宇高連絡船最終日、宇野発のホーバー最終便に乗りました。
乗船客には記念の額入りのホーバー(船名忘れた…)の写真が配られました。
その後、宇高連絡船最終便…の続行の続行で、文字通り“営業最終便”となった讃岐丸に乗って宇野を往復。
この讃岐丸は、本来の最終便の後に続行便を出すことは早くから知らされていましたが、
それに乗り切れないときの為に、密かに用意はされていたんですね。
たまたま高松駅で駅員が持っていた運航ダイヤを目にしてその存在を知り、続行便の列に並んだものの、
乗客がかなりあぶれそうだったので、機転を利かせてあえて見送ったのが正解でした。
パニックになっていた宇野では、折り返す乗客を降ろさなかったので、宇野で待っていた乗客が暴れていましたね。
高松到着後、瀬戸大橋開通一番電車の「マリンライナー」の列は既に“札止め”だったので、タクシーで鬼無に移動、
そこから「マリンライナー2号」に乗車、瀬戸大橋の初乗りを果たしました。
満席状態の車内でしたが、肝心の瀬戸大橋にさしかかった時、かなりの人が居眠りをして見損なっていたのには笑えましたね。
その「マリンライナー2号」を途中駅で捨て、今度は下り一番となる「マリンライナー1号」で再度瀬戸大橋へ。
その後、宇多津側と往復、午後からは今度は高速バス運行初便となる倉敷駅前発琴平行きに乗車。
橋の上を渡る営業バス一番乗りも果たし、締めは上り「瀬戸」初列車で帰京…という、怒濤の2日間でした。
今思い出せば、もう懐かしい思い出なんですな。この2日間で宇高連絡船と瀬戸大橋で都合6往復したんですよね…。