0001名無しさん@一本勝ち2019/10/20(日) 12:40:55.63ID:OF4rXxSi0
0956名無しさん@一本勝ち2020/01/25(土) 08:06:47.98ID:G9L7m0D10
>>942
これはネットの流派論争が
決闘に発展したものだそうです。
剥き出しの害意は
観て
あまり気分のいいものじゃないですね・・・・
ただ
実戦を考える教材に
なる面はあるかも知れない。
パンチで倒すには?
安全に組みつくには?
組みついてから
ではどう倒す?
解くべき体のパズルは尽きません。
組技と一口に云っても
遠間と近間に大別されます。
柔道は遠間
相撲やレスリングは近間です。
合気道の技は全て遠間ですよね。
パンチに組みつく
つまりクリンチは結果として近間になります。
近間の技が合気道に無い以上
つまりそれは合気道じゃ対処出来ないのを
意味する事にならないでしょうか・・・・ 0959名無しさん@一本勝ち2020/01/25(土) 17:03:02.79ID:CRdQzTSz0
もちろん
遠間に組みつけば
合気道の技も使えます。
「遠間に組みつく」じゃ
表現としてわかりにくいでしょうから
「遠くに組みつく」でしょうかね。
相手の体の
中心から遠くに組みつく。
整理すると
組みつき方には大別し二種類あるわけです。
・近くに組みつく
・遠くに組みつく
このうち前者は
よく知られる「クリンチ」ですね。
後者は
かなり一般的じゃないでしょう。
前者とちがい
そんな中途半端な距離へ
スピーディーに接近出来るのかとか
組みついてからも
相手のパンチが入る距離だぞとか。
それらの問題を一挙解決する
見事な組みつき方がもしあれば
それ自体が合気とすら称せる高度な技です。
0960名無しさん@一本勝ち2020/01/26(日) 02:28:44.27ID:VtdDhnas0
0961名無しさん@一本勝ち2020/01/26(日) 02:30:43.22ID:VtdDhnas0
0962名無しさん@一本勝ち2020/01/26(日) 04:35:16.94ID:Don8T2Hx0
要は接点を少なくするんだろ。
達人の話になっちゃうのだが、塩田剛三言うには
熟練すればつかむとか組むという必要が無い。当て身と投げの区別も曖昧になる
というんですね。これは塩田剛三の多人数掛けを見るとわかるのですが
手で払うと相手が飛んでいく
しかし一般武道家が実践としてあれを使えるのかどうかはわかりません。攻撃をさばくだけで
相手を崩すというのは中国拳法でもそういう発想はあるようですね
0975名無しさん@一本勝ち2020/02/02(日) 01:23:10.00ID:A98uy6sz0
>>962
まあそうなんですけど
改めて細かく云えば
・接点が少なく
・且つ安全に
・その後の投げや関節も行きやすい
組みつきかた。
これが合気道に有るのか無いのか
そもそもそんな事が可能なのか・・・・
そういう話を今してます。
条件を全て満たす組みつきは
とても難しいです。
「どうやるのか」
この単純な問いかけに
正解を出すのは至難の業です。
もちろん合気道に限りません。
リングに上がった大東流も
オロオロと
「どう組みつけばいいのか解からない」
「まだ流派が答を見つけていない」
姿を
不憫にも露呈してしまったわけですから。 そもそも大東流などは、刀を差してる時代の、刀を使えない状況で身を守る技術として
始まってるので、その問いかけは牛刀で鶏をさばくみたいな話だと思うよ
合気道の呼吸力、つまり力を抜いて呼吸で力を一点に集中するという発想は
おそらくきかつて日本武道で重視された剣気が元です
兜割りや死体を両断するような演武で刀は力任せでは通らないと剣士は知っていた。
呼吸(気合い)と脱力から力を一点集中する技術を剣気と呼んでいたと推測してますが
刀を振るフォームと同じ四方投げに応用するとこれもスッと通ると発見した人がいたんじゃないかな
つまり現代武道に応用するためには合気道の技体系や技の型はどちらかというと重要でなくて
この呼吸力を身につけることが肝要でしょう
0977名無しさん@一本勝ち2020/02/02(日) 19:02:11.74ID:sF+bRdop0
0978名無しさん@一本勝ち2020/02/03(月) 00:26:37.28ID:CEpMn8d/0
>>976
カラダが変わればそれだけで勝てる
という思想は
いつごろ始まったんだろうと
一時期しらべた事があり
どうも昭和末期に端が開かれたようです。
「功夫(コンフー)」
「錬体」
「正中心」
「呼吸力」
etc
流派
個人で
色んな称び方
理論があったみたいですね。
「合気」もそのひとつと
捉える人は多いでしょう。
私は
合気は技だと考えます。
より精しく云えば
技とカラダは
少なくとも合気に於いては
一体だと思ってます。 0979名無しさん@一本勝ち2020/02/03(月) 00:30:40.67ID:CEpMn8d/0
一体ってのは
技を研究しながらカラダも鍛えて変えていく
技+カラダ
という意味じゃありません。
技を考えないと
(技が解からないと)
カラダが解からない。
そういう意味です。
実は技が解かると
その瞬間カラダが解かり
変わります。
その反対
カラダから入って技を解くのは
難しいと思います。
もっと云えば
カラダでカラダを解くのも
たぶん出来ないんじゃないでしょうか・・・・
0980名無しさん@一本勝ち2020/02/03(月) 00:32:38.26ID:CEpMn8d/0
カラダ思想を軽視するわけじゃないです。
コミュニケーションのありようが
急速に変化を迎える兆しのあった
(あったと想像する)
昭和の末期
独りでカラダに取り組むという思想が
受け容れられたのは汲めますし
ある意味正しかったのでしょう。
ただ
カラダ思想が
(カラダ思想の流行が)
技を軽視させた面はあると思ってます。
軽視が過ぎて
こう表現するのは心苦しいですけど
失敗例にまで至ったのが
興行に出た大東流佐川道場ご出身のかたです。
試合前おっしゃってました。
「カラダがちがう」
「カラダのちがいを見せたい」
(´・ω・`) ・・・・
たぶん無理なんですよ。
カラダでカラダを変えるのは。
可能性ゼロとは云わないですけど (´・ω・`) ・・・・
多分例の達人の人は長年修行した合気が通ってる体が強いという自信があったのでしょ
年齢的に劣ってるんだから筋肉の鍛え方が違うという意味ではないでしょう
でもそうした、特定の条件下で通用する強さというのはちょっとの条件の違いで吹っ飛んでしまうのだと思う
試合(というかボコられただけ)の映像を見ると緊張してカチカチになってるね。あれでは脱力が出来てない
人間はケンカになると硬直するんです。その方がケガしないから。それは人間が基本弱い動物だから
性質が防御寄りに出来てるんですね。その反面、猫科の動物はゆったり脱力してる。
このほうが瞬発力を生むのに理想的だからです。人間は知恵でそうした体術を編み出してきて
野生に追いついたわけですが、いざとなると固まる人間の性質が克服できてなければそもそも
技も使えない。道場演武だけでやってきた人はここらを計算に入れてないことがあるんじゃないですかね
0993名無しさん@一本勝ち2020/02/03(月) 15:38:20.78ID:KbVyEzh40
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