せっかくだから師友塾時代の事を書き込もうと思う。

師友塾を辞めてから、十五年以上たったが、塾生、スタッフとは完全に絶縁状態。時々ふと思い出して懐かしく思う事はあるけど、連絡先はもちろん、生きているのか死んでいるのかもわからない。記憶の中の登場人物は、皆今の私よりも年下。塾で出会った人達が私の中でずっと十代のままだから非常に変な感じ。もう随分と昔の事なのに、つい最近の事のように思える。

入塾当時私は13歳。師友塾が受け入れている最も若い年齢になる。当時の私から見たら、AIE生や、卒業を控えたお兄さんお姉さんたちは、20歳前後で雲の上の存在だった。正直お兄さんお姉さんというよりも、ほとんどスタッフみたいな感じだった。少なくとも13歳の私にとってはそれくらい頼もしく感じた。

そんな先輩たちが皆口をそろえて「大越先生を信じれば大丈夫」という。皆同じことを言っていて気持ち悪いとは思わなかった。世間体や一般常識はあまり関係が無かった。目の前の物凄く優しくて頼もしいお兄さん、お姉さんが元気そうにしている、それが私にとっての真実だった。

家から塾までは結構遠かったので、毎回行くたびに「よく来たね」とか「遠くから通っていて偉いね」とか行くだけで褒めてもらえる。

いじめは全くないので、学校とは比べものにならないくらい民度の高いコミュニティだったと思う。

17歳くらいになって、将来の不安とか、期待とか、色々考えるようになる。その頃の私にとって、AIE生というのはもう雲の上の存在ではなくて、少し上のお兄さん、お姉さんくらいの感覚だった。もちろん塾生時代を一緒に過ごした人も何人もいた。だから「俺も近い将来こうなるのか」とか「俺もこれをやるのか」というイメージがかなりリアルにすることが出来た。その時期に、「俺には絶対無理」と思った。

内部にいたからわかる事なのだが、AIE生は皆大越塾長を「信仰」しているのだ。「大越先生の言うことは、大越先生が仰るから正しい」という人たち。今思い返すと、塾長に対する「信仰」はなかった。ただ、自分の中で「大越先生の言っている事は正しいのか」というのをいつも吟味していたと思う。その結果、いつも「俺は大越先生は正しいともう」という処理をしていたに過ぎなかった。信仰ではなく、何らかの根拠に基づいて「信用」していただけ。AIE生になるという事は、自分で考えて判断するという事を完全に放棄して「信仰」しなければいけないので、「俺には無理」と思ってしまった。

今日はもう疲れたからこの辺でやめる。

気が向けば塾を辞めた時のことを書き込みます。