超純愛小説「長老と北川景子」
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「まあ、そうだね、確かに厳密にいうと完璧には聖書に忠実に生きてはいないと言えるけど。」
「だから、性の不道徳から逃れることも無理とも言えないかな?」「それは失礼だけど、詭弁というものじゃないかな?」
「霊的食物からも性の不道徳は常に禁じられているしね。」「じゃあ兄弟、聖書のどこの部分を教義へ採用するのは一体誰なの?」
「聖霊と統治体だろうね」「統治体も不完全な人間なんじゃないの?不完全な人間が決めることが兄弟にとって絶対なのかな?」
亜佐美は続けた。「でね、私が最大限に兄弟へ伝えたいのは、統治体が霊的食物と与えてくれるものも、
単なる「提案書」に過ぎないと言いたいのよ。提案書なんだから、信者がアドバイス位は聞くけど自由に行動していいんじゃないの」
Youtubeの動画でも、統治体員がオーストラリアの児童性的虐待の裁判で、
JW教義の重要事項については統治体が教義に対して単に「提案」したものです。と何度も言っているんだよ。
「まあ、亜佐美のいわんとする事は分からないでもないんだけど。」
その後に「背教的だよ!」と言いそうになったけど、それは抑えた。「じゃあ、聖書では性についてどう描写されているのあるの?」
創世記には地に満ちよと書いてあるし、ソロモン王なんて一夫多妻どころか、好き放題妻とは呼べないであろう愛人を
囲っていた。ダビデだって淫行し許されざる罪を犯したが、神は許された。他にも性に関する箇所は聖書をよく読むと結構あるし、
イエスは旅に女性を連れて行くのだが、前から妻ではないかと私は考えていた。だが、イエスが結婚したとは書いていない。
大体、殺人を犯しても、神は許されている箇所が結構ある。