>>890
ページ真ん中あたりの日連村勝瀬の写真見たよ。
河原遊びによさげなきれいなU型の河原や広い平地が広がってたんだね。
その中を今の国道412号にあたる道路が通ってた。

津久井郡日連(ひづれ)村(現・相模原市緑区)勝瀬(かっせ)の集落は
「相模川」右岸の低い段丘に位置し、農業のほか、舟運、川魚漁なども盛んで、山間地としては恵まれていた。

昭和初期には耕地整理や架橋を行ったばかりだった。写真は戦前期、「相模ダム」建設前の勝瀬集落。

ダム建設の調査段階であった1935(昭和10)年頃から、新聞などで計画を知った住民から反発があり、
1938(昭和13)年の建設決定前後には、住民をはじめ、農業・漁業・観光関係者などから
設計変更や補償など各種の陳情が行われた。

勝瀬集落では当初「用地不売同盟」の看板を掲げ挙村一致で反対したが、
戦時体制の中、反対を続けることは叶わず、1940(昭和15)年、全ての調印が完了。
勝瀬集落全93戸を含め、神奈川県・山梨県合わせて、4町6村の計136戸が湖底に沈むこととなった。

勝瀬集落では集団移住に際し、移住先は『「勝瀬」と呼ぶこと』『水田耕作の可能な土地を代替地とすること』『「相模川」の流域であること』という3点を要望。
県は高座郡海老名町(現・海老名市)勝瀬を集団移住先とした。