● 2輪ロードレース総合 (MotoGP/SBK etc.) ●
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日本人から見たらKTMのイメージは
ホンダ、ドカ以下の糞だからなぁ…
ズルイ事ばかりやらかして
返り討ちにあったら逆切れして口汚く罵り始める
そんなフェアプレーとは無縁に見えるKTMに
義理を感じるというのが意外に感じるのは
無理からぬ事ではある それ海外から見た日本のイメージだからお互い様感ある KTMのどの辺がフェアプレーと無縁なん?
イタリアのメーカーがクッサいことばっかりするイメージはあるけど ヤマハが内緒でエンジンを改良するクッサイ事してたのが
バレてペナルティを受けた話なら知ってる >>754
そんなことしてねーよ朝鮮人www
フェラやドカみたいなイタリア勢じゃあるまいしwwww モルのファクトリー入りは歓迎。
彼は冷や飯を食わされ過ぎた。 モジャさんが俺にもワークスマシンくれと頼んだがヤマハはくれなかった
それでも頑張って結果を出したから来年はワークスマシンに乗せるべき モルビデリが昇格でロッシは引退か。ヴィニャーレスはアプリリアかテック3でKTM?ドヴィみたいに休養もありかな 10年ほど前のロッシはファクトリーに相応しいライダー
だったけど今は・・・老兵は死なずただ消え去るのみ
https://pbs.twimg.com/media/E4qRX5VWUAEcTGE.jpg 去年の成績なら文句なしにワークスモルビデリ推奨だが
今年のモルビデリは怪我したりなんだりで来年も型落ち供給されても仕方ない状態だぞ? まああれだプロスポーツ選手は引き際が肝心だな
ケーシー・ストーナーのようにスパッと引退すべき >>765
ロレンソやロッシみたいに醜態を晒すよりカッコいいから 好きで好きで醜態晒しても走り続けるってカッコいいぜ? 良い歳してでも走り続ける美学はあると思うけど、最高峰でやって欲しくはないな。まあ今年で引退だろうけどさ。 >>760
KTMのワークスは織部と瓶田テック3はガードナー息子
とたぶん現チームメイトの昼ナンデスが共に昇格かな
https://pbs.twimg.com/media/E23bVxUVkAQeT9b.jpg ドヴィとビニャが空いてるがどこか拾うチームはあるのか、どっちも賞味期限切れだけど ビニャは来季ノザネの後釜でSBKでヤマハに乗れば良い >>774
野左根くんにもう国内に戻れってか。
キミ、厳しいな…。確かにここまで大した成績残してないが…。
去年の巧よりマシだがチーム力考えると下まであるからな…。 >>772
ドヴィはアプリリア側が今年はスポット参戦させて
来年フル参戦させたいらしいが本人が保留
ビニャはアプリリア側が交渉に応じる姿勢を見せて
エスパルガロ兄貴もお前を歓迎すると発言 >>776
ドヴィが来年フル参戦でビニャも来たら誘ったアレイシがクビになるという結果に >>777
大昔のホンダみたいにチームを追加して3人のライダーを走らせたらいいんじゃないかな?
https://i.pinimg.com/originals/53/f7/7f/53f77f42897c917fc47fb23959486789.jpg
↓
87年
ロスマンズ・ホンダ:ワイン・ガードナー(ランク1位)と八代俊二(ランク9位)
チームHRC:フレディ・スペンサー(ランク20位)※日本GPだけ木下恵司
89年
ロスマンズ・ホンダ:ワイン・ガードナー(ランク10位)とマイケル・ドゥーハン(ランク9位)
チームロスマンズ・カネモト・ホンダ:エディ・ローソン(ランク1位) ドゥーハンはミックなのか?マイケルなのか?といつも思ったりする。 ドーソン・ドーハン組って覚えてる
SUGOのTT-F1とか8耐以外もセットで来日してたような 最初はドーソンの方が期待されてたな
ドゥハンが覚醒したのはホンダに移籍してからだった 兄より優れた弟など…
ミックの兄、スコット・ドゥーハン
SBKやGP500にも出てる
https://en.wikipedia.org/wiki/Scott_Doohan ドゥーハンはホンダのイメージが強いが実はヤマハワークスYZFに乗って
平と組んで鈴鹿8耐に出たり富士スーパースプリントでもYZFに乗って
同じマシンに乗るドーソンと一騎討ちの末に優勝とかしていたな
https://pbs.twimg.com/media/El0E0zKX0AQjuZD.jpg 名前が似ていて同じバイクに乗ってる奴には負けたくないだろうな ヤマハがオーストラリアから人材引っ張るようになった時点でドーソンはピークかこれからの若手ではないぐらいだったのかね?
オーストラリアの国内レースから選手を見出したのってモリワキのガードナーが初かと思うけど、その頃モリワキってまだカワサキだったのな F1にも同時期に似た名前のヤツら出てたな
確かマーティン・ブランドルとマーク・ブランデルだったっけ?
M.ブラン◯ルって表示するもんだから、パッと見わからんw
スレチ御免 大昔の日本GP予選で新沼謙治がコースレコード出してポールポジションを獲ったと聞いて
え?あの人いつの間にかGPライダーに転職したのかと思ったら似た名前の外人さんだった
https://i.pinimg.com/originals/a9/ac/ae/a9acae813a64b8b27965a4b8fde122c4.jpg ディディエデラディゲスとかいうライダーが出てきた時
何かの呪文か?と思った >>800
大昔散々言われまくった今じゃクソつまらん話延々出してくんなよ
頭おかしいのか? >>804
ルッキネリでもなくバリー・シーンでもなく
ウンチーニを選ぶのが関西人 >>808
普通、スズキの4スト大排気量車だったら、
YOSIMURA系の、Wクーリーとか名乗るよな。 連載当時はGPの情報も殆ど無かったしAMAの話なんて誰も知らない
メーカーがGPでタイトルを取ったら記念広告を出すから
それでウンチーニの名前を知って使ったんだろう 1982年ヤマハがエンジンをパラレル4からスクエア4にしたかと思ったらV4にしたりと
迷走してケニーの足を引っ張っている間に完成度の高いスクエア4のスズキでタイトルを
1回だけ獲ったすき間チャンピオンで名前がウンチだがイケメンで性格も良いナイスガイ
https://i0.wp.com/mediageneration.it/wp-content/uploads/2017/10/FRANCO.jpg 日本限定でネタにされたライダー
フランコ・ウンコ・ウンチーニ
ニール・新沼謙治・マッケンジー ロードはΓの時代だ
82年世界ロードレースGPチャンピオンマシンRGΓ
その栄光のメカニズムをフィフティに移植したスズキRG50Γ誕生
全身を包むレーサーフォルム
勝利に裏付けられたNewメカニズムの数々
軽快なレスポンスで走りフルスケール
いま究極のフィフティを目指して-----躍動Γスピリッツ
https://i.pinimg.com/originals/fb/28/12/fb2812ba72ea8f100ab6df9fd2572608.jpg >>813
ウンチーニかよ。
このガンマもださい。
しかしスズキはいつの時代もダサいな。
2代目250Γは好きだったが。 ウンチーニが初代250Γを初めて見た時
「スズキは250ccクラスにも参戦すると思った。」と言ってたな。
水冷エンジンにアルミフレームだから
これをベースにした市販レーサーを造ると勘違いしたんだろうな >>817
ふ〜んそうなのか。
初代Γ凧みたいと言われた奴だよな。
性能良いけどスタイルがう〜ん。
と購入悩んでる奴たくさんいたな。 83年のスズキは小型軽量化を進め106sの軽量マシンになったが
テストするとフレームのあちこちにクラックが入ったそうな。 開幕戦だけ軽量マシンで出場し第2戦からは82年型マシンに83年型の小型エンジンが
搭載出来るよう改造したがホンダとヤマハが強くてスズキは全く勝てなくなった。 80年代はもうホンダ最強の時代。
ファーストフレディで一気に爆発した。
この当時からホンダの市販車の品質もガンガン上がっていき、NSRなど
メッキピストンの精度のすごさにひっくり返るほど。
ネジ一つとってもさびない緩まないんだよね。HONDAは。
ちなみにこのころのスズ菌の2ストはすぐに焼き付いたし、見掛け倒しでサス
はふにゃふにゃ。
川崎に至っては新車からさびていた。
HONDA最強の時代だよ。 正確に言うと80年代は市販車部門ではホンダとヤマハが互いに新車を発売
しまくり販売台数でマウントを取り合うHY戦争で覇権を争っていた
世界GPでは81年はルッキネリが82年はウンチーニが王者になりスズキが
最強だったが83年から90年までホンダとヤマハが交互に勝っていた HY戦争の影響でスズキの二輪事業も赤字に転落して事業撤退も遡上に挙がってた状態だったからな
ホンダとヤマハの開発が進んでいる中でGPからの撤退が決まってレーサーの開発はストップした状況じゃ勝てないよ
>>827
当時の技術者は軽くし過ぎたwと言ってたな
フレームのパイプ材は薄過ぎて曲げられ無いから溶接で処理したり
ステップが樹脂製だったりと軽量化への執念が見られるバイクだったね >>829 メッキピストンはない・・・ ニカジルメッキシリンダーだ。 >>831
HY戦争に巻き込まれたスズキの2輪部門は100億円の赤字となり
黒字の4輪部門で補填する状況でレース活動の縮小は必然だった
82年は5人のライダーにファクトリーマシンを託していたのだが
83年はウンチーニとマモラの2名にファクトリーマシンを託した
ウンチーニがオランダGPでガードナーに跳ね飛ばされ入院するが
マモラが孤軍奮闘して優勝は果たせなかったが上位入賞を続けた
だが既にスズキ撤退の噂が出てシーズン終了後に活動休止を発表 >>829
今だから言える、KR250が市販されたとき川崎関係者の若造が買おうか思案してると
キヨさんがただ一言
「やめとけ」
実話。 あ、キヨさんじゃなかった、訂正
カワサキワークスのチーフエンジニアだったかな?まあトップに近い人の発言 追記
当時のオートバイ誌で4メーカー2st250にワークスライダーをノゼつくばでレースする企画があった
結果HYSKの順番だったんだが、それヤラセ、実はKのキヨさんがトップだった
これも実話 >>829
1980年代のGP500ランキング1位回数
ヤマハ 4回
ホンダ 4回
スズキ 2回
これでホンダ最強とかもうね。 >>837
キヨさん素直だなw
つくばのレース企画の時のホンダってNSRの前のNS250?
ヤマハはTZR250出てたのかな?RZの時代?
まあバイクの雑誌のインプレに徳大寺みたいに言いたい放題できる奴
いなかったもんな。今もいないけど。
でもKR250って小さすぎただろ。ケツはいらんかった記憶がある。 >>830
まるで談合でもして代わりばんこに勝つように仕組んでんのか
と思った >>830
87年にスズキが復帰すると89年は最多勝してチャンピオンが獲れたはずなのに
エンジンが壊れたりライダーが転倒したりで結局チャンピオンを獲り損ねた 89年はホンダとヤマハとスズキの3つの異なるメーカーの
マシンにのる3人の異なる個性をもつエースライダーが
3つ巴のガチンコ勝負をしてて最高に面白い年だった >>841
奇数年はホンダ
83年:ファスト・フレディがキング・ケニーと死闘の末に最年少チャンピオン
85年:まともなNSR500とRS250RW(NSR250)でフレディがダブルタイトル
87年:フレディスペシャルから脱却したNSRでガードナーがチャンピオン
89年:ローソンがホンダに電撃移籍しNSRを地道に改良してチャンピオン
偶数年はヤマハ
84年:フレディが逆さまNSRに苦しみローソンが楽々とチャンピオン
86年:フレディが右手イタイイタイ病でローソンが楽々とチャンピオン
88年:ホイールスピンNSRにガードナーが苦しみローソンがチャンピオン
90年:レイニーがライバルたちを圧倒しチャンピオンでヤマハ黄金時代到来
その後レイニーが3連覇してホンダとヤマハが交互優勝する時代に終止符を打った
https://i.pinimg.com/originals/19/14/2f/19142fa3a5b8979587bae81226edb404.jpg >84年:フレディが逆さまNSRに苦しみローソンが楽々とチャンピオン
>86年:フレディが右手イタイイタイ病でローソンが楽々とチャンピオン
この人だけは、ホンダの人も語ってたが、やる気がなくなると全然ダメらしいね。
調子のいい時は異常天才。
引退後、鈴鹿8耐に来てたけど、年取ってるのにいきなりブラックマークのこし
ながらコーナーリングしていく様に日本人ライダーも驚愕していた。
真の天才だが点は二物を与えず。
マルケスのように勤労意識があればすごいことになっていたんだが。
この人のイメージがあるから、ガードナーとかローソンなんて普通の人にしか感じなかった。 >>848
8耐参戦時の映像
3分57秒と5分13秒と5分25秒にスペンサーが登場
昔の相棒カネモトは当時ガードナーの担当だった
https://www.youtube.com/watch?v=lLzTeNrzRTM >>849
懐かしい映像だね。青木 辻本とか。
久しぶりに走っても早いのはスペンサーもそうだけど、
TECH21の時のケニーもそうだったね。
この時の8耐は40度越で特に暑くて死にそうだった。影がないし、必死に有料の
クーラー設置の休憩室に逃げ込んだ。今はどうしているんだろう?
あの設備じゃ今なら非難されるんじゃないかな?
日射病で倒れたやつ多かったと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています