>>76
新潟地元の強い要求で,151系による上越線入線試験を行ったところ、モータ過熱で継続試験不能となり土合駅で運転を打ち切った。
その先、新潟の主要駅で首長等が到着歓迎のため待機してたそうだが全員待ちぼうけとなった。
日光専用デラックス準急157系であれば充分走れたので、それで行こうとしたら地元が大反対!
新潟にもこだまを通せ!って激しく迫ったもので、車体は151系準拠、走り装置は157系である161系を新製して「特急とき」とした。

技術的にはギヤ比を157/153系並みに上げて、MT比を大きくした161系投入で上越国境越えの長い急坂を越えられるようにしたわけだが、
100kWモーターでは苦しい仕業なので、151系161系共にMT54換装で181系に改造して耐久性、汎用性を拡げた。

煙を噴いた下り関ヶ原垂水越えの登坂落差120m、走行中解放の補機を付けた上り瀬野−八本松の登坂落差250mに対して
上越線清水トンネル越えは500m登坂あって、平均勾配としては若干緩くても長丁場で最後に25/1000勾配はきつかった。
当時はまだ新清水トンネルは未開通。

MT46の2M2T単位でのギヤ比3.5にかなり無理があったってことだ。
最高速度110km/h運行なら153系並みにギヤ比を上げる、140km/h運転ならMT54換装(=181系化)が必然だったって話。
&単線だった当時は待ち合わせの停車時間で冷ませるってのはあっての153系等での臨時T増だろう。