貧困とうつ病でどん底に…猫ボランティアをはじめて変わった私

神戸市で猫のスペイクリニック(野良猫の繁殖を止めるため、不妊手術を専門に行うクリニック)を設立した山田亜美香さん(37)。
ここにいたるまでの道のりは平坦ではなかったという。

■バイトをしながらフラフラしていた頃
山田さんは大阪出身で、19歳になるとバイトをしながらひとり暮らしをしていたという。
髪は金髪に染め、友人に部屋の合鍵を渡し、帰宅すると知らない人が家にいるような生活をしていた。
「ある日、家に帰ったら子猫がいたんです。友人が拾ってきた子猫を置いていったのですが、とりあえず
コンビニでごはんや猫砂を買って世話をしました。知識も飼育経験もなかったのですが、なんとか
1カ月間育てて、ちょうどその頃、猫は1匹だけで飼うと淋しがると聞いたんです。
そこで、動物病院で里親を募集していた黒猫を譲渡してもらいました」
その後、22歳の時に同じところに勤めていた4歳年上の男性と結婚。
妊娠したら、急に夫が嫉妬深くなり、半年後に長女を出産したのですが、家を飛び出してしまいました。
「友人の家に転がり込んで、赤ちゃんを夜間保育所に預け、私はラウンジで働きましたが、現実は厳しかったですね」

■貧困とうつ病
いつまでも友人の家にいるわけにもいかないので、ラウンジのママにお金を借りて子供と2人暮らしをはじめた山田さん。
「夜間保育園で晩ごはんを食べ、母親と一緒に眠ることができない娘が不憫(ふびん)で、仕事は昼間のバイトに変えたんです。
娘は、保育所になかなか入れなかったので、無認可保育園に預けました。
家賃と保育園に支払う費用で、経済的に行き詰まり首が回らない。
好き勝手をしていたので実家にも頼れず、やがて、うつ病になってしまったんです。
その頃は食事の用意もできず、イライラして娘にもきつくあたっていました」
どんなに頑張っても、幼子を抱えて生活するのは苦しかった。
バイト先から帰宅すると電気がつかなくて、キャンドルを灯してしのいだこともあったという。

■2度目の結婚をしたけれど
どうしていいのか分からなくなって、実家に援助を申し出た山田さん。少しずつ元気になって、うつ病の薬も減ってきたという。
27歳の時、友人の紹介で出会った8歳年上の男性と2度目の結婚をした。
不動産業の会社に勤めながら、いつか独立したいというのが彼の夢だった。
ところが、ご主人は、起業の準備をして「さあ、これから」という時に、腎不全で亡くなってしまったという。
「2度手術をしましたが、念願のマイホームを買ってから半年後のことでした。
30歳の時に2人目の子供も授かって、6年間くらい一緒に暮らしたんですが」
「家のローンも残っていたし、子育てもしないといけない。主人が作った不動産会社を引き継ぎ、一から勉強しました。
主人が勤めていた会社のオーナーさんに管理物件の掃除やチェックの仕方を教えてもらい、まめに見に行って
空気を入れ替えるというところから始めたんです。いまは、実際の運用は人に任せています」
一方で、山田さんは、猫の保護活動をしていた友人と一緒にネコアパートメントという保護猫カフェを
期間限定で運営したり、預かりボランティア(里親が決まるまで猫を預かる)をしたりしていたそうだ。
「二足のわらじを履いて大変でしたが、猫のボランティア活動をしていて『夢中でできることはこれしかない!』と思いました」
猫の多頭飼育崩壊や野良猫問題は、環境や行政、福祉の問題が複雑に絡み合っているので勉強もしたという。
「なんとなく猫ボランティアをしてきたのですが、『この先、どう生きていくのか』という悩みもありました。
そんな時、獣医師で、大阪でスペイクリニックをしている人から、『資金を用意できるなら、病院を運営してみたら』と、言われたんです」
その後、山田さんは猫ボランティア活動で出会った男性と「NPO法人KATZOC(カゾック)」を立ち上げることになった。
「KATZOCでは人と犬や猫の共生を目指していて、その一環として手始めにスペイクリニックを開院したんです。
NPO法人化することで、何をしたいのか見つめ直すきっかけにもなりました。
今後は『(犬や猫の)いのちの教室』を開催したり、子供たちの、学校でも家でもないサードプレイスとしても機能させたりしたいです」(神戸新聞特約記者・渡辺陽)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190303-00000086-dal-life