大のシコり、それは池沼特有のリミッターの外れた常人離れした腕力によって繰り出される荒々しい暴風雨の様な
手の上下運動で陰茎を刺激することによって成立する大にしか成しえない技である。だが、力技だけが大のシコり
を成り立たせているのかといえばそうではない。猛々しい上下運動の中にほんの僅かだけ垣間見せるシルクの様
な柔らかさ・・・それはほんの少しであればあるほどその柔らかさは際立ち、まるで地獄の業火の中に生まれた優
しい風のように亀頭の先まで瞬時に包み込み、極楽へと誘うかの様な言葉に尽くせぬ程の快楽をもたらしてくれる
のである。まさにそれは味覚に例えるならとろける様な甘さであり体感する者全てを虜にしてしまうのも頷ける話である。
では、激しい動きの中にどれだけの優しさを見せれば極上の快楽をもたらせるか・・・優しさが大きすぎては逆に効果
が減少してしまうし、小さすぎては優しさに気付かれなくなってしまう。その絶妙な加減ができるのも大ただ一人で
あるだろう。それは緻密な計算によってなされるのではない。大の知能では不可能である。驚くべき事に、大は本能
によってのみシコりの運動の激しさと優しさの最も効果的な配分を行っているのである。まさに大こそがシコりの申し子
であると断言できるであろう・・・