>>66
良いところに着目して、良い質問を出したね。そういうところに気付く人大好き。

ドッグランで、大人の犬同士が興奮しすぎており、そういった犬を唸ったり完全にひっくり返したり、
所謂雷制裁をして律する犬がいるなら、別に遊ばせても良いんじゃない?
犬が興奮し出した瞬間に喝を入れる犬が必要。

まあ、ドッグラン会場でそんな犬がいたらブラックリスト入りだろうけど。
だからドッグランは犬社会のルールを何も学べない場所で、
ただ興奮を助長させるだけの場所だと言ってる。

仔犬同士の遊びで、親犬の監視下であることが必要なのは、
同じ理由で、仔犬同士が興奮しすぎた場合に律する立場の存在が必要だから。

では、なぜそこで人間ではダメなのか?

答えは人間だから。人間は人間であって、犬ではない。
犬は犬に対して、常に正しいタイミングで、正しい強度で律することができる。
犬が、ある種「罰」ともいえるもので学ぶ上において、このタイミングと強度の適切さがとても重要。
それは犬同士だからこそ理解して、使うことのできるもの。
対して人間はどうか?常に正しいタイミングで、正しい強度で犬を律することができるだろうか?
答えは否。人間は犬ではないから、正確にそんなところまではわからない。
仔犬がじゃれあっているのを親犬が放っておいているのは、
それは犬社会のルールの中で、上手く遊んでいるから。
逆に遊び始めようとした瞬間に唸られる仔犬もいる。それは、犬社会のルールの中で
少々外れた態度を取ったために、「落ち着け馬鹿野郎(失敬)」という感じで、それを律せられたということ。
その違いが、人間には常に正確に判断がつくかと言ったら、無理なんだよ。

だからあなたの言う「飼い主が犬目線で犬を律する」という行為には限りなく限度があるということ。