なぜ視聴率が低いのに長寿アニメを終了させないのか、という疑問が出るかもしれない。
それはこうした長寿アニメのいくつか(例えば『名探偵コナン』『クレヨンしんちゃん』『ドラえもん』『ポケットモンスター』)はTVアニメだけでなく年1回の映画も含めてビジネスを成立させているからだ。
だから、視聴率が低くてもダメージの低い枠へと移動させつつ、映画を中心にビジネスを継続させるという判断をしているのだ。

こうして「中央」からこぼれ落ちたアニメは、「周縁」のひとつである夕方枠へと定住することになる。
「周縁」は比較的、編成部的価値観の支配が薄くなる。
例えば1970年代後半から1990年代まで、玩具メーカー主導の色が濃いロボットアニメなど夕方枠で放送されていたのも、視聴率をあげることよりは商品が売れることが第一という論理が通っていたからだ。

とはいえいくつかある「周縁」の中で、夕方枠は決して数が多いほうではない。「周縁」として大きな勢力を持つのは「土日の朝枠」と「深夜枠」だ。
現在、深夜枠に放送されているアニメは、時間ベースで全アニメの半分を超えており、「深夜アニメ」が今のアニメビジネスの主流ということがよく分かる。

「土日の朝枠」は、未就学から小学校中学年ぐらいまでがメインターゲットの作品が多い(小学校高学年をターゲットにしているのは『ワンピース』ぐらいではないだろうか)。つまりここは「子供の王国」だったのだ。

一方、「深夜枠」は製作委員会が電波料を払い、製作委員会が出資したアニメを放送するというモデルで運営されている。
こうした費用は制作したアニメを販売(パッケージや配信)することでリクープするのである。
深夜なのでもとから視聴率など求められていないし、CMを流している企業も基本的に製作委員会関係の企業なので、視聴率を根拠にした広告効果を求めているわけではない。
つまり「深夜枠」は「中央」の編成部的価値観から最も遠いところで成り立っている、「開拓地」のような場所ということができる。

かくして「中央」の領土をじわじわと失っていったアニメは、それと入れ替わるように「周縁」へとその生き延びる道を探し、その環境へと対応してきたのである。

ちなみにこうした変化により、アニメファンの“なり方”も変わってきた。
1990年代は、小学校中学年から中学生・高校生まで各年代に向けたアニメがあり、アニメが好きな子供はなだらかにハイターゲット作品へと誘導されていった。
現在は小学校中高学年向けの作品が手薄で、このなだらかな誘導路がなくなってしまった。

なので「子供の王国」を卒業した子供は、小学校高学年や中学生ぐらいになって「深夜枠」に触れることでアニメに再入学するのである。
この時、きっかけとなるのはライトノベルなどの原作の存在で、友達からの口コミで原作を知り、改めてアニメを見るというルートがあるのである。
またTVドラマなどに、思春期のあこがれを仮託できるような「学園ドラマ」が手薄なところも、再入学を促す要因になっていると思われる。

この「再入学」において「深夜枠」であることがハードルにならないのは、録画機の発達や配信の普及と深い関係がある。
逆にいうと「再入学」する時に彼らはもはや「TVアニメであること」に強い意識を持っていないことになる。

そして先述のこの時、アニメの視聴者はもはや編成部的価値観でできた「中央」に大きな意味を見つけることができない。
自宅の録画機にせよ配信会社にせよ「データとして収納されたアニメ」には、そんな意味はなにも関係ないからだ。
先述の「中央と周縁」論からいうならば、視聴者は(そしてアニメも)もはや「TV」という枠組みからすらはずれて、その外側に広がるさらに広大な「周縁」の中で生きようとしているのである。

プライムタイムこそアニメの檜舞台という一つの時代の「終わりの終わり」が訪れ、TVとアニメの関係はまた大きく変わっていくに違いない。

https://animeanime.jp/article/2019/10/11/48930.html