元々、流山とか守谷あたりは何もなかった新興成り上がりのベットタウンで

なぜ、栄えるようになってきたかというと、
ここにいる一部の人は、いうまでもなく知ってると思うが

三郷八潮の高度成長期の人口増加しはじめと、筑波万博開発のおかげのおこぼれあってであり、

まず、常磐自動車道と首都高速は本来最初の計画では
松戸あたりに起点建設で、我孫子取手牛久経由という水戸街道どおりの
計画予定だったのが

つくば万博研究開発の構想ができ、事業化されたのに加え
すでに歴史あって栄えてた、松戸とか葛飾に常磐道を通す土地が結局無かったため、
隣の鉄道国道空白地帯で、陸の孤島状態でまだまだ未開発だった三郷八潮に白羽の矢がたち、
その救済も兼ねて、
三郷とつくばをなるべく直線的に最短で結ぶということに加え、
かつ柏市 と キッコーマン野田の産業経済にも配慮もかねたルートということで

おこぼれで、流山とか守谷谷和原(つくばみらい)経由になったのだ。



それで、つくばとか三郷が発展してきて都内直通の鉄道が必要だ!
ということになり、常磐新線txもほぼ同じ経緯で出来て

同様に、流山とか守谷谷和原あたりはその恩恵にあずかれてるのだ。
決して自身の都市の実力ではない。

代わりに、水戸街道の歴史あった取手とか我孫子竜ヶ崎あたりが、不便のまま衰退斜陽化してしまった。

土浦以南の水戸街道沿いに、常磐自動車道とtxを通らなかったのはこの理由が事実だ。