>>728
その時代はドアカット新規禁止されていなかったから、
経堂はドアカットで停車で問題なかったかと。
目蒲線の4連化より前だし。

その場合多摩急行は誕生せず、
今の唐木田急行停車駅(平日朝上りのみ経堂通過、2002年まで栗平通過)及びスキップ準急を2代目「快速準急」として運転していた仮定で。
快速準急にしたのは先代同様準急の速達化と、
当時終日急行通過であった経堂にも停車するため。

1978年:千代田線直通開始で2代目快速準急を綾瀬~唐木田間に運転開始。

1990年:スキップ準急相当の列車は廃止され快速準急は多摩線系統のみとなる。

2002年:快速準急停車駅に栗平駅が加わる。

2004年:ラッシュ時以外の急行の経堂停車開始に伴い2代目快速準急は急行へ統合され廃止。
尚夕ラッシュ時経堂は相模大野方面急行通過、唐木田方面急行停車と混在する時間帯が発生するため。
経堂通過の急行は「通勤急行」として区別し通常の「急行」は全て経堂停車となる。
同時に準急もそれまでの経堂通過の列車は「通勤準急」、経堂停車の列車は「準急」として区別するようになる。

こんな感じで良いんじゃない?
9000形→1000形バトンタッチの際終日千代直があったなら、
乗り入れ用の1000形は6+4はなく全て10コテになっていたかもね。