長谷川総責任者は、こう答えた。

「私は第2期のことはよく知らないので、これはホンダとしてではなく、あくまで個人的な見解ですが、
当時('80年代)のF1の技術は必ずしも技術屋から見れば、最高峰というわけではなかったんじゃないでしょうか。
だから、ホンダが必死になってやったら、頂点に立てた。
あまりいい表現ではないかもしれませんが、村で一番足の速い子が駆けっこに出て勝てた、みたいな感じです。それが、第3期からは駆けっこではなく、完全にオリンピックになっていた」