むしろ92年の方が、旧型車使えた開幕戦とか新車に切り替わった直後のシーズン序盤は
まだ予選落ちが出るくらいには余力が残ってたのに
シーズンが進むにつれてスポンサー企業が倒産するとか、契約通りの金額が焦げ付くくらいには
経営が左前になって撤退するとかいう展開で台数が減っていったというふうに
急激に駄目になっていったという点では印象的。

それでも2000年くらいまでは「フルグリッドにほんの少し割れ」くらいでは続いてたし、
99年の第二次ローラクライシスの時に、空力周りを大改造して使うと決心したムンクラと
「馬鹿げてるって言われても、ローラで走り続ける意味を見出す」って公言して走り続けた
柴原眞介の2台を除いては全部レイナードに乗り換えるくらいの規模だったんだから
今思うとありゃー結構凄かったなと。

実は一番厳しかったのは、本来3年更新のはずを5年に引き伸ばさなきゃいけなかった
スイフト使ってたあの時期だったんじゃ。

それでも、「アメリカ製の大雑把感」があれこれ言われはしたものの、モノ自体は頑丈だったおかげで
5年もたせることに成功した(海外での中古車販売情報を見たら、ホシノレーシングは合計4台持ってたようなので
途中で1回新車に買い直してたことが分かったけど、懐事情の厳しいチームはホントに同じ車5年使ったかもしれないし
とりわけ基本設計レベルでの安全性が5年経って旧態化してなかったのは大きい)ってところではあの車に救われた。