速読の方法をトップとボトムの2方式に分けた上で、
トップ方式の弊害を指摘するところまでは同意できるのですが、
ボトム方式はもはや速読というより、普通の読書(スピードが遅い)ではないでしょうか?
単語を前提に論理の構成をしていますが、その過程の中で、トップ方式の論理が混入している気がします。
このことは、純粋なボトム方式(普通の読書)では速度に限界があることからの対処のためでしょうが、
トップと同様な弊害が混じっているのではと感じます。

トップ方式の論理が混入しているのではとの疑問があるのは、特に目次読みの部分です。
目次読み自体は自分も有益と考えており、否定はしませんが、
単語を中心にボトムに構成する、という前提とは齟齬があるように思えます。
私は、目次読みは読書の最初と最後に行っています。
最初の目次読みは概要の把握のためであり、この段階で文章が理解できることはまず無理ではないでしょうか?
単語は文章の中で定義されるとするならば、その文章を読まずして理解するのは困難でしょう。
もし理解できるとするならば、すでに持つ知識が構造化されており、当該本へのリンクが容易なときでしょう。