男時代劇・第三部
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昔の日本の馬はポニー並のサイズだったらしいね。
今見慣れてる馬は近世に西洋から入ってきたもの。
富士山バックにUESMがポニーに乗る姿想像したら笑える。 青森県の尻屋崎というところに
「寒立馬」という日本古来の姿を留めた馬が居る。
ぶっとい脚でドタドタと歩くんよ。
サラブレッドとは全く違う、スピード感のない馬さん。 女隠密がUESMの寝処に潜入
UESMのチンコを確認せよ >>113は小伝馬町の牢屋敷にぶち込まれ
牢名主と、その取り巻き連中に目をつけられる。
他の囚人達の目の前で散々罵声を浴びつつ、
日々の鬱憤ばらしに次から次へと公開ホモセ。
肛門は裂け、夥しい血が流され、それと入れ替わりに臭くて穢い精液がドボドボと注ぎ込まれる。
極度の激痛と屈辱感で意識が薄れゆくなかで、
>>113の動脈が硬化する。
ヘイーヤレロトティーヤ ヘイーヤレロトティーヤ
ヘイーヤレロトティーヤ ヘイーヤレロトティーヤ
ヘイーヤレロトティーヤ ヘイーヤレロトティーヤ
ヘイーヤレロトティーヤ ヘイーヤレロトティーヤ
ヘイーヤレロトティーヤ ヘイーヤレロトティーヤ
ヘイーヤレロトティーヤ ヘイーヤレロトティーヤ
御陀仏 将軍様って、
好きな食べ物ばかりを毎日毎日毎日毎日食べ続けてたんだってな。
誰だったか忘れたが、茗荷が大好きで、一年中茗荷を食べたがるもんだから、
江戸郊外の板橋では茗荷栽培が盛んになったそうな。 12代将軍の家慶だな。
茗荷が好きすぎて、茗荷が一時期手に入らなくなったことを水野忠邦のせいにして
やつ当たりしたエピソードがある 皇室は、将来誰が即位するかほぼわかってるから、早期に「教育」を行うことができるが、
江戸幕府の将軍って、途中から「次は誰か?」全くわかんなくなったよな。
若い頃から将軍になるための教育とかできなかったようだな。 それだけにはじめから素養のある人を選抜できたのかも知れないよ。
帝王教育なんて意外とろくなもんじゃない。 >>121は、
市中引き回しのうえ、磔、獄門
更に家族一同佐渡島に遠島のうえ、金山で強制労働
御陀仏 お庭番って、普段はどんな生活をしてるのですか?
ひたすらトレーニング? UESM、何で川に橋をかけてはいけないのですか?
箱根八里は馬でも越すが
越すに越されぬ大井川
たとえ大名であっても川越人足の背に乗って
(^〜^)ああ^〜 UESMは紀州出身だから
賄賂にはミカンが有効
ミカン>>>>>>黄金色のお菓子 TDSK…
4: 名無しさん@ピンキー [sage] 2020/05/03(日) 00:31:57.30 ID:??? (3/3)
大岡越前守は、自分の母親に「女性はいくつまで性交(まぐあい)の欲望があるのでしょう」と訊ねた。
母親は何も答えず火鉢の中の灰をならし、暗に「女は灰になるまで」と伝えたという TDSKの母上「TDSK、そなたは菊門から大噴火が起こっても性交の欲望はあるじゃろ?」
なんでもご存じの母上だった TDSK
「せ、拙者は、UESMに無理矢理突かれているだけでござる!本意ではござらぬ!!!!!」
・・・・・・
UESM
「ハックショーン!」 MTKN「SKさんKKさん、参りましょうか」(一発やる時のサイン)
HTBE「今日は出会い茶屋に美少女としけこもうとしたら、相手は男の娘だった、こいつはうっかりだぜ」
YSC「ご淫巨、どうもAKDIKNはあのガチムチ大工を借金の方に掘りぬこうて魂胆ですぜ」 UESM
「時代劇が全滅して久しいが、
余が毎週毎週立ち回りをしなくて済むということは」
世の中が平和ということだな」 TDSKに膝枕してもらい、
あまつさえ耳かきまでしてもらうUESM
UESM「う〜ん、気持ちいい。余は満足じゃ」
TDSK「(ここで、耳かきを思いっきり突き刺せば、UEは死ぬ・・・)」 >>135
TDSK、それやっちゃったら「暴れん坊将軍」と「大岡越前」終わっちゃうだろw 江戸時代に将軍暗殺が一度も無かったのは
将軍 ≠ 最高実力者だったから? 暗殺されても
日本国に何の影響も無さそうなのは
七代将軍? 白馬に乗ってパカラッパカラッ・・・
ヒヒーン!
暴れん棒将軍!!
ダダダーン、ダーダーダーダーーン
カコヨス 百合子は大地真央と系統が近い感じがあるからUESMのタイプかも知れないね >>151
TDSK「だが断る!!!!!!11」
そして江戸から逃亡。 UESMよぅ・・・
世の中には、晴らせぬ恨みを抱えたまま、
毎日毎日泣きながら、無念の死を迎えた、
そんな弱い者達が居るんだ
お城の奥で贅沢三昧のあんたにゃわかるまい
誰かが恨みを晴らしてやらにゃ、みんな御陀仏だぜ・・・
グサッ! でもUESMだって三男坊だからともすれば冷や飯喰らいだったからな。 長七郎江戸日記、見てたな〜
「俺の名前は引導代わり、迷わず地獄へ落ちるがよい!」と決め台詞を叫び、
バッサバッサと斬るのだが、 長七郎に付き添うじい様(名前失念)も一緒になって斬ってる。
それを見ては「あっ、じい様に斬られた。あいつ迷って地獄に落ちたぞ」
と弟と二人で喜んでたもんだ。 貧乏旗本の三男のくせに
なに立派な服装してんだよ
ろくに洗ったこともないような
薄汚ない着流しで出演しないと
作り物臭がプンプン漂う 目安箱に投稿されて、
採用された意見としては
小石川療養所が有名だが、
採用されなかった意見には、
どんなものがあったのか。
くっだらないこと書いたのとかありそうだな。 >>170
「UESM、オイラのケツがモゾモゾするから掻いてくれや!」
「やいUESM、チンカス溜まったからしゃぶってくれや!」
まぁこういったものばかりだったんだろう。 歴史書によると
目安箱に投書する際は、住所・氏名を書くことが条件で、
匿名・匿住所は問答無用でボツだったそうな。
あまりひどいことを書くと、同心や岡っ引きに調査されそうだな。 もし池波正太郎が
暴れん坊将軍の原作を書いていたら
随所に食べ物ぬ話が織り込まれていたのかな
軍鶏鍋、鰻、おでん・・・etc >>174
男色の出会い茶屋で知り合った10歳以上年上のSHNSNと部屋へ。
そしたら「これ着て責めて欲しい」と言われて、六尺というか、魚河岸の人が着てるような格好させられ、捻りハチマキをさせられた。
向こうは全裸。まあこんなのもたまにはいいか、と愛撫してたら、SHNSNが喘ぎ声の中、喋りだした。
「あ、兄上…お、おかえりなさい…た、大漁だった?ねえ大漁だった??」…オレは突然の、しかも想定の範囲を超えたセリフにポカーンとしてしまった。
SHNSNは素に戻って、「…返事して欲しい」と恥ずかしそうにオレに言った
プレー再開耳とかをなめつつ体中をさわさわと触る
「兄上大漁だった?」
「ああ大漁だったよ」
「あぁぁぁあぁすごいいいぃいぃ!な、なにが…ハァハァ…なにが捕れたの?」
乳首を舌でやさしくめながらオレは答えた
「鯛とかヒラメがいっぱい捕れたよ」
セリフを聞きオジサンはびくんびくんと身体をひきつらせた
「はっ!はぁぁぁあんっ!イイサキは?イサキはと取れたの??」 チンコをしごく
「ああでかいイサキが取れたよ今年一番の大漁だ
大漁っ!!イサキぃぃ!!兄上かっこいいいいぃぃぃい ぃくううううう!」 >>179
UESMの時代でも林檎は日本にあったぞ。
但し酸味が強めでアルプス乙女のような小型林檎だったけど。 UESM「TDSKよ、余は牛肉が食べたい!」
TDSK「何をおっしゃいますか、dでもない」
UESM「フフフ・・・牛肉の( ゚Д゚)ウマーさを知らぬな」
TDSK「牛肉なぞ食したら、顔が牛になってしまいますぞ」
UESM「ええい五月蝿い、彦根藩に命じて至急献上させるのだ!」 彦根藩「牛は貴重な労働力!UESM、御乱心か?!UESM側近のKNO殿に報告じゃ!」
紀州藩の時から側近だったKNOに罰として尻を開発されるUESMであった 彦根藩は
江戸幕府から牛の屠殺を公認されていた
唯一の藩なんだぜ
吉宗より後の時代になるが
獣肉であると公言するのは憚られたので
「薬食い」という名目で将軍に献上されていたのぢゃ 御典医「UESM、陰茎が排尿時に痛いですと?診察いたしましょう。おや?鈴口に糞が
こびりついております。陰茎が痛くなるのも当たり前ですな。
では牛の味噌漬けを薬としてお召し上がりください」
UESMの淋しい病はなかなか治らなかったw 仙台の名物料理で「はらこめし」というのがある。
酒の切り身とイクラの乗った、何とも贅沢な炊き込みご飯。
一説には、あの伊達政宗が考案したとも言われている(あくまでも一説)
なお、仙台では、伊達政宗は神にも等しい存在。
「いたちまさむね」などと読んだら心の底から軽蔑される。 松平容保と書いて「まつだいら・かたもり」
最上義光と書いて「もがみ・よしあき」
徳川家茂と書いて「とくがわ・いえもち」
何でこうなるの?
あと、明治時代だが
山本権兵衛と書いて「やまもと・ごんのひょうえ」
ヴァ〜〜〜〜イライラする キラキラネームは昔からあったみたいだな
じゃけん子供に田所って名付けてもOKにしましょうねぇ^〜 UESMは静岡の海岸で富士山バックに馬に乗ってるけど、実際の歴史上の吉宗は静岡に行くことはあったのかな。 >>193
幼少時に和歌山から江戸藩邸移住の時を皮切りに紀伊藩主就任時に和歌山へ領国下向したりして、将軍就任までに数度陸路か海路かにしろ静岡近辺は通過してる。
ただ当時は海路の頻度が多いので松原を行ったかどうかは不明。 俺も久能山東照宮は可能性あるかな、と思う。
本物のUESMが俺の地元の川越にも来てたらいいなー 平時の将軍は、
鷹狩り以外では江戸城の外に出ることは無かったから、
紀州からやって来たUESMは貴重な経験の持ち主
地元では鯨肉を食べてたのかな >>198
でも徳川将軍は家康・秀忠・家光・綱吉(館林藩主)・家宣(甲府藩主)・UESM・家茂・慶喜とほぼ半数は江戸府外に出た経験があるんよな。
まあ綱吉・家宣は比較的狭い範囲しか動いてないし、慶喜は将軍就任中は江戸に全く居なかったりするけれど。 家茂
「和宮タソ(*´Д`*)ハァハァ・・・
御公家さま(*´Д`*)ハァハァ・・・
それにしても京は遠い、遠すぎる!
今度は軍艦で行きたいな」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています