0001名無しが氏んでも代わりはいるもの2021/07/22(木) 20:56:35.32ID:Q0MNzJ/l
マイナス宇宙以降から砂浜までがDパート、駅の場面はエピローグって感じか
人には認識出来ない空間だからそれぞれが勝手に置換して認識してるってマイナス宇宙の性質を踏まえるとスタッフの何でもあり発言はあくまでマイナス宇宙内に限られるんじゃないか?
マイナス宇宙はスタッフの意向を聞いて描写してる
シンジとカヲルのシーンが24話だったり、アスカのシーンはEOEの砂浜とかもそういうロケーションで描きたいというスタッフの意向を庵野が認めた感じ
それ以外の場面、例えばエントリープラグや脱出ポッドの描写はそうではない
駅がエピローグならシンエヴァに限らず作品そのものに対するエピローグで、それならメタ世界も有りかな?
エントリープラグがケンスケ家に、脱出艇が第三村湖畔に帰還
アスカとヴンダークルーの無事帰還
安心感を視聴者に与えるのにこれほど分かりやすい描写はない
ただし、そこにキャラは誰もいない。そして大地には無数の足跡がある
(この足跡はヴンダークルーに限らない。湖畔ではなく何処かの地面としか判別出来ないから)
この無数の足跡は人々がどこかに向かった描写だろうね
第三村や湖畔やケンスケ家から、人々はどこかに歩いていった
人々が新しい世界へ渡った描写だと思う
エヴァ世界描写は人々がどこかに向かう足跡で終わった
その次は砂浜世界で一人座るシンジの姿
シンジだけがどこにも歩いていけず、ただマリを待っている
958ですが
セットとうなの世界×
セットというなの世界〇
失礼しました。
エピローグとは、物語を完結させるために、物語中の視点から描かれた結末の部分のこと
エヴァは砂浜までという庵野監督の言葉からすると、その後の宇部新川駅部分を
エピローグって言うのはモヤっとするんだが
952の言うように作品そのものに対するエピローグってことなのかね
駅のシーンがエヴァ世界なのか特撮世界なのかは一旦置いといて
浜辺までと駅からでは全く異質な世界なのは明白だよね
駅世界が別物世界扱いするのを否定する材料として
・神木シンジのDSSチョーカー
・シンジがマリに返すセリフがエヴァ世界のマリの質問と対になってる
これらはエヴァ世界の延長に錯覚させられるけどそこに固執する必要もないのではないかな?
別世界でエヴァ世界で起きたことと似たようなことが起きただけって考え方もできる
散々既出だと思うけどシンジの場合は変声期の事も加味して神木シンジに変えた以外に
緒方シンジとは別人て事を強調する意図もあったのじゃなかろうか
緒方さんは優秀な声優だし大人シンジの声もできただろうけども
そこを敢えて別人を強調したいが故に神木シンジに変えたのかもしれない
×実は関連してました
○実はすべての世界は関連してました
ぶっ込むの大好きな庵野監督だからあり得る話をだよなー
庵野だって日本を代表する監督なんだから
他に著作権のある作品を手掛ける時に自分の作品からキャラから付けることは許されるかもしれないけど
シンウルトラマンやシン仮面ライダーにエヴァキャラと同じ名前の人物が居るだけで作品間を繋げて考えるのは違くないかな
そりゃお遊びとしてエヴァキャラと同じ名前で同じような性格の人物は出るかもしれないけどあくまでお遊びの範囲
シンジの肉体は消滅しても魂とシンジが生きた証は残る
シンジの何もかも全てが消え去るわけではないしシンジの願いも叶った(はず)だから
シンジについては何も悲観することはないと思うんだがどうかね?
繰り返さない世界は魂の輪廻もないから肉体死んだらそのまま消滅だろ
龍の歯医者でもそうだったけどスタジオカラーという集団は死を精一杯生き抜いた上での結果として悪い意味では捉えてないと思うんだよな
そういえば最後に死ぬ龍の歯医者の主人公のあだ名も「ナナヒカリ」だったな
メタ的には作者がここで話も終わり、シンジもやることやって本人も思い残すことないし終わりにしてもいいかなーでコンテだけになったところに、ああマリが残ってるわ来やがったわコイツ
まだ続くわコイツらでペン入れ彩色戻って生き返らせる感じ
キャラの執念が存在強度を復活させるイメージで存在としては同一で肉体の復活も可能だと思う
好きにしたらええがな
それではこのスレとは
おさらばです
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