デビュー前:フェラーリのテストドライバーに内定していたがブリアトーレがカンポスのマネジメントを半ば奪う形で
        強引にミナルディデビューへ(このことが原因でトッドがフェラーリにいる間はフェラーリ入りは断じてないとまで言われた)

ルノー第一期:2005年にライコネンとタイトル争いをする一方で極秘でマクラーレン移籍を画策
         「チームは僕を子供扱いする」などといったチーム批判をするなどブリアトーレから逃げようとする

マクラーレン第一期:当初の契約は2007年から2012年まで2007年のチームメイトはモントーヤに決まっていたも同然だったが
             モントーヤがアロンソと組むのを嫌がりレッドブル移籍やウィリアムズ復帰を画策するもアメリカGPでの一件で途中で離脱
             新人のハミルトンとくむことになったが2007年モナコGPハンガリーGPでの一件やスパイゲートでシーズン終了後にマクラーレン離脱

ルノー第二期:フェラーリ移籍までの穴埋めや充電期間と思われていたが、アロンソ本人は「ルノーを復活させるためにきた」
         2008年は走らないマシンに手を焼くも後半戦で2勝して2009年もルノーに残留を決定したが
         クラッシュゲートや戦闘力のないマシンに失望してこの年の日本GPでライコネンの代わりでフェラーリ移籍が発表された

フェラーリ:ザンユー事件での罰金問題、封印シール剥がしまではフェラーリとは関係が良好だったが
       2013年、アロンソが「誕生日は最速マシンがいいね」と発言したことによりモンテゼモロやフェラーリ上層部との関係が悪化
       とどめはチームの母国GPでマンマミーヤ!とマティアッチに嫌われてフェラーリ離脱を図る

マクラーレン第二期:2014年の12月頃にマクラーレン移籍発表、マクラーレンホンダから走ることが決定したが冬のテストで謎のクラッシュ
             「僕、アロンソ13歳」、記憶障害に見舞われる
             走らないマシンにフラストレーションを抱えてホンダの母国で「GP2エンジンあああああああああああ!!」と叫ぶ
             執拗なホンダ叩きの結果、ホンダを引きずり下ろすことに成功した

アロンソの移籍劇の一部始終