なつかしの小田急線 7
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
あんなに不祥事立て続けに起こしたんだから日本大通りは改称すべきだろ。 >90年代の小田急が通勤形車両を少数しか製造しなかったのは、複々線化の工事に投資を集中させたため。
>その複々線化工事も反対運動やバブル景気による土地価格高騰により、計画が大幅に遅れていたため、
>ラッシュ時のピークサイドに数本しか増発できなかったことから1000形・2000形は少数しか製造されなかった一方で、廃車も出なかった。
というより当時は束でも普通に60〜70年代の車両が走ってたから、小田急も通勤車を簡単に置き換える必要性は薄かっただけじゃないかな
ちょうど束で103が故障しまくったことが、関東の抵抗制御車の早期撲滅を推進する要因になったかと
だから小田急は3000まみれになってしまった >あと、5200形の車体更新を途中で打ち切って廃車したのは、複々線化計画が下北沢付近の住民の反対運動により、
>代々木上原−梅ヶ丘間が高架式から地下式に変更されて、梅ヶ丘付近に地下から高架への急勾配が設置されることになったため、
>その区間に対応できないためである。
>(通常時の走行では問題は無いが、故障車両を回送させる際に後ろから押し上げるパワーが無いという理由から。)
そんな事無いがな
2本だけ残ってる8000未更新が普通に下北沢の坂道を登れるんだから >また、10000形・20000形は製造から15年以上が経過して車体更新が検討させた際に、
>車体がハイデッカー仕様のため交通バリアフリー法に引っかかり、
>出入り口の段差解消などの改造工事が大掛かりになって改造工事の費用が嵩むことと、
>抵抗制御方式のため、省エネの観点からも更新工事を施工してまで継続使用するのは得策ではないと判断されたから廃車となった。
>(80年代後半は、まだVVVFインバータ制御装置が高価であり、
>特急形車両は停車駅が少ないため起動・減速の回数も少なく省エネ効果も低いため、
>10000形・20000形は近鉄21000系・26000系などと同様に導入するメリットが無いと判断された。)
でも10000は長野に、20000は富士急に行けたんだから良かったじゃない
仮に10000が高床式じゃなかったら7000と廃車順が入れ替わってて、長野には7000だったろうから
長野としては新しい方をもらえて好都合だったんじゃないの? >>3
当時は冷房化・大型化が完了していたので、代替新造の必要もなかったわな
各停8両化などで幾分の増車はあったけど >営業距離の長い私鉄と言えば小田急は3000形、京急は1000形を大量投入した。
3000を大量投入したのは、束で103が故障しまくって国交省から抵抗制御早期撲滅を推進するという声が出たからであろう
でも全部置き換える体力が無かったから8000・1000・2000が残った
3000が千代田線入れないから急遽4000がつくられたが、3000が千代田線対応してたら京急1000・京成3000みたいに今に至るまでずっと3000が作られてたと思う 4000作ったのはJRと総車のやんわり圧力があったとか。
3000のマイナーチェンジ貫通扉付きでも技術的には可能だけど
東海系日車が設計したのは面白くない。
相鉄のJR乗り入れ用も日立の20000じゃなく総車設計12000にさせてる。 3社直通が昔からだったら203・207-900が小田急に乗り入れ、後の209-1000も小田急に乗り入れていただろう
逆に小田急1000が(ry ああ、国鉄字幕で準急とか急行(特急車では珍しくないが)表示見てみたかった >>9
ピクトリアルアーカイブス以降の電車ももはや懐かしのなんだね。 >>11
国鉄近郊型や急行型の正面のおデコにあるのじゃダメ? 一時期代々木八幡の急カーブにレール塗油器が多数設置されてて晴れの日でも空転が酷かった記憶がある 2600全盛の頃の代々木八幡
クゥぉぉぉぉーん プシュ! クぉぉ プシュ!パコン!って
空転検知→遮断器動作が懐かしくなってきた 1980年頃に配布されていた駅時刻表
3.4両編成の表示がされています。 その頃、4000形3両の定期運用ってまだあったんですね。 >>18
ありましたけど、
それらとは別に4連の代走ということもあったようですな。
学校帰りに乗るいつもなら中型4連の列車が、
4000×3で来たことがあったと記憶。 昭和55年のダイヤ(平日)
スキャンの関係で17メガあります。
3連運用はx2の6両しか目立たないけど
探せば何処かに3両で走ってるのがあるかも?
https://dotup.org/uploda/dotup.org1667632.zip.html この時代が乗り鉄としては最も楽しかった。
箱根急行がまだ中型4両だった頃。 >>20
地価工事中の新宿3線時代ですか…懐かしい。 朝にダイヤUpした者です。
この頃は沿線に親戚や友人が居ましたけど住民ではなく
たまに遊びで乗るので4000や1800、2200、2400好きでしたね。
沿線で毎日通勤してた方々には暑い、中型は混雑激しいと
非難轟々で早く潰して欲しい車両だったんでしょうけれど。 1800形の引退セレモニーへ親と行った時、新百合ケ丘で1800形を待ってたら、
ピカピカのLSEが通過していって、みんな「LSEだ!」とカメラ向けてた。
当時はカメラなんて持ってない小学生だったから撮影はできなかったけど、
生で初めて見たLSEに興奮した。そんなLSEも今年引退…。
年を取るわけだな。
賛否両論あるけど、LSEはロマンスカーの中で特別に好きだった。 8000形デビューで
中型車も無くなると思っていたら
通勤形塗装車の最後になってしまったりと LSEと8000は過渡期を拒絶反応なくつないだ車両だね VSEが数年後にここに仲間入りしそうな勢い。
LSEが引退して連接車はVSEだけになったが、連接車は整備に手間がかかるので、連接車が理由で早期廃車になる可能性もある。 >>24
1800引退時点で在籍していたLSEは2012年までに先行で廃車済み。
>>25
2400引退時点で在籍していた通勤車のうち、現存するのは8000形全車と1051〜1061F・1251〜1253Fだけ。 他でも書いたけど当初は9000系を地下鉄直通用だけでなく地上用にも増備する予定だったが、
運転車両部から5000系の方が好評という意向で5000系の6連版(5200番台)となったらしい。
ちなみに1000系も通勤車の大規模置き換えが始まる前は最大勢力だったが、これも現場からの評価が良かったから。
むしろ2000系作らず1000系継続増備で良かったんじゃないかな。 >>31
上2行、まるっきりウソを書くんじゃねーよ。 2000作ったのは迷走期でしょ、デカドア1000で失敗しても
ややデカドアの各停用8連が欲しいとか思いつきで。
N8計画も過渡期の迷走としか言えないしな。 >>15
チンチン 塗布器の音。
あと踏切の×点灯標識も消えたな。 >>32
何らかの書籍にはそう書いてあったような気がしたけど…
>>33
N8は最初から暫定的なもので、通勤車量産に余裕が出たらすぐ置き換える前提だったと思う。 >>35
ピクトリアルの小田急特集なんかには、
ちゃんと100輌を計画していたところ、運用数が6と決まったので、10連×9本ですむ
ことがわかり、10本作っていた4連1本を6連にして、合計90輌としたとある。
最初から地上用にあんな重装備の車輌を大量製作するはずないだろ。
5000のほうは、当初より9000の増備が終わったら、6連口を増備することは、
既に計画されていた。現実にs44〜46に5000の4連12本、S47〜49は9000、
S50〜は4000中間車の緊急製作、S51年に5000×4×2、S52に5000×1、9050×2、
5200×1。計画通りじゃんか。 2200に付いていたというトイレはどうやって汚物処理をしていたんだろう? >>37
2220と2300、2320のトイレでしょ。
2220まで(含む2300)は垂れ流し。
2320は日本初のタンク貯留式。経堂で抜き取り。 >>38
ありがとうございます
すごい!あの時代で小田急は抜き取り設備があったのですね
国鉄の当時の最新鋭の151系でさえ垂れ流しだったのに >>38-39
SEがまだタレなのに2320は画期的だね。国鉄は0系まで無いんだっけ >>28
ホームドアに対応できないもんな。
RSEがデビューから20年強で廃車だったし、
同じような運命になりそうだ。 >>24
1800形って20m車だったから秩父には売らず最後まで自社で使い倒して良かった気が…
1991年に1000形ワイドドア車に置き換えれて全廃されるというストーリー気がする。 >>43
鈍足で使い物にならんから。
4000は釣掛としては異例の高加速車だからね。
8M2Tなんか当時の西武初期カルダンより速い MT比高いためかツリカケにしちゃ加速よかったね
似たような足回りの東急の3000代も結構加速よかったように覚えてる 東急3450からのもHS267の高回転型、
2M1Tでもかなり良いし、大井町線じゃ4M1Tもあったはず。
小田急MB-146系も近鉄特急に使うくらいの高速仕様
低トルク高回転型が結果良かったんだろうね。
1800のMTじゃどう足掻いても五月蝿いだけで遅いし
共通部品考えたら4000は賢明で22両少数の1800潰して
次がFM46両の淘汰っていうのは良い判断だったんでしょう。 そういや4000の4M1Tなら起動加速2キロは越えて
東武8000MTより加速良いかもなぁ。
95キロ限界とか言いながら100越えたの何度も見たよ。 なんで吊り掛け4000がそんな高加速だと思うのよ。
2M1Tで1.9km/h/s、4M1Tでも2.1km/h/sだよ?
4200−4300増備時のピク記事に書いてある。
もっとも、8000とぶっつけ本番併結営業運転できたんだから、
比較的吊り掛け車としては高加速のほうになるのかもしれんが。
1800はやっぱり高出力なMT-30A、40モーターが幸いしてか、
力は強かったなぁ。 速いじゃんw
2.1って1970-80年代の国鉄節約新性能や
前述東武8000に負けない吊り掛けだよ。
10連で満員が急行で走ってたの褒めてやろうよ。 保存車は実質保存というより放置になってしまったね。
今後ロマンスカーは海老名で展示されるが。 お
わ
り
の逆文字が懐かしい。。。
こんなこと書いても判る人も少ないよな。。。。 >>57
だね。 小田急で見た記憶ない。
急行┃↑りわお↑ (文字反転) これは近年の1000形とかも。
2200、2400や4000の助士席上白地種別は 矢印のみだった記憶。 方向幕ネタもう一つ、ご存知な方いらしたらお聞きしたい。
5000の4連、種別ボタン選択式時代にボタンで選べるのが
各停の真っ白 準急 急行の3ボタンのみ。 新宿工事中3線時代など
朝ラッシュで新宿に急行で着いて折返しすぐ回送になる際に
脇のダイヤル部をくるくる回送まで回す間、
通勤急行や快速準急の表示が見えていたのをよく覚えてて
この頃(5000新造時?)の幕の配置順をご存知でしたらお願いします。 ディープだね。電幕で唯一対照表の無い5000か。
10年くらい前ならagui.netで聞けば判る人いたと思うが
今過疎だから難しいだろう
2220や2400の手動行き先幕の対照シールは
当時写真撮ったが5000は表無しだから無理w うちに2400の幕機があるので、見てはみたのだが、
快速準急なんかは入っていなかったよ。
順序は忘れたが、回送・試運転・急行・準急・白くらいでつまらないw
昔の通勤急行とか、いろいろ入っていたら面白いのにね。 >>61
リンク上の通勤急行入ってるコメントと同じ状況だね。
相模大野でも回すの見れたのか・・新宿方4両が小田原方6両で操作できなくて
新宿着いてから手回しするのしか知らなかった。
>>62
2200系列・2400の種別は後年の大文字版なんだよね。
快速準急・通勤準急・通勤急行は小文字版だけで
2600初期に使っていた種別窓が細いのでも見える文字サイズ。
2600 6連の快速準急などあったのをピクの特集で見た記憶がある。 >>62-63
2400のは昭和40年代後半には大文字に変わってるね。
快速準急消滅は昭和47年だからその頃かな。
それも阿久比に出てるよ。
http://www.agui.net/imglog/oer/oerimg-39.html
真ん中へん、非冷房時代の2651Fの話のレス。 いきなり全く意味不明の「カボチャ色一色」の面もあったよね。
あれは乗客に何を伝えたかったのだろうかwww? 2600、4000デビュー時まだ旧塗装だし
白幕を車体色に合わせて無表示らしさを
出したとしか思えないね。
後付けのHEでもカボチャ色あったかな。 >>66
なるほど!!
確かにそうでしょうね!
それしかない!
いや〜数十年来の謎が解けました、ありがとう!
久々にその幕見たいですが、カボチャ幕の画像がどこかに無いですかね・・・? 昭和57年の大型車箱根湯本乗り入れ以前、相模大野以西におけるHE車急行の混雑具合を覚えている方はいますか? >>68
これは素晴らしいですね。
本当に懐かしいシーン・風景ばかりです! >>69
単独区間は立ち客多数。
箱根行くのに古くて冷房もない古そうな電車使うんだね、って印象。
(当時、同じように長距離無料優等の東武6000系も非冷房) >>69 >>71
日中でも混んでたね。まぁ自分江ノ島線ユーザーで
多客期の臨時急行が無ければ急行毎時2本
各停が藤沢返し2本、江ノ島2本の4本だけ。
昼間でも藤沢駅着く手前で前部車両はラッシュ並みだったが。 >>52
保存車は長く放置されていたが解体されるとは‥
束と同じだな >>68
小田急のほかも珍しい写真がいっぱいだな
国鉄の話題で恐縮だけど、幻の103系の小田原が全面顔出ししてる写真を見れたのがうれしい >>75
あそこはいいんだけど、
画像が汚い時があるのと、説明が思い切り間違っている時があって、
萎えることも。 相模原市の女子高生に痴漢 53歳男を逮捕
12月4日(火)17時55分 産経新聞
女子高校生に痴漢をしたとして、神奈川県警厚木署は4日、同県迷惑行為防止条例違反容疑で、
同県海老名市国分南の会社員、鈴木比呂志容疑者(53)を現行犯逮捕した。容疑を認めている。
逮捕容疑は同日午前7時50分ごろ、小田急線本厚木ー愛甲石田間を走行中の電車内で、
相模原市南区に住む私立高校1年の女子生徒(16)の下半身を触るなどしたとしている。
同署によると、3日に別の女性から痴漢被害の相談を受け、
電車に同乗して警戒に当たっていた同署員が、女子生徒の後ろで不審な動きをする鈴木容疑者を発見。
女子生徒に確認すると「きょう痴漢をされた。以前にもやられている」などと話したため、
協力を得て、翌4日に車内で警戒していたところ、犯行を確認。身柄を確保した。
電車は新宿発小田原行きの下り急行で、当時は通勤通学の乗客で込み合っていた。
鈴木容疑者は「他にも何回かやった」と供述しているといい、同署は余罪を調べる方針。
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1204/san_181204_8381232377.html >>42
20000は10000と同じで車いすが乗れないから早期引退になっただけだろ 10000・20000は何とかならなかったのか
少なくとも20000はデッキをバリアフリー対応に改造とか、2階建ての2両を抜いて5両にすれば良かったとも思ったが
>>43
ワイドドアも数年後にはこのスレの仲間入りだろうね
これも先に10両貫通を導入していたらワイドドアは出なかったと思うし
(1000顔の車両のドア幅が迷走しなかった) >>79
僕はあんたに前にも同じ指摘した記憶あるんだが、
10コテのお陰でワイドドア不要になんかなってないよ。
1090は千代直増強用であって関係ない。
それを言ったら後に2000形と3000形一次車がセミワイドドアで製造されたことが矛盾しないか? >>80
セミワイドドアなら2000系登場以前に横浜市営や新京成で採用された >>79
10000は車いすスペースが1、11号車のデッキ部という想定だから、
そもそも車いすのままトイレに行かれずアウト。
7000のようにトイレ近くの車をローデッキに改造するのは、
かなりな費用を要し困難と判断。新製した方が安いということだろうな。
20000は床の中にも冷房装置があり、風道が通っているだろうから、
単にデッキ部のイスを低い位置には簡単には出来ない。富士急でやったじゃん
と言うかもしれないが、Tsddを捨てて、更新し、VVVF化も視野となると、
やはりコスト的に見合わないだろうな。それに5輌編成×2非貫通って使えるかな?
1700と8000FCHは、廃車が決定している。2020年あたりがカギになるか。 >>36
しかし5000形の増備再開時点ではお隣の京王や東急は界磁チョッパ車を量産していたが… >>83
公式だったら、プレスリリースなりがあるだろが。
それ以上は言えん。 >>84
9000形も自社線内では準急で運用するため回生/電制併用だったほどだし。
当時は自社線内の急行系運用の車両に回生ブレーキは必要なかったんでしょ? LSEは、当初は運転台が2階ではない通常運転台の6連も予定されていたが、諸事情で中止になったとか。 SSE代替で短編成平屋LSEなんていう噂もあったっけか >>87 >>88
うわさとしてはどうかわからないが、
当時の「とれいん」誌には、S-LSEが作られる予定とある。
また当時の国鉄が「展望車を入れるなら直通中止だ」と通告してきて、
やむを得ずSSEの更新修繕ということになったので、
やはり短編成(6連)の2階運転席LSEが計画されていたのは間違い無い。 >>89
>当時の国鉄が「展望車を入れるなら直通中止だ」と通告してきて
国鉄は何でそんな通告出したんだろう? 組合は問題ないでしょ。運転士は小田急だったから、あの頃は。
「東海 ごてんば」と差がつきすぎを
嫌っていたのは別の文献で読んだ記憶。
あくまで連絡急行という特殊な種別も変わってたね。 >>90
あの頃は、ちょうど国鉄を民営化してはどうかという議論が、
政界を中心に活発になっていた時期で、
その「言いようのない不安感」みたいなのが、職場を支配していたらしい。
感じ方によるけどね。
それで、南海に「485系購入しないと、「きのくに」の直通切るぞ」とか、
無理難題をふっかけたように、全国的に直通中止の動きが強くなっていた時期
のようだ。 「言いようのない不安感」というのは分かるがそれが何で全国的に直通中止の動きが強くなっていた原因なのかが
俺的には納得できないんだよなあ 時期を考えるとEF64的話かね
労働問題で新型車お断りの時代 >>96
労働問題で新型車お断りとあまり関係ないと思うんだけど >>82
でも最近は京王7000や西武9000、メトロ02などVVVF改造してそれほど日が経ってない車両を普通に廃車にしてるので
小田急8000がもし廃車になるとしたらVVVF改造も道連れだろう
小田急はリニューアルしてそれほど日が経っていなかった5000・5200をアッサリ廃車した前例あり >>97
まあ、一応乗り入れてくる限り、新形車の検修は必要だろうからね。
当時強かった組合としては、反対の立場を取るだろう。
直通中止と国鉄がどうなるかのゆくえの関係は、最終的なところはオレもわからん。
>>98
とりあえず直流モーターの車輌を廃止にしたいと。そういうことかもしれん。
>>99
そう思うなら、そう取ってもらって結構。 >>98
京王7000系は新5000系ライナー運転開始で余剰になっただけでまだほんかく廃車ではないし、
西武9000系は台車などが旧101系からの流用でかなり古いから同格には扱えなよ。 >>82
1000のワイドドアが更新しないのは、設計に失敗したからではなく、
ホームドアに対応できないからだそう。 各停8連化に2600組み替えや9000半固定化などやらず、
直接2000や3000初期車を投入でも良かったような気はする >>103
9000は千代直の仕事失ったからそれで悪く無かったろ。 9000は、あの程度の年数しか改造後に使わないのなら、
わざわざ運転台を撤去する必要も無かった気がする。
仕切りも取っ払って、客室にするのならまだしも。 >>105
改造当初は5000形より先に廃車は想定してなかったんだろうな。 >>106
きっとそういうことなんだろうね。
登場順に廃車を計画していたところ、機構が複雑な9000が、
大量置き換えの開始にあたり、一番嫌われてしまったということなのだろう。
界磁チョッパで複巻電動機というのも、8000があったにせよ
保守が面倒だったのかな。 大量置き換えで一掃された車種の中で5000系列はともかくそれ以外(2600・旧4000・9000)は、
線増投資集中で通勤車新造の余裕が無かった時でもまともに整備されておらず、
この段階で既にまとまった数の通勤車が量産できる余裕が出た時にさっさと淘汰する見積もりだったろうな。
当時は2000形を量産する予定だったろうけど。 小田急9000と同時期の京王6000初期車は8020増備で1999年に全廃になったんだし
小田急9000も1998年頃に置き換えで良かったかもね >>109
まだ2600形の本格廃車すら始まってないのにその時点で9000形置き換えとかあり得ない。
京王は車両数少ないから同格には語れないよ。
関東の大手私鉄でVVVF採用一番遅かったにも関わらず、
全車VVVF化を最も早く達成したし。 NHEは20m4ドアで浸水の心配のない2段窓だったから長生きしたんだな もっと言えば2400全廃後に1000の大量導入で大型車の置き換えにそのまま着手すべきだった
それならその後を含めて置き換えはもっと緩やかだったろうし >>112
大型冷房車は置き換え急ぐ必要も無かったろ。
2400形は車体が短いため試験冷房車以外は非冷房のままだったし。 ただ組み替えによる1500形の1700形編入は要らなかったと思う。
新宿口各停に運用できなくなったのが理由とされているが、
そんな理由であんな改造に走るのは理解できない。 >>111
車体修理4編成目から、ドア回り他全周溶接にしたのも影響したかと。
>>114
2mドア試作車を改造で作らず、いきなりステンレス車の新車で
作ってしまう思想そのものが理解出来ないが・・・ 元々N8は14本(内3本がVVVF)の計画で、不足する分だけ1000系または新形式(現2000系)の8両固定を新造する予定だったとか。
それが複々線の目処が立たなくなったのとN8のラッシュ時故障等の事情で、
3000系登場直前に駆け込む形で2000系を7本増備し、N8を置き換えたとも。
仮にこれが3000系登場が早かったら2000系は2本くらいで打ち切りになっていたろうな。
1000系8両も車番的に数本しか作らない前提だったかもしれないし。 >>116
おおむね合っていそうに思える。
1082Fの登場は、既に小田急発表の今で言うプレスリリースにあったことだし、
2000は、N8化と一部時期的に重複していたけれど、もともとそれほど作らない
予定だったふしがある。
N8化については、番号からしても全編成を8連化することは確定していたようだし、
VVVF化についても、電装品の数からしても3編成は登場していたはずだ。
N8化については、新聞報道にあった位なので、いつまで使うか不明ながら、
N8*14本、2000*3本、1000*2本で、8連車はまかなうつもりだったのだろう。 >>118
そーす5(2)chってw
>>119
思える、ふしがある、ようだし、はずだ、だろう
脳内妄想じゃねえか >>114
改造時点では5000系列まで廃車は想定してなかったからだろうな。
あの時に5000系列も置き換え対象になっていれば、1551〜1556は組み替えせず、
10両の新宿寄り4両にそのまま転用されたろうが。
(5000系列は3000系登場直後まで更新が行われてたのに関わらずその更新車すら廃車になったのを考えると、
>>4に書かれている理由で廃車になったのは本当だと思う)
>>115下段(2mドアについて)
JRの6扉サハの真似では? >>121
2600形全廃直後だったし5000形廃車が想定できていなかったとは思えんのだが。
5000形とか関係なしに、
2004年〜2008年の間は4+4のままラッシュ時は多摩線内閉じ込めで日中のみ区準で新宿乗り入れ、
2008年以降は湯本口4連各停で運用で良かったのではなかろうか?
ただこの場合各停と区準を共通運用できなくなるというデメリットが発生したが… >>122
04年の段階ではまだ5000系列更新完了から2年程度しか経っておらず、
こんな早期に捨てるとはまだ想定してなかったろう。 幻と言えば、当初は8251・8255FもVVVF化を追加で行う予定が、
8000系の車両修理完了が予定より大幅に遅れたため、中止。
この2本を追加改造すると1000系の更新が遅れるとかなんとかで。 >>119
当時は線増に投資を集中して、通勤車新造が抑制されていた時代なので、
N8は元々暫定的な対応(通勤車量産に余裕が出たらすぐ置き換える前提)だったんじゃないかな。
史実でも大量置き換えの際に真っ先に廃車になったし。
余剰サハ電装に際し機器が当時の最新形式(2000系)と同じになったのもショートリリーフで、
置き換える際に2000系増備車に転用することが当初から想定されていたろう。
ちなみに2000系登場時は、今後の標準となると記されていたから、
しばらく2本のみだったとは言え、通勤車量産の際には当初は2000系増備が考えられていたと思われる。
>>122
区準は梅ヶ丘〜新宿間で優等が抑速を受けないために、各停の一部駅通過扱いで存在したものなので、
東急で言う大井町線緑各停みたいなもん。
区準の運転開始時点で、線増が完成した際には廃止されることが当初より決まっていた。 >>122-123
5000系列はああ見えて車齢若かったのも居たし、
最後の方に更新したものはドアチャイムや車いすスペース設置など手の込んだ更新だったのに、
それを呆気なく潰してしまう辺り、大量置き換えの開始時点では5000系列まで廃車は想定してなかったのは事実だと思う。
>>115
2mドア試作車をいきなりステンレス新車で作ってしまうのが納得できないと言うが、
山手線のサハ204(6扉)も同じだから仕方ないのでは?
そもそも既存車を多扉とかワイドドアに改造するのは無茶じゃないか? 5000は謎だ
8000はステンレス+鋼材の部分も質が良いから
分かれ目ではあるけれど しかしワイドドアって必要だった?
っていうか試作車? >>128 下北沢廃止すればワイドドア不要になるだろ。井の頭線への乗り換え客は無視。 まあ、冗談はともかくとして、下北沢の敷地が狭く地上駅のままでは2面4線化できなかったのが、小田急のダイヤにとってもネックになってたな。 TNOKが地上げしていれば下北沢は小田急京王とも追い越し可能にできていた >>126
構造が特殊な車輌の場合、モックアップやバラックセットで検討し、
試作車を作ってテストし、それから量産というのが普通の流れ。
京急600形のツイングルシートも、1000形を改造して社内でテストし、
それから慎重に増備していった。
それでも結果的にあまり成功と言えなかったわけで。
少なくとも2メートルドアがどんなものか、その部分だけでも試作してみて、
社員を乗客役にしてテストすれば、ラッシュの押し込みが効かず、
一人の駅員が左側客を押し込むと右から押し出されてしまい、1秒延になることぐらい、
実車輌を作る前にわかったと思うのだよ。 >>132 1200o片開き6ドアが最善なんじゃね?
京急は1200o片開きと1300mo両開きのドアを比較実験し、後者と前者でさばけるの乗降客の数が1人程度に過ぎないから、片開きを固守していたわけだろ・・
というのは半分冗談だが、東京メトロ東西線15000系で1800oワイドドア使っているのも失敗だというわけ? >>133
さあ?それはメトロやJRの人に聞いて。
小田急の2メートルは、結局押し込みが効かなくて、
押し出されてしまう人があり、それで1駅1秒ほど遅れるとされていた(雑誌と新聞報道有り)。
人間が手を広げて、その広さを上回る幅のドアなんて、
ちょっと考えればうまく行きそうにないことくらいわかりそうなものだが。
それがわからない鉄道会社だから、改造が比較的容易な鋼製車で
試作車を作ればよかったのにと言っているわけさ。
いまさらどうしようも無いけどね。 >>121
まあギア比との絡みもあるが5000系列の出力は150KWあったから
高加速モードなら押し上げ大丈夫だったろうけどな(定格が通常
375V表示のところ1割減の340V-135KW)近鉄も同様に三菱製モーターに多い。 ワイドドアの件だが、小田急は既に1000系が登場してて8000系をワイドドア仕様に変更して増備なんかしたくなかったんでしょ。
お隣については明大前改良工事完了までの暫定的処置で、それが終わったら容易に通常仕様に改造できるように鋼製車となったんだろうけど。
小田急の場合、当時は線増完了の目処が立っていなかったんだし。 >>136 1000系登場の頃っていうと、バブルによる地価高騰で土地売り惜しみに高架化反対の住民運動と、複々線化がいつできるのか、目途が立たなくなっていた時期だな。
大前健一が、欧米だったら長距離通勤者が世田谷区の沿線住民の家に火をつけるぞ、と語っていた。
JRに大手私鉄、どこも座席数が減るワイドドアや多扉化は乗客の反発考えるとあまりやりたくなかった、応急策として仕方なくやったものなんだよなあ。 >>132
試作はしてたよ。京急1000のドアを並べただけみたいなものだったが。 1500は爆弾ドアにすべきだった
1990年なら爆弾ドア車製造可能だったろう
多扉を採用しなかったのは乗車位置が違うのを嫌ったんでしょ 8000形もデビューが2年ほど遅けlればオールステンレス車だったかもな。 >>140
1000を作るときもステンレス車標準のヘアライン仕上げは駄目出しされていた位だから仮に8000が2年遅かったとしても鋼製のまま変わらなかったと思う >>127
束だったら8000以降も躊躇なく廃車にしてただろうけど >>142
確かに。
201系なみに長寿命仕様の103系最終量産車を、わずか18年で廃車にはびっくり。 >>143
その201だって束継承分は最大29年で全廃に 小田急のあまり知られていない試験
・5000形の三角型吊り革試験
・5200形の床材試験
・1000形のLED行先表示試験
・1000形(ワイドドア)のシングルアームパンタ試験
・2000形の窓遮光フィルム貼り付け試験 >>145 ここの住人なら、全部知っているだろ。
デニ1300のパイオニア台車TS-704試験
東急7000系借用パイオニア台車試験
東芝1048号(旧省41071)による相武台実験
2200猫を使った平行カルダン試験
旧塗装時代の2600+2200の併結試験
新松田−足柄間でのNSE高速度試験
ここらへんはどうか。 5200のホロ内側にゴムが付いているのは中期型だっけ? >>149
たしか、最初に5256Fから5258Fに試験的に取り付け、
その後いったん撤去。
さらにHゴム廃止の編成(番号わからん)にいろいろなタイプを付けてテスト。
・・・じゃなかったかな。 むかし録音した4000の吊り掛け音聴いてて今更気が付いたのだが5連と6連で加速が全然違うね。
デハ4100の新宿方の台車に爆音が多い 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 何故冷房つきの2400は真っ先に廃車になってしまったのか? 何故と言われても、
2400に限らず異端車は真っ先に廃車になるものではないのか? >>155
小田急2400の最初の廃車編成は、ラストナンバーなんだが。
2477Fじゃないよ。 先月の15日(火)にBS11で見た映画「喜劇駅前番頭」の
OPにNSE3100系が出ていたけどこれ今だったらGSE70000系に
なるんだろうか? >>159
17分も聞いていられないよ。どのへん? >>160
4000の音ならつべにたくさんある
他聴けばいい >>134
ワイドドアはドアを縮小する前から、改造続きだったけどね。
・営業開始前に通路部のスタンションポール撤去。
・営業開始後しばらくしてつり革を三角型から通常の丸型のものに交換。
・94年頃に座席折りたたみ機構撤去(折りたたみ機構自体、営業では一度も使われなかった)。
・97年6月ダイヤ改正時にドア上のLCD案内表示機使用停止(その後のドア幅縮小時に撤去)。
など >>137
そもそも1000系自体、各停8両化などによる増車対策で導入したものであり、実際1000系の増備による廃車は殆ど無かった。
(つまり全体の車両数が1000系導入前よりも幾分多くなったが、その分は1000系導入後に開業した唐木田に車庫を設けて対応)
増車がもう少し後だったら史実の1000系に相当する車両は出ず、いきなり史実の3000系相当になっていたかもしれないし。 >>80
ワイドドア登場の1年後に10両固定が登場して、ワイドドアはそこで製造打ち切りになっている
つまり、実際のワイドドア登場時期に1091・1092を地上専用10両固定として製造すればよかったという事
その場合実際の10両固定に当たる分は番号が2ずつズレることになるが
>>10とあまり変わらないが
千代田3社直通が昔からだったら小田急線内では海371・束207-900・営団06と他社のオンリーワン車両が3種類も存在していて、
綾瀬〜取手で1000と415-1500(似たような外観同士)の並走が見れたり、松戸で1000と新京成8800(似たようなVVVF同士)の並びもあったかも >>164
それでは10コテのおかげでワイドドアが不要になった理由として成り立たない。 10コテ化で運転台分の床面積増大って実際どんくらいかね。
3000の幅が狭くて云々と同じで詳細な違いがよく判らん。 ツリカケ4000*5の重連の土曜急行が好きだったな。 >>166
2両分で着席12名、吊り革16名と計算しても馬鹿にできないな。
東上線の30000系もこのデッドスペース付近は通勤客に敬遠されてる。 >>165
だから、10両固定化による客室部分増加の方が混雑緩和効果は大きかったという事
ワイドドア登場当時の小田急の混雑事情は知らないが >>170
「10コテのお陰でワイドドアが不要になった」などという根拠がないだろ!
あんたそれ無理矢理結び付けてそう解釈しているだけじゃん。 なぜ9000は助手席側のワイパーが省力されたのか・・・? >>173
ATC機器室が大きく、助手席が設けられなかったから?
考えてみるとわからんね。 小田急ヲタは今の3000が導入される前が楽しかったという意見があるが、中の人はむしろ3000導入前の方が辛かったんではないかと思う
車種の組み合わせが複雑だったし
9000は扱いにくかったようだし 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青砥6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青砥6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
D清水(東京都葛飾区青砥6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青砥6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青砥6−23−20) ロマンスカーミュージアム楽しみだな
遊園の中にあった資料館の展示物はまた公開されるのか?
走る喫茶室の品物を再現して販売とかも期待してます 日東紅茶のアイスケーキ、クールケーキだっけ?食べたいなぁ
はこね系統に乗る機会が少なかったから森永エンゼルばっかりだった それか!
カフェ作って、クールケーキにアップルティー(たしかあった。)、それにお子さま向けに森永プリンも置いてやれ。
で、お土産は特製箱入りミルクケーキにキーホルダー付きロマンスカーバッグでどうだ? >>170
乗降に時間がかかって遅れるから、ドアを広くしてスムーズに乗降できるようにすれば遅れない!
→かわらねえwむしろ遅れ増えてね?
→維持管理メンドクセエ
→バブル崩壊、第一次ベビーブーマーの通勤需要、第二次ベビーブーマーの通学需要が一段落
→遅ればせながら複々線化
要らねえ。 >>180だけど自分語りごめんね
自営業で休みが取れなかった親父が急に「みんなで温泉に行こう」なんて言い出して、鉄道好きだった俺が
強羅の旅館を予約して、ロマンスカーの特急券を手配して、箱根フリーパスを買って家族旅行したんだ
走る喫茶室のアルコール商品ってミニチュア瓶のウイスキーだったでしょ、今なら缶ビールなんだろうけど
親父はウイスキー党でさ、嬉しかったのか往復ともお代わり連発してた
そんなことを思い出すんだよねぇ、あの時は大したことじゃなかったと思ってた記憶がさ、親父が他界した
歳に自分が近づくにつれて
>>181
サンキストフルーツゼリーとあさぎり号限定のます寿司もお願いします >>183
あるねぇ、そういう記憶。
何でもないと思っていたことが、あとで強い思い出になることが。 ウィスキー瓶懐かしい。
成人したのが1987年なので間に合ったギリ世代。 SE車えのしま号で森永のアイスココア飲んだ覚えが
先にも後にも1回だけ HE車は、ノッチオフしてもすぐには切れず、
電流計が少しずつ下がって5秒くらいして100A程度になったところで切れる。
ショックを和らげるための工夫と思うが、他にこんな仕掛け見たことない。 >>179
向ケ丘遊園の資料館で数十年ぶりに思い出した。
消防の頃、資料館の前に保存してあったED10の運転台に上り込んで、
運転台背面の上の方の箱に付いていたスイッチをバチンバチン引っ張って
遊んでいたら、箱の上から何かがボテッと落ちてきた。
「なんだ?」と思ってみたら20cm近いような超特大のムカデだった。
運転席から転げ落ちそうな勢いで逃げたが、それ以降小田急の茶色い電機は
超特大のムカデのイメージしかない。。。 >>189
2度目の投稿でしょw
巨大ムカデはイヤだなぁ。昼寝していたんだろうね。
うちの庭にもムカデがいるが、土を掘ったりするとものすごい勢いで逃げる。 >>190
そうだ、言われてみれば、確かに以前書き込みしたな。。。
ヤバい、ボケが始まったか。。。。
ご指摘深謝。。。
ついでに書くと、昔は相武台前に何両ものトムとトフがしれっと止まっていたが、一枚も写真
撮らなかった。
あれはほぼ戦前製の車両だったとは後で知ってバシャバシャ撮っておくべきだったと大後悔。。。
伊勢原駅の乗り入れワラ1についても同様に一枚も記録を残していない。。。
鉄道趣味はいつまでたってもこういう後悔の繰り返しなんだなぁ。。。 >>191
分かる
小田急に限らないが見てた、乗ってたのに何で撮らなかったのかと後悔多数 新型通勤車導入が決定したが、それに伴う廃車対象が8000ではなくワイドドアというのが皮肉だなあ
1000顔(1000・2000)は好きなんだから廃車出してほしくないのに だよな
8000を見かけたら撮っておくように心がけていたが皮肉だ
ワイドドアも見たら撮っておくか 小田急同様に三菱の電装品を積極的に採用している近鉄・西鉄は保存に消極的だから、むしろ小田急も保存に消極的な方が良かったよね。
更に言えば、今まで保存車があったために喜多見の車庫が詰まっていた模様だし。 4000形以外の車両の路線図交換の手間を省くため、
2016/3/26改正時点ではまだ区準廃止しなくても良かったのではなかろうか?
一往復だけでも残しといて2018年に多摩急行と同時に廃止で良かったと思う。 >>196
区間準急自体ダイヤの都合で発生した一部駅通過の各停だから、設定時点から暫定的なものであるとは決まっていたと思う。 >>134
既存車をワイドドアに改造するのは相当な無茶では?
やはり新造するしかなかったんだよ。
強度の問題もあるし。 >>198
改造費がどのくらいになるかは、計算してみないとわからないだろうが、
実用強度としては問題無いはず。クモニ83形とか、台枠はともかく、
車体は普通の軽量構造のワイドドア配置の車輌は存在した。
廃車予定の2600あたりで、簡易改造をしてみて、テストを繰り返す
ほうが良かったのでは無いだろか。
となりは5ドアを作る時、鋼製車で製作したのは一つの見識だと思うよ。 >>199
その時代の隣はステンレス車は各停専用で、優等の当面の増備は引き続き鋼製車の方針であり、
5ドアが必要とされたのが朝ラッシュの急行だったから、5ドアも鋼製で製造となったはず。 >>200
京王7000系の13-15F、21F以降は、1986年から新製され、
優等に使用されていた。
なので優等に使うから鋼製車というのは当たらない。 西武新2000系なんか小田急1000形と同い年なのに鋼製車体に界磁チョッパだし。 >>202
西武は大量増備のためにあまり金をかけなかったんだろうよ
同じ時期に西武新2000が314両も製造されているのに対し、小田急1000は196両しか製造されていない
更に西武はあまり金掛かった車両を作らない傾向があったし
(なお西武新2000は既に廃車出ている模様) 西武新2000系が鋼製車体なのは、自社所沢工場での製造分も考えての結果。
新2000系が製造された頃は、所沢工場の保守管理業務は、武蔵丘への移転が決定していたが、自社での車両製造の継続については未定。
このような状況では、所沢工場へのステンレス車製造のための設備投資は難しい。
1992年からは、6000系の製造が始まったが、所沢工場では鋼製車体の9000系を作り続けている。
1996年に、自社での車両製造の中止が決定。
1999年、9108F中間車の出場をもって、西武鉄道での車両製造は終了。 >>204
>(なお西武新2000は既に廃車出ている模様)
2097Fは、1ユニットだけVVVFの変則編成だから、例外だと思うよ。
基本的には、旧2000→新2000で、まだまだ旧2000が残っているからね。
クハ2097
モハ2197−モハ2198 VVVF制御
モハ2297−モハ2298 界磁チョッパ制御
モハ2397−モハ2398 界磁チョッパ制御
クハ2098 >>199
同時期の山手線6ドア・日比谷線5ドア・東西線ワイドドアも新造だったから、どう考えても既存車のワイドドア化など無理。 >>33
恐らく今の3000形の中間車新造は下手に新形式を起こした結果少数で終わってしまった2000形の前科を学んだかもな。
複々線化最終仕上げによる新造車抑制の結果。
2000形は2編成製造された所で複々線化投資集中のために6年間増備が無く、7編成増備した翌年にはもう3000形の3251〜54Fが導入されてる。
つまり、3000形の開発が1年早ければ、2000形は最初の2編成だけのままそれっきりになってたわけで。 小田急線の警笛の音がうるさい異常なならし方だわ
マジ勘弁して疲れた体に響く >>208
むしろ2000を作らずその分1080番代と3600番代を多く増備で良かったよね >>210
バカ?
既存鋼製車の改造で試作2メートルドア車を作った方が良かったか
という話なんだが? >>213 普通の4ドア車に比べドア開閉機構をより強力なものにしなくてはならないし、鋼製車で強度が保てるか、車体を支える柱が太くなり重量が増えてしまわないか、といった問題はあるだろうな。
既存鋼製車の改造といっても、台枠から上の部分を完全に新造しなくてはならないのでは。特急用として片開き1ドアで登場した小田急2300を準特急車(両開き2ドア化)、そして通勤車(片開き3ドア化)に改造した時も、このようなやり方だったそうだが。 >>214
2300は台枠から上を新製はしてないよ。
あくまで元鋼体を利用しながら、ドア増設をしている。
ただ、例えば2600のような4ドア車を、ドア拡大工事は
まあそれなりに困難だろうかね。柱をほとんど全部立て直しに
なるから、現実的ではないかねぇ。 技術的には可能だか
新製した方が、はるかに安上がり、とういうオチ >>213
それを言ったら、JR東日本6ドアだって例えばサハ103とかを改造で作った方が良かったという理論になる。 小田急9000ワイドドア試作すれば、千代田線北千住で効果発揮し、営団から感謝され…
可能かどうかは知らないけど >>217
試作って文字読み飛ばした?
あのさ、2メートルものドアにしたら、逆にはみ出る人が出るだろうくらいは、
あらかじめバラックセットでもいいからテスト(試作)していたら、
わかったんじゃないか、そのためには廃車の車輌でもいいから、
鋼製車でテストする必要があったのでは、というのが大本の話だよね。
それに対して、柱を立て直しなどかなりな手を入れないと、実際の車輌では
大変な工事になるというのが今のところの結論でしょ。
バラックセットでもいいからテストをしないで、いきなりステンレスで
新製してしまった小田急の、免罪符にはならないって話でしょ。 >>219
JR東日本の6ドアもまずは試作としての新造だったんだが… >>220
論点が読めていないという点で、頭が悪いことはわかったよ。 >>119
>2000は、N8化と一部時期的に重複していたけれど、もともとそれほど作らない予定だったふしがある
だったら2000は作らずその分1000の8両固定を増備でよかったんじゃないの?
何のために新設計したんだか‥
ここも先見の明がない っていうか乗り入れ先も06なんか作らず6136F増備でよかったと思う
6135Fと06は2年くらいしか変わらなかったワケだし
お隣は1997年まで10-000をチョッパのまま増備していたからな HISE・RSEはハイデッカーでは無かったら日車に送って更新していただろうか…
その場合は史実のVSE相当はLSE置き換え用で、史実MSE相当でHISEを、史実GSE相当でRSEを置き換えていた? 80年代末〜90年代初頭ってハイデッカーブー厶だったのかな、JR北やSVOもそうだったし バブル期のお遊びだよ。ジョイフルトレイン(笑)なんていうのも全部 >>222
VVVFがIGBTになった点も異なるが… ワイドドアは複々線化が絶望的に先だと分かってたから1000ベースで作ったんでしょ
お隣の5ドアは長く使う想定が無かったから6000だったろうけど
(お隣の5ドアも7000後期ベースではだめだったのかと思ったことがあるけど) その時代の京王は異系列併結を嫌っていたし、
小田急はそんなことなかったから8000でワイドドアを造るなんて発想はなかったろ。
>>223
当時都営新宿線はVVVF車入線NGだったから話が違うような。 >>224 複々線化が絶望的に先だとわかってて、特急の所要時間をSEデビューの頃並みに戻すことができない。
JRに対抗するには、車内の居住性を改善するしかない。その対策の一つとしてハイデッカー。 >>5
近鉄21000と小田急10000の数年後の
東武100やJR785は日立GTO-VVVF
近鉄標準軌特急車は主回路全て三菱
そして小田急は
特急車の多くは主制御が東芝で
MMが東洋と三菱そしてTDカルダンだが
通勤車は主回路全て三菱
つまり両者の車両仕様選定は
三菱の影響が大
>>7
3000企画段階において
前面非貫通の判断をした時点で
何れC線直通用の新形が要ることは自明
もちろん運転車両部でも承知のこと
>>31
現場の評価というより9000の仕様が
設計段階から技術面の未成熟を承知で
無理矢理仕上げた背景も
とりあえず
地上線限定の界磁チョッパー車
そして地下線対応の汎用VVVF車へ
収斂していくまでに年数を要し 今では一般車の相模大野の分割併合は、まったくなしでしょうか? 分割案内板A
BとかCが使われたのはみたことない。 80年代前半までだね。
A-Eが真逆だった時代もある。
Cは4000x5の重連10両 FM車ブツ6+5000/9000
なんてのはよく乗った >>235
そうそう、小田原行き6両非冷房で江ノ島行4両のほうが冷房付きとかね。
10両化後4-5年間だけど湯本がHEの時代は小田原止まりに最新の
5200が入るのが小田原線慢性混雑時有難かったっけか。 2200のシートは座面が低くて奥行きがあってソファーみたいな座り心地だった。 路車板より
ワイドドアは通勤型としてはABFM車以来の地方譲渡?
>小田急電鉄→1000形ワイドドア車()…20m車、1067mmゲージ、架線集電方式直流1500V、先頭車は付随車、GTO-VVVF
>(養○鉄道さん元近○車の置き換えにどうです?ワイドドア車ですが、3両編成が組成出来て多分1M2Tで運転できますよ)
>そこで養老鉄道ですよ
>無改造で1M2Tが組めるオバ急1000は養老にとって目玉だろ?
>どうせワイドドアの訳あり品だから安く売ってくれるよwww
>(小田急ワイドドア・相鉄新7000とも)確かに癖のある車両だけど、どちらも先頭車に補器を積んでいるからほぼ無改造で行ける可能性があるのと1M2Tの3両編成が組めるのが大きい
>あのTOQ7700を導入したくらいだからこの際車両なんて安く買えればいいという風にも見れるw >>237
HEもね。背部厚み15cm 布団部45cm合計60cmの贅沢仕様
箱根までロングシート意識してるんだもんな。
高度成長期までは国鉄よリ運賃高いので特にその感覚かも >>239
座席指定の銘板がついていた編成もあったとのこと。
いくら急行用イスとはいえ、あれで指定席かぁ。
>>240
まあ、一応近郊各停用の位置づけだったからねぇ。
後に湯本急行に入れるとは、誰も思わなかったし。
ただ、快速準急の小田原行きなんかには定常的に入っていたんだよなぁ。 >>240
というよりあの時代の通勤型ならどこも同じような感じだと思うが>奥行が浅く座面が高い座席。 >>242
小田急NHEは際立ってたよ、他社は当時だともっとマシ 初期形は、奥行き40センチしかなかったからね。
ホントに今の「よっかかり」程度のイメージ。
さすがにその後改良されたけど。 前も書いた記憶があるが
2600はほんとケツが痛くてたまらなかった 鉄研時代、西日本某県の田舎から
関東・関西の大手乗り鉄遠征を敢行したことがあるが
シートの仕様の違いは衝撃的ではあった 小田急の通勤車は20m新性能車は譲渡実績が全くないが、もしや幅広車体が要因?
でも、幅自体は近郊型と同じだったと思うから、JR(国鉄時代も含む)乗り入れ実績のある所なら使えそうだが‥
(長電・秩父・富士急とか)
以前は車輪径が特殊なものも多かったが、今はそんな事無いからね‥ 富山地方鉄道に9000が行くといううわさは立ったが、
実際に行くとなっていたら、やはり2ドアクロスに改造だったんだろうか。 20m4扉、広幅、鋼製、両端が制御車
わざわざ選ばなくても、他社に手頃な車両は幾らでもある >>248
東急8590みたいにドア一部締切だけだったかもしれん >>247
20m4ドア鋼製車なんかどこも欲しがらないだろ。
東急8500系とかJR205系みたいにステンレスならまだ売れるだろうけど。 >>247
廃車時期と受け側の需要がかみ合わなかったのが大きそう。 >>143
故障しまくったせいで引退が早まったのでは?<束103
その時代の小田急も営業車の整備レベルがアレだったらしいが ABFM車やHE車ってコイル枕ばねのFS台車ですが、国鉄103系のように乗り心地が硬かった
記憶がありません。とはいえ幼少期の記憶なので勘違いかもしれません。
実際のところはどうだったか、覚えている方いたら教えてください。 >>255
そもそも103系は仕様が古すぎてランニングコスト考えると早々に見切りをつけてステンレス
VVVF世代に置き換えたいというのもわかる。とはいえJR西は糞ボロ103を徹底修繕して長年
使い続けているわけで、この辺り両社がどういう試算をしているのか見てみたいものだ。 >>257
スレチだが酉は阪神大震災とその後に発生した尼崎事故の影響で計画が狂ってしまったというのもあるから
阪神大震災と言えば、この影響で2052Fの搬入が遅れ、1995年3月のダイヤ改正に間に合わず、しばらく所定8両の運用を6両が代走するという事があったらしい >>251
確かにステンレス世代が中古市場に出回るようになってからは鉄製の払下げってあまり記憶に
無いですね。秩父鉄道の西武車くらいか?
小田急だと1000系が引退するとなると富士急行きとかなるのかな? >>258
なるほど。阪神大震災はダメージでかいですね。尼崎事故は新車投入に関してはどのような
影響が出たんですか? >>256
国鉄DT33の乗り心地が悪すぎなだけで、キハ58のDT22も悪くないでしょ。
バネの硬さと車重等のバランスが決め手らしいよ。
あと小田急のアルストム式は空気ばね車でもペデスタル式よりソフトだね。 幼少期に見たNHEの非冷房車と冷房車。別車種だと思っていた....
小さい種別幕、白幕、ベンチレーター。細かい違いで雰囲気変わるよね。
ウインドウヘッダーやシルのある世代車両だと原形とHゴム角丸迄窓化で印象激変。
角丸窓が絶望的に似合わない。 >>261
なるほど。DT22ってDT33と見た目そっくりですね。バネ定数やバネ上バネ下のバランス
だけで乗り心地が大きく変わるんですね。
あと小田急って軌道状態がとても良い印象。乗り心地の柔らかい形式を好んでいるのは
そういう事情もあるのかもですね。 >>257
黒字倒産 キャッシュフロー という言葉を勉強しよう
JR束とJR西はダンチだよ
新車を導入しても、会社が倒産しては元も子もない ↑ 「 」内 追記
「ランニングコストの低い」新車を導入しても、会社が倒産すれば元も子もない >>262-263
それ同感。NHE非冷房の4000みたいな運転室後ろのルーバーとか
一部車両にしぶとく残っていたグレーHゴム(多分最後は冷改後の2661運転席)
小田急だとシルヘッダーある車両でも顔だけはHゴム化が早くて
旧国のようにはいかなかったね。1600-1910がまさに。
軌道の悪い線でアルストムって跳ねるのかな?Sミンデンよりはマシじゃないかと
ミンデンドイツやシュリーレンはどんな軌道でも揺れにくいと言う話。 >>119
仮に1082Fが登場していたら史実の2053Fは登場しなかったかもしれない
6両10本→8両6本で、不足分が4本
それが1081・2051〜2053だったから >>259
ワイドドア車が養老に行く噂がある(>>238も参照)
長電も不可能ではないけどね(東急8500は湯田中に入れないし) 小田急車の正面貫通扉ってかなり昔のABF車まで遡っても幌をつけて運用している写真を
見たことがないのですが、あれってなんの目的ですか? 慣例でなんとなくつけてたにしては
2200で一度非貫通になるもすぐに復活してるし。行き先表示版の入れ替えを室内から
行いたいとかですかね? >>270
昔は行先板の交換という話もあったけど、方向幕時代になったら
その必要ないし実際開けてる所って見たことないね。 >>270
単にデザインでしょ?
小田急は20000/2000まではデザイン重視だったし >>270
車内清掃の人が通るため。
あとはごくたまに運転士が前面ガラスの掃除なんかのために開けていた。
2200についても、清掃係からいちいち車外に出なくてはならないので不便
という指摘があり、貫通化を検討していた時代があり、そのために
方向幕化が最後になった。
ただ、疑問なのは2400までは車掌側を室内仕切りでたためるようになっていて、
運転室側は仕切り扉で閉鎖出来るようになっていたので、
将来的にホロ取り付けを考慮はしていたのかもしれない。 貫通路両サイドの大きめな手すりは
連結作業の関係? >>273
HEって助士側閉鎖出来たっけ?
運転士側に小さな窓付き仕切りがあったのは覚えてる。
一方、2220の写真出てきたがそれがなく
メーターパネルからすぐ貫通扉だった。 >>276
HEまでは出来る。
FM系は、運転台取り付け改造車のみ? >>80
というより10両固定も製造せず、その分6+4を増備すべきだったんでは?
当時は分割併合が多かったため、10両固定は使い勝手が悪かった
>>222
分割併合が多かった時代に他車との併合を考慮しない車両を新設計したのが…
1000増備の方が勝手が良かったろうに
>>227
1000と2000の最大の違いはブレーキ方式
1000はHSCだが2000はMBSA >>278
千代田線乗り入れ用は10コテでも問題無かったんだろ。 2400形HE車も廃車から丸30年経ったのか。
特徴的な大きい長いそろばんの様な主抵抗器
が今でも目に焼き付いてるね。 晩年の多摩線新松田小田原懐かしいね。
それにしても阪急1010系と同じ時期に言うのは結構意外冷房化されたのにね。 結局2400の冷房化率は廃車時まで、1両のみでいいのかな。 >>281
日本語でおk
なんだけどw、阪急1010系列の冷房改造は、当時相当な驚きだったねぇ。
2400が非冷房のままになったのは、20メートル車じゃなかったので、
早期淘汰の方向になったんだろうね。
>>282
2478の1輌のみ。試作改造だったからね。枕木方向にMGを付けたのは、
当時のNSEに合わせたのかな。 >>283
仮に2400が20m4ドア車だったら90年代まで使われていた? 16m車に8000kcalx5ってのは強力過ぎたな。2478。 >>284
当然冷改の対象になって、90年代はもちろん、へたすれば新世紀まで
活躍したかもしれん。
そうすると旧4000は吊り掛けのまま廃車かも。
>>285
大きい分にはあとで減らせばいいのだから、試験車として十分な量にした
とピクの記事にあるよ。
つまり20メートル車での容量がどのくらい必要かについても、
16メートル車のクハ2478から計算していたのだろうね。 2478は効きすぎて寒く、隣で丁度良いと思う日もあったな
小田急は最混雑時以外寒く感じたのは
他社より容量も大きめな上分散で効きが良いからなんだろうな >>218
今の2000は千代田線直通を想定していたが、仮に千代田線に乗入れていたとしても今頃は地上専用になっていただろう >>285
2478は性能試験車らしく、運転室の貫通扉上に冷房装置の配電盤が増設されていて、1台毎に入/切が制御できるようになってました。遭遇したことはないですが、天候によっては3台だけ稼動させるようなこともしていたかもしれません。 >>290
5台のトグルスイッチ上がってるのしか
見たことないな
オン・オフしか出来ないから加減してたのかね? >>280
2400のモーターを4000に流用して新性能化した訳だが,うまいこと流用するモーターの数が合ったなあと思ったものだ。 4000のM車が4連8本6連10本92両中56両、
HEが4連29本M車58両、2両分ストックできたわけか。 >>294
前任の2218が10年間しか持たなかったことに比べれば
よく持っている方だが流石にそろそろ交代の時期かな 2202だったらみんな嬉しかったのになぁ。
1700の廃車待ちかな。8000より長持ちしそうだし。 1700の廃車まで持たせるか、クハ8564が事故廃車になれば、
代替でクハを供出した編成から、余るクハ8251か8255あたりを。 1700なんか来ても嬉しくないねぇ。
もう車両置くのはやめるという行政にありがちな緊縮策かも
交通公園という名称も変えてしまうことありうる HISE/RSEはよくハイデッカーだったから引退と言われているが、抵抗制御というのも廃車理由の一つ
抵抗制御/完全新造車だから早速長電が手を挙げたんだろう
長電は地方私鉄で、地方私鉄なら新しい車両の方がいいんだろうし >>301追加
最近の地方私鉄の車両調達に困ってるのは抵抗制御/界磁添加励磁制御が少ないというのも理由にあるらしいから、そういった点でHISE/RSE/371は渡りに船だったんだな
(チョッパやVVVFは電子機器だから、簡単に長持ちしないし地方私鉄でも扱いに困ってそう)
でも、今後小田急車が地方私鉄に行くことはなさそう
殆どVVVFだし VVVFやブラシレスMG、SIVなんかが誘導障害を起こし、
その対策に多大な金がかかるからだろ、地方私鉄敬遠気味な理由は。
> 地方私鉄でも扱いに困って
必ずしもそういうことでもない。
福島交通や上田電鉄など、VVVF車をあっさり導入して使いこなしている
地方私鉄も多いから、全車取り替えで補助金が出るかとか、いろいろな
事情が絡んでいるのだろう。 VVVFはブラックボックスで半導体の寿命が来たら丸ごと装置交換しかないので結構大規模な修繕になる。
抵抗制御の機構の単純さが地方私鉄には適してるんだろうね。 それも時代が変わるでしょう
工場の職人定年したら補充せず外注の車屋とかに
頼む会社も出てるし、モージュール交換型保守が
普通になっていくと思う。もう抵抗制御用部品も
特注しなきゃ共食い保守しかなくなってきてるしね 1000/2000まとめ(現行車両ですが)
1988〜1990年は1000を従来と同じ構成(4連/6連)で増備
1991年は1500(2mドア)
1992〜1993年は通常の1000に戻るが、10連・8連に設計変更
1994年は増備なし
1995年に2000の最初2本
その後しばらく増備なし
3000登場直前になって2000を急に7本増備
もはや1991〜2000年が完全に迷走してた感じ 分併の廃止を考え出したのはいつ頃なんだろうか?
もっとも、1500/1090/1080の段階ではまだ分併廃止なんか考えてなかったよね 90年代は複々線事業に全力投球の時代
車両なんぞ三の次、四の次
冷房化と大型化が完了していたから、代替する必要がなかった >>308
というより外から省エネ化要請が来て抵抗制御車が要らない子になったから00年代中に急速に代替することになってしまっただけ
小田急に限らず他の関東の事業者も似たような状況だった
90年代は小田急に限らず他社も新造車は輸送力増強用が多く、従来高性能車置き換えが積極的だったのは京王くらい
省エネ化のお達しが無かったことも理由にあると思うが
(昔の抵抗制御は技術さえあれば長持ちするため) とは言え1000が最新の時代でも車両メンテナンスのレベルはかなり低かったらしいし今の3000を大量投入による押し出し廃車は早い段階で分かっていたんじゃないかな?
(当時、他社では少なかった幕故障も小田急は1000ですら散見されていた模様) >>309-310
2代目4000形がデビューする前はどちらかといえば各停のほうに新車優先的に入れていたよね?
消費電力面でもそのほうが合理的だし、
初代5000形なんかは最初から自社線内の急行系運用前提設計であったため、
起動加速度が2.4と低かったということもあったろうけど。 5000の4連が2.4 5200こと6連が2.7だっけか
しかしカタログ上でのHEが3.0ってホントかな?
5000と大差なかったように思うけどね。 >>314
シートが深々してて良かった。
この季節だと扇風機使用で,夜間は蛍光灯点灯半減ナツカシス >>193-194
1500は確かに廃車は勿体なく感じるがHISE/RSEを20年ほどで潰したから見切りが早いのは確かだし、最近では保存されていた車両を解体してるくらいだから廃車となれば容赦無く解体だろうな
元々特殊用途で導入したので(1500導入で何が廃車になったわけでもなく単なる純増)
また、1000とは前面やVVVF・電動車の位置が同じなだけでそれ以外は構造が全く異なるし、SIVも先頭車にある
(1000はSIV・VVVFをM車にまとめて搭載、また2000は車体部分は1000ベースだが) つまり1000とは構造が異なるため新造車へ置き換えの方が得という判断がなされたものと思われる ホームドアに対応できないこともあるから仕方ないだろう。
メトロ06系や横浜市営2000形なんかも同様に。 >>316
HiSEやRSEはバリアフリー関連の特殊事情だから >>319
抵抗制御であることも廃車理由の一つとされてるが 1000標準車更新はまるで新車なのにね(しかも新型VVVFを搭載)
ただ、この会社はやる時は徹底してやるから1500廃車となれば容赦なく車体を2分割して大野から搬出し渡瀬で解体されると思われる >>318
それ京王6020だろ
1500はドア位置は2000と殆ど同じだからホームドアは関係ない筈 >>322追加
京王だがライナー車両や旅客用ではない事業用車まで4ドアになっているのは、ホームドアのセンサー対策のためらしいから
その関係で、ドア数の違う6020は早期に捨てざるを得なかった 9000は扱い難かったそうだが
一瞬で全廃となった辺り余程整備側からは嫌われていたんだろうな 9000しか6連の冷房車がなかった頃には結構重宝されていたに違いない思うが。ちなみに関西でそのあたりに小学校だと9000と言えば小田急唯一と言っていい
6連の急行小田原行きだったイメージ。何の本か忘れたが多分学研あたりの本で9000新百合開業直後頃写真イメージ。 9000は地下鉄直通の特殊仕様だったからね
最後まで地下鉄直通で使い切っても問題なかったんでは? >>321
長電とか富士急に譲渡はないのかな?<1500
1000とは違いSIVが先頭車にあるから、多分無改造で1M2Tが組成できそうだけど なにしろ9000は8M2T、4連オールMなんちゅう贅沢仕様
複巻モーターだしそりゃ嫌われるよ >>329
国鉄常磐線への乗り入れを考えて、103系1000番台に合わせた性能だからだよ。
それと、電機子チョッパ制御に踏み切るには、回生ブレーキ時の架線電圧上昇とか
もろもろの問題があったので、当時は採用しやすかった界磁チョッパを選択したのは
まあ妥当な線だったと思われる。
地下用に使い切るということも検討はされただろうけど、営団が6000、
国鉄が203系となったとき、さすがに抵抗器がある9000だけそのまま
と言うわけにはいかなかっただろう。 4M2Tは箱根急行にも使われたけど、余り性能良くなかったように覚えてる。
モーター音だけは小田急らしかぬ重低音だったけど。 40キロまでの加速は良いけど、そこから伸びないんだよね。
5000の6連とは大違い。あっちは80キロからもぐんぐん加速する。
高速域の加速が弱いと言われてる2600と比べても9000は
ガーガー言ってるだけで基本は回生が効く75キロ以下向け車両 5200のモーター出力は、端子電圧を統一して計算すると、およそ150kw級。
それの4M2Tと、9000の110kw・4M2Tじゃ、性能的には苦しいだろうなぁ。
2400でも、132kw級になるのだし。
歯数比を5.31にしたのは、郊外での高速性と地下鉄での高加速の、ある意味
矛盾する要求をなんとか満たしたいという苦心の設計上だろうが、
「当時の技術としては」それでも先進的だったのだろう。 あの時代、小田急で最も高性能だったのは古参のFM車だね まぁ17.5mでMM'75kW x 8だったら
加速3.5以上行けるのを3で抑えて高速に振ってるからね。
余りに電気食いすぎるから並列で限流値下げてる特性だがw
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org615861.jpg 20000の引退理由に下北沢の坂も理由にあったらしい
なんでも二階建てが重かったとかで >>82
長電や富士急のバリアフリー対応は短くなったからこそできたこと >>338
長さは関係ないだろ
>>82であってるよ でも9000の顔は一度見たら忘れられない
泣き顔とでも言うのか >>322
1700形も先頭車から中間車に改造した車両が引っ掛かると聞いたことあるが。 以下のURLの動画(の音声)はSE車の初期の補助警報とのことですが、
いつ頃まで使われていたのでしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=1j2ZNqLJoe8 >>344
ありがとうございます。
登場から10年あまり使われていたのですね。
これが鳴りっぱなしで走行するシーンに立ち会ってみたかったです。 >>146
サハ2762のVVVF(三菱MAP-184-15V09)搭載試験も
(試験とはいえ)サハに制御器搭載というのが特殊だが…
>>143
京王6020も他の同6000系列とは違い部分的にステンレスを使っていて長寿命化が考慮されていたが、結局早期廃車に >>346
サハ2762へのVVVF装置取り付け試験は、おそらく他に適当な車輌もなかったし、
サハに一応電装準備がされていたからだと思うよ。
営業しながら試験をするというのは、長期間の試験としては最初からの想定だろうし、
そうすると例えばデハ5100形をVVVF化して、というのは営業中に不具合発生の時の
リスクが大きすぎるし、その面では2600はTを臨時にM化して、最悪そのMを
解放しても、元のMMMで区まで帰ってこられるから、うってつけだったのでは。 サハ2750はその後IGBT-VVVF(三菱MAP-178-15V50)も搭載
しかし5年程で2000増備車に置き換えられ廃車
東急7915Fとかに近かったと思うけど(東急7915FもIGBT試験車としてサハ7850を電装したがこちらも結局すぐ廃車になった) 2000が他形式と連結した12両での試運転もあったとか
これも営業ではないとは言え12両とは… >>327
新宿口各停でも充分高加速性能を活かせたと思うが… そうだよね。4M+4Mの8連各停、ブレーキ初速75キロ以下なら回生だし
有効な使い方だと思う。 だから3000形に置き換えられてちょうど良かった 。 もう少し寿命があると見込まれていれば、既に回生車が多くなっていたのだから、
例えば発電ブレーキ廃止で回生専用化とか、回生リミッタ解除とか、
6M2T化とか考えられたのかもしれないが、
将来的な寿命を考えると、得策ではなかったのだろうな。
それで2600と4000とともに、3000へ置き換えと。ついでに5000も同じ渦に
巻き込まれていくわけだが。 >>348
つまり電装化すると何かしらの不都合がある模様 >>356
5000の廃車理由は>>4の登坂能力不足なんかでは無い。
当時140Kwの8000より、5000の実質出力は大きい。
>>357
電装化そのものとは無関係。
これだからシッタカはw >>82
亀レスだが
8000のVVVF改造も改造後に不具合が頻発した模様だから、恐らくは8000のVVVF改造もそう遠くないうちに廃車かもね
(>>98にもあるが) >>213
>>219
ワイドドアが必要になるほど当時の小田急は混雑が激しかったから仕方ない >>336
ブツ6って懐かしいね。
他にも2400形+ABFMの6両編成も
懐かしく思い出す。 >>361
大まかに考えると、HEはおよその全長が70メートル。これで計算すると、HE+ブツ6は約175メートル。
20m車に換算すると、おおよそ8.5輌か。
分割併合が面倒になるが、旧4000×3×3の9輌編成でも代走出来た理屈だなぁ。 運転台が多いからデッドスペースあって、車幅考えても5000x4x2の輸送力以下じゃね? >>362
ラッシュ時の輸送力は扉の数で考えたほうが良いというから、HEはまさに4000の3両で代替できるということかと。中型10両より5000の8両の方が輸送力はありそう。
ホームに貼られた車掌の停車目印ですが、以前は大6中4とか大4中4など沢山あって面白かったです。 >>365
135なんだけど、端子電圧375Vの他社並換算をすると150近いと言うことになるよ。 >>306
NHEの8連化なんかやらずに1080なり2000の増備で直接置き換えた方が良かったと思ったことがあるが、
当時はVVVF等が高価でVVVF新造車を一気に8連10本作るのは困難だったというのもあるのかな?
西武も6000増備だけでなく旧101の実質的な4ドア化を行っていたし >>355
多分考え方が変わったのもあると思うよ
「走れればいい」という理論だった90年代以前とは違い、今は使い勝手が悪かったり保守に難があれば置き換えるようになり、
社員や現場で働く人の声を聞くようになったと思う 相鉄が本厚木まで乗り入れてたらしいね
国電っぽい相鉄の車両も乗り入れてたのかな? >>369
普通に入ってきていたはず。3000系初代に至っては、小田急1800と同形だったから、
夏には小田急が借用して、江ノ島線準急に使用したりしていた。
旧6000系までは、乗り入れ経験がある。 本厚木-さがみ野で運賃割引があるのはその名残なのかな? >>205
西武のスレでも書いたが
仮に小田急が西武9000みたいなのを導入していたら車体新造から10年未満でも躊躇なく廃車にしていただろうか?
90年代は抵抗制御車を延命する方針だったのが3000大量導入時に一気に方針が変わり、更新してそれほど年数が経っていなかった5200ごと廃車になったため >>372
なんとも言えないが、5200がVVVF化されて延命されなかったのは、
8000とは車体構造がかなり異なっていたからだろう。
国鉄185系や201系なみ(したがって8000なみ)の長寿命対策車なら、
VVVF化されて延命されたかもしれない。 >>373
5200が残らなかったのは>>4に書いてあるが >>347
当時は1C8M用のVVVFが無かった
デハ5100をVVVF試験するとなるとデハ5000にもVVVF装置搭載が必要
しかしそれではデハ5000の床下を弄ることも必要となる
だからサハ2750にVVVFを搭載するという異例の事態になったと思われる >>376
当時は1C4Mどころか、1C1Mじゃないかなぁ。一応4M分を箱に入れてある
というだけで。 >>377
サハ2762の試験装置は1C4Mで合ってる
サハ2762の試験時は既に三菱製では近鉄用に1C4MのVVVFが量産されていた
1C8MのVVVFが当時無かったのは事実だが 三菱1C4Mってことは1000形の試作みたいなもんなんだね
2762はすれ違っただけで現物の音聞いたことなかったが。 90年代は150kW級なら1C8M
190kWクラスだと1C4Mだったな >>194
今回は1700代替用と思われるが、8000置き換えとしての増備が見込まれているんでは?
設計は日車も携わっていることから、今回は日車での製造はないものの日車でも5000は生産可能になっていると思うし、
8000がVVVF化後に不具合が頻発してるという説があることから、これまでの例からすると1700全廃後すぐに8000置き換えの可能性は十分考えられる >>194
8000も8251・8255が廃車されることになったらしい 8251や8255と聞いて半導体を思い出してしまったのは俺だではあるまい。 5200登場時、下降窓が物珍しくて何度も開け閉めして見知らぬオッサンに怒鳴られたことがあったw いつの間に8000が1本廃車になっていたらしい
当該は>>382にある8251でも8255でもなく8264らしい >>388
ワザと書いてんのかマジなのか??
8264は事故廃車だよ。 >>199
もはやワイドドアは隣に例えたら8000を5ドアで作ったようなもんだからなぁ
逆に言えば隣の5ドアは小田急的には5200/9000をワイドドアで作ったようなものだけど
やはり当時の両社の方針の違いなんじゃないの? ステイホーム週間中に駅ホームで盗撮の男逮捕 防犯カメラに姿
2020年6月19日 金曜 午後12:45
ステイホーム週間中に、駅のホームで女性のスカートの中を盗撮した疑いで、28歳の男が警視庁に逮捕された。
金子遼太郎容疑者(28)
は5月6日、東京・町田市の小田急線鶴川駅のホームで、21歳の女性のスカートの中をスマートフォンで盗撮した疑いが持たれている。
当時、外出自粛期間中で、ホームには数人しかおらず、金子容疑者は「人がいなかったのでやった」と容疑を認めている。
スマートフォンには、別の女性の盗撮動画が残っていたことから、警視庁は余罪を調べている。
https://www.fnn.jp/articles/-/54349 1081Fの一部車両が廃車に向けた動きをしているみたいだが
結局ワイドドア以外も廃車あるのか ついに1000にまで廃車が出たらしい
当該は1081の模様 長年の疑問なんですが 荷電になった1300は客を乗せて営業したことあるんですか
椅子がついていてデハを名乗っていた時から見た記憶がないんで >>395
Wikipedia によると 全線複線化の時に 導入されて旅客営業をしたみたいですね >>395
追加
昭和44年発行の誠文堂新光社の ガイドブックを見てきた。荷電電気機関車のページになくって、旅客車のページにあった。そこでは唯一の両運転台と紹介。 だが、最近ではもっぱら新聞輸送とも。 ありがとうございます 本当に早期に実質荷電だった 1400は祖母と乗った記憶があるんだけど 海老名に並べた1300と1400、保存して欲しかったね。 もともとデハ1300→デニ1300は、モハニ151形を改番したもの。戦後も1600形を除くと戦前車の甲車では珍しい3ドア車
として活躍。2輌がクハ化されたが、残りのデハは戦後の更新でほとんど車体は一新され、さらにデハ1311を編入し、
2ドア両開きの車体に。「小田急電車形式集」などには、普通に増結車として2ドア両開きの状態で客扱いしている。
HB車が旧4000に主電動機流用の形で廃車される中、両運転台で残っていたこともあり、デハ1300のみ残留。
その後形式をデニに改め、荷物電車になった。座席は布団を撤去して板をはめたのとドアが手動化された。
荷物電車代用としては、デハ1300形も重宝はされたが、他にも2100や旧4000の「配送」が走ったりしていた。 >>306
どうも平成初期はかなり迷走してたみたいだね(全ては複々線化に対して沿線住民からの反対運動が悪いと思うが) 小田急と言うと
SEはなかなか良かった
NSEは座席の形状が良くない印象
あと
4000系の脱線
こんな感じ いつでも、どこまで行っても混んでる電車。特急も大して早くない。
オッシャレ―な雰囲気だが、この電車で秦野辺りから新宿まで通勤するのなんて地獄だろうと思っていた。
自分は90年代前半まで西武新宿線で通勤してたが、もっと長時間、同線並みのノロノロ運転でイラつく客も多いだろうなと思っていた。
でも、下北沢で相模大野分割の編成があれこれやってくるのを見るのが面白かったな。2600と2400の併結とか。 >>402
NSEはリクライニングしないのに座りやすい印象だったよ。
末期もよく乗ってたし。 >>403
>いつでも、どこまで行っても混んでる電車。
小田急がすきで鉄道ファンになった沿線民だけど、おっしゃるとおり。
それに「いつも遅れてる」をつけ加えたい。 準急は元々終戦直後に戦前の「直通」の後継として誕生した種別であったが、
2018年3月改正で伝統ぶち壊してしまったよねホント… >>347
スレチだが、そう考えるとVVVF試験車を最初から編成単位で新造した東武は逆にやり過ぎだったということか
(サヤ8001で試験すれば良かったかもしれない) >>407 京阪にも4両ユニットのVVVF試作車(6000系6次車)があるけど。
東武サヤ8001ってチョッパ制御機搭載したが主電動機なし、編成の他の車両にチョッパで制御した電気を供給するものだろ。
VVVFを各車に分散して搭載し編成単位でのテストを行う方が、実用化に近いのでは? 関西から小田急沿線に転居してきた人が、この線は速くもないのにイメージだけで得してる、と小田急を評してたw
そんなものかと。 昭和後期-平成中期までの小田急知ってると
とにかく鈍くて混んでるとしか言えんな。
都内まで通うのなら住まなかった。
職場が藤沢だったから江ノ島線の本数少なさ(各停毎時4本時代)
2400の4両激混みでもまぁ耐えたよ。
片瀬江ノ島→新宿 朝ラッシュは1時間37分の時代w 箱根急行は古くて狭くて非冷房のHEだったから、
特急乗れなかった人は辛かったな 特急も自分の記憶にある昭和末期までは新宿−小田原67分、箱根湯本85分だったけどどんどん遅くなってるもんね
小田原までノンストップの旧はこね系統のスーパーはこねは時短してるけど本数自体が大幅削減だし
小田急としては全車指定席ロマンスシート、着席喫茶サービス(当時)が売りで速達性は二の次だったのかもしれないけど
昔のさがみ号より停車駅が多い列車をはこね号と呼ぶのは抵抗がある爺でした >>412
でも沿線民としては新宿-小田原ノンストップの時代に戻りたくはないだろう 調べたら新百合ヶ丘・町田・海老名・伊勢原・秦野なんて通勤ライナーみたいなのがあるね 現在、経堂を午前8時半頃通過する上り特急があるけど、昔のラッシュを思うとまさに隔世の感がある。 最近のテレビ番組で某芸能人の祖父が小田急社員だったことを知った
長後の駅長だったらしい スピードアップは労多くして実り少なし
遅いのを既成事実化して不満を持たせないようにする
停車駅増やして小まめに客を拾う方が経営として○ バストラックはスピードアップは操業度あがるけど
鉄道は設備投資かかるからねえ 複々線化で新宿・小田原最短60分切ったから、それで十分なんでは?
これ以上スピードアップするとなったら、複々線区間で最高時速120〜130q運転するか?
今の過密ダイヤでは難しいだろうけど。 結構カーブの多い路線で無停車とはいえ表定速度80km/h超えってのはなかなか凄いと思う 昔お正月に唐木田発江ノ島行きのロマンスカーってなかった? >>422
夏にマリンエキスプレスがあったけど、正月のは記憶にないかな。 正月だけでなく夏にもあったりしたな。
2007年だか8年だったか乗ったよ。
その後成城学園始発とかわけわからんやつも。 >>423
>>424
ありがとう。どっかに記述でもないかなあと思ってググったけど見つけられなくて。 >>423
>>425
ごめん、正月のじゃなくて乗ったのは夏のだよ。
今調べてるが唐木田発のニューイヤーエクスプレスも初詣号(2001まで)も
存在してないようだね。
唐木田発では臨時急行で綾瀬まで行って綾瀬発片瀬江ノ島行きがあった。 一般車両の号車表示が始まったのはいつの頃からだったっけね ロマンスカーのワゴンサービスも3月で廃止に成るそうだ。
なんかつまんなくなって行くなぁ・・・・・・。 1時間そこそこのロマンスカーに車内販売がまだあること自体がすごい、とは言われていたけどね
近鉄特急のオシボリもセルフサービスになって久しい バブルの残り香があった頃のあさぎりグリーン車の
シートサービス最強だったよなぁ。 衛星放送が見れた気が
ヘッドフォンみたいなの配って記憶も そうそう、肘掛け収納TVがあった。飛行機並みだよ。 >>434 1〜2時間の乗車時間で座席のテレビ見る客、そんなにいたのか? >>435
衛星放送だったけか?
町田〜新宿でよく乗ったけど、最初からまともに映らなかったな。よく画面が固まってた。 1人席のリッチな(死語)ビジネス客が新宿-町田・本厚木でも使ってたなぁ
自分も町田まででも磁器のソーサー付きカップコーヒー頼んだりしてた。
東海371のほうがメニュー良かったね。
当時のメニュー、食堂車スレにUPしたけど消えてるか・・ 小田急RSEははこね系統の運用もあるけど、JRはあさぎりのために371を新製するなんてすごい時代だったね(間合いのホームライナーとかはあったそうだけど)
西伊豆への新ルート誕生!行きはあさぎり、帰りはこだま、なんてCMも何度も見たもんなぁ
でもほとんどが小田急線内利用、本厚木か松田でがらがらになってた記憶 >>435
>>436
あの頃はグリーン車のサービスとして衛星放送が流行りだったけれどどの車両もいずれ撤去されたってことはやはり需要も低く維持管理も難しかったんだろうなあ
GSEで専用wi-fiにつなぐと車内限定コンテンツが手持ちのスマホ・タブレットで見られるサービスはそれの再来といえるかもね
前面展望映像を流したり乗車証明書を発行したりする試みは面白いなと思うがどれだけの人が使ってるんだろう? >>438
沼津から「スーパーロマンス号」なるバスを使っても、松崎まで3時間50分。
ちょっと無理では内科医・・・
沼津港から当時出ていた高速船なら、松崎まで1時間ちょい。
やはり東海バスと連携するなら、むしろ計画線にあった「湯ヶ島温泉線」みたいに、
我入道海岸から修善寺温泉までのルートにするべきだったんじゃ。 事故廃車とはいえ8000形も廃車発生か。
1000形もワイドドア車の廃車が昨年の末から
始まったから、時の流れを感じてしまうよね。 >>442
なんなら計画変更で普通ドアの1000も廃車出てるぞ 昭和時代の製造車輌は8000と初期の1000
だけになるからね。今年も廃車が出るだろう。
2000形も車歴からしたら26年経過している
のもあるから、廃車計画に上がってるかも
しれないよね。 1000形未更新の廃車はブレーキの電気指令化を急いでいるからと噂されてるので2000は組替えでもなければそのままじゃないかな 2000形も25年以上経つ車両があるからね。
ステンレス車体は昔の車両と違って外壁の劣化
が露出しないしね。
2600形や初代4000形の時は晩年、外壁が劣化
して塗装が染み出してたから。引退直後の
9000形もそうだったけど。 >>267
見直す部分が多かったために新形式へ移行することが決定したため1000の8両増備計画が中止となった模様 今月にNSEの中間車の廃車部品をネット販売
をしていたね。3年経っての販売だから間が
空いた形だったけど。
個人的には1000形や8000形の廃車部品も
小田急でネット販売してほしい。 >>448
1000形ブツの1090化で先頭車→中間車化工事の部品がもう出てるだろ 一昨年解体された2202の部品なんかが
ネット販売されてほしいもんだね。 おいら2200だか2300だかの扇風機持ってたんだがなぁ。町田小田急で1500円位だった。40年位前かな。
「家の100vで回りますか?」って聞いたら、整備士らしい人たちが相談して、「まぁフツーには回るよ」って教えてくれたんだ。陸式プラグだったからACのプラグに変えるだけでよかった。
自転車の後ろにくくりつけて持って帰ったっけ。引っ越しで置いて来ちゃった、もったいない。 1982-84年頃の鉄道展の販売会場でABFMのパーツ売られてたね。
つり革なんて100円だった。 うちにも扇風機あったけど、重くて邪魔だから真ん中の意匠だけ取って捨てちゃったな。
今から考えると勿体ないと思うけど、当時はアパートで子供も生まれて置き場所無くなったから、処分は仕方なかった。
でも2200の車番切り抜きは残ってる。塗装も結構剥離して来てるけど、白の下に元のブルーも見えるね。
値段が剥がれて見えなくなってるけど、これ当時はいくらだったかな? その時代の扇風機だと、コンデンサの油が心配。
2400の切り抜き車番は、裏面もろアスベストだったな。FM系も同じだと思う。
2400の車番は2500円。番号取れてるのは500円だった。 >>457
2400形といえばあの長〜いソロバン型の
主抵抗器だったよね。超大型の。
あれ丸ごと欲しかったけどそれは無理だから
部品の一部は外して買いたかったよ。 3100の折りたたみテーブルに挟まれて
血まみれになってた客が居たもんだ (途中で切れてゴメン)
バーニア付き電制常用で自然冷却って発熱凄かったろうね
5000はさすがに強制冷却になったけど
マッコウクジラや103-1000とかも自然冷却だったね はこね号は新宿〜小田原はノンストップにして、
快速急行に2〜3両の2+2シートの特別車を連結したら?
名鉄の様に。
はこね号は途中停車しない方が、
1時間でも雰囲気を独占出来て宜しいと感じます。 >>463
ぼくのかんがえたさいきょうのろまんすかー(笑) あしがらとか
名前を復活してほしいですわ。
味があるのに。
スーパーはこねじゃなくてはこねでいいわよ。 御殿場直通は堅い名称だったな
漢字だったせいもあるだろが
今ふじさん >>466
漢字だったのってディーゼルの時代だな
銀嶺、朝霧、芙蓉、長尾 >>457
確かに「コンデンサーにPCBが入ってる」って、扇風機の裏に書いてあったです。
>>458
長さ30cmくらいの緑色の抵抗も買いました。 >>468
PCBの件は本当ですか?
本当なら孫子の代まで危険です。経年劣化でコンデンサーに傷入りなどして、中身が出たら、
回りが汚染されます。ほぼ分解されません。
アスベストなら固めるとか方法はありますが、PCBコンデンサーは捨てるのも法律で禁止なので、
業者に頼んで処理してもらうしかないかも。とりあえずは地元の清掃工場に相談でしょうかね。
私もアキバで適当に買ってきた古コンデンサーが心配になってきました・・・ >>469
40年位前の中坊なもんであやふやですが、その中坊ですら「これヤバいんじゃない?」と思ったのは確かです。 初代4000のディスクブレーキの円盤部分なんか
廃車部品で売り出してたらほしかった。
あれは台車ごと廃棄物扱いで捨てられたんだと
思うけどね。
あの辺の部品のジャンクは大野工場や海老名検車区の廃棄物入れに山盛りになってたのを
思い出したっけ。車体の解体後に。 >>471
TS-826のやつ?
台車は車輪を外して解体するのでないと、ブレーキディスクのみ外すのは難しそう??
真ん中の巨大なナットを外すんだっけ。
てか、簡単に持てないほどの重量じゃないかなぁ PIIIの方でしょ
日本で唯一のつりかけPIIIだったし >>473
パイオニアIIIの吊り掛けは、デハ1300に取り付けたTS-704もある。
それにTS-706のブレーキディスクはTS-826に流用だよ。 >>475
当時はまだデハだった1300形に、パイオニアを試験的に履かせて、
4000へのデータ取りをしたのだよ。
東急7000を借りて試運転したのもおおよそ同時期だったかな。 >>442
1000のワイドドアはホームドアに対応できないための廃車であるとも言われているが >>476 新技術テストのためのスクラップ直前旧型車魔改造の一例だな。小田急は1600改造して強制振子式台車の実験もやってるし。
他社の例だとチョッパ制御テストのための東武サヤ8000、それに旧国鉄のガスタービンつけたキハ07とか。 >>478
小田急デハ1300は、「スクラップ直前」じゃないよ。デニになったのは試験後で、
さらに1984年まで活躍したのは周知の事実。
強制振り子の試験だって、クハ1658の前にデニ1000の旧車体での試験や、デニ1100での試験もある。
デニ1000旧車体以外は、すぐにスクラップになんてなってない。 2021年は1000と8000がやはり廃車になるのかな。それと遂に2000も開始か?
来月末にはロマンスカーミュージアムがオープン
するからこれは楽しみだよね。
コロナ禍の中で始めるのはかなり不安は
あるんだけど。 小田急は譲渡や払い下げってやんないのかな
8000はまだ生き残ってほしい >>481
盛んにやっているじゃん。 ロマンスカーだって売却するんだから >>482 今後は譲渡車はあまり出そうにないな。考えられるのは4両固定化した赤い1000くらいか?
これも譲渡されることなく廃車まで小田原・箱根湯本間で使用される可能性が高いが。
特急車だとEXEはまだ使い続けるだろうし。 >>481
通勤用は20メートル車しかないのがな
最近地方に移籍するのは18メートル車多かったし
ただ移籍例目立ったメトロ03等ベース車が払底したらどうするのだろう ここのスレタイ読んだ方がいい
もとネタ人も意識してないかもですが
>>483
>>484 >>482
小田急は特急車の譲渡は行っていても
通勤車は殆どやっていないでしょう。
富士急行に譲渡した2200のABFMグループと
秩父鉄道に譲渡した1800のいわゆる
片開き扉系しかなかったと思う。
それ以降の2400や初代4000などの両開き系の
固定編成の車輌は地方鉄道への譲渡は一切
されずに全車が解体処分されている。
2400は主電動機、制御装置が初代4000に
流用されたけど。 大野工場の職人さんがいた時代はマメだったね。
富士急色になったFMをオダサガ側の柵こしに見たよ >>486
その2つは20年ちょっと(1800は車体更新から)であまり使い潰されなかったからね >>238
結局、1751Fは譲渡せずに解体されたな(この勢いだと残り5本も解体の可能性)
これは引き合いがなかったからだろうか
>>486
大井川に南海6000ではなく小田急の1000を譲渡すれば良かったと思ったことがあるが、どうせ熊本/北陸の元メトロ03と似たような改造をしなければならない事情があるだろうからなぁ 小田急は通勤車両は地方私鉄には使いづらい
構造だったり特殊な編成だったから譲渡されず
一部を保存して解体されたんだろうね。
2400は中間車が特殊で長い編成で短縮化
出来なかったし、2600、5000,9000なんかに
しても先頭車両同士にして短縮化不可っぽいし。
1000や8000もこれから廃車がこれから発生する
と思うけど、譲渡はされずに解体処分だろう。
主電動機や冷房装置などは再利用されて
地方私鉄に売却されそうだけどね。
ロマンスカーは将来譲渡されそうな気はする。 思えばFM車のモーターってまだ生きてるんだよね
加速は遅いものの銚子行けば聞ける
うぉぉぉぉんは新潟行ってガタガタにされて音割れした2220より今もいい音 >>492
銚子へ行った分は2220のFS316台車だからモーターは関係ない。
それにFS321とモーターは1993年には無くなってるそう。
wikiより。 仲ノ町にいる元営団って今動かないんだっけ?
あれがFMのモーターだと聞いたが インドネシアでも引き取り無いかな
12両での運用が見たい >>493
ちょっと何を言っているかわからない
>>494
そうだよ。2220か2320のモーターだね。 昨年より新型5000の増備が始まったから
1000と8000の淘汰が今年も増えるんだろうね。
そろそろ2000も視野に入れて廃車が進行する
感じもするけど。
小田急ってインドネシアとかの海外譲渡の方も
実績ないから廃車処置になりそうかな。
機器や部品の再利用はあるにしても。 >>497
輸出出来るくらいだったら自分に所で使うと思う。
他社では使いづらさいっぱいだと思う。 >>318
メトロ06は類似の07が東西線に転属したことからこちらも東西線に転属という手はあったかもしれないが、東西線において15000を追加増備の方が安上がりと判断されたんだろうね
(スレチだが)横浜市営2000はメトロ東西線等の大開口型ホームドアの開発がもっと早ければ早期廃車は無かったかもしれない たまにはタイムマシンに乗って昔の小田急に乗りに行きたい。 通勤対策で苦しんでる昭和末期よりもっと前のいろいろ意欲的だった
頃にどうせなら行きたい >>501 1950〜60年代の方が通勤対策深刻だったけど。車両不足し20mクラスの大型車両は運用しづらい。なるべく安いコストで手頃な車両を量産するために試行錯誤してたわけだが。
あるいは質より量の西武方式でいくか? >>504
西武が「質より量」で、かつ20m車移行が比較的早かったのは、複線区間の短さも
関係していた。
高性能車両入れたところで結局増発難しいから、代わりに大型車の長編成で対応
せざるを得なかった。
小田急は戦前から全線複線で、高性能車両入れるメリットが比較的出やすいから
2200形以降の試行錯誤が出来た。
あと、当時の技術では大型車では経済性と高性能を両立するのが難しかったのも
2400形まで中型車になった要因。 >>505
1960年5月25日 秋津-所沢間複線化
1963年11月1日 池袋-所沢間で10両編成列車の運行を開始 >>505
高度成長までは各停駅ホーム70mで統一されてたからね。
踏切移設までしないと大型車導入できなかった。
NHEも暫定5連とか苦労があった時代。 ガキのころ3000は勿論FMや2400が輝いて見えた
一方社会人になっての通勤は現在と比べ物にならない地獄だった
それで501のような発言をしてしまいました >>501
あの頃の最大の混雑率が世田谷代田→下北沢の208%でしたっけ。
昔の国鉄とか300%当たり前の時期もありましたからそれよりはマシなのでしょうが、急行や準急が満員かつノロノロ動く様子は、傍目から見ても人間の乗り物じゃないと思えるものでしたね。 西武民の俺としては、80年代の小田急は
昼間から10連急行がバンバン走るのすげーなと思う一方で、
各停は6両までしか走れないのが意外に思った >>510
その代わり、各停は昼間でも10本/hで、むしろラッシュ時の方が減ると言った有様で、都内でも6本/hの京急本線なんかダサいと思ったものです。
まぁ、ホームを延長する費用もさることながら、延長に制約のある駅も多かったですし。
とりあえず8両にするに当たり、
@東北沢では小田原側の家が立ち退き、
A世田谷代田では新宿側の踏切が跨線橋になり、
B経堂では新宿側の踏切にあった踏切番の小屋を潰して分岐器の位置を変える、
などの出来事がありました。 80年代までの西側私鉄の昼間はまあ各停が多かった
西武池袋線なんかが特に 昔はとにかくノロかったからね。西武の通勤車は赤電で
スジ引いて最高速度85キロとか。
東武東上線なんてラッシュ時も準急が中心で並行ダイヤ
西武イケ線は駅間距離あったからまだマシかな。
清瀬の親戚行くのには急行でひばり乗り換えより準急が楽だったりしたな。 更にノロい路線は東急でしょw
隔駅停車の急行の東横線に、日中急行のない
長津田快速しか無い田都とかね >>511 関西私鉄のように早くから優等列車優先ダイヤにしていた京急ほどではないが、ここも長距離通勤客が多いから各停の本数削減して優等列車増やしてたということなんだろうな。
昭和30年代前半頃だと、登戸・町田間での宅地開発が始まった頃か。それが昭和50年代になると町田以遠、大秦野辺りまで通勤圏になってしまうわけだから。新宿が副都心として発達したのも関係するが。 >>511
> その代わり、各停は昼間でも10本/hで
西武は12本/hだったぞ
今も昔も西武のほうが多い
小田急はまさしく小田原急行で短距離の各停にしわ寄せが来るのは致し方ない >>515
小田急は遊園までは各停、町田までが準急、以遠が急行という具合にエリアで種別の棲み分けをしていましたね。新百合や成城では敢えて緩急接続をしないダイヤにして、乗客の分散を図っていました。 >>500
まだ箱根湯本まで乗り入れていた頃に戻って
みたいな。まだ大型車が乗り入れ出来なくて
2200形のABFMや2400形が主力だった頃に。
40年くらい前までは6両編成の冷房車は
箱根登山線には乗り入れ出来なかったんだよね。
なので4両編成の非冷房車は大活躍していた。 分割案内板ってA-Eの順ひっくり返ったよね。
新宿改良工事でランプ点滅表示前の黄色の8とか白の0の時代と
その後じゃまるっきり反対だったと思う。
Cが4000の5+5は同じだが。 >>518
いつ乗ってもどこまで行っても激混みだったと親が言っていたな
それは割と最近までそうだったかもしれないけど 最近は空いてきてるの?(コロナウィルスの影響差し引いて)
空く位なら減便しちゃうイメージ 足元ランプ点灯、点滅表示以降の記憶しかない(それより前から利用はしていた)けど、
「途中の相模大野から、ホーム中程、分割案内版○を境に、前○輌が急行○○行きに、後ろ○輌が各駅停車○○行きになります」
みたいな放送は覚えてるな(詳細はあいまいなのはご容赦)
うちは急行・準急通過駅だったのでもっぱら地下ホームのお世話になっていたけど
>>518
風祭か入生田で小田急車は最後部車だけ非常コックでドア扱いをしていた記憶があるんですが間違ってますかね? >>523
81年夏に工事完成で地下ホームも整備されたからね。
その時に女声の自動放送が入った。
それまでは地上は管制塔みたいなところから肉声で案内。
「3号線海側もどうぞ」という急行の降車終了前に5番を開けても良い
指示出してたのもその中二階の管制塔から。 ホームの真ん中にあるコンクリートの建物?
いつも何してるのか謎な施設
信号係がいるには見通せないし
新宿駅の古い画像を見たんだけど
途中までコンクリートで南口側は木造の屋根だったんだな
今見るとミロードが建つ前の70年代までは
本当に田舎くさい印象 >>517 快速急行ができる前のダイヤで、長距離通勤客が多いわりには、何故、成城学園前に急行停めるのかと思っていた。登戸から下北沢まで通過でいいのではと。
京王の千歳烏山のように昔から利用客多いのか?高級住宅地あるから? >>443
拡幅車体の10両固定増備に舵を切って新5000導入に方針転換したからというのが大きいんじゃないかな
当初は1000は組み換えや中間車化改造は無く編成構成そのまま更新でワイドドア車は3000の6連を増備して置き換えるつもりだったんではないかと思う >>528
基本的な、事実関係の認識に誤りがあるのだが...
1000リニューアルは、1066F、1057F、1063F、1095F、1096F、1064Fの順で、少しばかりの中断が入り、1067F、1069F、1065Fとなる
1095F、1096F、1064Fまでは、当初の予定通りと推測され、この後に方針変更があったと思われる 4月中旬にオープンする
ロマンスカーミュージアムに保存展示される
3100形が3両編成に短縮されて海老名に
搬入されたのを見て綺麗になったなと思ったのと
同時に、リアルな「プラレール」の様に
短くなったって感じた。
画像で見たら結構似合ってたのでこれなら
最初から3両に短縮して保存すれば良かった
のにって思った。
数年前に「保存車両を解体」ってニュースが
小田急ファン以外でも結構話題になったからね。 時代が悪いのさ、失われた30年(まぁ実質25年)
90年代後期からどんどん世知辛くなってるからな
複々線工事にカネ掛かっても増収できない時代 >>531
世界最速記録を樹立した初代3000形は当初
保存の予定はなかったらしいから
残してくれただけ良しとしないといけないかな。
たとえ短縮化されたとしても。
近鉄の様に日本初の二階建て車両を採用し
ブルーリボン賞を受賞した初代ビスタカー迄も
保存せずに解体してしまうんだから。 名鉄もパノラマカー7000をトップナンバーの
先頭車2両に短縮の上で保存してるからね。
1編成完全でないとはいえ残してくれるだけで
嬉しい。全車解体されたら二度と見られない
車両だけに尚更そう思う。
小田急も一部解体して縮小したとはいえよく
あれだけ保存して残してくれたなって。
しかもロマンスカーミュージアムまで建設して
ファンに展示してくれるんだから感謝
しないといけないね。 3000形SE車の保存を考えなかった当時の小田急の幹部は気違いだったな。 >>535
全く念頭になかったわけではないのでは。とは言えかなり混乱したようだけど。
御殿場線乗り入れ車として、S-LSEが作られることになれば、そこで引退だろうが、
その見通しがなかなか立たない中で、結局SSE延命ということになり、保存云々は一旦不透明になったのだろう。
3011Fが長いこと経堂の留置線をうろうろして、未更新のまま結局解体になったのは、この編成を保存する
可能性も考慮はしたためと思える。
RSE置き換え後も、4編成とも1年も経堂留置が続いたし、単に解体準備のために1年も車籍ごと残すとは思えない。 SSEは大井川が裏切ったからな。
80年代のうちはまだ静態保存でも見れる状態だったが
91年頃(小田急引退の年)には
ズダボロだったのが悔やまれる。
あれ、未更新窓開く第一編成だったのに。 >>536
3000形SEの3011は世界最速記録を達成した
編成だったから保存するべきだったよね。
あと大井川鉄道の時も譲渡されても余り活躍の
場がなくて休車状態が続いて車体が錆び付いて
しまって解体されたのを覚えている。
5両固定編成では使い難かったかもしれない。 S-LSE計画懐かしいなぁ、経堂検車区見学行ったときに
出来たらいいねぇと教えてくれた。
84年当時、本社広報通じれば4名以上の任意団体で申し込めば見学させてくれて
SSEの運転台もパン上げしてMG起動してくれて、今思えばすごい時代。 ロマンスカー以外で保存されているのは、最初期の電車に2600に9000だけか?
向ヶ丘遊園の鉄道資料館にあったデキはとっくに失くなったし。気動車改造されたのも含めて、関鉄、秩父、富士急でも元小田急の車両、ロマンスカー以外のは残ってないだろ。 訂正、富士急の5700になった2300が笛吹市の公園で保存されているか。秩父に行った1800の廃車体はまだあるのだろうか? >>539
大井川鐵道としては、3連に短縮したかったようだ(当時の雑誌に記載あり)。
しかし、機器配置か何かの関係で短縮できず、そのまま5連で営業へ。そりゃ輸送力過剰でまもなく運用喪失。
>>542
2200じゃないの?
今後の新たな保存はアスベスト次第のようだが。 >>544
倉庫に利用された後2011年に解体撤去されたと
Wikiに書いてあった。1両に関してはね。 話を現代に戻して悪いけど
ワイドドア車の1000は今年も廃車は発生する
のは間違いないかな?そして追加で8000と。
そろそろ2000辺りも1編成位はどうか。既に
当時から25年以上経過してる車両もあって
老朽化も気にしなければならないだろうしね。 >>548
ウルトラCなことでも無ければ、ワイドドアを置いておく意味もないからなぁ。
ホームドアは設置が進むし。
2000については、車体はしっかりしていると思うけど、VVVF装置あたりが、
そろそろ部品が無くなりそう? 2000形については2054Fが2600形のVVVF装置
から流用されている関係から機器の老朽化で、
廃車が噂された事が確かにあったけどそれは
ないんだって。
その機器は近年でもメンテナンスや改良を
実施してるから老朽化による廃車の可能性は
無くなってるとの事。
2000もちょっと安泰かな。5年位は。 2000の今後は8連をどうするかにかかってるような >>491
1000も屋根上機器の関係からパンタグラフ設置には大改造が必要と予想
熊本/北陸の元メトロ03は集中クーラーだったから空いている所にパンタグラフ設置できたわけで
HiSEとRSEは抵抗制御だったのが幸いした結果と思う
抵抗制御は壊れてもすぐ直せるが、VVVFは壊れたら現場では直せないし、その点において地方私鉄としては抵抗制御を好んでいると予想
(システムが新しい車両ほど簡単に長持ちできないというのが何とも…)
>>497
インドネシアは拡幅車体はNGって数年前に見たような記憶があるが >>551
2000があと5年くらいは動き無しは、だいたいそのくらいかもね。
置き換えするにしたって、新車の置き場所も考えないとならないし(10連今以上に置くとなると・・・)
小田急の言う「経済輌数」には足りないものの、まとまった輌数あることはあるのだし。 >>553 養老の7700、一畑の7000、福島の1000、皆VVVFなんだが。バックアップ体制あれば中小私鉄でも維持できるのでは。というか、そうしないとやっていけなくなるだろうし。 1800形が引退したのが1981年7月だから今年で
40年の月日が流れたのか…。時が過ぎたんだね。
相模大野から各駅停車の町田行きは晩年の
1800形だったのを乗った事があったけど
吊り掛け式のモーターの唸る様な音が凄くて
左右に車体も吊革も激しく揺れて二段開閉窓も
ガタガタと響かせながら走っていたのを
良く覚えている。そのモーターの地鳴りも
足裏に伝わって何とも言えない味があったよね。
今でも1両が保存会の方々で綺麗に復元されて
いるので嬉しいし懐かしい。本来なら来月に
オープンするロマンスカーミュージアムに
保存展示してほしいなって。 >>556 ロマンスカーミュージアムに入れた途端に部品盗難にあったりして…
盗難対策立てているのだろうけど、入場制限して構わないから悪質な鉄オタ入れないでほしい。 >>557
1801に関して言えば、だいぶがらんどうの状態からの復元だったようだから、
元からある部品は割と少ない。外見のみの復元にしているところもあるようだし。
小田急は、通勤車を展示する別館を別なところでもいいから設けるべきだな。
それでロマンスカーとセットで儲けるようにしたほうがいいのでは。 9000と2600は車庫に入れといて時々公開する予定ではなかったっけ? どのくらい公開してくれるかどうかはともかくとして通勤車はSEが入ってた庫に収まってるな >>556
70年代から片瀬江ノ島駅徒歩4分生活でお世話になった車両です。
急行はHE4両基本の時代でしたよね。
個人的にはABFM好きで、富士急行くと知って
大野工場裏に見に行った思い出。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org691497.jpg >>559
小田急の収入に資するだろうから「べき」と表現しただけだが?
本館と分館を、そこそこ距離が離れていて、それでいて1日でなんとか回れる場所にすれば、
フリー切符なんかも作れるし、1回目は本館、2回目は分館と、何回か路線に乗ってもらえるだろ。
資産はあるのに、古車庫に突っ込みっぱなしってのが、もったいないと思う。 >>563 分館、どこに造るのよ?空きスペースあるのか? >>561
あのSEの専用車庫が空いたから3両を収めた訳
だけど2202の1両が入らなかったから解体した形
になった様だよね。
何か勿体なかった淘汰だったよね。保存車の
解体の中では。10000や20000、7000の
先頭車の解体もあったけど2202は特に。 >>564
そんなことは小田急が考えることなんじゃない?
そもそも増収のためなんだから。 >>562
この場所は懐かしいし今でもありますね。
9000とかが解体待ちの時冷房の屋根が
取り外されて留置されていたのを1人
寂しい気持ちで見つめていたっけ…。 9000が走ってない小田急なんて、もう小田急じゃ無いみたいな気持ちになったな。
運転や検修の評判はあまり良くなかったのかもしれないけれど、
ファンとしては今でもあれを上回る車輌は無いと思える。
もっとも、それだけに晩年の前後ガタガタは悲しかった。 >>567
確かに懐かしい場所ですね。
振り子の青色1658がいたり、少し区の外周に沿って歩くと小田急創世記の旧型車の車体を
2つ繋げた倉庫のようなものがあるのが外から見えたのもこの近辺でした。 何気なく上げた大野工場裏写真にレス感謝です。
自分、この場所はオダサガ近くの友達に教えてもらって。
撮ったのは最初に2300が富士急行った82年、まだ2220は
翌年か翌々年まで小田急に居たっけか。 新潟に行った2220は残してほしかった
今はもう中型車の貫通型は現存しないんだよね >>571
もう1両も残してないよね。
1982年に2200形ABFMグループを置き換えるために
新型車の8000が登場して置き換え対象になって廃車になったけど、来年で登場40年に
なって今度はその8000が新型5000の登場の
為に置き換え対象で廃車になるんだね。
時代の流れをしみじみ感じるな…。 >>572
ついに8000も廃車対象か?
さらに後輩の1000にも廃車出てるみたいだし、本当に時代の流れを感じる 白車体が消えると小田急らしさも完全に消えるな・・・ 8000形のトップナンバーの8251×6が先週ついに
クーラーの屋根を外されて大野工場に搬入
されたとネットニュースに流されていたね。
これで小田急は念願のVVVF化100%を達成を
した事になる。
トップナンバーの8251は1982年製だから誕生
から39年間経っての廃車解体という事に
なるよね。長い間お疲れさま…。 仮に8000が全車とも界磁チョッパのままだったら廃車順は基本的に8000→1000の順で、今頃8000がバンバン廃車になってただろうな
8000がVVVF化で時間が掛かったために車体修理完了が当初予定より大幅に遅れたため1000の車体修理は途中で中止ということになったんだろう 8000の全車更新終わってから1000を160両更新って発表してるんだから関係ないよねえ >>577
これも理由の一つかな
京王電鉄、車両改造工事でアスベスト対策なく、作業員の健康被害を調査へ
https://s.response.jp/article/2017/10/20/301362.amp.html
ただ、今回の事案は運転台付き車両を輪切りにして運転台を除去。先頭車両を中間車両に改造する途上で、断面に塗料が露出する工場内で起きた。
2014年6月には、アスベスト問題は分かっていなかったんだよね。
京王の協力指導で、1095F、1096Fの中間車改造を行った小田急エンジニアリングの作業員は、大丈夫だったのかな?
通勤車両1000形のリニューアルに着手!
http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8107_0585407_.pdf こんな感じかな
1000の中間車化改造にはアスベスト対策が必要
↓
アスベスト対策=費用の増加
↓
新形式製造と費用増加後の1000リニューアルを比較
↓
新5000形の製造が決定 >>577
8000の更新がもう少し早く終わっていれば、逃げ切れたかも
ただ、小田急エンジニアリングの作業員さんの健康が、犠牲になったのだが >>578
情弱な ID:8BUZqDVp が不憫だ www ロマンスカーミュージアムが来月の4月19日に
開業になるのが話題になってるよね。
心配なのは保存展示する車両のモハ1の事
なんだけど部品の盗難や破損被害の対策は
大丈夫かな?
小田急最古参の貴重な車両になるし余り人に
触れさせない方がいいと思うから心配に
なるし。鉄道博物館でも部品盗難の被害が
発生したしね。 >>585 SEなどのロマンスカーの方が心配なんだが、完全予約制で限定された人数しか入れないようだし、最大限の盗難防止対策を講じているのでは? 海老名みたいな主要駅に私鉄博物館は場違いだよね。
東急は宮崎台
東武は東向島
メトロは葛西
京王は多摩動物公園
にある点から。 >>586
鉄道博物館の例もあるからセキュリティーは
万全だと思うけどね。確か10000形に関しては
車内見学は出来なかったはずだけど…。 >>585
それだったら今までの方がよっぽど確率高かったんじゃない?
海老名のボロい車庫や大野にあった時も開け放ちだったし。喜多見だって入れれば容易な位置だったでしょ。
今度の方が頑丈でセキュリティも万全そう。
そもそも小田急で今まで盗難なんてあった?
開成の3181は別として。 小田急では盗難は聞いた事ないよね。
開成で保存されている3181号については以前
緑色のテントで保管されていたのが何故か
外されて雨晒しになって塗装が色褪せた状態に
なってしまったのが気になるけど。
また以前みたいに緑色のテントで保管して
雨晒しを防げばいいのに何してるんだか。 >>529
1000ワイドドア/8000機器未更新置き換えのためだけに新形式を少数だけ作る予定だったのも考えにくいから、やはり計画変更で新5000が出たんじゃないの?
当初の中期的な廃車はこの8本だけだったと思うから
新5000登場時は「1000ワイドドア/8000機器未更新を廃車」と「古い10両編成の車両を置き換え」など具体になっていなかったが
これは計画変更後の置き換え計画がまだまとまっていなかったからと思う ロマンスカーミュージアムがマスコミに
公開されたよね。来月が楽しみだよ。
出会いたいのは3100形かな。 3000形の乗務員室の仕切りドアは外してるけどどこかで保管してるの? >>595
海老名の保管庫に、その後も置いてあったのを見たけど、ミュージアム内でも付いていないのかな? >>596
付いてないように見えた。
もし廃棄したら小田急電鉄は気違いだな。 >>580
ということはやはり2代目5000は計画変更により登場した可能性 >>597
まぁ、元々は全車解体予定だったからね<保存車 >>486
>>491
京王も昔は譲渡に積極的だったけど6000以降は全てそのまま解体だからなぁ
まぁ、20m車に関しては使いづらいんだろうけど(東急8000系列も解体車が多い) >>599
92年当時の小田急電鉄の幹部はド気違いだったからな。 >>599
2000年5月に全編成が解体されたNSEの
「ゆめ70」も当初は1編成ごと保存される予定
って当時の鉄道ジャーナルで明記してあったのに
それを平気で裏切って解体したからね。
今となっては先頭車1両でも保管してれば
面白かったのに。 >>600
京王本線の車は軌間が違うから、丁度合う台車の出物がないと難しい。
それなら同じ狭軌の20m車用意した方が早い。
それでも5000系が売れたのは京王重機の営業力じゃない? >>600
東急8000系と8500系は一部を除いて、京王7000系も多くが軽量ステンレス車では無いので、
動力費などに影響がありそう。わずかな経費も無駄に出来ない中小私鉄としては、
そりゃ東急なら1000系や8090系に行くわなぁ。
小田急1000は大きすぎるのだろうし、先頭車化も経費がかかりすぎるのだろう。 >>497
>>548
2002年の3000登場からわずか10年で2600/旧4000/9000/旧5000系列を全て廃車にしたので、
今回は2030年辺りまでに少なくとも2000以前は全て淘汰されてしまうと思っている
1000系列のGTO車が残っている間は2000の廃車は無いと思うが >>605
> 京王7000系も多くが軽量ステンレス車では無いので
構造的には軽量ステンレスだぞ
東武や京王のコルゲートに騙されちゃいかん
まあ実際重いけどな 京王も小田急も一時期大規模な車両整理を行ったので当面置き換えの優先度が高い車両が無いのにも関わらず、
新型車両を導入してしまったから仕方なく余った車両を廃車してるような感じだね
(京王は有料列車を設定したというのが大きいが) >>607
違うよ。京王7000系は、6連化中間車を増備したあたりまでは軽量ステンレスじゃないよ。
天秤バリは無関係で、その近くの側面スポット溶接痕を隠す黒丸が少ない、
または無い車輌からは軽量ステンレス構造。 >>610
まあそう思ってりゃいいじゃん。
鉄道ピクトリアルには、京王7000系の初期タイプには、京王側の理解が得られず軽量ステンレス構造は導入できなかったと、
東急車輌(当時)の人が書いているんだから。中の人の発言を信じないというのなら、まあ致し方無いね。
こっちはソースを持って書いている。君とは話は出来ないということだ。 1000は見た目はまだまだ使えそうに見えるけど、今後も使えるのは車体(それも構体のみ)と台車ぐらいだから、
それ以外を全て取り換えるくらいなら、思い切って切り捨てた方が得策なんだろうね
>>605
後は先頭車の屋根上機器配置からしてパンタグラフ取り付けが難しいというのもあるかと 井の頭3000もグリーン車置き換え用に投入された3720F移行はコルゲート板だけど軽量構造なんでしょ >>611
そんな言い方するなら、書き込みしなくていいよ >>613
そうだよ。例外車として3708Fの渋谷方3輌とデハ3054もね。
だから伊予鉄は軽量ステンレス車で揃えられたんだよなぁ。
>>615
自分でも調べようよ。 スレチだけど
京王7000は京王ライナーの導入による留置線不足で余剰廃車になったものだから仕方ない
そもそも京王ライナーに関して当初は同8000を改造する検討だったのが、新造した方が安いとなって5000新造に至ったという可能性 9000系+2400系の違和感ありあり連結急行が懐かしいな… >>619 2400と2600の併結って当たり前だったような。 2600はレアな方じゃないの
2600が10連運用解禁して数年で2400が優等からほぼ撤退したし >>621 むしろ5000か?箱根湯本乗り入れに20m車が使えなかった頃。2400の4両に20m車の編成が併結されていたわけで。 相性的に最悪だったのは9000の4連オールMとHE
江ノ島運用9000、湯本運用HEのときね。
加速特性の違いでガックンガックン。
起動時OKでも中速域からHEが引きずられる=押されるのは
5000や8000の6連が相手の時。6連は加速が伸びる 吊り掛け5+5の併結10両や逆10両、中型6+大型4、2ブツ切り10両とかパターン多かったですね >>619
こんな発言が出てくるなんて今年一番のショックだわ。
当たり前の日常の風景だったのに。 新宿駅の分割案内板の数からしてねぇ・・
A-Eの順って改築後逆になってるよね?記憶曖昧で。
4000の5+5は真ん中のC変わらずだけど。
1981年夏の改築前の乗車位置案内の番号も
すっかり忘れて歳には勝てないと思ってる。
白の0が大型10両、黄色の8は中型8両だったかなと言うくらい >>625
2400形と5200形との冷房車と非冷房車との
連結風景が今となっては懐かしい。
急行 箱根湯本行きは非冷房車の2400形だった。 中型と大型の併結は2400+大型しか記憶に無いのだけれど、
2200系列と大型の組み合わせは、80年代になってからも存在したのですか?
当時幼稚園児だったので、2200系列は多摩線以外だと6連の各停しか記憶に無いので >>628
随分乗ったよ、箱根湯本運用の4連に2+2の
ABFMが入ることは激減して数えるくらいしか
ないって話当時から友人たちと話してたが
ブツ6+HEまたは50004連の10連は毎日あったよ。
当時のダイヤ持ってるので運用番号もわかる。 これ一例。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2434396.jpg
ブツ6がC運用で5000と繋がってる急行が左の例
ABFM4連は2400と共通運用で35-38の4運用しか無く
多摩線以外じゃなかなか。 >>621
2600は他車と併結しない孤高の存在!と思いきや、初期に中型2両の併結試験をしたことがあるそうだから、もし、それで運用に入っていたら?と妄想してみる。 FM車ブツ6大好きだったな
末期は小田原急行によく入ったので狙って乗った
古いながら小田急で最も走りのいい電車だった 2200はいつも中間に入ってたよね。
当時は幼稚園だったし理由も分からなかったから、来る度に先頭で来ないか期待してた。 >>629-630
ご教示ありがとうございます。最寄り駅がが富水だったもので
見る機会が無かっただけで晩年まで大型車とも併結を行っていたのですね。
>>634
分かる、子供はみんな同じことを期待するものなのかw
多摩線以外で2200が先頭に出ていたのは
構内踏切があった時代の富水で一度だけ見た記憶がある 2200が先頭の時はかぶりつきの時の前方視界がすこぶる悪くて不満だったよ。
一方9000は運転台背面の窓が1枚しかなくてかぶりつける確率が他形式より
減ってこれも不満だった。
あと2400でかぶり付いてるとき長めのタイフォン鳴らされると靴の裏がはっきりと
ビリビリと振動感じたよ。。 さがみ本厚木発湯本ゆき朝2本くらいあったね
あと、新宿7:00発が湯本行きさがみだったっけ >>637
そういえばあったね。
送り込みだけではもったいないから、営業もしているパターン? >>635
富水だと当時は通過急行のほうが多かったかな。
>>636
この音ね。床が震えるw
https://xgf.nu/RcIT >>640
そうそう、これこれwww
下りの急行なんかだと相模大野出て坂下って上った相武台前通過当たりでは結構
スピード乗ってて、駅通過時に結構長めにタイフォン鳴らしながら構内進入してた。
懐かしいす。。。 >>638-639
当時本厚木すら特急停車列車も少なかったですね。
新松田停車は、御殿場線乗り換えの便だったのでしょうか。 そもそも新宿-小田原ノンストップじゃ沿線民向けない休日ダイヤ。 昔のさらにその前は
ほとんどノンストップのはこね号だったね
町田止まるのもさほど多くなかった 昔は00、30はこね か あしがら
10、40さがみあさぎりえのしま だったね
今のはこね号は一部除いてさがみ号より停車駅多いのにびっくり そう。関西の阪急・京阪もそうだが、通勤地獄で貢献してる沿線民より
観光客に快適な列車のイメージが平成になって嫌われ、途中停車重視 今日大野工場の車庫に行ったら8000形が
1編成回送されていたけどあれは
解体待ちかな?まだ屋根上の冷房装置は
外されてなかったけど。 >>647
8000の廃車は一段落と思うが
(残っているのは全てIGBT改造された車両であるため) 8000の淘汰も一段落か。
小田急の長年の象徴カラーであるアイボリーに
青帯の最後の系列だから感極まる所もあるよね。
あとの通勤車両はステンレスに青帯だから。 なつかし板じゃなく現役通勤型車両スレでやってくれない? >>649
新5000形導入に伴う歯医者で着目すべきはブレーキだよ
2200形から連綿と受け継がれてきたHSCが、いよいよ終焉を迎える訳だ 昨日ロマンスカーミュージアムが開業したけど
行った人いる?月曜日という平日だったから
中々難しいけど。 >>653
こういう書き込みを見るたびに、何を知りたいのかと思う。 2004年改正から新4000形運用開始までの間って1000形6連(通常ドア)が他形式と組んだことってないのかな
直通用10編成に対して9運用あったっぽいから望み薄なのはわかってるけど >>626
記憶あいまいな部分がありますが、分割版御順番があるときに逆になった記憶が自分にもあります
最終的には、上り方で例えば(左が上り新宿方)
F:4000-3両→下り方は4000-5両
E:2400-4両→下り方は2400-4両、5000-4両、2200-6両、5000-6両
D:5000-4両→下り方は2400-4両、5000-4両、2200-6両、5000-6両
C:4000-5両→下り方は4000-5両
B:2200-6両→下り方は2400-4両、5000-4両
A:5000-6両→下り方は2400-4両、5000-4両
乗車位置ですが、黄色は3〜8両、白は10両
黄色8:2400-4両+2400-4両、分割はE
黄色9:2400-4両+5000-4両、分割はE
黄色0:5000-4両+5000-4両、分割はD
または4000-3両+4000-5両、分割はF
黄色1:5000-4両+2400-4両、分割はD
黄色4:2400-4両
以下はあいまい
黄色3:4000-3両
黄色5:4000-5両
残りの黄色2/6/7は、5000-4両、2200-6両、5000/2600-6両のどれか
白0:5000-4両+5000-6両、分割はD
4000-5両+4000-5両、分割はC
5000-6両+5000-4両、分割はA
白8:2400-4両+2200-6両、分割はE
2200-6両+2400-4両、分割はB
以下あいまい
白1:5000-4両+2200-6両、分割はD
白2:5000-6両+2400-4両、分割はA
白9:2400-4両+5000-6両、分割はE
白*:2200-6両+5000-4両、分割はB
なんで覚えているかというと、夏の冷房車の見極めに必要な情報だから
黄色0も白0も分割がCやFでない限り冷房車確定
分割Dは上り新宿方が冷房車
黄色9や白9は下り小田原方が冷房車、など
真夏の帰りで白0や黄色0で油断して分割CやFを忘れると4000系で、げっそりしました
間違っていたら申し訳ございません >>628
他の方のコメント通りです
その頃は、2200-6両、2400-4両がメイン
2200-4両もあるにはあったが少なかったです
あと、もっと稀なのが2400+2200の6両、たまに見ました
(どちらが上り方か下り方か、は覚えていませんね)
朝の10両に、2400-4両+2200-2両+2400-4両、という急行も稀にありました >>658-659
詳しいレスありがとうございます!
こういう時代のお話待ってました。
ダイヤグラムは90年代末期からヤフオク等で
70-80年代のほぼ毎年のを入手出来ましたが
’81夏改築・ランプと自動アナウンス導入前の
パタパタに表示されてた乗車位置案内の記憶が・・
まさに仰るとおり冷房車目当てですよ。
自分、片瀬江ノ島在住で1時間15分乗りますからねw >>659
ありましたね。HE+FM+HE
小田原方HE、6連新宿方FM、更に新宿方HEだった記憶です。
折返しが大野止まりで後ろ4両藤沢行き各停だったような。
新宿駅8時頃が楽しくて、新宿方に5000が付いて小田原方に
ブツ6だったりすると電動方向幕が南新宿発車時に操作できなくて
新宿のホームで折り返し回送になる8時ちょい過ぎのは
折返しの車掌氏が5000の種別幕の横にあるダイヤル(クランプレバーではない)
これを指でコロコロ回して、快速準急、通勤急行等の電動ボタンにない
種別を越えた先にある回送を表示させてました。
わざわざその時間に見てましたよw 今のようにスマホで動画撮れるなら
タイムスリップして撮りたい案件。 JavascriptでHEの幕を作ったのをUP
https://youtu.be/0BZ5vm0nKcM
つべ垢バレしてもOKです。
当時の小田急の録音などもあります。 >>658
関連
高校の時、必ず冷房車が来る列車と、必ずしも来ない列車、必ず非冷房 とかを調べている奴がいた。
手帳に書き込んでいたが、エンマ帳を書くのか得意になって、その人、先生になりました >>662
凄い。2400の幕順番、新宿が複数回出るのは手動の手間省きかな?
滅多に使わない行き先が端にある感じ。 いいね!
現在の黒幕や擬似LED化とかも見てみたい。 658ですが、もしかして少し追加修正
黄色3:4000-3両
黄色5:4000-5両
黄色6:2200-6両
黄色7:5000/2600-6両
すると黄色4は、残った5000-4両かな(これだけ記憶にないです)
あと、10両の白ですが、8-9-0-1は確実と思いますが、あと二つがはっきりしないです
8-9-0-1の前後の数字、6-7か2-3か7-2かどれかと思いました)
ご存じの方、おられましたらコメントいただければありがたいです >>663
まさにそれです
5000/9000は100%、6両は2600は運次第
2400や2200は、ほぼゼロ、2478だけですね
ちなみに、これの運用を調べていた人もいました
似た例では、目蒲線の7200の運用調査とか行なっていた人もいましたね
それにしても、2478という数字を聞くだけでも涼しくなってきます
もし遭遇したら間違いなく夏冬関係なくそこに乗りましたから、例えば2477にはおそらく乗車の機会ゼロだったのではないかと思います >>662
素晴らしい、いいですね
ちなみに、多摩線開業前に行先表示幕で「多摩中央」というのがあり、マジでびっくりしました みなさんすごいですね
小田急沿線住民になったのが80年代後半なので、車両は20m車がメイン、新宿駅の乗車位置は足元ランプの点灯・点滅表示になっていました
ホーム中程分割案内板Bを境に、前6輌が(小田原線系統)に、後ろ4輌が(江ノ島線系統又は途中駅止まり)になります、の記憶ばかりでした
各停停車駅利用者だったのですが、たまにB以外が聞こえてくると地上ホームまで見に行ったこともありました
いつも見ていますので懐かしいお話を聞かせてください ABFMにHEに4000つりかけのいた頃が最も楽しかった >>668
ピクあたりに9000で表示してるの写真あったね。 >>662
おもしろい!
すばらしい!
でも昔の種別幕なら「(オレンジ一色)」「りわお(の裏文字)」も欲しいなぁ。。。 662です。皆様ありがとうございます。
>昔の種別幕なら「(オレンジ一色)」「りわお(の裏文字)」も欲しい
すみません、幕順が不明なんです;
これしか資料がなく・・
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org691804.jpg
冷房車運用調査、実地は大変だったでしょうね。
知人に某駅の駅員さんがいたので、駅用ダイヤグラムを
コピーさせてもらって運用調べたのは反則ですよねw
ささやかですが、660に書いたオク入手ダイヤから一部を。
zipになってますが200メガ以上あります。
https://xgf.nu/aI4H >>674
いえいえ;
かの2478の写真出てきました。当時の自宅徒歩1分の
お手軽撮影。江ノ島水族館まで3分位の所に住んでました。
きちんとScanし直して色調整やらねばw
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org691807.jpg >>652
分割併合の廃止で環境が大きく変わったのもあるんだろうね 新原町田幕なら何処かにしまって有る気がする。布幕じゃ無くてフィルム幕だけど >>673
うちにもこんな種別の布幕あるよ。
快速準急入りで黄色地だった気がするけど。 新宿⇔箱根湯本、サボを、昔向ヶ丘遊園のイベントで売り出しがありました
1000円と記憶、買いまして、自宅に飾っていました
実家の親が処分していなければまだあるかも
裏は、記憶が間違いなければ同じ(新宿⇔片瀬江ノ島、等ではなかったです) >>675
2478号車、懐かしいですね。
わずか1両の通勤冷房試作車として異彩を
放っていて鉄道ジャーナルの表紙も飾っていたのを思い出した。
この車両が相模大野に到着した時に急いで
先頭に乗り込んだ事を懐かしく感じた。
廃車されたのが昭和60年の12月だったから
もう36年も前になるのか…。 16mの小柄なハコに8000kcalx5だったから凄い冷えたろうね。2478。 HE車で黒種別幕だったのは2478だけ?
2478思い出すならHE車で唯一スカート付だったあの子も思い出してあげてください。
なんだかスゲー面長な顔になっちゃったあの子。。。。 2551は何で面長な感じになっちゃったんだろうね。
車体が裾絞りじゃないからとも思ったけど、現行の3000や4000も絞ってないけど普通な感じだしな。 2449の次が2400、2499の次が2500
営団の6000系が、6100-6200-6300-…で、6900の次が6000
長野電鉄の0系が、1-51、2-52
よって、100両出来たら、純粋な0が登場していた可能性
11-61と区分なら、0系が10両でも純粋0ができたかも
というのは妄想でしょうか >>683
2489Fも黒種別幕。
>>685
妄想でしょう。
江ノ電の10形は当初、0+50で車両番号を申請しようとしたら、当時の運輸省に「0はちょっと・・・」と言われ、
やむなく10-50とした。そのため20形もそうだが、鎌倉方+50番の原則が崩れることになった。
なので、0番というのは(阪急1000号、みたいなのではなくて、純粋にゼロ)、おそらく認可が通らないのでは。 2600を8連化せずそのまま1000(8両固定)で置き換えた方がよかったと思ったことがあるが、当時はVVVF車の扱いに慎重だったからそうはいかなかったのかな?
西武も6000大量増備とはせずに一部101機器流用での9000となったのは当時VVVF車の扱いに慎重だったから(+所沢工場の関係)らしいが HEは2450-2400-2500-2550という付番にすればややこしいことにはならなかったが >>367
>>687
1000の初陣が地上専用で作られたのはVVVFの初期故障対策を考えてのことと思われる
>>377
それは1C1M×4(東芝製に多い)ということになるが 2600の8連化は、土砂崩れ突っ込みで更新したばかりの2671F下り方2輌を失ったことが、
直接の動機だと思えるけどね。最近だったら、編成ごと廃車にするだろうが、
更新後の残り4輌を生かしつつ、未更新の2652Fや2654Fをなんとかして、
さらに6連時に空転多発の問題をなんとか解決したいというのを、全て満足するために
考え出されたのだと思うけれど、あまり経済的でも無かったのか中止されたわけだよね。 >>690
あれ、少数で厄介な2000形をなんとかもっと作りたい
上層部の意向が働いたんだよな。 NHEのV車のモーターまで
移植して転用する徹底っぷり。 そもそも2000って
車両メーカー側から「1000ワイドドアやめるなら代わりに作ってくださいよ」
と言う提案からという噂もちらほら >>690
最近の事故廃車事例では小田急でも8264Fが編成ごと廃車になったもんね
1両だけ差し替えの噂もあったが 1961年1月に2400形の2459×4が多摩川でダンプカーに衝突されて脱線してしまった車両は
廃車されずに日本車輌製造で修復されて復帰した
という例があったけどね。
当時の事故をネットの写真で観たけど橋の上で
宙吊りになったりしてかなり大破しちゃって
よく2400形は復旧出来たなって思ったが。 あれは実質車体新製だね
小田急車って意外と台枠部が丈夫なのかもね
SE車だったら外板で支える構造で全部歪んでアウトだったかも >>694
車体新製はしてないよ。左側面には晩年ゆがみ多数。
台枠は他社並みで、HEにしてもFMにしても普通の軽量構造。
特に丈夫ということは無い。SEも基本的には同じ。 阪神8000系の2次車〜12次車が超経済設計で駄目。
耐用年数35年で大分ガタが来てる。 今も昔も電車がダンプにヤられるのは多いね
踏切警報器は何のためにあるのか そりゃあパノラマカーにあんなごついバンパー付けるわな 千葉の方で、鉄仮面電車走っていなかったっけ
小田急でも廃止間際なのに、運転席の窓に、鉄板を 取り付けた電車があったよね >>695
昔話じゃないけど4000形は、JREのE233より車端の梁が多いと聞いたことがある。 >>691
というより3000開発完了が間に合わなかったから2000を増備しただけでは?
2000最終増備と3000初期の室内設備はほぼ同じだし >>701追加
つまり2000の後期6本は3000量産までの繋ぎ
E231量産までの繋ぎで製造された209‐500的なもの >>600
京王も小田急も片開車までは譲渡されたが、両開車は譲渡されないという法則になってるな
(井の頭線は除く) 2400形に関しては主電動機と制御器や一部の
電機部品が流用されて車体や特徴的だった
大きなソロバン形の主抵抗器は解体処分されて
しまったからね。
まだ寿命には早かっただけに惜しかった気はする。 主抵抗器なんて部品価格の中じゃ安い方。
HEのパーツは非冷房用MGとか小容量コンプとか使えないものばかり
電動機だけでも2004年まで使われたのは凄いことだと思うが
寿命より早く引退した理由が車体長なのだから仕方ない。
17.5m 車のMT編成で高加速粘着可能だったら
冷房化して地方私鉄が買ってただろうね。 クハとモハで長さが極端に違うなんて よく設計のゴーサインが出たと思う
SE車もそうだが当時の小田急は尖ってたんだね >>708
そうだよねぇ、性能を極限まで出そうという車両部の意向が強い時代。
この性能曲線図みると高加速と言われる2600より起動も中速域以上も凄い。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2465815.jpg >>605
京王旧5000は営団3000や京急旧1000と廃車のタイミングが合致したというのもあるかと
同6000もタイミング次第では東急8500の機器と合わせて譲渡できたかもしれないがタイミングが合わなかった
小田急は1000に関しては無改造で1M2Tが組めそうだが、機器の経年や故障時の冗長性などを考えると非現実的だと思う >>238
念のため言っておくが養老は1M2T基本
小田急1000は無改造で1M2T組成可能に見える(TcにCPを、MにVVVFとSIVを搭載しているため)
が、ここは実績を考えると次は東急9000になると思う
(東急9000ならこどもの国線通勤線化実験?で1M2Tで運用した実績があるため) >>482
多分千代田線の方を見てしまったと思われ(6135Fや06系は解体されたが、それ以外では27本もインドネシアに輸出された) むしろHEは旧4000の新性能化に機器を供出したから譲渡されなかったんではと思ったことがあるが 車両ごとの編成長違いと変態ユニット構成が原因じゃないの? >>713が大きいと思うけど、時期的にも東急5000系が全国に行き渡り
主だった地方私鉄の近代化が一段落して需要も無い時期だったのだろう >>709
ABFM車が他と比べて速いのがよく分かるな
5000や9000の図も頼む >>710
後は東武2000もあったか(平成初期に京王旧5000と並行して廃車になった18m車) >>708
というか1000が最新だった時代までの小田急は当時の他社に比べれば特殊な(どちらかといえば担当者の拘りが強いような感じ?)車両が多かったイメージ
車輪径とか歯車比とか >>711
>小田急1000は無改造で1M2T組成可能に見える(TcにCPを、MにVVVFとSIVを搭載しているため)
デハ140xはパンタ無し、隣のサハ135xにパンタ装備
パンタ無しの3両編成の電車が走るのか? >>719
クハ1050-デハ1000-クハ1150
クハ1250-デハ1200-クハ1450
なら可能に見えるが… 素人だから詳しくは知らないし僕はその当時生まれていないので当時の状況も知らないけど
2400の次は史実2600作らず車体は史実2600的だけど、機器は2400と同じ(2400をそのまま20m4ドア幅広車体にしたような感じの)車両では駄目だったのかと思ったことがあった
後に5000がそれに近い感じで出てきたが
(国鉄も史実103ではなく101をそのままMT54にした(史実の111と113みたいな関係の)史実とは違う103では駄目だったのかとも思ったこともあった) 当時の最大輸送力が20m×5両だったので、5連を組める2600を製造したのではないのか? 2600は、最初から6連化が決まっていたのだから、
2400の電装品をおおよそそのまま使ってMcMMMTcで作っておき、
Tをあとで入れてMcMTMMTcにしてもよかったのかもなとは思ったな。
これなら後年の10連運転にも困らず、120Kwの4M2T。回生ブレーキが付けられたかが微妙か。 20m級車体MT比1・1で高加速135kW(端子電圧換算150kW)モーターがまだ間に合わなかったんでない?
あと暫定5連、6連化予定で1C8M制御じゃ単M車ができてしまい東武東急8000みたいな複数制御器とモーターが必要で
5200はそれ嫌って4M2Tにしたくらいだからね。
回生ブレーキ付きの特殊仕様車前提で1C6Mで行くというやっぱり小田急らしい攻めた設計だなぁ 2600形は性能をフルに使ったら130q/h出るかな? >>725
それは無理。モーターの回転特性も定速高トルクに振ってるから
ATSリミット無かった時代、遅延した準急で82年頃
108キロ出したのは先頭で見てたことがある。
SSEえのしま最前列取った時に130キロが小田急で見た最高速だったな。 >>725
弱め界磁弱めても出ないのでしょうか?
近鉄8000系は弱め界磁を14.5%に弱めたら135q/hぐらいでしょう(600v時は17%で130q/h)。
実際は600v時が22%、1500v時が28%で釣り合い速度120q/hだが。
SSE車が営業運転で130q/h出したって凄いね。
9000形が112q/h出したとは聞いた事あります。 >>727
9000で112キロって凄いね
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org692860.jpg
上から9000、NHEノッチ曲線・モーター諸元
このモーター、界磁弱めすぎるのは持たないじゃなかったけか・・
>>728
小田急自体で人身事故の遺体が運転士さんに当たって負傷だと思った。
だから急遽若干運転台高い9000以外の全車に施工。 >>729
雨天時の空転かメーターの誤差の可能性もあるね。 >>710
京王5100が売れたのは18mクラスで元々2コテに1両足したからそのまま1両抜いても問題ない(余計な工事がいらない)のが大きかったんじゃないかと >>717
東武2000形って小田急2400形と同様に
全車保存されずに解体されたんだよね。
主電動機や部品も再利用されずに廃棄
されちゃったか。 東武2000は伊予鉄の610や700に台車とモーター供出してるよ
まるでABFMのごとく長生きだよ 旧4000と8000連結した事があると聞いた事があるのですがどうなのでしょうか? >>737
いや、このスレ的には初代吊り掛け4000のことじゃない?
走行テストでカルダンと繋いだ話は聞いてるけど
具体的に形式は知らない。NHEの併結にも慎重で
83年からだっけか、やっとガコガコでも併結しようとなったのは。 >>736
小田急スレでさんざん語られているのだが。
昭和63年9月のことだべ。
>>738
旧4000は走行テストなんてしてない。ぶっつけ本番で8000と連結営業運転。
2600は2200、5000、2400と3度にわたり連結試験をして、実行。 9000は機器は103-1000みたいにあえて5000ベースにするか、あるいは思い切って電機子チョッパとかはダメだったんかね?
当時電機子チョッパが高価だったのはご存知だけど1000が思い切ってVVVF採用したから… 旧4000の併結と言ったら連結器高さが違う1800と連結して緩いカーブで軽い方の
4000が浮いて脱線事故でしょう。
しかも直ぐに原因究明出来ずに2回も同じ脱線起こしたというおよそ小田急らしくない
事をやっちまったんだよね。。。 >>741
連結器高さなんて、全て880ミリだろ。
1800は金属バネ台車だから、乗客によって車体の沈み込みはあるが、それならHE+5200だって同じこと。
それよりTR25A台車のバネの固さが、TS-706台車に対して合っておらず、輪重抜けを誘ったため。
しかしP-III台車は、特定条件で輪重抜けしやすい特性をもっていて、それが明らかになった事故ではあった。
>>740
ただの抵抗制御だと、当時既に問題だったトンネル内温度上昇が問題になっただろうし、
間を取る形で比較的安価+一応2600で実績がある複巻電動機の界磁チョッパでということになったんだろうねぇ。 >>742
P-IIIは軸バネ無しでカーブの荷重変化に追従キツイからなぁ。
さらに高回転低トルク三菱モーターと
MT40なんて真逆な特性。
TS軸バネ台車だったら加速性能違ってもまだ脱線しなかったかもね。
NHEは複巻モーターじゃない無理矢理回生じゃなかったっけ?
東急7000の界磁接触器型とはまた違うやつで。
前にNHEの性能図アップしてくれた人、その部分の図面もお願い出来たら嬉しい。 >>745
あの声、プロ声優さんじゃなく録音した90年当時大学生って話。
英語の発音を駅名まで米国人系に寄せすぎて当時ビックリだった。
今は各社とも駅名を日本語発音に戻してるよな。
後年の追録分だけ声が違うんで違和感だったな。 >>743
ホントだ。2600は直巻電動機に補極補償巻線をつけて回生制動と、鉄道ピクトリアル286号74ページにあった。
スマヌ。訂正する。
1800のモーターは、諸説あって、MT-30Aとするものが多いが、MT-40ではないのかと言えば、実はモハ63の
500からが「正式に」MT-40なので、050〜250番あたりの元番号を持つ1800は、MT-30のはずなんだよね。
ところが、秩父でバラされている主電動機の画像を見ると、風道はMT-40タイプだけど、コロ軸受けじゃ無いものが
付いており、そうするとMT-30Aという形式も正しいのかもと思える。もっともMT-40は全く無いのかというと、
後に1811となる1821号(元モハ42004)には1802に付いていた台車をあてたので、1802には日立のクイル式を
とりあえず付けたが、後年台車はTR25Aに戻っているから、1輌分はMT-40を購入したのではないかと思える。 >>745
371と20000は車内チャイムこそ同じだったけど、自動放送の声そのものは違ってたみたいだね >>746
東京メトロは英語発音になりつつあるよ
有楽町線ではシンキーバと喋ってる >>746
そうだったんですか。
声の主が調べても分からなかったので、謎が解けました。
つまりもう聞くことはできないということですね。
2000型は沼津までよく利用しましたが後年の追録部分の印象が薄いです。
371系は日英でちがい、さらにライナー等追録等でそちらが
不自然だったのでそれに比べたらまとまっていたためかもしれません。 >>729です。おはようございます。
NHEのモーター図面、長期消えないUpロダなのでまだ見れますよ。
>>747さん
>直巻電動機に補極補償巻線をつけて回生制動
それも図に出てます。回生キレるのが早いけどあの音は思い出だなぁと
キューーーうぅぅぅん・パコン
>>746>>750さん
インサイダー情報は余り書くべきじゃないとは思いますが
あの声の主の女性は知り合いです。電鉄幹部に親族も居たので
80-90年代の内部事情は・・ とても可愛い方です。
今50歳過ぎてますがww
追録分の事務的な声の違和感、これで聞けますね
https://www.youtube.com/watch?v=-DdLMq4mGho
371はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=QaU5-9YHn1k こぼれ話
本厚木の発音「ほなーとぅぎぃぃ」てどうなん?
って話もあったんです。
>>749さん
メトロ、いつものお姉さんから代ってるんですか・・
最近東京全然行ってないので知らなかったです。 >>751
このアナウンス、クリアなの最近アップされたのか
以前からあった奴は車内が賑やかで残念だったが嬉しい 現行通勤車スレでも書いたが、今回の8000と1000の一部解体は新5000搬入によるスペース不足が原因だと思う
京王も新5000搬入によるスペース不足でその分の7000が解体された
(要は両社ともどの車庫も容量が一杯ではみ出る分が追い出されたということ)
だが、京王で大規模更新して間もない7000を潰してしまった前科を学んで、小田急では大規模更新した8000ではなく1000が未更新のまま潰されることになったと思う >>581
昔だったら旧4000新性能化や2600組み換え、1000ワイドドア縮小/組み換えのように八景に送って更新という手もあったかもしれないが<1000更新
ただ、やってたなら8000の時点で八景での更新になってそうだが >>310
その時代のJR東日本では検査要員はパンク寸前だった模様 >>78
HiSE/RSEは>>5にも書かれているが抵抗制御というのも廃車理由の一つ >>316
VVVFを更新するタイミングで廃車を選んだものと思われる >>317
開口部の増加に起因する自重の増加もあると思う >>759追加
京王の多扉車は開口部増加を抑えるため戸袋窓を省略していた 小田急車が常磐線に乗り入れて茨城県まで行くようになるとは隔世の感があるね。
先日松戸駅各停ホームで待っていたら、たまたま小田急4000系が入線してきた。
おばはん3人連れのグループの一人が「快速がきた。ホーム間違えた」と叫んだ。
おそらくE531と勘違いしたようだ。もう一人のおばはんは「6番線だから間違いないよ」
と言って3人とも乗り込んだ。その後の会話を聞いていると、「いつもと違うのが来ると焦るよね」
「一応どちらでも走れるようにはなってるんだね」
おばはん達にとって小田急4000系とE531系は同じ物らしい。 もともとつくば博の時に、どどめ色の401-415系をなんか新塗装にしようよってことになって、
常磐線で通勤していた国鉄の幹部?が、小田急の9000を見て、「あの色にしよう」と。
それでそのままじゃ困るから、少し青を濃くしたのが今のE531にも引き継がれているんだものな。 >>754
現3000は当初400両以上を製造する計画で、その計画時代は直通車両の変更計画は無く、千代田線ホームドア設置と常磐緩行線直通絡みで計画変更し
現4000登場に至ったみたいな推測をしている方もいるようなので
あの時に予定通り現3000を旧5000置き換え分まで増備して、
別に現4000相当で間接的に8000まで更新せず置き換えていれば現5000導入による余剰廃車は無かったと思う
最終的に8000と現4000の総数が同じになっていたわけだし
ただ、当時は8000まで廃車できる余裕はなかったかもしれないが >>762
当時は小田急の車両は常磐緩行線に乗り入れていなかったので、単に偶然だと思う
415は九州にもいるし九州のも似たような色になったし >>761
E231とE233-2000も同じものだと思ってそうだな >>762
あれ科学万博のロゴの色ってわけじゃないんだ 常磐線カラーの元はクリームに緑の交流、交直流新色が83年からあり
その焼き直しだよ。明るめにして紺帯。
九州は1年弱後だね。 >>764
ちがうよ。綾瀬駅に停車していた9000を、常磐快速から見たんだよ。
例え通過でも、どの程度の頻度で見たかは不明ながら、なんどか見ていれば印象に残るじゃん。
>>767
よくそんな適当なことが言えるなぁw
じゃあ185系200番台が元かもしれないわけだw クリーム10号を採用したのは185系のほうだし
(713系等はクリーム1号)。 常磐中距離にE501が投入された当時も、快速ホームで待っていたら、やってきたE501を見て、子供が
「各駅(停車)の電車がきた」と言ったら父親らしき人が「検査とかの都合かも知れないな。一応どちらでも使えるようになってるんだ」
と知っているかのようにいっていたので、吹き出しそうになった記憶がある。 ↑E501と203を同じ車両と認識したようだ。
非鉄だとそんなもんか。 ↑E501と203を同じ車両と認識したようだ。
非鉄だとそんなもんか。 その昔ならキハ5000を1700、1900同様、電車と言っていた非鉄も少なくないと思うが。 >>770-771
当時は車体は全く違うとは言え帯だけで間違える人がいたのか >>773
昔KIOSKで売ってたダイキャスト製Nゲージモドキの私鉄シリーズが103系の色違いだったりプラレールの初代踊り子が165系を185系色にしただけだったり小田急NSEと名鉄パノラマ7000が同型色違いだったりと非鉄の認識はそんなもんだ >>774
ダイキャストは非鉄というより割り切りでしょう JRのE231が小田急色の帯に変えたらJRの電車と認識できる人はどのくらいいるだろうか? >>775
あの模型、小田急は前面以外違和感ないと思ったら、小田急顔20m車の側面の窓割が101・103と同じだったことに気づいた
要するに、101・103を小田急仕様にアレンジしたような感じ
東武8000よりこちらの方が私鉄の103だったな さすがに京急が20m4扉だったのは吹いたw>トレーン 非連接のNSEも出てるし
ミュージアムの記念品で出したSEも新たに作ったらしいがやっぱり伸びてるんだろうか >>780
非連接のHiSEもあった
何か変だと思ったが 前にあった、コーヒーのおまけのNSEとVSEはちゃんと連接台車だった。
車体の端は台車半分。 ロマンスカーって玩具化難しいよね。
Bトレなんて短すぎてなんか変だし ロマンスカーミュージアムに3両にまとめられた
SEやNSEなんかはリアルに実写プラレール
そのものって感じだからね。
特にNSEなんか良くマッチしてるし。 もしかして新宿〜向ヶ丘遊園と向ヶ丘遊園以西で駅間距離に差があったから昔は各停用、急行用と割り切ったんだろうか HE,NHEの時代はそうだね。
サバー区間、インター区間って社内でも呼んでたくらい。
NHEはサバー用だったんだよね。
準急本厚木行きすら本数的には例外運用。
最後の名残が2000形で、新宿-唐木田までってとこ でもホーム長の関係で高加速で各停向けのHEが長年箱根急行に使われていたりする >>751
そうですよね、こちらも相応の年になっておりますので。
ご尊顔を拝せないのは残念ですが、久々に声が聞けました。
現役当時土地柄乗車機会のなかったホームウェイ号ですが、
アナウンスを聞いたらなんだか楽しくなってしまいました。 >>785
>>786
古くはモハ1形が近郊用、モハニ101形他甲車が遠距離用とされていたけれど、モハ1が
甲車と連結して小田原にいる写真が存在するから、多少の混用はあったようだ。
NHEにしても、快速準急の小田原行きも普通にあったので、例外運用ということはない。 戦後のダイヤだとHB・ABF用にダイヤがB速スジってのがあったそう。
ABFMやHEができてからじゃ無理もないね。 >>306
2000が登場した当時は、複々線化が完成したら1081/2000を10連化して1063+1253〜1066+1256と相互交換を考えていたかもしれない
1081/2000は付番からして暫定8連のつもりだったと思う >>791
今からでもいいから、10連化して2222を! 1752Fが解体に向けた作業に入ったようなのでワイドドア生え抜き6連もこのスレの仲間入りだね
3000導入前までは6連の最新編成だったのに… >>33
2000は登場時点では中間車増備の上で10連化し千代田線直通の1000+1200と相互交換することが前提だったと思われる
その場合1081も同様に10連化されていて中間増備車は平成版9559-9659的な存在になっていたかもしれない >>792
元々5本程度しか作るつもりは無かったかと
1081/2000形5本で1063+1253〜1066+1256とトレードし1063+1064、1065+1066と1253〜1256に分けるつもりだったと推測 >>795
地下鉄運用を全て入れ換えるとすれば、2000は最低10本は必要だろう。
乗り入れ協定から乗り入れ車種は2車種までなので、1000と併用はしないと思える。
それと1082Fの登場が予告されていたのに、結局製作されなかったのも謎だ。 >>796
仕様を見直す部分が多いから、ならば新形式(2000形)にしようと中止になったらしい<1082F N8は改造時点ではもっと長く使うつもりだったんではないかな(わざわざVVVF化電装していたことを考えると)
(関係ないが東103は90年代初頭の計画では2010年前後までは残る予定だったらしいが、故障しまくったせいで全廃が前倒しになったらしい) 1994年にいわゆる小田急高架訴訟が提訴
この影響で10年程度工事等が遅延したしたといわれているし車両計画にも影響が出たんだろう ふと思った
仮に千代田線直通が史実より5年くらい遅くて5200と9000の製造順が入れ替わっていたら、9000は違っていた(史実のような重装備ではなかった)かも?
しょうもない妄想だけど >>800
仮に実際より5年後に乗り入れ開始と考える。昭和58年乗り入れ開始。
すると、5000の6連口(5200ではない)は昭和47年頃登場。たんなる5000の増備で、二段窓のまま。
9000は昭和53年頃登場。電機子チョッパになったかどうか。5000は実質150kw級のモーターだったけれど、
仮にそのまま地下鉄に入れる車体にしても、性能的に1ユニットカットで、他の編成を最急勾配で押し上げという
乗り入れ条件をパスできない。そうするとMT比を上げるか、電機子チョッパにする、アルミ車体にする等必要となるが、
そこまで小田急が踏み切れたかどうか。
実際の9000は、地下鉄線内では回生ブレーキ、地上線では発電ブレーキと使い分けることで、地下鉄線内での抵抗器使用を
力行時だけに原則留めている。その一方103系に合わせた110kwモーターでやや非力に設定している。 微妙な時代なんだよね。界磁チョッパで条件満たすには
東急8500も130kWで8M2Tの電気食い
58年なら8000が出来ているが140kWで6M4Tじゃギリ満たせなさそうで
結局8M2Tにせざるを得ない。この時期に地下直作った東武9000と国鉄203は
電機子チョッパを採用、VVVFがまだの過渡期だけに大変だね。 昔準急停車駅民だった頃5200は通過を見送るだけの存在だった
FM車が淘汰された頃元々ブツ6が充当されてた日曜の各停に5200が入ってきて乗車したときちょっと興奮したのを覚えてる >>652
せめて8000か1000で電気指令ブレーキを採用できなかったものかと思ったが当時はブレーキ読み替え装置が開発されていなかったから仕方ないのかな
当時の小田急は頻繁に分割併合してたらしいから
(参考までに小田急が5200を新造していた時期では、京王/東急は既に電気指令ブレーキを採用していた模様) >>804
同意
自分では、5200が小田急で一番好きだった 5200こそ小田急顔の完成形だからね。決して隠れてはいないよ。
ただ更新工事でせっかくの窓枠がねじ止め、ライトがシールドビームに変わった時には残念だった。
でも最晩年には5200だけで10両組成した時は感激したな。
側面の揃った美しさはピカイチ。 5200の4連っちゅう凄いのが晩年あったからねぇ。
5063-65Fが一段下降なら良かったんだが 1000は5200と同じくらいの車齢で解体だからそこまで解体を惜しむような感じではないと思うが、
やはり見た目が違いすぎるのが勿体なく見える理由なのかね? 東急がステンレス車50年計画を諦めたあたりから更新は程々になった気がする そもそも>>754で既出だが今回の8000/1000一部解体はどの車庫とも容量が一杯だったために新5000導入ではみ出る分を仕方なく解体してるだけと思う
5200早期解体は>>4を参照 >>811
5200のように更新しても結局解体というパターンも出る時代だからね
1000は未更新のまま解体だから5200に比べたらマシ >>811
東急は7700の改造費が当時の新車よりも高くついたのがきっかけ(これが理由で8000系列のVVVF化改造計画は中止) >東急がステンレス車50年計画を諦めたあたりから
というよりE233が登場した辺りから各社とも車齢とかを無視してただ用途不要になったというだけで単純に廃車解体してしまう例が増えたような気がする
E233登場前は各社とも車両の使い方がもう少し安定していたのだが(上層部が変わったとかなら話は別だけどね) ホームドア対応もそうだし少数派の特殊仕様車なんかは保守の面からも淘汰が早くなる傾向にあるのかな
VSEも割と早く廃車になる気がする
8000形も全廃になれば塗装施設無くせるし >>819
特急車は塗装するから施設は必要。
エコサポートなどの特殊用途車も塗装は必要。 とりあえず1000は東日本203みたいにフィリピンに輸出して客車として使えばと思ったがこれまでの小田急の実績からしてあり得そうにないし… >>826
はこねとあしがらは登場時からひらがなだよ。
金時や明神は漢字だけど。あしのこもひらがなだし、銀嶺や長尾とかもあったね。
今みたいに番号ではなく列車名で分けてたから。 >>828
初期のSE車の頃、漢字で「箱根」と書かれたヘッドマークの写真見たような・・・ >>708
車輪径も極端に違う(910mmと762mm)
共に通常の860mmじゃない上にかなり差があるという
(103は910mmと860mm) 名鉄と対照的に、「えのしま」以外、駅名にちなんだ名前の特急がない。
箱根湯本行き「ゆもと」に「おだわら」とか・・。名鉄と違って支線が少ないからだろうけど。 えのしま も駅名じゃないじゃん
はこね 同様観光地名
あくまで駅は片瀬江ノ島 足柄ってのは広域なエリア名だな
何故か小田原駅1つ手前に付いたが。 カラーブックスだかに「特急 箱根」と書かれた1700形の写真があったような カラーブックス今見たら、昭和26年ごろ撮影の1700の写真あったけど、「特急はこね」ヘッドマークでした。
そもそも漢字で特急箱根表示は全く知らないし。 そう言えば何かで見たような気がする。
1700じゃなくて1910だったかな
確か丸いヘッドマーク >>164
亀レスですまんが、
その時代じゃ地上専用の10コテなんかあっても使い勝手悪すぎる。
ラッシュ時の新宿発着準急ぐらいしか使えなかったのでは?
ワイドドアは地上用で10コテは千代直用だから関係ないだろう。 >>164
調べたらワイドドア登場のすぐ後に上層部が交代してるので
10両固定登場もその上層部交代による方針転換の影響が大きそう
で、その後に多摩線土砂崩れで丁度固定編成への方針転換により、8両固定を生み出す契機になったんだろう >>842
だからワイドドアは地上用で10コテは千代直用だから関係ないのでは?
その時代のダイヤだと10コテは千代直以外使い物にならなかった。 まぁ91年以前の考えだと引き続き6連/4連を増備する方針だったかもしれないが >>347
これも亀レスだが
東日本103のVVVF試験車(東日本103が全廃になる直前に京葉線で試験していたもの)と同じような考え方だったと見た
あれもサハ1両を試験VVVF搭載モハに置き換えていたような はこねとあしがらは、ずっとひらがなHMだったような感じだ。
ピクの286号などの古い小田急特集号を見てみたが、漢字の物は発見できなかった。 1500形の1700形編入こそ要らなかったろ、
加速度引き上げで新宿口各停に使えなくなったのが理由とされているが、
そんな理由であんな改造に走るとか短絡的思考すぎる。
運用を工夫すれば必要無かったろうに。
2004年〜2008年の間はラッシュ時多摩線閉じ込めで日中のみ区準限定で新宿乗り入れ、
2008年以降は湯本発着各停で運用で良かったと思う。
その場合各停と区準を共通運用にできなくなるというデメリットが発生していたことになるが…
湯本口各停4連体制化が4年早ければなあ… 3000のブレーキ読み替え装置の製造費低減も兼ねていた可能性 >>707
同様に18m3ドアじゃダメだったのかとは思ったことあるけど<2400 >>849
M比率高かったら全然OKなところ、MT比1・1で同様の性能希望とか
無茶振りしたからなんだよな。6連で4M2T取れれば全く問題ないし
昭和30年代半ばでMTで高性能って他社にも無いんでないかな。
東武西武みたいなカルダンでも吊り掛け+アルファ程度
標準軌大容量モーターの阪急や近鉄は高速側に振って加速は2.5くらいだし。 駅間距離短いし、ホーム有効長が最大18m4両という駅があって各駅停車を直ちに6両化することも困難、ダイヤは過密状態で乗客数はもっと増える、当時の条件下で全電動車方式を避けて高加減速を求めるとなると、2400の方式が最適解ということなんでは。 あと一つの方法としては、阪神のように各停用と優等列車用の車両を別々に新製、各停用は18m×4両で全電動車、優等列車用は20m×6両のMT方式。だが、小田急でこのようにしたら車両運用が混乱しないか・・? 小田急も各停専用にってNHE作ったから阪神式で間違ってないんだよ
ただ、昭和35年時点でABFMの価格が高すぎて大量増備できなくて
なんと116両も!異端車を作ったってのは>>851の言う通り
当時のギリギリ最適解なんだと思う。 各停専用にってことで造り始めたが、デビューすると優等列車にも使用されるってのが阪神や京急以外の大手私鉄の定番ってことかなあ。
西武2000も新宿線各停の乗降時間短縮のためにってことで4ドアで登場したんだが・・ 地下鉄乗り入れ用でデビューしたため高加速性能だった9000形は千代直撤退後主に各停で活躍していたな。 理想は汎用車なんだけど、登場時は目的別ってのはあると思う。
後年運用が広がるのはそれぞれの事情が結構複雑かも?
西武は 「もう3扉じゃ捌けません」 小田急は「NHE不便だから併結しようよ」
9000は6連は急行で使えるけど、各停8連化と重なって
4連x2で運転台撤去なんていう荒業で生き延びさせたわな。 >>854
阪神くらい低速域の加速に割り振ってない車両は80年代くらいになると別にダイヤ的に分けるほどの差もなくなってくるんじゃない
あと70年代まではどこの私鉄のダイヤもかなり各停の比率が多かったのが都市圏が広がって優等の比率が上がったしね >>803
ついに解体されて相模大野から搬出されたね。
まだ地方で活躍出来る車歴だと思うんだが…。 先頭クハだし最低4連で組む必要がある以上、大手間譲渡でもない限り需要はないよね。 こういう時、過去に国鉄と直通していた路線は有利だよな。
勾配対応だし長野電鉄には打って付けだと思うんだけど、どうにも1両多そうかも。 >>810
ただ5200は機器は2400由来のものであり、車齢は若くても機器の設計が古いのであれば早期廃車は仕方ないかもしれない
>>813
結果的に車体と機器の寿命が合わないということ >>863
2400はFM系に比べてエコノミカルだったろうが、5000のパワーと消費電力からすると、
やはり2600の方がエコノミカルなのだろう。
ところで、伊豆急は209なんて買うより、小田急1000のほうがいいんじゃないだろうか。
ATS-Pとか編成組み替えに伴う改造、クロスシートとか考えると、そりゃ209のほうが安いだろうが、
結局早晩209の置き換えが必要になるだろうしなぁ。 そもそも1000の廃車は急に決まったものだからね
本来なら全車ともリニューアルして使い続けるつもりだったから
それが恐らく新上層部の鶴の一声で新5000導入が決定し前述したように車庫容量の問題で8000と1000の一部を泣く泣く廃車にしたもの 会社の方針というのは上層部が決めるもの
上層部が変わると方針も変わったりすることがある >>864
209は4連に改造済みだしね。
伊豆急向けに最小限の設備追加で済むから、取り急ぎ入れるにいいのかも。 結局赤い1000系と1700系中間車化改造車組み込み編成はセットで廃車されることとなりそうだが 1000は7年間で98両しか更新できなかった
仮に当初の計画通り全車に更新を行っていたとすれば更新完了は2028年度になっていたと想像するが、それまでにGTO-VVVFが持ったか疑問 6連の209ってどこ走ってたやつ?
経年もあるし200系の時のように、入線しても早々に無くなりそう。 >>818
現に1000未更新廃車を急いでいる理由も電磁直通ブレーキがホームドアとの相性が悪いとかが影響してそう
(西武が一時期9000廃車を急いでいたのも似たような理由と思う) >>872
京急みたいにQRコード式にすれば関係ないんじゃないの? >>873-874
何ひとりでトンチンカンな話してるんだ? QRコード式ホームドアなら車両側の対応楽だと思ってさ。 2600と5000の関係は京阪2000と2200、阪急2000と3000の関係に近かったと見た
いずれも回生車から非回生車への流れなので >>879
2600形は各停、5000形急行系運用前提で分けていたということもあったのでは? >>879
ぜんぜん違う。 阪急京阪は制御器革命みたいな技術誇示として
電機メーカーが新機軸盛り込んだだけで結局普通のが良いとなった。
小田急のは初めから2600に高速域の加速を求めてない別目的 素人だから詳しくは知らないけどイメージ的には
実質2600は回生ブレーキ以外は103に近い感じで、5000/5200はそれこそ幻の105に近い感じかな
(2600の車体に2400の足回りを組み合わせたのが5000で、幻の105は103の車体に113の足回りを組み合わせる予定だったと想像)
※東武8000を私鉄の103と呼ぶのは微妙だと思っている >>878
走ルンデスの209が第三の人生?を伊豆急で送るようになるとは・・・
驚きで声も出ない。 >>885
そもそも走ルンですって言葉の元になった写ルンです自体再利用何回もするからな >>884
複々線化で楽しみにしていたのに
高速性能が思ったほど良くなくてガッカリした思い出 E231は知らんが、東急車両が京王3000型を破壊試験に掛けてみた結果
「100年使っても大丈夫」だそうだから。
アメリカ様から学んだ素晴らしい技術。 >>888
持たないと思う
というのも技術的要因で長持ちさせることができなくなってしまった
(電子機器の寿命と部品枯渇等により) 阪急7300系のアルミ車から8200系までの電車も100年使っても大丈夫じゃないか?
鋼製車は手入れしたら持つが。
特に2200系以後。 阪急ほどカネかけて徹底整備すりゃねw
神戸線なんて双方向一日中輸送密度高く
あれだけ儲けられる会社ならねぇ 阪急電鉄は2000系以後の車体が異様に頑丈だから窓下の外板が傷んでも各箇所の経年劣化が進行しないんだよ。 >>894
外板も桁厚も別に普通だぞ、外板は同じ2.3mm
アルミ枠の水抜き付き下降窓(小田急は8000から)早くからあるだけの違い
阪急沿線育ちで正雀工場でサビ剥がしとパテグラインダー作業見学してるから
決して阪急車が腐食に強いなんて言わんw >>308
1000が新機軸を多数採用した車両であったこともあり、故障時の対応を考慮していたんでは?
万が一1000が故障した際に1000自体を休車とし、1000導入前の運用に一時的に戻すことを考えていたということ
9000も千代田線直通運用からは早い段階で撤退してたけど直通機器自体はかなり後の方まで装備しており、9000が正式に地上専用だった時期はかなり短かったと想像 個人的には東武8000より小田急2600の方が私鉄の103という感じがする (東武8000が私鉄の103と言われていたのは単に接客面が同じ20m4ドアロングシートかつ量産期間が長いのが共通点というだけの気がする) 8600とは細かいなと思ったが、新製冷房車で4連基本ってとこね 5000形は非冷房車があったから近鉄の8400系と8600系に当たるね。 >>847
むしろ小田急が導入すべきだったのは、ワイドドア(サハ204のようなコンセプトの車両)ではなく215(オール二階建て)のようなコンセプトの車両だったんだよね
ワイドドアは結局小田急に合わなかった ただでさえ遅延だらけの複線時代に2階建てとか正気・・じゃないね
IDをNG登録しとくわ 2400増備中の時代に連接通勤車を作る構想もあった模様 通勤車まで連接整備なんてやってたら大野工場入場期間延びてパンクしただろうね >>908 ペーパープランとしての発想程度であれば、あってもおかしくはない。ニューヨークの地下鉄で戦前に連接車両が大量導入されていたこともある。
製造や整備にかかるコスト考えて断念したのだろうが。 HE出た頃、60年代は長距離の高速モノレールが本気で検討されていたし、没ネタレベルであれば振り子式通勤電車など
色々あるんでないの。思い付き程度に終わっただけで。 SEの「取り外し式運転台案」は、かなり「トンデモ系」だと今でも思うけど、
湯ヶ島温泉免許線計画は実現していればと残念に思う。 ふと思った
小田急の車両が最近あまり譲渡されない理由は大井川のSE車の事例があるからじゃないの?
大井川では使いこなせず最後まで小田急に残っていた車両より先に運用離脱してたみたいだし >>914
あれは誰がいい出したか一部伝説。 大井川に貴重な第一編成出したのに
あっさり潰されて確かに当時の重役の誰かが激怒したという
ただ全取締役総意という訳じゃなく、大井川の有名な白井専務からも詫びが入ってる
これは大井川でイベント貸切列車を仕立てた時に色々90年代の大井川の幹部さんたちと
飲みに行った席で教えてもらった。 ちなみに98年頃でも新金谷のSL詰所内にSSEの可搬式運転台椅子がゴロンと置いてあった
青いモケットの第一編成独特ので、「良かったらもってく?」 と言われたが恐れ多くて
譲渡してもらうの止めたが、貰っておけば良かったと今になって思う。 第一編成はトップナンバーだから保存価値はあるけれど、当時はまだバリバリの現役だし、古いから更新からも外れたしで、取り敢えず編成で保存するのは考えすらなかったと思う。
なんといっても、世界記録を立てた第二編成由来を保存して正解じゃないのかな。 特急車でトップナンバー保存は10000と20000だけだしね。
3100はさよなら運転の第7編成、7000はトップでもない、国鉄を走った第2編成でも最後まで残った第4編成でもなく、ただの第3編成だからね。 小田急顔20m4ドア車と国鉄101/103の関係は後の小田急1000と京王8000/西武6000の関係に似てる
いずれも前面は全く異なるけど側面の窓配置がほぼ同じなのが共通点 >>602
ゆめ70を保存する計画は元から無かったんでは?
そもそもゆめ70自体が最初から期間限定とする前提だったとか >>919
それは意味のない比較でしょ
単に戸袋窓のある会社並べただけじゃん
他社には無いってだけのこと >>652
せめて3000(現在の)を廃車してほしかったが… >>706
2400はその旧4000への機器転用があったために保存や譲渡ができなかったんでは?
早期廃車になったのは、20m4ドアに統一のためと思われる >>920
そのとおり
編成ごと永久保存(のはずだったの)は今海老名に展示してるやつ 今更だが、新宿の小田急百貨店が閉店することが決定したみたいだね >>893
>>896
いや、阪急は8000が登場した時期では短期間で置き換える方針になっていたみたいだけどね
(震災の影響で8000登場前の方針に戻った) >>740
ただ、1000がVVVFってのもやり過ぎだとは思うが
千代田線との兼ね合いもあって8000ベースの界磁チョッパにすることはできなかったんでしょうけど 築55年で閉館か。同い年だよ。
次の48階建てに百貨店が必要かと言われれば
テナント入れたビル経営の方がよっぽど効率良いからねぇ。 >>928
1000形は地上用にも増備されたほどだったが、
東武なんか地上用は界磁チョッパの10000系列備しつづけていたし。 >>929
お買い物電車
赤の腰板に金帯、一回乗ってみたかった。 気になって調べてみたら60年代前半当時の関東大手の20m4ドア新性能車って東武8000と小田急2600の2形式だけだったんだな ロクサン型がそのまま入って使えた会社という条件付くわな
相鉄6000があるが、当時は大手ではなかったと言うオチ。
小田急は1800を譲受しておいて良かったということ。 西武は戦災国電の復旧車両に20m車があったし
新製車両も1957年には完全に20m車に移行してる
20m新性能車も1962年登場だから東武小田急より早い
932さんがドア数に拘ったのは何でなんだろ? 今の通勤形電車に通じるスタイルという意味で言ったのでは 小田急1000形と同い年なのに西武新2000系は鋼製車体に界磁チョッパなんて時代遅れな設計だな。 西武は昔からそういうところがあったな
いつまでも旧国系の機器使ってたし大手なのにクモハ11400を後年まで譲り受けて使用したりと でも今は使ってないしなあ。
そんな昔の話されてもなあ。 >>939
60年代に買った旧国は輸送力が足りなくて急遽購入したものだね
相鉄2000とかもそう >>939
関東の大手私鉄で今も更新車使ってるのは西武と京成だけ? 懐かしスレで「今は」とか言う奴何考えてんの?
本スレ帰れよ >>933
1800の割り当てより前に、東海道線不通の際の迂回路として、省の列車を通すため
限界拡大工事していたんだが。
省からの応援車にモハ60やモハ41、クハ79まであったのだし。 >>937
同じ製造期間に小田急の196両に対し西武は314両も作る必要があったからそこはコスト削減を優先したんだろうね >>937
そもそも小田急1000がやり過ぎなだけ
1988年当時の関東大手の新造VVVF量産車は東急9000/1000と小田急1000のみ 三菱GTOなんて近鉄が躍起になって採用した初期も初期の産物だからな。
他社は東洋GTOが出揃うまで様子見してた時期で
東急は9000で失敗こいたしな。 >>946
その時代の関東大手他社最新型は京成は3600形、東武は10030系、京王は7000系、京急は1500形と皆界磁チョッパではあるがステンレスoアルミではあったぞ、
その時代に鋼製通勤車増備続けていたのは西武だけでは? 西武は有楽町線乗り入れ合わせて6000を作る予定だったから
それまで在来性能や構成で良いって割り切ってたでしょ。
小田急が9000入れても地上は5000増備で加速度は2.7維持したように。
VVVFも1C何M制御かで早く入れた小田急は後で苦労する羽目。
GTOでも8M待った会社の方が更新ギリまでやらず済んでる。
まだ東洋GTOの東武東急車、地方でもバリバリだしね。 >>948
所沢工場で製造すること考えたら鋼製になったんでしょう
京成と阪神の傘下もそうだけどほぼ自社向けのための所は90年代までは鋼製の車体作ってた 西武所沢も、大栄車両も、武庫川車両も
車両まるごと作ってしまうのは凄いと思う ふと思ったが
2600→関東大手では東武8000に次いで二例目の20m4ドア新性能通勤車
1000→関東大手では東急9000に次いで二例目の新造VVVF量産通勤車
共に派生型があり、また他社に側面デザインが類似している車両があったのも似ている >>950
京成は3400形が例外的に鋼製なだけで通勤車は1972年デビューの3500形以降皆ステンレスだが… >>953
ほーん
で、その中で大榮車両で製造したのは??? >>952
当時他社では珍しかった要素を早々に採用する感じ? SE車からして攻めてるしそういうの多い会社ではあるかもね
VSEの導入もあの頃にしては冒険だったろう えっ、展望あるし攻めて無いのはEXEでしょ?単なる通勤特急
次点でMSE、地下乗り入れは評価できるが汎用性だけ。 技術的にってことよ。
EXEは自働ホロ装置とか分割運転とか始めたし、MSEも地下鉄直通始めたし、GSEは何かやった? そう考えるとLSEもNSEの焼き直しで最高速度も大きく下がってたいしてせめてないが、全面の傾斜方向幕は評価出来る。
GSEは展望付なのにボギー車に戻ってるしね。
見た目はいいけど目新しさは無いと思う。 なるほどそっち方面ね。
技術って点じゃRSEも退化型だったな。
ボギー化のきっかけとメカ的にはLSE/Hi-SEから進化してない。
サービス面じゃスーパーシート2階はあったが。 間違っていたらすまないが追加
9000→関東大手では東急8000に次いで2例目の界磁チョッパ通勤車
2000→(当時の営団を除く)関東大手初のIGBT-VVVF新造車 関東大手で非冷房車全廃が一番遅かったのは東急で二番目が小田急… HISEはLSEをそのままハイデッカーにしたようなものだよね 軽量化のため最初からリクライニング状態の角度にしておいて機構を簡素に軽量化したというのを知ったときはなるほどと思った >>706
何故2400のモーターを旧4000に流用した一方で制御器は転用しなかったのかと思ったが、旧4000は元々制御器自体は新製だったのか >>970
2400の制御器は後に5000に設計が継承されるバーニア超多段制御で
発電制動も超多段が売りのやつだけど、
モーターを4000に転用する際、負荷-熱容量的に特に4連では無理が掛かるから
発電なしの4000の制御器を使い、ディスクブレーキの空制だけと言う仕様になった経緯。
6連の方は4M2Tで結構余裕あるんだけどね。 旧4000はツリカケとしては珍しい1C8Mだったんだな
でも2S4Pを4S2P接続にしてるから結構大掛かりな改造かと 伊豆っ箱にもあったような気がする。1C8Mのツリカケ。
いずれも三菱だね 伊豆箱根1000も第1編成だけMTMで単Mだったから
大井川に行ったんだよな。2編成目以降じゃ大改装必要。
後期車はそのままの制御器で西武のカルダン部品貰って近代化と。 >>974
つまり旧4000と同じ手法で新性能化されたのか >>817
もっと言えばJR東日本が103の全廃を決めたあたりから各社とも抵抗制御車の廃車を推進する方向になったような気がする 90年代初頭はJR東日本が103/113/115の車両更新工事、小田急が2600の8連化/5000系列(・9000)の車体修理という風にこの時点ではまだ基本は抵抗制御車を使い続けるような感じだったが 京王は1999年に大手私鉄で最も早く非回生抵抗制御営業車全廃し、
東急もその2年後の2001年に全廃したが。 >>969
プレリクライニングってLCCに結構見られるね
その後の車両がリクライニング機構付いたのに戻ってるから
イマイチ安っぽい印象は拭えないな 床が高いLSEってだけ
しかもそれが命取りとなる
実質失敗作 >>985
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