しかし、倉本師範は盧山師範と日常的に組手を行っており、加えて砂袋鍛錬も並行して
行っていたはずだから、倉本師範は組手も強い、というのは解る。
(盧山師範にはどうしても勝てなかったらしいが)

つまり、大山道場の組手を間接的に教わる立場だった倉本師範は、山梨の修徳館に
おいて盧山師範を通じ「実戦的な組手」を身に付ける事が出来たのだが、逆説的に言うと
盧山師範が修徳館に身を寄せなければ今の「拳道会」はまた違ったものになっていたかもしれない。