最初に宇高連絡に乗ったのは高3になる春休みの小豆島合宿を切り上げて帰神の時だった。
土庄から焼玉も関西汽船「第三浦島丸」が大揺れで高松着でホッ、確か11.00の「紫雲丸」駅弁を持ち込んで食べていると
ボーイがお茶を持ってきた。
大揺れを予期したが、ブルワークが少し上下するだけでヤレヤレ。

その後は鷲羽丸と眉山丸を利用したが、眉山丸が宇野到着時にガスタンが効き過ぎて
可動桟橋にドカーンで船客総倒れ。俺は柱近くだったから咄嗟につかまって無事だったが、

社会人になってからは専ら高松17.40発の関西汽船の観光船で神戸迄帰った
ものだった。丁度宇野行き連絡船と同時出航。

古い思い出で御免。