どの時代においても、信仰心のある人、ない人はいます。無宗教と名乗る人々は、宗教は心のよりどころとしている心の弱い人間と思っている人もいます。つまり、私も宗教にはたよらない、自分だけが信じられるといったような。
信仰とは何か?
言葉に出来ないことは表現のしようがない。言葉は「個」を表さないからです。つまり、りんごの味は、と問われて答えられないように、本人が食べてみるしかない。
信仰心というのは、各人が悟っていくしかないのではないでしょうか。
「見るもいんねん
聞くもいんねん
世話取りすることなおの事」
と、聞かせていただく。
現時点での私が対峙した言葉や現象、体験から何を悟っていくのか。原典の出典がどこであろうが、どう解釈しようが、関係ない。誤った解釈なら誤った結果がでるだけ。それが私の信仰なのかもしれない。
信仰心の前には、天理教組織は関係ないと思います。