【九軌】懐かしの西鉄2【九鉄】
昔懐かしの西鉄を語りましょう
福岡市内線や北九州線は勿論
博多湾鉄道・筑前参宮鉄道や福島線など廃止された路線もOK。
前スレ
【九軌】懐かしの西鉄【九鉄】
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1221468789/ そういえば貝塚線に香椎花園前という駅があるけど、昔あった遊園地にちなむ駅名らしいね。 >>272
廃園になっても駅名変えなかったわけだね 大牟田線の1000形電車には座席番号を示すプレートが貼られていたなぁ。
指定席として運用したことは一度でもあるの? >>269
ビッグカップの「ランチボックス」は盛りだくさんで栄養のバランスも良かったと思う。
フライドチキンが1本入っていて、それがとくに美味かった。
西鉄福岡駅北口改札前の「ビッグカップ」は、イートインは改札外。改札内は、持帰り専用の窓口があった。後者はモロ、駅弁のコンセプトよね。 やっぱ西鉄の特急と言えば、2000形でしょ、
2ドアに黄色いカラーリングが特急車の証。 完全同意
後継の8000には、どうも肩入れできなかった そうか?
あれほど眺望の良い鉄道車両はそうそうないよ >>277
検査の都合か何かでたまに5000系が特急に就く事があった
もっと昔、1000系の代わりに600系が特急になったこともあるのかな 普通に600が代走してたよ
45年ぐらいからは600の5~6連が徐々に増えていったイメージ。
1000形は4連固定が痛かった。一時は1300の中間車を組み込んで5連を4本作る話もあった。 1000系はオールMで4連が限界と言われていた
客が増えてもキャパを増やせない壁にぶつかったわけね 1300形の中間車は
1000形より新しかったし、
電動機のパワーもあった。
2000形登場後は、
それを1000形の6連化に使えば
急行用として最高最強やん、
と思っていたのに、冷房改造もせずに
1000形よりも早くさっさと廃車されたのが
勿体なかったね。 そういえば、昭和50年代前半までは
600形、700形は冷房改造可能だけど
1000形、1300形は技術的に不可能だ
といわれていたんだったね。
あれが運命を決めてしまったんだった。
後年1000形も改造可能となって
結局は冷房化されたけど、
時すでに遅し、だった。 1300形は先頭車が旧600形のまんまの木造だったからね、老朽化も厳しかったんだと思う
昔乗る時は先頭車ばっかり乗ってたけどね、中間車より乗り心地が良かったからw 半鋼製車ね。
だから、1000形の枕詞は「全金属製」だったw 1000形は格下げ改造せずに特急車のままで廃車されたほうが良かったな
余生を無駄に伸ばしただけのような希ガス 2000形が特急を担当するようになった頃は、
100形やら300形やらの旧性能車がまだウジャウジャいたころだから
貴重な新性能車である1000形を廃車するわけにはいかないもんね。
1000形が普通電車用に改造して生き残ったから
5000形の増備途中で旧性能車淘汰のタイミングが訪れ
普通電車のスピードアップ(運転曲線の変更)が実現したらしいし。
それに、あの頃は、冷房車はなるべく優等列車を担当させる方針だったからね。
なにしろ当時はまだ、頻繁にドアを開ける普通電車を冷房しても意味がないじゃないか、
という理屈がまかり通る時代だったからねぇ。
でももし、1000形の冷房改造が技術的に可能となる時期が
昭和51〜52年頃までに到来していたら、ガラッと話は変わっていたかもしれないね。 500系は名鉄パノラマカーのルーツだとか小田急SE車にも影響があったとか、
一部では評価が高いのに現場の評判が悪くて早くに廃車になって残念だな。
見直してほしい名車だと思うけどね。 現場での評判の悪さはどのような内容だったのですか。 >>293
横からだけど、ピクトリ74年4月西鉄特集で中の人が
「最も性能が劣り廃車の噂も」と書いてある >>294
292です。おそれいりました。
記憶と文献が結びつかない私と違い、
たちまち名回答を出す博識に脱帽です。 >>295
そんな大層なもんじゃないけど、500が好きで、当該の本もボロボロになるまで
読んだものですから。実は乗れたことが無く、連接の走行音を聞いてみたかった 500形の連節部車内側の写真とか、
クロスシート時代の座席の写真とか、
運転席の写真とか、見てみたいものです。
そういえば、昭和50年代初頭まで、
まだ大牟田線の電車(300形や更新前の100形あたり)の車内には
スタンションポールが残ってましたね。 二日市駅2番のりば
昔は福岡行きのりばとして普通に使われていたが
今は正月三ヶ日しか使われなくなってしまった >>287
1300形の先頭車は附随車なので静かでしたね。
また、600形から1300形へ組み替える際に台車も新調して空気ばね台車になっていました。
さらに、クロスシートのピッチが1800mmと、中間車の1500mmよりも300mmも広かったという点も極楽でした。 >>300
そうですが、それはフローリングと呼びましょうw
1号消毒液が黒っぽく染みてお洒落でしたよw オイルステイン仕上げのフローリングw
物は言いよう。 >>300
1983年夏に小郡から二日市まで乗れた
先頭車からの前面展望だけが興味あって床は見てなかったなあ
良い思い出 最晩年か
冷房化されず色は塗り替えられ端役のローカル輸送の余生
デザインはそのままで車体を更新する技術とかあればなあと >>299
600の先頭車に新調した台車を穿かせて1300にする際に、古い台車は捨てずに新調した全金属製車体に穿かせて300に組み込み326、327としたんだよね。
そして600の中間車も300に組み込んで324、325にしたんだよね。
そんなことするくらいなら、素直に1000をあと2編成増備して600はそのまま3両編成のままで使えばよかったのに。 初代600の台車って特徴あるね
一目見たら忘れられない 他社では見かけないスタイルだった
乗り心地はどうだったんだろうね 600時代は、324、325の大きくバウンドする乗り心地と甲高い電動機音から類推するのみ。
1300時代になってからは、モ1300は1000の後期車とほぼ同様。
ク1300は最高によかった。全般に静粛性に劣る西鉄の車両としては異例の静かさだったのもよく憶えている。 冬、車内の暖房が効いてくると、どこからかミシッとかピシッとかいう音が聞こえてくるのはご愛敬。 ク1300は最晩年に一度乗れただけだが
窓が天地方向に長かった印象がある
また乗務員扉の形が長方形ではなく、前面の傾斜の分だけ削り取られたような歪な形をしていたのも思い出に残る
もっと長生きしてほしかった 旧600形、313形が張りあげ屋根に縦長の窓が並ぶスタイルでしたね。
近畿車両風味? >>313
ク1300のあの乗務員扉は見るからにモロに木製だったのが味わい深かった。 200形の乗客用の扉も拡張改造されるまでは木製だったね。 >>313
モ1300が1000形より短命だったのが勿体なかったね。 >>307
ク651、ク652の台車を捨て、
ク1300形4両分の台車、主幹制御器、ブレーキを新製し、
モ326、モ327の車体を新製しているので
あまり節約になったような気がしませんね(苦笑)。
考えてみるとその後の326、327も短命でした。 新製したのに短命
ヨレが来てるのに使い続ける
基準がよく分からない