑は日本3大中華街を形成したが,日本でも増加した新華僑が新しいチャイナタウンを形成しないはずはない,との課題が私の頭に浮かんできた。 池袋チャイナタウンの形成
このなぞは,中国人留学生の次の言葉で解決した。 1990年代末ごろ,中国人留学生が「池袋は私たち中国人にとって便利なところですよ。
アルバイト先も多いし,中国人が必要なものは,何でも池袋で売っていますから」と私に話してくれた。 それ以降,池袋駅の東口と西口の界隈を歩き回るうちに,
池袋駅北口周辺に,新華僑が開業した中国料理店,中国食品スーパー,中国書店,ネットカフェ,旅行社などが集積していることがわかった。 私は,この北口周辺が海外で見て来た新しいチャイナタウンの誕生であると確信した。 そして,2003年には,「池袋チャイナタウン」と名付けた。 当初は,検索サイトで「池袋チャイナタウン」を検索しても,私のホームページしかヒットしなかったが,今では10万件以上のサイトがヒットするようになった。 テレビ,新聞,雑誌などでも取り上げられるようになり,多くの人が池袋チャイナタウンの存在を認識するようになった。 15年6月現在,私の調査では,池袋駅北口を中心とする池袋駅西側には,約210軒の中国関係の店舗があり,そのうち中国料理店だけで70軒あまりを数える。 池袋周辺の日本語学校と安価なアパート
新華僑の店舗が池袋に集中するようになった主な理由として,次の3つを挙げることができる。 1つは,池袋周辺に日本語学校が多く立地したことである。 1980年代後半,日本語学校の多くは東京に集中しており,特に日本語学校が多数立地したのは,池袋と新宿の周辺であった。 2つ目の理由は,池袋駅から徒歩5〜10分くらいの地区に老朽化した家賃の安いアパートが多かったことである。 3つ目は,東京有数の繁華街である池袋には,来日したばかりで日本語がたどたどしい中国人就学生でも,居酒屋などのレストランの皿洗いやビル清掃などのアルバイトを見つけやすかったことである。 なかでも91年,中国食品スーパー「知音中国食品店」が池袋駅北口近くで開業したことは重要な契機となった。 これにより,その周辺に新華僑経営の店舗が多く集中するようになった。 起業を目指す新華僑にとっては,「池袋駅北口」という場所はブランド化している。 池袋チャイナタウンを歩こう
池袋チャイナタウンのゲートウエイは,池袋駅北口である。ここで待合せをする人びとの中には,中国人が多い。 池袋駅北口から1分も歩かないうちに,中国らしい赤い看板を掲げた中国食品スーパー「陽光城」がある。 池袋チャイナタウンのシンボル的存在である。その向かい側の雑居ビルの4階には,「知音中国食品店」の後継である「中国食品友諠商店」があり,中国食品なら何でも揃う。
同じビルの2階には中国書店「聞聲堂」がある。 池袋チャイナタウンの中国関係の店舗の大多数は,日本三大中華街とは異なり,雑居ビルの上層階か地階にある。 1階には,日本人経営のチェーン店や古くから営業している店が多く,新華僑が1階で開業したくとも,空きテナントが少ないからである。
池袋チャイナタウンを歩く際には,上を向いて歩くのがコツである。 多くの日本人にとって,雑居ビルの上層階や地階にある中国料理店には,なかなか入りにくいものである。 たいていの中国料理店では,ランチメニューを用意している。 日替わり定食のほか,麻婆豆腐,青椒肉絲,酢豚,エビチリ,ニラレバなどの定食(杏仁豆腐のデザート付きが多い)が,680〜800円程度で食べられる。 ランチタイムには,日本人サラリーマンや学生が多い。もちろん日本語メニューがあり,中国人店員は日本語を話す。 池袋駅北口近くには,「永祥生煎館」という上海名物の焼き小龍包の専門店(4個で400円)があり,日本人客も行列を作る。 池袋チャイナタウンは,日本で中国に最も近い街である。 「食わず嫌いの嫌中」の日本人にも,ぜひ池袋チャイナタウンを訪れてほしい。
まずは,池袋駅北口をめざし,ホンモノの中国料理を味わってみよう。 この特集の第2回「東京の新しいチャイナタウン」で紹介された通り、池袋には在日中国人の新たなコミュニティーが自然発生的に形成されている。 その集積を背景として、北京オリンピック開催の2008年には中国人経営者らによる「東京チャイナタウン構想」が打ち上げられた。 しかし、事前の根回し不足で地元商店街からの反発に遭い、それを聞きつけた右翼団体が街宣車を出動させ警官隊が中国系商店「陽光城」を守る大騒ぎに発展。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています