行政の正当性を可逆的に検証するためにこそ文書の管理は重要なわけで、面会交渉の記録を残していた財務省と末端の官僚は、その意味では腐ってはいなかった。
腐っていたのはそれを隠蔽しようとした者たちであり、誰かの言葉を借りれば、そいつが出し切るべき「膿」である。