あれだけ軽く作りゃー、ってなるけど
ティレルに載ってた92年はそこそこ完走率が高くなってたんで
出走初年度のレイトンハウスの印象が強すぎるんじゃない?

マーチの方もモントリオールでヴェンドリンガーの渾身の走りに応えたくらいだから
やっぱり2年目以降(その後ザウバーに載る→最終的にメルセデスエンジンになる)は
良くなってたんだと思う。

ティレルとマーチの2チーム体制だった92年に関しては分からないけど
94年のザウバー(こっちはもうメルセデス)/パシフィックの2チーム供給の時は
パシフィックの方はハイニ・マーダーに移管されてた模様。

インディでもイルモアだけで面倒見切れない分はペンスキーやジム・ホールのところに外注してたというから
この種のアウトソーシングはイルモアにおいては珍しくないようだけど。